【Ⅴ】

「……へ?」
考えてもみなかったその言葉に、思わず目が大きくなった。
え、うそ。なにお前そんな事してくれんの? ドギマギ確かめるオレに、黒髪の頭がかすかに頷く。
「まあな。ちゃんとお前がやるべき事を、果たしたら」
あんまりにもオレが呆気にとられるのを見て、だんだんと気恥ずかしくなってきてしまったのだろう。ふいっと目をそらすようにして横を向いた顔は、途端にいつもの無愛想になってしまった。
けれど精巧に作り上げられた人形みたいな横顔は、年甲斐もなくほんのり色付いている。
……へへ、そっか。そうなんだ?
照れくさそうな彼に、言われた言葉のなんともいえない嬉しさに。こみあげてくるものが大きすぎて、どうしようもなく頬が緩む。
「……サスケェ」
ひと声、呼ぶ。はらりとその視界にかかる、伸ばされた長い前髪を指で掬った。現れるのは黒く澄んだ瞳だ。子供の頃からオレを魅了してやまない、しんと静かで、そうしてほんのすこしだけオレを甘やかす、やさしい黒。
なんだよ、とことさらぶっきらぼうに返してきた彼に、オレはニシシと笑ってみせた。憮然とするその顔は、執務室のデスクにある子供時代の彼と、笑ってしまうくらい変わっていない。
「なあ、お前さァ」
「……」
「――ほんっと、まるくなったなあ」
「うっせ、黙れよ。余計な口叩いてんじゃねえ」
調子に乗った軽口に、ちょっとムカリときたらしい彼は舌打ちと共に一度睨みつけてくると、反撃するかのようにつと腕を下へと降ろしてきた。白い手がするりと、オレの腹に触れてくる。すこし硬い指先の感触。期待と驚きにぴくりと膝が動く。
先程彼の背中を確かめたオレと同じように、今度はサスケがオレの身体を探りだした。腹筋を撫でる、誑かすようなその手付き。肌を撫でていくその感触にうっとりしていると、いきなりその優しかった指が、すこし肉が乗り始めたオレの脇腹をぎゅっと力を込め抓った。ぎゃっと思わず身を捩るオレに、しらっとした顔のサスケがフンと鼻で嗤い飛ばす。
「お前は具体的にまるくなった」
「う、言うなってば」
わかってます、次までにちゃんと痩せるってばとすごすご謝れば、厳しい眼差しにじっとそれが測られるのがわかった。容赦はないが、こいつは別にオレの腹周りに蓄積されつつある肉を責めてるわけじゃないのだ。事務仕事にかかりきりで、忍者本来としての修行を怠っているのではというのを疑っているのである。
「でもさ、ホントにちゃんと修行はしてるって」
ぼそぼそ弁解すると、見下ろすサスケは(ほぅ?)といったように小さく目を眇めた。
修行を怠っていないのは本当だ。ちょっと太ったのも本当だけど。
「嘘じゃねえだろうな」
「こないだ証明したろ」
憮然としてそう言い張れば、「まあ、そうだな」という納得したような呟きが返ってきた。そうしてから、そのまますいっと握手のように差し出された手に、きょとんとしたオレは「なに?」と首を傾ける。
「場所」
「?」
「代われ」
短くそう言うと、骨ばったその手がいきなり強くオレの手を掴んだ。ぐっと一気に引き上げられたオレがテーブルに座らされると、すとんと今度はサスケが椅子に掛ける。人に言うだけあって、彼は今でも日々鍛錬を怠っていないのだろう。腕に残る有無を云わさぬ強引な力は、やはりどれだけ美麗な容姿をしていても男の持つそれだ。
どきどきしながら見守っていると、す、と残された右手が上がり、形のいい口許が、見せつけるかのようにその手を覆っている黒い皮の端を噛んだ。軽く歪んだ赤い唇から、牙のように尖る歯が見える。慣れた仕草でグローブを脱げば、引き抜かれた白い手が、開放を悦ぶかのように一度、ふるりと振るわれた。ぼおっとそれに見とれるオレに、切れ長の瞳が余裕然として眇められる。
そうしてから穿かれたままのオレのズボンに、迷うことなくするりと、白い指先が潜り込んできた。
「――ン…っ」
最初のひと触れだけでもう声が出れば、ざまァねえなと言わんばかりに涼しげな眉が細くしなった。片腕で器用にオレの下をずらそうとする彼を手伝い、自分で尻を浮かす。下着から出されたオレのものは既に熱で満ちていて、色素の薄い茂みの中で慰められるのを待っていた。
欲しい――欲しい、欲しい。
手を止めて、黙って見下ろしてくる黒い瞳に、頭の中はただただ、それでいっぱいになる。
「……その姿、」
サスケが言った。
「ぅん?」
「いつ見ても、まぬけだな」
素っ気なく投げられた悪口は相変わらずのものだったけれど、悔しいかな言い返すにはあまりに的を得ているようだった。けどしょうがないじゃないか、他にやりようがないのだから。それに自分だってついさっきまでは同じ状況だったくせに。ヒトのこと言えない。
「うっせーいいんだってば別に、他の誰に見せるわけじゃ、ねー…し、っ……」
触れられた体温に、おしゃべりが止められた。
長い指がのびる。じんわりとあまく握られて、ふかい溜息が漏れた。骨の張った手首がやわらかくしなり、皮の寄るくびれをまるく撫で先まで一度扱きあげる。手首がゆるりと返り、少しだけきつく根元を締めた。ふ、と先端にかけられる息。期待にどきりとしながら薄目で見下ろすと、どこか企むような表情のサスケと目がかちあう。
「どうして欲しい?」
からかうような問いかけに、じわっとまた腹の奥に甘い焦れが滲んだ。
えぇー…こいつ、ここにきてそれを訊くかよ。くぅ、と眉間にしわを寄せても、サスケは悠々としたものだ。
「……舐めて」
ぽそりと、オレは呟いた。
待てを強要されているいたいけな先端が、追従するようにふるりと揺れる。
「指図されんのは好かねぇな」
「うそ、舐めてください」
「丁寧に言えばいいってもんでもよ」
「サスケ、さん」
「……」
「……サスケ、」
――なあ、おねがい。じっと見上げ乞えば、勝ち誇ったような美形がふ、と一瞬表情を崩した。清楚な唇がそっと開き、赤い舌がちろりと姿を見せる。 かぷりと包みこまれると、最初からいきなり腰が震えた。屹立するオレの先を、慎ましい筈の赤い唇がじっくりと頬張っている。
うぁっ…と思わず引き寄せてしまうほどのその快感に声が漏れると、んく、と鼻に抜ける呻きと共にサスケが口を開いた。
(ぷは、)とのけぞった口許から漏れる子供じみた息。潤んだ黒が、ぎゅっと一度オレを睨む。
「馬鹿、苦しい」
「ごめ……気持ちよすぎて」
正直に謝れば、彼はそれなりに気が済むらしかった。
気を取り直したかのように再び包まれた口内で、熱い舌が鈴口を抉り、かたい口蓋が張った部分を強く吸い上げる。
「――んっ…ぁ、すげ、いぃ……っ」
快感に飲み込まれるがままぞくぞくと背中を波打たせれば、そんなオレに伏せられた長いまつげもどこか満足げな影を落とした。
淫靡な水音を響かせて、その頭が上下する。
のばした手で乱れて落ちる前髪を甘く掻きあげ、後ろへと流してやった。現れたうすい耳にそっと触れ、すべすべとしたそれを愛撫する。差し込んだ手で髪の間に眠る湿った彼の温かさを拾い、そうしてから次はそっとその頬に揃えた指先をあて、膨らんではやわらかくすぼまれる、あまい奉仕の動きを愉しんだ。うっとりと開いてしまう口からは溜め息ばかりがとめどなく溢れ出て、腰をうずつかせる快感に、つま先が何度もぴんと張っては丸まっては震える。
「あー……やばい、」
さいこう、と思わず声を漏らせば、オレのものを咥えている赤色が、どこか可笑しげに形を変えるのがわかった。まぬけだろうとなんだろうと、そんなものはどうでもいい。サスケとのこれは、ただただ気持ちよく、満たされるものだ。
本当はこれは、妻への裏切りなのかもしれない。
こうして『自慰』という言葉を使う裏側で、そんな事も考えなかったわけではなかった。実際、友達はこんな事まではしない。キスもしないし、口淫だってもっと嫌がるんだろう。さすがにこの歳にもなればオレだって、そんなのはわかっていた。
けれどどうしても、こうして一番間抜けで駄目な部分を慰撫しあいたいのは、サスケ以外考えられなかった。何故なのかはわからない。けれど、妻ではそれが埋められないのだ。確かめたことはなかったけれど、サスケもたぶん、同じだったんじゃないかと思う。
……なんというか、女達を前にすると、どうしてなのかオレ達はもっと、真面目で実直になってしまうのだ。
格好つけて、見栄をはって。くだらないおふざけになんかには脇目もふらず、オスとしての本能に突き動かされ、ただがむしゃらに腰を振る。
「あー…も、だめ、出そ……!」
弛緩するような快楽に流されるがままうわずった声をあげれば、ぱっとその口が開かれた。えっ、と思わず下を見たオレに、平静なままのサスケがぼそりと言う。
「口に出すな。不味い」
「ええ……そんな萎えること言わないで」
言ってろ、萎えたことなんか無いくせに。そんな事を言いつつもひとしきり口での愛撫をしてくれたサスケの手を取ると、甘えるようにその指がオレの手に絡んできた。間近にまできている予感にその頬を撫で、細い顎を掬い上を向かせる。
されるがままに顔を上げたサスケは、きょとんとしてオレを見た。なんだ、と見上げてくる彼に、「な…一緒にさ」と誘いかける。
「あぁ? オレはいいって、二回も出ねえよ」
そんな事を言う彼に、またまたァそんなこと言うなってと取りなしながら、テーブルから降り立って両の腕を差し出す。
腕を引き立ち上がらせた彼をテーブルに寄りかからせ、そのまま再び下を引き降ろせば、一度すでに達している彼のものは脚の間で力なくさがっているばかりだった。「な? もう…だろ」というところを笑っていなしつつ、躊躇なくそこに口を寄せる。
最初から深く飲み込めば、その動きに否定的な事を言っていたその口も、噛む唇に言葉を止められた。先の放精でもうだらりとしていたそこも、舌を絡め、温かな口内で丁寧に含んでやれば、少しずつだけれどゆっくりとまた力を取り戻してくる。
「んっ、あ…――ちょ、つよい、……って」
じゅ、と先端を強く吸い、はやくもっと勃たせてやろうと尖らせた舌先でまだ余韻を残す小さな孔をこじ開け、強引に高まらせようとすると、そう言ってサスケは身をよじらせた。丹念に強く吸い上げた蜜には、性路に残っていた彼のものが僅かに混じっている。進んで喉の奥にまで性器を飲み込むその力に、抱きしめた細い体が跳ねる魚のように、「ひ、」と啼いては背中を反らせる。
「バ…カ、よせって、やめろ」
執拗な吸い付きにいよいよ逃げを見せはじめた彼に、ちゅぽんと口を離したオレは「つらい?」と小さく訊いた。
先程達した後の落ち着きの中、強すぎる刺激はもう快楽では無かったのだろう。赤くなった顔が瞳を潤ませ、素直にこくんと頷いてくる。
「――いいかげん、わかれって」
そんな言葉についしゅんとなると、そんなオレに少し困ったようなサスケは、慰めるように唇を落としてきた。
表面だけを愉しむ、軽いキス。そうして啄み合いながらも伸ばした手で、今度はやさしく、ゆっくりとその幹を撫で上げた。安心したように、ほのかにサスケが喘ぐ。立ち上がり、抱き合ったその形でその右手を下へと促せば、ほどなくして触れてきた細い指が、再びオレのものをゆるやかに扱きだしてくれる。待ちぼうけしていたそこは既に沢山の蜜が溢れ、手を動かされる度にくちくちと淫靡な音を響かせる。
「――ン、ッ…!」
やがて訪れた開放にぶるりと背中を波打たせると、間をおかずサスケも控えめな精をオレの手にまた出した。
弛緩するその体を抱きしめたまま、しばらくじっとその息が落ち着くのを待つ。

「――…ああ、だめだ」

キツい、と漏らした声で溜め息をつくと、サスケは寄り掛かったオレの肩に、ぐったりと額を落とした。連続での吐精は、彼にはあまりない事なのだろう。汗を張り付かせるその背中が、余韻と疲労とで小さく慄えている。
「お前たった二回でソレなの? 疲れすぎだろ」
いつにない正直なギブアップに、思わずぬるい笑いが漏れた。本当に、こいつこんなんでどうやって子供なんて作ったんだか。細い身体はひとたび戦いになればどこまでも俊敏で屈強な動きをみせるくせに、性に関してだけはサスケは昔から、驚く程に淡白だ。
「そんなんでどうやってサクラちゃんとしてんだよ」
あんまりな草臥れっぷりについそんな揶揄が出ると、さすがにムッときたらしいサスケがちらりと目を上げてきた。
「あ? ふざけんな、そん時ゃもっと本気出すに決まってんだろ」
疲れ果てた背中でそんな事を言う彼は、それでもまだオレの肩に凭れかかったままだ。
「へーえ、じゃあ今のは本気じゃないんだ?」
「当然だ、誰がこんなとこで本気出すかよ」
「オレにも一度くらいはその本気を見せてもらいたいってばよ」
「言ってろ。てめえだって力任せなばっかで、たいしてうまくもねェくせに」
小馬鹿にするようなせせら笑いにそうやり返されるとされると、こちらとしてもちょっと言えないところがあった。
……ああそう、すみませんね! 凭れてきていた彼が自力で起き上がり離れていくのを惜しく思いつつ、投げやりに言いながら、オレはばたりとそのままテーブルの上にひっくり返る。
「なーなー、サスケェ」
仰向けのまま横目で声をかけると、しどけなく服を乱したまま椅子に戻ったサスケが、物憂げにこちらを見た。
そんでさ、結局、死ぬならいつがいい?
また戻された質問に、組まれた足がいかにも面倒くさそうに、ゆらりとひとつ揺らされる。
「しつけえなあお前、まだその話を蒸し返すのか」
「じゃなくてさ。普通に、死ぬなら。お前いつがいい? そんくらいは訊いたっていいだろ?」
ほら、セケンバナシのひとつとしてさ。そんな風に言えば、かったるそうにサスケは身を起こした。普通にってなんだよという声も、なんだか結構、色々どうでもよさそうだ。
「オレはさ、どうせ死ぬならやっぱ春がいいな。賑やかで、なんか寂しくないし」
日だまりのなか大の字になったままで言えば、なんだかちょっと楽しい気分になってきた。うん、悪くない。ついでに土に戻してもらえたら最高かもしれない。文字通り、この先もずっと里を見守れる。   
サスケは? と尋ねると、細い眉がひゅっと僅かに上げられた。乱れた髪が日を受けている。昔よりも陰影の深くなったその顔は、いつ見ても腹がたつほどにやはり格好がいい。
「オレはどうだっていいだろ、そもそも普通になんて死なねえだろうし」
「はー? なにそれ自分だけ格好良い事言うなってば」
「いや、実際そうなんじゃねえの。どうせろくな死に方しないだろうし。どっかの旅先で、石を枕に野垂れ死にだろ」
あっけらかんとそんな事を言うサスケに「え、なにお前、本気で言ってんの?」とちょっと驚くと、向こうは向こうできょとんとしているようだった。
なにかおかしいか? と傾げられたその顔は、まったくもってその最後に疑問をもっていないらしい。こういう自分自身に対するまったく構わない姿勢は、呆れる程に昔のままだ。
「馬鹿じゃねえのお前、最後までそんな事してみろよ。死ぬ前にまずはサクラちゃんにぶっ殺されるってばよ」
大真面目に言えば、ふといつかの光景を思い出したのか整ったその顔が(ああ……、)と僅かに眉をひそめた。
なんだかんだ言いつつも、彼も自分の妻には弱いのだ。
「――じゃあ、冬かな」
腐りにくいし。そんな事を付け足しながら、サスケは言った。やっぱりこいつ、どこかで勝手に死ぬことを想定してやがるな。甘いっての、お前んとこには今や木の葉最強の妻に加え、火影に立候補している娘までいるのに。
「な、向こういったらさ、なにしようか」    
あっちでもさ、またいっぱいナニしような? なんてちょっと下卑た事を言えば、そんなオレを馬鹿にしたように、サスケが鼻を鳴らした。
しねえよ、もう。疲れるし。
わくわくするオレに、サスケは肘掛で頬杖をつく。
「つまんねえなあお前、もっとのってこいよ」
「くっだらねえ。いいかげんもっとまともなこと考えろよ」
まともなことってなんだよ、とそのつんけんした口振りに返せば、ちょっと考えたらしいサスケはふと口を噤んだ。
なに、いい考え思いついた?
身を乗り出したオレに、眇めた黒がちらりと笑う。

「――まぁな。けど、まだ言わねぇ」

いつかその時がきたらな。そんなふうに、彼は言った。
ようやく傾き始めた陽に、温室の葉陰が斜めになる。
首を傾げるようにして咲く花の群れを、羽を広げた蝶が縫い上げるようにして、また飛んだ。