by my side


オマエのクナイ捌きって、やっぱキレイだよな。
いい目の保養になったってばよ。

後ろからのんびりした様子で投げられた声に、たっぷり一日かけて埃を被ったサンダルをふと止めて振り返る。
歩く時の癖なのだろう、組んだ両手を後ろ頭に引っ掛けて力の抜けた笑顔を浮かべた男の明るい金髪が、川べりを照らす夕日を反射したのを見て思わず目を眇めた。
「……まあドベのオマエに比べたらな」
「はあ!?オレもうドベじゃねえし!」
予測通りに笑顔を急転させて息巻く相手を見て、思わず口角が上がる。まったく、どれだけ力を付けてもこいつは変わらない。
久しぶりのツーマンセル。こうしてナルトと組んだのは、里に戻ってから初めてだ。知ったのはつい昨日、待機所に行くと嬉しそうに「サスケ!明日はオレと一緒だってばよ!」と言いながらナルトが駆け寄ってきたのだった。そうして五代目から要人警護の任務を正式に言い渡され、妙にはしゃぐナルトと一緒に大門を出たのが、今朝のこと。
大戦から二年が経ち、お互い中忍になったが里の英雄と元抜け忍の自分とでは、やはり就く任務の種類が違ってくる。自分の就く任務はいつだって、慎重に里の機密情報から遠く離れたままでいられるようなものが選ばれていたし、逆にナルトには、彼を後任にと思っている現火影の意向なのだろう、里の中枢に関わったり各方面での有力者に顔を通せる機会となるような任務が多く充てられていた。
……悔しく思わないわけではない。
だが、当然のことだと本心から思う。
大戦の後、本来抜け忍として処分されるべき自分が今ここで木の葉の額あてをしていられるのも、目の前にいるこの男のがむしゃらな尽力あってこそ。
感謝、という言葉では言い尽くせないほどのものを本当は思っているのだ―自分の性格上、中々素直にそれは表現できないのだけれど。
だからナルトと一緒に任務に就くのは本当に久しぶりだった。まあ同じ里にいるのだから、条件次第では同じ任務に就くこともあるだろ、位にしか思ってなかったのだが。
「いや~言ってみるもんだなあ。ばあちゃんもたまには粋な計らいをしてくれるもんだってばよ!」
「どういう意味だ?」
「や、オレってば今日が誕生日でさ。誕生日だから何か希望があれば言ってみろってばあちゃんに言われたから、サスケとのツーマンセル! って言ってみたんだって」
……は?
「サスケが戦ってるとこ、もうずっと見れてなかったからさ。あのビビッてた商人のおっちゃんにはわりぃけど、今日ちゃんと山賊が出てきてくれてラッキーだったってばよ!」
「……そうかよ」
警護していた高名な豪商を狙って現れた山賊の一団を一気に片づけるのは、ふたりにとっては容易い事だった。散り散りになって逃げようとした男達を、クナイを飛ばして牽制しつつ縄につけたのは昼間の事。たいした相手でもなかったからナルトの手を借りる前に終わらせてしまったと思っていたが、どうやらナルトはサスケの仕事を鑑賞する方に重きを置いていたらしい。
そりゃ立派なサボりだろ、と思いつつ、自分の腕を称賛されるのは悪い気がしなくて、そのまま聞き流した。気を良くしたついでに、ふと思いつく。
「……誕生日なのか?」
「え?」
「今日なんだろ?」
「あ、うん、そうなんだけどさ」
「なんか欲しいもん、あれば言ってみろよ。ラーメン位なら奢ってやってもいいぜ」
「マジ!?」
ぱっと見開いた蒼い瞳に光が躍り、ナルトは立ち止まって腕を組んだ。一楽か、いやいやどうせならサスケの奢りで焼肉にでも行くのも捨て難いってばよなどとブツブツ言いながら思案していたが、あ、と急に遠くに視線を留めて呟くように言った。
「……あそこ、さ」
「?」
「あそこ、一緒に座りたいんだけど」
訝しみながらナルトの視線の先を追う。
遠くの視界に、横を流れる川に突き出した、よく見知った小さな桟橋が見えた。

     *

「うわー、意外と水面近いんだな、ここって」
「…そうだな」
久しぶりに座った桟橋は記憶の中よりも随分と狭く、 昔のように真ん中辺りに座ろうとしたら、横でしゃがもうとしたナルトが「落ちる落ちる! もうちょい端に寄れってばよサスケ!」などと言ってきた。言われて少し横にずれて腰を下ろす。そこでようやく、ああ、狭くなったんじゃなく、俺がでかくなったんだとぼんやりと気が付いた。
「……で? これだけでいいのか?」
呆けたように川の流れを見ているナルトに声をかけると、びくっとしたように肩を揺らしてこちらを見た。
なんなんだ、こいつは。
「へへへ、これだけでいいんだってばよ!」
「意味が解らん」
「……ここさあ、ガキの頃、サスケのお気に入りの場所だっただろ?」
よくここにいたの、知ってんだ。見てたからよ、オレ。
ちょっと気まずそうに、ナルトが言った。蒼い目がなんだか泳いでいる。
「いっつもここひとりで座ってんの、オレ見てたんだ。オレはほら、いつだってひとりだったからさ。ここにひとりで座ってるオマエ見て、なんていうか…仲間みたいな気がしてよ、嬉しかったんだ」
「……」
「――けどサスケはさ、すっげーなんでも出来て、女の子にもモテモテで、オレがどんだけケンカ仕掛けても相手にしてくんなかっただろ? ずっと声かけて隣に座りたかったんだけどさ、どうしても言い出せなかった」
「……ナルト」
「……へへ。ちっと狭いけど、座れてんな! オレ達」
にかっ! と顔いっぱいで笑いながら、照れくさそうにナルトが言った。

俺も。俺もオマエが見てたの、知ってた。
ひとりじゃない、俺だけじゃないんだって、あのとき思ったんだ。
……ちょっと、キツかった気持ちがほぐれたんだ。
 
言葉にして返すのが気恥ずかしくて、サスケはそのまま無言でいた。
だけどこうして、こいつがずっと自分を追いかけて、追いついて、隣に来てくれた事が嬉しかったのは紛れもない事実で。ふ、と隠し切れなかった気持ちが、口の端に出てしまう。
スペースのなさに、肩同士が触れ合う。じんわりとそこから隣にいる男の熱が伝わってきて、なんだか体中に温かいものが広がっていくような気がした。オレンジの光で溢れていた川面はあっという間に静まり、今は薄紫の淡い影が広がりつつある。
ふと日没と共に出てきた風を頬に感じ、前を向いたまま朝からずっと締めていた額あてを外してみた。久しぶりに外気に晒された額が、清涼な風を受けて心地いい。
しばし目を細めて、俺はなんだかふわふわしたいい気分のままその感覚を楽しむ。
「……サスケ」
「なんだよ」
「ごめん……もうちょっとだけ、プレゼントもらっていい?」
「あ?」
なんだ、やっぱ一楽行くかなどと言おうと、ナルトの方を見た瞬間。
くちびるの端ギリギリに柔らかいものが掠めて、すぐに離れた。

「~~~~~っ!?」
「ごごごごごごごめんだってばよ!」

 ザッと勢いよく立ち上がったナルトは、一流の忍に相応しいスピードで一瞬にして走り去った。
腕で表情を隠していたが、黒いハイネックから覗く首から耳先まで、見事な程真っ赤になっていたのだけは確認できた。
(今のって、アレ―だよ、な……?)
秋の風を受けて涼やかに冷えてきていた顔が、どうしようもなく柔らかな感触の残る口の端から、じんじんと熱が広がっていくのを感じながら、サスケは呆然と川面を眺めた。
まだ月も現れていない夕闇の中、自分の顔はぼんやりとしか映らず、覚束ないまましばらく動けずにひとり桟橋に座り込んだのだった。

     *

―うわあああ、オレってばなんちゅー事しちまったんだってば!
ぐんぐんとスピードを上げて、夜の明かりが灯りだした里の繁華街をナルトは突っ走る。任務でも私生活でも、ここまでの全力疾走は久方振りだ。
今日は誕生日で。ずっとずっと、昔みたいにサスケと同じ班で任務に就きたいと言ってたのに全然希望が通らないから、誕生日にかこつけて思い切って綱手にリクエストしてやったのだった。
お前はやっぱりサスケしか目に入らないんだねえ、なんて綱手は苦笑していたけれど、きっちり願いを聞き届けてくれた。久しぶりに見たサスケの戦場での動きは、昔より更に洗練され無駄がなくて。敵と対峙した瞬間、集中するサスケの周りが、驚くほど静かだったのを思い出す。
軽々とした身のこなしで、三百六十度全てに散っていく山賊に向け寸分の迷いもなく飛ばされるクナイ。力みの全くないその白い指先を視界に捉えた時、何故か背中がぞくりとした。難無く一か所に囲い集めた山賊達を縛り上げる時には、取り出したワイヤーを、きり、と歯で噛みながら引延ばす。
形のいい唇にワイヤーが軽く食い込むのを見た時、また何かぞわぞわと悪寒にも似て異なるようなものが背中を抜けた気がして、思わずジャケットの胸元をぐっと掴んだ。
なんなんだ、これ?
久々のサスケに、そんなに感動しちまったのか?
……いやいやいや、この程度の任務、オレでも多分この位華麗に解決できるし。や、でも一人二人は逃がしちまうかな。木も何本か折っちまうような気はする。
そう胸元に皺を寄らせたまま、ナルトが(ムフー!)と鼻から思い切り息を吐いたのが、昼間の事。
警護対象だった恰幅のいい商人を無事送り届け、サスケと連れ立って夕日を背に歩いていたらなんだかすごく満たされた気分になり、思わず今日の任務の裏事情を明かしてしまった。下忍の頃は、兎に角このサスケという男に負けたくなくて、事あるごとに闘争心を燃やして突っかかっていったのだが、今日一日行動を共にしてみると信じられない位その妙ないがみ合いがなくなっていた。
ナルトの記憶では、サスケは何かしらナルトが意見を出すと即ダメ出しをする傾向があったのだが、今日はやけにすんなりナルトの話を聞いてくれる。その上さらに誕生日を祝ってくれるとまで言ってきた。以前だったら、嘘のような話だ。
あ……オレの事、もしかして認めてくれてるからってこと?
唐突に気がついて、ナルトはじわじわと体中に感情が巡りだすのを感じた。小さく起こった喜びの渦はあっという間に全身を飲み込み、サスケの後ろでムズムズと浮き足立つ体を必死で抑えていると、ふと暮れなずむオレンジの光の中ぼんやりとそこにある小さな桟橋が目に入る。
ずっと温めてきた願望が、胸の中でぱっと弾けた。
……今なら。今なら、きっと。

     *

小さい頃からサスケがここによく座っていたのは知っていたが、自分がここに立つのは初めてだった。サスケがいる時は声が掛けられなかったし、いない時にちょっとここに座ってみたいなと思わなかった訳ではないのだけれど、なんというか…フェア、でないような気がして。なんとなくサスケの大事な部分に土足で踏み込んでしまうようで、ずっとこの桟橋は遠くから眺めるだけだった。
実際ここに立ってみると、思ったよりも川の流れが近い事が解る。もし子供がひとりでずっとここに座っているのを、母親あたりが見たらやんわりと注意してくるんじゃないかなとふと思った。
―そっか。コイツもそういう事言ってくれる人、もういなかったから―。
思い至ったら、なんだか胸がぎゅうっとした。落ちゆく日の最後の残光に柔らかく目を閉じると、遥か遠いところを見るような眼差しをして、夕焼けの中いつまでもここにいた小さなサスケが瞼に浮かんだ。
思ったより狭い桟橋にやや苦戦しながらも、既に座っているサスケの横に、ナルトはゆっくりと腰を下ろした。ぼんやりと感慨に耽っていると、これだけでいいのか?と訊いてくるサスケの声がして、唐突に今の成長した自分が呼び戻される。
急に気恥ずかしくなり、思わずべらべらと昔ここでサスケを見て思っていた事を暴露してしまう。
オマエがうぜえのはそんな昔からだったのかよ、位の言葉が返ってくるかと思っていたのに、サスケは全然そんな事言ってこなかった。それどころかなんだかすごく柔らかい笑みが、その口の端にあって。
……す、と小さな気配をさせて片腕が上がり、長い指が器用に動いて頭の後ろにある結び目を寛げる。しゅる、とささやかな衣擦れの音がして、額当てが外された。普段、鈍く輝く金属板でしっかり覆い隠されているサスケの額は、男にしておくには惜しい程整った象牙色の肌の中でも、一際滑らかで繊細そうだ。少し冷たくなってきた秋の風をそこに受けて、うっとりと目を細めるサスケの頬に、ふわりと影が落ちる。
うわ、こいつ、睫毛、長えなぁ……。
そう思った途端、また背中からぞわぞわしたものが這い上がってきた。熱にうかされているかのように、欲望だけが頭に浮かんで抗えない。それはまるで、強い力で吸い寄せられているかのようだった。昼間見惚れてしまった赤い唇に、どうしても視線が留まってしまう。
ああ―もう、だめだ。
「……サスケ」
「あ?」
「ごめん―もうちょっとだけ、プレゼントもらってもいい?」
思わず掠れてしまった自分の声に振り向いた、その表情が余りにも無防備だった。
ああこいつ、オレに気ぃ許してんだなぁ。そう思ったらまたさらに、胸が切なく軋んで。

……そのままさっきまで柔らかい笑みを浮かべていた口の端に、そっとくちづけた。

びくっ! とさっきまで弛緩していたサスケの肩が固まったのを感じた瞬間、一気に現実に引き戻された。
かあっと血が頭の天辺にまで噴き上がったような感触。
自分がやってしまった事に今更ながら居た堪れなくなってしまい、兎に角この場から去らねば! とぐるぐるする頭で捻り出した。
「ごごごごごごごめんだってばよ!」
投げるように謝罪の言葉を叫んで、あとはもう破れかぶれで走り去るのみだった。

     *

『ダメだ……どうやってもサスケに許してもらえる気がしねえ』
騒々しい音をたてながら自らのアパートに飛び込んで、そのままナルトは玄関先でしゃがみこんだ。
脳裏に浮かぶのは、下忍の頃事故で思い切りキスしてしまった後の、サスケの心底厭そうだったあの表情。皮も捲れよとばかりに、ごしごしと丸めた手拭いで拭き続けていたのを思い出す。今頃やはりあの時のように、真っ赤になるまで口元を拭っているのだろうか。
(でもなあ……あんな柔らかくってキレーな口が、ヒリヒリになるのは忍びないってばよ……)
そんな事を考え、更に自己嫌悪に陥る。……あああ、十分前のオレよ死ね!
『だけど、なんでオレ、止まれなかったんだろ…てか、なんでサスケなんだってばよ!?』
あんな頑固で、皮肉屋で、カッコつけなスカシ野郎。
そもそもアイツは男だ。オレはしっかり女の子が好きだし、ちゃあんと自室のベッドの下にそーゆーアイテムも常備してる。
……そうだ、それにオレにはサクラちゃんという長年想い続けてきたかわいい女の子がいるじゃないか! サクラちゃんの優しい笑顔を思い出せ! 柔らかい髪を思い出すんだ!
混乱する頭を抱え、ナルトは必死で大好きな女の子の事を思い出そうとした。しかしそうすればするほど、蘇ってくるのは目を細めたサスケの力の抜けた横顔や、クナイを投げた白い指先ばかりで。
なにより、さっき触れただけのキスをした自分の唇から、熱が引いていかない。
(お願い助けてサクラちゃ―ん!)
胸の内で叫びながら、ベストもそのままにナルトはベッドに倒れこみ、祈るようにぐりぐりと顔を枕に押し付けた。
いつの間にか夕闇は完全な夜に染まり、東の山際にはほんの少しだけ、月が顔を出し始めていた。

     *

「……そこにいんの、サスケか?」
ようやく衝撃に固まっていた身体が動くようになって、川縁の土手を登ろうとしていたところで耳慣れた声が聞こえた。
「シカマル?」
「あたり」
闇に慣れてきた目を凝らすと、少し離れた所から無造作に束ねた資料を小脇に抱えた細い体躯の男が、こちらに向かってゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「なんだ、夕涼みにはちっとばかしもう季節が過ぎてるんじゃねえか」
「……そうだな」
土手を登りきるのを上で待っていたシカマルが、軽い口調で言う。
いつも『めんどくせえ』で物事をやり過ごそうとするが、今や木の葉きっての知恵者と名高くなってきているこの仲間に対して、サスケは昔からわりと好感を持っている。常に人との距離をきちんと保ってくれるシカマルは、一緒にいて気を楽にしていられる数少ない友人の一人だ。
しかし今日は、近くに来るにつれてだんだんと訝しげな表情になっていったかと思うと、いきなり直球で訊いてきた。
「ナルトとなんかあったのか?」
「……はっ?」
「今日、ナルトとツーマンセルだったんだろ?」
なんでそんな事知ってるんだと唸るように言うと、いや、昨日からナルトが言いふらしてたからさ、と軽く返されて思わず脱力した。
「あいつ、五代目に今日の任務聞かされてから、すげぇはしゃぎ様でよ。大声で宣伝しまくってたから、多分昨日待機所にいたやつは全員知ってるぜ?」
―あの馬鹿が。
思わず誰彼構わず手当たり次第に捕まえては、その能天気で感情ダダ漏れな顔で騒ぐ金髪頭を想像してしまった。 片手で顔を半分覆い、深い溜息が出たのを見てシカマルが苦笑する。
「ったく、アイツのサスケバカはもう付ける薬もねぇな。いっつも待機所で、お前がいないかってそわそわしてんだぜ?用もないのにウロウロしてたりするし、その癖それを指摘するとムキになって怒りやがるんだけど、顔が真っ赤でバレバレ。まあでもあの様子じゃ、今日は相当懐かれたんだろ?」
懐かれたどころか、キスまでされたっつーの。…とはさすがに言えず、だんまりを決め込んだのだが。
「ま、いいんじゃねえ? お前、満更でもないって顔してたし」
「はあ!?」
どうしたらそんな風に見えるんだ!? シカマルの観察眼には一目置いていたのだが、考えを改めた方がいいかもしれない。
「……なんでそうなる」
「だってお前、自分で気が付いてねえの?」
うわー無自覚かよ、あっぶねえなあとシカマルが言う。
意味がさっぱり解らないが、なんとなく不愉快だ。
「なあサスケ、お前さ、待機所とかでアイツに見つけてもらえた時、なんちゅーか……あ、今すげぇ安心してんなー、って顔になんだよ」
「なっ…誤解だ!」
「まーあんだけ気合いれて追いかけられ続けりゃ、どんな気位の高いお姫さんでもほだされるって」
唖然としたサスケに、シカマルは細い眉の片側をくっと上げて止めを刺した。
「だってよぉ、アイツに目えつけられて逃げきれる奴なんて、たぶん一人もいないぜ?」
執念深さは忍界一だからな、間違いなく。
そう言ってくくく、と喉の奥を鳴らし、少し意地の悪そうな笑いを浮かべるシカマルを呆然と眺める。
ふいに先ほど一瞬触れ合った場所が、再びかあっと熱くなったような気がした。
思わず口元に指がいったのを目敏く見て取ったシカマルが、ふうん、と呟いてもう一度にやりと笑った。

     *

「ナルトー? いないの?」
三回目のブザー音の後、ノックの音と共に先ほどまで必死になって頭の中で思い出そうとしていた声がして、ナルトは枕から顔を上げた。ああ、この声。救いの女神の出現に縋る気分で飛び起きる。
「……サクラちゃん!」
ドアを開けると、綺麗にラッピングされた観葉植物を持ったサクラが、呆れた様な顔で立っていた。
なぁに、誕生日だってのにこんな早くから寝てたの?
そうサクラが言い終わる前に、勢いついて飛び出してきたナルトの顔がぐぐっとサクラに接近した。
「――いきなり何すんのあんた!」
思わず後ろに仰け反ってナルトを避けたサクラの拳が、そのままナルトの顔面にクリーンヒットする。
そのまま玄関先でぐしゃりと潰れたナルトは、中々起き上がってこない。いつもと違う様子を不審に思ったサクラは、植木鉢を抱えなおしてから倒れたままのナルトを覗き込んだ。
「……どうしよ、オレマジでやばいってばよ……」
ぼそぼそと呟きながら金髪頭が抱え込まれ、更にその場で丸まった。
「なんなのよ、なんかあった訳?」
「なんでだか解んねえけど、サクラちゃんよりサスケのチューの方がいいんだってば」
「……どーゆー意味よ!?」
よく意味は解らないがとてつもなく失礼な事を言われたのを直感し、サクラはとりあえずもう一度拳骨をその脳天にお見舞いした。

       *

「で、そのままサスケ君の唇を奪ってしまったと?」
「……そうです、ごめんなさい……」
行きつけの甘味処に向かい合って座り、いいからとにかく洗い浚い吐け! とサクラに凄まれてから一時間。
あー、とか、うー、とか時間稼ぎのような単語を散々駆使しながら今日あったことを全て白状して、顔を上げられなくなったナルトを腕組みしたまま睨むサクラは、さながら不動明王のようであった。
「でっ、でもさ、ちょっとチュッってしちゃっただけだし! ベロ入れたりとかはしてないってばよ!?」
「あったりまえでしょーが! いきなり最初からそんなんやられたら女だったとしてもひくわよ」
「……ですよねー……」
一度上げた顔が、再びがくりと力なく下がった。
そぉかあ、そこまでやんなくてホントよかったってばよと思う反面、さっきまでちょっとそこまでしてみたかったなあとか考えていたのを振り返り、益々項垂れた。
あああ、これってば、マジで末期症状だってばよ。
「……まあ、あんたがサスケ君の事好きなのなんてとっくに知ってたから、別に不思議でも何でもないけどね」
「はあ!?」
「だって、好きなんでしょ? サスケ君が」
なんでもない事のように、腕組みしたままのサクラが言い放った。さすがにいきなり実力行使にでるとは、思わなかったけどね。
「サクラちゃん、アイツは男だってばよ?」
「知ってるわよ、私も好きだったんだから」
「…オレも男なんだけど」
「それも知ってるわよ。あんたの主治医、誰だと思ってんの」
だから何? とでも言わんばかりのサクラに、絶句する。……そーだった、サクラちゃんてば結構ソッチ系の話もイケるクチなんだったってばよ……。いつだったか木の葉丸のオイロケの術に異様に興奮していたサクラを思い出し、ナルトは一層憂鬱になった。
この正道から外れて行ってしまいそうな自分を引き戻すが為に、先程サクラへ急接近してみたのだが、全くもってその効果は得られなかった。むしろぐいぐいと背中を押しだされているような風でさえある。
サクラちゃんはかわいい。
本当に、心からそう思う。
アカデミーの頃からそれは全く変わらないし、最近はちょっぴり化粧までするようになってきて、会話の合間に時々出る大人っぽい表情なんかにぽわーんとしてしまう事だってある。
……でも、なんか違うんだ。サスケの時みたいに、ひりひりするような、欲しいと思う気持ちは湧いてこない。
そばに来てほしい。そうして来てくれたならもう今度こそがっちりくっついて、絶対に離れたくなかった。
できることならば全部を奪って、大事に大事にこの手で抱えたい。
そうしてそれと同じくらい、オレの全部を捧げたい。
「オレってば、結構欲張りだったんだなあ」
「それも知ってたわよ」
「……サクラちゃんて、なんでもお見通しなんだってばね」
観念したかのように力なく出た言葉に、ふふふ。と不敵な顔でサクラが笑う。
それを見て、嗚呼サクラちゃん、昔はホントーにかわいらしくて、そんな悪い女みたいな顔なんてできなかったのに…と、ナルトは胸の内でそっと嘆く。
「じゃあ、なんでもお見通しのサクラ様が、もうひとつ予言してあげましょうか」
「へ?」
「サスケ君もね、あんたと大差ないと思うわよ?」
不意打ちで差しこまれた光明に、思わず俯いたままだった顔をがばりと上げた。
見上げたところにはすでにサクラの姿はなく、誕生日だから今日はご馳走してあげる、と言葉を残し颯爽とレジに向かう、姿勢のいい後姿があるだけだった。

     *

ほだされた、だと?
この俺が、あのドベに?
(………ふざけんなよ)
苛々としながら、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを一気飲みする。このまま五代目の所に行くから里の中心部へ戻るというシカマルとはその場で別れ、憮然としたまま自宅に戻ってきたが、どうにも胸の内に巣食うイラつきは晴れないままだった。
飲みきってしまった水のボトルを片手でぐしゃりと潰して、勢いよくゴミ入れに放る。食事を作る気にもなれなかったので、冷蔵庫の中を物色し、常備しているよく冷えたトマトを見つけると適当に洗い齧り付く。美味い。だが、不愉快な気分は収まらない。
ちっ、と舌打ちして任務時用のベストを脱ぎ、手近にあった椅子に引っ掛けてから浴室へ向かう。
シャワーコックを捻り、やや高目に温度設定した湯をざぶざぶと頭から思うが儘に被っていると、今日一日分の汗や埃が確実に流されていくのを感じる。…少しだけ人心地ついたおかげか、やっと思考が動きだした。
『お前さ、アイツに見つけてもらえた時、すげー安心した顔になんだよ』
先程シカマルに言われたことを改めて反芻する。
言われた事を、自覚した事はない。
……しかし、確かに否定しきれないのも事実だった。
里抜けした時も、大蛇丸の元で様々な禁術に手を染めていた時も、その後暁にいた時にも。どれだけ力一杯突き放しても、ナルトはその何倍もの勢いで追いかけて来てはサスケを見つけた。
昔はこの自分を目標にしていたのだというような事を言われたが、こちらからしたらその、一直線に憧れに手を伸ばそうとする揺るぎ無い真っ直ぐさが眩しく思えた。
里に戻ってからも、その頃まだサスケは罪人扱いだったにもかかわらず、うっとおしい位あれこれと手を焼きたがるナルトに辟易したりもしたが、嫌がる素振りをどれだけしてもナルトは何度だって訪れてきた。確かめたことはないけれど、きっとこれまでに自分を追いかける事で彼が人から誹りを受けたのは、一度や二度ではないはずだ。
しかし、誰に何を言われようと、ナルトが差し伸ばした手を怯ませる事はなかった。
どんな場所にいようと、サスケに追いついたナルトの澄んだ青空を映した瞳は、容赦なくサスケを射抜く。そうして打ち抜かれた胸の傷は何故か生暖かく疼くから、終にはサスケはいつだってゆるい溜息をついては、ナルトに従ってしまうのだ。
シャワーを止めて、大判のバスタオルで全身を拭うと脱衣室に用意しておいた普段着の黒いTシャツとボトムを身に着ける。
そのまま水気の残る頭を大雑把に拭きながら、再び冷蔵庫に向かい炭酸飲料の缶を取り出して居室のベッドに腰を下ろした。振り返り、窓の外を眺めると十三夜の月。なぜか真円になりきらないその影の部分に、知らず目がいってしまう。
―里に戻って一番驚いたのが、ナルトの立ち位置が以前と全く違っていたことだった。どこに行っても歓迎されるし、里内を歩いていても好意を含んだ声があちこちから掛けられる。呆れたことに、サインを強請られることまであるらしい。
『里の英雄』。それが今のナルトの居場所だった。
ナルトの周りにはいつだって人が集まり、その中心であいつは太陽のように笑う。
ナルトと一緒にいるのは、確かに楽しい。しかし『その他大勢』の中の一人になるなどというのは、自分には我慢できなかった。
―だからナルトが自分を見つけると、何を差し置いてもこちらにやってくるのを知っていて、あえていつも自分からは声をかけたりしなかった。
喜びを隠すことなく近づいてくるナルトに、胸の内で安堵していたのだ。

……見ろ。
やっぱりあの光り輝く太陽は、俺のものだ。

そこまで考えた所で、サスケは愕然とした。これは、いわゆる独占欲、というものではないか?
これでは、まるで……
「……ちっ!」
はっきりとした舌打ちをして、まだ乾ききらない頭をがりがりと掻き毟った。
しばらくそのまま両の腕で頭を抱え込んでいたが、ややあっとしてから静かに立ち上がり、玄関へ向かう。
再びサンダルを履くと、滑り込むように夜が濃くなった街へと出て行った。

     *

改めて自宅に戻ったナルトは、ラフな部屋着に着替えてからまたベッドにうつ伏せになり、謎掛けのようなサクラの言葉について考えていた。
サスケもオレと大差ない? それって、忍としての力の事だろうか。
そりゃあオレってばかなり強くなったしもうサスケにだって簡単に負けやしないとは思うけど、たぶんそういう意味じゃないよな。……てことは、その、サスケもオレの事、好き、だったりしてくれるって事?
「……やっぱ、んなわけないってばよ……」
はは、と乾いた笑いが漏れる。
なんたってあの、うちはサスケだぜ?
とんでもなく美人で、天才で、恐ろしくプライドの高い孤高の人。
ほんの少し唇に触れただけで、不可触の女神に触れてしまったような気がして思わず身体が震えた。―だがしかし同時に、ここに踏み込んで暴いてしまいたいという欲望をもったのも本当で。矛盾する思いを抱えて、どうしたらいいのか解らなくなってしまう。
(……やっぱ、とりあえずもう一回サスケに謝ろう)
ぐちゃぐちゃになった頭の中で、ぽつんと思う。
とにかく謝ってみよう。許してもらえるかどうか解らないけど、このままサスケに嫌われたままでいるのは絶対に嫌だ。静かにそれだけは決めて、うつ伏せになったまま深く息を吐く。
開け放したままの窓から、どこかで咲いているのであろう金木犀の暖かな甘い香を含んだ風が、ふわりと流れ込んできた。深まっていく夜に、ぼんやりと目を泳がせる。
……ああ、もうすぐオレの誕生日が終わるな。
そう思ううちに半ば自棄のような気分になってきて、もうこのまま眠ってしまおうかと思い始めた時。
「起きろ、ウスラトンカチ」
頭上からの声が一瞬幻聴かと思い、顔を上げるのに間ができてしまった。目の前の光景が信じられなくて、何度も目を瞬く。
窓の外。
少し欠けた月を背に、サスケがいた。

       *

「……サ、スケ? え、なんで??」
せいぜい植物の鉢を置けるだけのささやかなスペースを挟んで、屋根伝いにやってきたらしいその男は音もなくそこに立ち、ナルトを見下ろした。十三夜の光は明るすぎて、それを背に受けるサスケの顔は完全な無表情に見える。
不安に揺れる心を必死で励まし、ナルトは口をきった。
「あのっ…さっき、のさ、」
「……ああ」
「あれ、なんていうかホント…悪かったってば、よ?」
「……」
「ごめんな。気持ち、悪かっただろ?」
「……」
「もうしねえから。な? だから…」
「……ゃ、なかった」
「え?」
「別に嫌じゃ、なかった」
ふいっ、と横を向いて、サスケが呟いた言葉をナルトは信じられない思いで聞き取った。
今、何と?
「……いやいやいや、そんな嘘言う必要ないってばよ」
「嘘じゃねえよ」
「無理すんなって」
「そんなもんしてねえ」
だいじょーぶ、そんな気ィ使ってくんなくても、オレ全然傷ついてなんていないってば! そう言ってナルトは、無理矢理笑顔を作った。なんかさ、今日はちょっと嬉しい事多すぎたから、舞い上がってつい調子にのっちまったんだってばよ! だから、わりいけど今日のアレはなかった事にしてくれ、な?
サスケはへらへらと気の抜けた笑いを浮かべるナルトを横目で一瞥すると、ちっ! と盛大な舌打ちの音をさせた。
「おい、」
「は?」
「ウダウダうるせえ。ちょっと黙れ」
言い捨てると、サスケは窓枠に手をかけて部屋の中に身を乗り出し、おもむろにナルトの胸倉を掴んだ。空色の瞳を見張ったナルトが、ぐっと力任せにサスケに引き寄せられる。
緩く開いたサスケの唇がどんどん近づくのが正視できなくて、思わず目を瞑ってしまった。
そのまま身を固くして、落ちてくる甘い衝撃を待っていると……

 がぶり。

「……っでえ―っ!!」
唇に痛烈な一撃。想定外の事態に、不本意にも涙がにじんだ。
唇を押さえ舌でそっと探ると、ほんのり鉄の味がする。それを見たサスケが「ふん、」と不遜な態度で、ナルトのTシャツを掴んでいた手を離した。
「しつこいんだよ、てめえは」
「だ・だからってこれはあんまりだってばよ」
呻くナルトを、サスケは腕組みしながら眺めている。
やっぱコイツおっかねえってば……と絶望的な気分になりながらも、そっと窓の外に佇むサスケを盗み見るも、こんな暴挙をされた後でもやはりその姿はどうしようもなくキレイなのだった。
益々怒らせてしまうかもしれないと考えるともう本当にこのまま消えてなくなりたいと思うのに、目を離すことができない。
オレ、なんかもう色々とダメだな。
ついに諦めの境地に至った。
「お前。今日、誕生日なんだろ」
唐突に投げかけられた声の響きが存外に優しくて、ナルトはおずおずと顔を上げた。
仰ぎ見た途端、深い夜の闇の中で濡れたように光る漆黒の瞳に囚われて、動けなくなる。

「欲しいもんがあるなら」
「?」
「らしくねえ遠慮なんて、してんじゃねえよ」
「……!」

―ビビリ君。にやりと挑発するように口の端を歪め、サスケが言った。
煌々とした月明かりを浴びて、その姿はむしろ、壮絶とでもいえるほどで。誘われた夢遊病者のように、ナルトの腕が伸ばされる。
やがて少し震える指先が、そっとサスケの肩に触れた。その暖かさを確かめた途端、何かに覚醒したかのように熱いものが体中を駆け巡る。
力を込めて、奪い取るかのようにサスケを抱き締めた。今日、誕生日なんだ。
ああ。
……オレ、どうしても欲しいものがあるんだ。


「――言ってみろよ」


低く、甘く、誘うような声で、サスケが囁くから。
勇気を振りしぼり祈りを籠めて、ひとつ深呼吸するとナルトはゆっくりと口を開いた。