≪Round 4≫

「……ナ、ナルト……?」
笑顔から伝わる異変に、オレの舌はもつれた。
ゆっくりと近付いてくる体が大きい。表情や声色は穏やかなままだけれど、先程までと比べ漂っているものが明らかに違った。伝わってくるのは切迫した、威圧とでもいうような息苦しい何かだ。
「ゴメンな、びしょびしょにしちまって」
「……」
「まあどうせ脱ぐとこだったんだしいいか! フロントに頼めば、きっと明日までにはどうにかして乾かしてくれるだろうし。サスケ朝まで大丈夫なんだろ?」
「いや、だから……本当に悪いとは思うんだが。やっぱオレ、今日は」

―――がん!

言い出した途端、バスルームを揺らした大きな音に、圧倒されたオレはギクリと固まった。みしりと模造タイルの壁に走る軋み。体はこちらに向けたまま握った拳で壁を打ったナルトは、下を向き表情を隠している。見えないままの顔が、得体の知れない圧迫感を増長させた。つか、か、壁大丈夫なのか……? うっすら見える細い亀裂に、背中には冷たい緊張が走る。
おそるおそる見遣れば、打ち付けた形のままでいる筋肉質な腕は微かに震えていた。わあんと残る荒事の余韻に、ユニットバスの壁はまだ揺れているようだ。
「嘘だろ……サスケ? なにそんな、今更なこと言ってんだよ……」
ようやく顔を上げたナルトの口から出たのは、そんな苦しげな否定だった。
項垂れたままの金の髪。下を向くそこからは、表情を窺うことは難しい。
「なんで? なんでそんなこと言うんだってば。理由は?」
「…………それ、は」
「嫌だ……嫌だ、嫌だ嫌だ絶対帰さねえ。ずっと好きだったんだ、オレ――本当に好きだったんだ。それなのにここまできて諦めるなんて。そんなの出来っかよ……!」
しぼりだすようにそう言うと、ナルトは荒々しく掴んだオレの腕をぐんと引いた。他愛なく捕まったオレは強い腕に完璧にホールドされ、身動きが取れない。焦りの中に踏ん張るもバネの強そうな体は大層重く、やがて追いやられるかのように背中が冷たいユニットバスの壁に押し付けられた。喰いつこうとするかのようにオレを見据えてくる瞳は激高する感情に赤く染まっている。
――え、いや、ていうか何なんだこれ、マジで結構、怖ェんだけど……!!
ソックスを履いたままの足元を、さあさあと出しっぱなしになったシャワーの湯が浚っていく。
「サスケ、サスケ……!」
「……っ」
「なんで? どうしたらオレといてくれる? さっきまで笑ってくれてたのは全部嘘? オレのことからかってたのか?」
「ちが、ちょっ……くっ・るし、ナルト、も、やめ……!」
いっそこのまま、もっともっと強く抱きしめて体中全部バキバキにしてしまえば……!
肩の上で零されたそんな恐ろしい呟きに一瞬体が硬直すると、それが機になったのかいったん身を引いたナルトは今度はオレの胸に吸い付いてきた。固く尖らせた舌先が乱暴に嬲ってくるその感触に、ぞわりと背中が波立つ。粒立った乳首を短く切られた爪でかりかりと引っ掻かれば、先程覚えさせられたそのもどかしさに呆気なく腰が震えた。カチャカチャという、金具の触れ合う音。やがて締められていたベルトが外され、水浸しになったズボンが重力のままに落ちる。
「おい……やめろって!」
危うい予感に焦りがふきあがり、オレは夢中で振りほどこうとした。
しかしそんなオレの抵抗なんて歯牙にもかけず、濡れて張り付く下着に手を掛けたナルトは、一気にそれを引き下ろすと現れたオレの性器に迷わず顔を寄せてくる。
「ひ……ッ……!」
「サスケ」
「あっ、あっ、ばか、やめ……っ」
「お願い、絶対気持ちよくしてやっから。だから……」
――帰んないで、と。せつない声の余韻が消える前に、ぴちゃりというどうしようもなく卑猥な音がバスルームに響いた。
同時に襲ってくる、ぬるついた熱と途方もない快感。オレの足の間でいやらしく動く乾いたままの金髪が、震える腿の内側をそわそわとくすぐる。
喉の奥深くまで飲み込んではずるりとまた引き出すその動きに、みっともない程に腰が付いていこうとしてしまうのがわかった。かと思えばちゅるちゅると鈴口を吸われ、先の部分を甘く噛まれる。同じ男だからこそ勘も働くのだろうか。気持ちいいポイントを的確に狙うナルトの動きに、あっという間にオレのものも固く上を向いた。括れに引っかかる歯が、幹に絡みつく舌がたまらなく気持ちいい。際限なく溢れてしまう先走りにナルトの唾液が混じり、じゅぶじゅぶという濡れた響きが床を叩き付けるシャワーの音と共に流れていく。
「ン、あ、やっ……だめっ、だめだ……っ!」
一段とせり上がってきた開放の予感に、慌ててオレは下腹部で上下するナルトの頭を掴んだ。なけなしの根性をはたいてそれを引っペがしてはみたものの腰は既に抜ける寸前で、脱力したままタイルの壁に凭れながらその場でずるずると座り込んでしまう。
「サスケ……」
他愛なくへたってしまったオレを見て、バスルームの床に膝をついていたナルトはまたオレの名を呼んだ。
なんでやらしてくんないの? と言う悲しげな声に、散らかって全然纏まらない思考のまま、どうにか目線だけをあげる。
「いや、なんでって…………」
言いようがなくて淀むと、ナルトはますます悲しげに眉を下げた。明るかった金髪がバスルーム内に充満する湯気にしおれている。濡れた床で膝を着き「ゴメン」としょげるその姿からは先程の獰猛さは見事に抜け落ちていて、まさしく主人に叱られて悄気る大型犬の様だ。
……なんなんだこいつは。
キラッキラして現れたかと思えば、いきなりのバイオレンスだし。
怖ェんだか、情けないんだか。なにが本当のナルトなのかが読みきれなくて、謝られるオレの方が困惑するばかりだ。
「ゴメンとか言われても」
「ほんとゴメン、オレ上手く出来てなかった? もっと強い方がいい?」
「……だから! そういうことじゃなくて」
「じゃあなんでダメなんだってば、やっぱ男に舐められんのは気持ち悪い?」
「それはっ………そんなことねえけど」
「もしかしてサスケ、女より男の方が経験多いの? そんでオレを昔の男と比べてる?」
「は?」
「ゴメン、オレってば男はサスケ以外は全然ムラムラしたりしねえから、あんま知識もなくて……二三回だけどうしてもって頼まれてしたことはあンだけど、基本オレはマグロだったしこっちからなんかしたりとかは全然したことなくて」
「――そういう意味でもねえよ! つかお前、男も抱いてんのか!」
仰天の告白に思わず声が荒れると、そんなオレに今度はナルトの方が(うっ)とたじろいだようだった。女とするのはわかる。同じ男として理解できる。
でも男ともとなるとちょっと……なんだろう、このなんか許せないという気分は。男はダメだろ、男は。この際その乱れた性生活にはどうにか目を瞑るにしても、ずっとオレを好きだったとあくまで言い張るのならそこだけはキッチリ貞操を守るべきだろ……!
「ふっ……ざけんじゃねえぞ馬鹿、結局のところただ単に、のべつまくなしにヤリまくってただけじゃねえか!」
腹立ちのままに「いっぺん死ね!」と罵詈雑言をぶちまけると、ぱっと顔を赤くしたナルトが「なっ―違うってば、オレってばべつにそんな理由でしてたわけじゃねえもん、オレなんかで喜んでもらえんのならって思っただけだもん!」と怒鳴り返してきた。
なにが喜んで貰えたらだ、どんだけ他人に献身しまくってんだこいつは!
ギリリと睨みつけるオレに、ナルトはやはりどこかたじたじとなっているようだ。
「だ、だって、なんでか知んねーけどオレってば野郎からも結構声かけられること多かったんだもんよ。一度でいいから抱いてくれとか泣かれたらどうにかしてやりたいと思うのが、人情ってもんだろ?」などと揉み手を繰り返すナルトは口をむぐむぐさせていたが、ようやく出てきたのもこれまた微妙な言い訳だけだった。
そんな必死の弁解をいくら聞いても、こちらとしては更にモヤモヤとするばかりだ。
もしかして本人的には、『善行』のつもりなのかもしれない。
いやでも、どうしたって普通の人間には理解不能だぞそれ……更に増えていくナルトの真実に、ついていけないオレは頭が痛くなるばかりだ。
「お前――なんなんだよ、本当。ワケわかんねえよ」
ふと痛みを感じて見つけた手首の痕に、オレは溜息混じりに呟いた。赤くなったそこは、さっきオレを引き寄せる時ナルトが付けたものだ。くっきりと残された指の形は、この先しばらくは消えないだろう。下からの妙な生温かさが気持ち悪い。座り込んでしまったズボンの尻は、流れ続けるシャワーの湯を吸って既にぐずぐずだ。
今日の夕方、同窓会が始まる前のオレの予定では、今頃は金髪碧眼の美青年に成長したナルト(想定)(まあ当たらずとも遠からずではあるが、こんなラージサイズになっているのは想定外だった)と、ベッドの上でうまいこといっている予定だった。
なのにこの現実はなんなんだ。せっかく再会できたとうのにオレは理想と現実の合間で空回りするばかりだし、ナルトはナルトで意味不明だし。やっぱり十二年という歳月は、やすやすと飛び越えるには大きすぎるのだろう。うまいことどころかまともな会話さえ成立させられないのに、どうしてこの先も一緒にいられるだろうか。
……湯気で曇るバスルームには、無計画に床を叩き続けるシャワーの水音と重苦しい沈黙だけが漂っている。
いつまでもこうしていても仕方がない。いい加減もう見切りをつけなくてはと苦い思いをどうにか飲み込み、オレが立ち上がろうとした時、ふと前で膝を着いたままのナルトから「そんなの、」と言うのが聞こえた。
「…あ?」
「そんなの、オレだって一緒だってば。――サスケこそワケわかんねえよ」
出し抜けの言葉に「は?」と思わず首を傾げると、そんなオレにナルトはぐんと顔を上げた。
目が合う。しっかりと合う。
真一文字に唇を結んだナルトは、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。しかし目の奥に見えるのは隠しようがない程の強い感情だ。
そうしてその真剣そのものな青い瞳は同じく見つめ返すオレを映すと、深呼吸をひとつ挟んで喋りだした。出された声の冷静な低さに、思わずどきりと心臓が鳴る。
「オレな、オレ日本を離れてからも、サスケどうしてるかな、どんな風になってるかなって想像してて。そんでいつかお前と釣り合う位カッコイイ男になれたら、もう一度会いに行きたいなって。その一念で、これまでオレなりにずっと頑張ってきててさ」
そこまで言っただけで、ナルトは早くも口を閉じてしまった。
余程言葉を選びながら言っているのだろうか。単語をひとつずつ吟味するかのように伝えるその声は、先程に比べゆっくりと丁寧だ。
「けど、会ってみたらもう、サスケってば思ってた以上に綺麗だし、格好いいしさ」
「……」
「なんつーか、やっぱりオレじゃ無理だなあって。頑張ってみたけどやっぱサスケには全然敵わねえし―でももう一度会えただけでもう、充分だなあって。会があった店に入った瞬間、そう思ったんだ」
そう言ってナルトはちょっと言葉を切ると、じっと黙ったままのオレを見て泣き笑いみたいな顔で鼻にしわを寄せた。そうして笑うとすっかり成長して男らしくなった顔が、一瞬にして夏の夕方、教室で見た最後の彼の顔と同じになる。
「なのに、そんなサスケがオレんとこ来てくれてさ。そのうえオレとしてもいいとか、そんなの舞い上がるに決まってんじゃんか、なのに実際部屋に来てみたらサスケってば急によそよそしくなるし。なんかすげえ、勿体つけた感じっていうか……そんで終いには、『帰る』だろ? そんなのオレだって混乱するってば、サスケってば何にも説明してくんねえし、こっちこそ本当、ワケわかんね」
「だからって、てめえはてめえで強引過ぎんだろ。なんなんだ、この有様は」
身にしみる話ばかりではあったが段々と黙っていられなくて、つい口を挟むとナルトはピタリと口を噤んだ。揃っての濡れ鼠と乱れに乱された自分の姿、そしてまだほんのり痛む手首の赤いしるし。そっと触れてみせれば説明せずとも、ナルトには伝わったようだ。
正直、怖ェよお前。
言ってしまえばひくりとその肩が身じろぎ、情けないほどに眉が下がった。膝立ちの腿の上では、握られた拳が(ぐっ)と固くなるのがわかる。どうやら自分でもやりすぎたとは思っているようだ。
「……こ、怖いかな」
「怖い」
「ゴメン――オレなんかどうしても、サスケのことになると頭がかっとなって、全然自制が効かねえっていうか、馬鹿になっちまうっていうか。……ああいや、馬鹿はまあ元々だから今更なんだけど。でもそれ以上に、何も考えられなくなっちまうっていうか……」
そんな自虐を混じえつつ謝ったナルトは黙ったままでいるオレを見ると、しょげていた頭をますます項垂れた。膝立ちのまま大きな体を恥じるように縮こまるその仕草は、まるきり叱られて反省する悪ガキだ。
「オレさ、」とおもむろに話し出すナルトに視線を合わせると、目が合った途端何故か彼はパッと顔を赤くした。……こいつもしかして、ちょっとMっ気もあるんじゃないか? 微妙に照れたようにも見えるその顔に、そんな無礼なことをうっすら思う。
「人から好きだって言われたら、なんでもしてやりたいと思っちまうのも本当だし」
「……」
「……そんで、結構いろんなコと付き合ったのも本当。男も、まあ、何人かは……」
ごにょごにょっと語尾を濁らせると、ナルトはちらりと、黙って話を聞くオレの表情を窺った。
いいからとっとと続きを言え、と無言で促す。そうすればびしょ濡れのナルトは、再び居住まいをただした。まっすぐにオレを見る空色の瞳。その中には、同じように見つめ返すオレが見える。
「けどさ、自分からどうしても欲しいと思うのは、昔からずっとサスケだけで。なんでかなあ、自分でもちょっと、おっかなく思うこともあるんだけど、サスケにだけはどうしてかわかんねえけど我慢が出来ないんだってば。さっきも一度はオレのとこに来てくれたサスケをまた手放さなきゃならないって思った途端、頭ン中が真っ白になって。兎に角引き止めなきゃってことだけでいっぱいいっぱいで、他のことは何もかもが燃え尽きたみてえに考えられなくなっちまった」
言い切ると、ちょっとすっきりしたらしいナルトは胸を撫で下ろし、いったん息を継いだ。けれどすぐにまた言いたいことが見つかったらしい。小休憩を挟んだ口は「……だから!」とまた動く。
「だからお前の前でこそ、オレってば一番格好良くしていたいのにさ」
「……」
「なのになんでかお前が見てると思うと、気持ちばっか浮かれちまって、結局はダセェオレばっかり出てきちゃって。―なんか、ほんと、全然ダメなんだってばオレ。サスケの前だとどうしても、昔みたいな我侭で頭の悪いガキに一瞬にして戻っちまうみたいだ」
ゴメンな、なんか、騙しちまったみたいで。
そう言って寂しげに笑うと、ナルトはそれを誤魔化すかのように(へへへ)と頭を掻いた。サスケの服、濡れちまったけどオレのでよけりゃ貸すから。もう夜も遅いし、フロントに頼んでタクシー呼んでもらうな。空元気を奮い立たせるかのようにそう言うと、ナルトは未練を断ち切るかのように重い腰をゆっくりと上げ、しゃがみこんだままのオレをせつなげに見下ろしてくる。
……部屋の方で再び、ナルトの携帯電話が鳴り出すのが聴こえた。また仕事の電話だろうか、長々としたコールは執拗だ。
繰り返される電子音に「出なくていいのか?」とつい訊ねると、そんなオレからの問いにナルトは「うん、まあ―いいや、もう。後でこっちからかけ直すし」と肩を竦めた。わずかに草臥れた顔に乾いた笑いを浮かべつつ、それでもオレからの視線を感じ取ると、きっぱりと割り切るかのようにしゃんと背を伸ばす。
「まあこっちに居られんのも今夜までだし、きっとオレってば次の同窓会には、来られないからさ……サスケともこの先、もう一生会えないだろうし。だからせめて見送るまでの間だけでもさ、下のラウンジで懐かしい同級生として、馬鹿話でもしようってば」
そう言って差し出されたその手を見た瞬間、オレの中には嵐のような煩悶が巻き起こった。この手を取れば、たぶん今夜の全てがリセットされる。本当に、ただの同級生に戻れる。
けれどそれで本当にいいのだろうか。
それでオレは、納得が出来るのか?
確かにこのナルトはオレの知っている、昔のナルトじゃない。それにオレだって本当は、ナルトが考えているような男じゃない。もしもナルトが本当のオレを知ったら幻滅するかもしれないし、呆れられるかもしれない。騙されたというのは実際のところはきっとオレではなく、ナルトの方だ。
(……だけど、)
目の前にある大きな手がわずかに震えているのを見て、息をのんだオレは覚悟を決めた。恥ずかしいとか、みっともないとか。そういった自分を守るための感情は、今はひとまず捨て去ろう。それは今は不要なものだ。
だって今オレは、ここに残りたいと思っている。十二年前の教室でオレの横にいたチビのナルトではなく、目の前にいるこの大きくなったナルトと。
もっと一緒にいたいし、声を聴きたいし――そうしてもっと、触れてみたい。

「……懐かしい、同級生だって?」

震えそうになる喉を叱咤して、オレは最初の一手を放った。
どうかこの声の揺れに、こいつが気が付きませんように。この期に及んでもナルトの前では格好つけたがる自分に、心の中で舌打ちをする。
「馬鹿言うな、生憎オレはそんな融通の効くタイプじゃねえんだ」
「へっ……?」
「一度変わっちまった関係を、都合が悪くなったからってまた元に戻すなんて。節操無しのお前じゃあるまいし、そんな小器用な真似、軽々しく出来やしねえんだよ」
「せ、節操無しって、そりゃあんまりだろそれ! オレってば本当にそんなつもりでしてたんじゃな…―ッ!?」
掛けた粉に面白いように赤くなるナルトに思わずニヤリとすると、オレは目の前にある濡れたTシャツの裾を思い切り引っ張った。ムキになって反論しようとしていたナルトはまさしく油断しまくっていたらしい。さっきまでビクともしなかった体は呆気ないほどにかくんと膝を折り、他愛なく床に尻餅をつく。動転でまっしろになっているらしいところへオレは間髪入れず馬乗りになった。いかにも筋肉質な体に仕掛けるのは難しいかと危惧していたが、形勢逆転は意外なほど簡単だ。訳無く遂行できたそれにかなり満足しながら、呆然となる顔をじっくりと覗き込む。
上から見下ろすこの姿勢が、強気を呼び起こしているのだろうか。さっきまでの緊張は目線が逆転した途端、嘘みたいに消えている。
「え!? な、なにコレ??」
目を白黒させて、ナルトが言った。……驚いてるか? 驚いてるな。
いい表情だ、その顔が見たかった。
「さっきの仕返しだ」
「仕返しってサスケ――か、帰るんじゃないの?」
「そう思っていたがやめた。今更帰ったところで、後が面倒なだけだからな」
よ、よく意味がわかりませんけど……!? 汗をかくナルトに、上に乗ったままのオレは気分よく笑った。
ああそうだ、ここで帰ったところできっとまた色々面倒なだけで。今日の記憶が増えた分、きっとその面倒はこの先更に膨れ上がっていく一方に違いないだろう。
「あのなナルト、……好きだ」
唐突な告白に、ナルトは何を言われたのか最初理解出来なかったようだった。
もしかしたら、この風呂場で馬乗りという状況も悪かったのかもしれない。およそロマンティックから懸け離れたシチュエーションは、きっと少なくないナルトの過去の遍歴の中でも郡を抜いて奇抜な告白スタイルだろう。
それでももう一度ダメ押しするかのように、青い瞳を見詰め「好きだぞ」と言い聞かせてみた。
せっかくの告白にも、ナルトはまだポカンとしたままだ。ちょっと物足りないオレは間抜けに開かれたその唇を見ると、人差し指でそっと撫でてみた。厚みのあるナルトの唇は、ぷにぷにとして気持ちいい。それでもまだ呆然としているナルトに流石に号を煮やすと、触れていた指を外し、代わりにちゅっとひとつ吸い付いてみせた。

「――はっ!! えっ……い・今なんて!?」

口許に残る感触でようやく目が覚めたらしい。オレの顔が離れた瞬間、突然叫んだナルトは勢いよく起き上がった。
つられてぐらりと揺れるオレの両肩をはっしと押さえると、大真面目な顔で「ワンモア!」とせがんでくる。
「おお・オレってば今ちょっと、うっかり放心しちまってて!」
「バーカ、もう言わねえよ」
「なっ――お願い! もう一回だけ!!」
「さっき二回も言ったんだぞ。それだけでもかなりの大奮発だろうが」
必死な様子のナルトにしれっと言い返すと、湿った金髪頭は「えええ……!?」と項垂れた。そんな姿に、オレの気持ちはまた柔らかくなる。
きっとこういう感情を、いとしい、というのだ。
親兄弟や友人達からは得たことのないそれに、オレはこっそりそんな名前を付ける。
「なんだかなあ。やっぱりオレ、サスケのことよくわかんねえや」
腹の上でくつくつとひとり可笑しげにするオレに、ナルトはしみじみと言った。「オレのこと、怖いんじゃなかったの?」という問いかけにも「怖ェよ」と即答すると、益々ナルトは首を捻る。
「怖いのに、いいんだ?」
「まァな」
「……やっぱ変わってるなあ」
「るせえ。てめえにだけは言われたくねえよ」
なあ、もっとお前のこと話してよ。
そんな風にせがんでくる青い瞳は、会話する喜びに輝いていた。 けれどそれに、「オレの話なんてたいして面白くもないし」と断りを入れる。するとその言葉はナルトにとっては、不興を呼び起こすものだったらしい。日に焼けた頬をむうっと膨らめ 「お前が面白くなくても、オレは面白いの! わかんないなら、わかるようになるまで、沢山話をしたらいいんだって」などという。
「わかるようになるまで?」
「そう、わかるようになるまで」
「本当か? たとえそれが、お前の期待を裏切るようなことであっても?」
「キタイヲウラギル?」
ひたりとその目を見据えると、きょとんとしたナルトはオレの言葉をそのままオウム返しにした。触れた肌から伝わってくる温かさに勇気を奮い立たせながら、重かった口火を意を決して切る。
「実はオレ……お前にはなんか、勘違いされてるみたいだけど。本当はすげえ、重い奴で」
言い出してみると、我ながらそんな馬鹿げたプライドで散々ナルトを振り回していた自分が、ますますみっともないものに思えた。
「え、重いの? サスケが?」と目をぱちくりさせるナルトに、贖罪するような気分で深く頷いてみせる。
「そうなの?」
「ああ」
「絶対そんな風に見えないけど」
「いや、そんなことはない。見た目は関係ねえよ」
「ふぅん、そういうもんかなぁ」
「そうだ、だからな、オレ本当はお前が思っているような男じゃなくて」
「……ぅん?」
「すげえ重いし、地味だし、なんつーか全然、格好良くなんかないし。お前はなんだかオレのこと昔からやたら買ってくれてるみたいだけど、実際のところはホント」
「――ワリぃ、ちょっとごめんな?」
半ば破れかぶれな気分になりつつ告白していたオレだったけれど、その言葉はいきなり腰の辺りに手を回してきたナルトのせいで、中途半端な終わりを告げた。何事かと訝しんでいると、「ごめん、ちょっと立って?」と言いながらナルトは腹の上にいたオレを一いったん立たせる。よくわからないままに壁際で立たされると、ナルトは自らは膝を曲げた屈伸のような姿勢になった。「よっ…」と言いつつ立ち上がる彼を、でくのぼうのようにただただ見守る。
やっていることの意味合いがわからずぼおっと突っ立ってるオレに、気が付けば二本の腕が伸ばされてきた。すっと迷いなくすくわれる脇。説明のない動きにぎょっとすると、そんなオレに悪戯じみた瞳がにっと笑いかけてくる。
ぐんとひとつ込められる力。一瞬の傾ぎの後、ふわりとオレの全身が持ち上がる。
「うおっ、ちょ、お前何して――!?」
「ん? 抱っこ」
「……なんで今それなんだ!?」
「いや、サスケってばなんか自分のこと重いとか言うから。けどべつになんにも重くなんかないじゃん、むしろ軽過ぎだろ?」
オレってば力持ちだし、まだまだ重くなっても全然大丈夫だってばよ?
腕の中で唖然とするオレを覗き込むと、ナルトは満面の笑みでそう言い切った。や、やっぱこいつワケわかんねえ……重いってそういうことじゃねえし! 物理で克服したところで何の意味もないだろうが!
(というかこいつ、本気で自分で言ったことすでに忘れてんのか?)
流石に怪しすぎるその行動に、疑いを持ったオレは抱きかかえられたまま、足先をぶらりとさせた。
オレを見上げてくる青を、しげしげと観察する。じいっと見詰めてくるオレに、目が合ったナルトは照れくさそうなはにかみで返した。……ダメだ、やっぱりよくわからない。一体どこまでが本気で冗談なのか、ニコニコとするその顔からは判読がつかないままだ。
「なーなーサスケ、今日ってさ、やっぱりこのまま言葉でわかりあうだけで、終わり……だよな?」
いつか見極めてやると密かに決心しつつ、それは兎も角としていい加減下ろして欲しいと思っていると、オレの胸元あたりからそんな控えめな打診が聞こえてきた。
声の元をチラリと見下ろす。そこにあるのは期待と懇願を込めてオレを見る、飢えた狼みたいなナルトの顔だ。
「なんだ、不満か?」
「や! 不満じゃないけど」
「ならいいだろ」
「……嘘ですホントは不満です」
「言葉以外にもわかりあえる方法があるなら、付き合ってやってもいいけど」
「えっ!」
「その代わり痛かったりつまんなかったりしたら、即刻蹴飛ばして帰るからな」
「うっ……ぜ、善処します」
途端にさっと緊張走ったらしいナルトが大真面目にそんなことを言うのを聞くと、なんだか妙な可笑しさが、喉の奥からくつくつとこみ上げてくるようだった。すっかり湿ってしまった金の髪に、軽く頬を寄せてみる。あたたかく立ちのぼってくるナルトの匂い。やわらかく鼻を掠めてくるそれに、体の奥がじんとなる。
サスケ、とやわらかく呼ぶ声に顔を向けると、下から掬い上げるようにナルトがキスしてきた。両手が塞がっているナルトの顔を、好きなように固定する。ああ、確かにこれ、気持ちよすぎて止めらんねえな……。絡み合っていく水音に、ふと先程のナルトの言葉を思い出す。
きっと同じことを思っていたのだろう。何度も名残を惜しみつつそっと離れると、離れたばかりの唇が同時に「なあ、やっぱこれってさ」と呟いた。
お互いきょとんとした後、そろって小さくふき出しあう。
ふわふわと宙を泳いでいた両足が温かく濡れた床を感じると、ようやく思い出したかのように出しっぱなしになっていたシャワーの水栓が、きゅ、と音を立てて閉められた。