【Ⅳ】



「……について、……が…………という報告を」
「いや、……が……しても、きっと…………なら」

気がつけば、会議室の中にいた。
あの日から、ずっとこうだ。
動きと動きの間が、全然繋がらない。頭が時々、完全に止まってしまうようだった。
わんわんと羽虫が飛んでいる。
それに邪魔をされ、途切れ途切れにしか聴こえない話は、目を閉じてしまえばもう完全に聴こえなくなった。
羽音がして、そうしてさりさりと、それらがオレの中を這いずりまわり浸蝕していく感覚。彼がいなくなったのを機に、オレの耳は虫の住処となった。彼に関する事意外、興味の持てないすべての事を羽音で消してくれるこいつらは、考えようによっては随分と気の利いた同居者達である。

「―――?」

正面に座る男に何かを尋ねられたが、言葉が聞き取れなかった。内容もわからないまま曖昧に笑うと、少し困ったような顔で相手はまた他の者との議論に戻る。存外、支障ないものだな。きちんとまた再開された議場に、小さな笑いが漏れた。シカマルだけはこちらを見ている。それでも何も、言ってきはしない。彼は彼で忙しいのだ。里は今、新旧の世代が徐々に交代しつつある、いわば時代の過渡期にある。
あの葬儀から、時はすでに数日が経っていた。
いっそ眩暈でも起こして倒れられたらいいのに、厳しい彼の目の元、ずっと鍛錬を怠ることがなかった頑丈な身体は、都合の悪いことにまったくそんな気配がない。
肘掛けに載せたままずっと動かしていない手は、しわは深いが今でも妙な生気があり厚みを失っていなかった。
これは人柱力としての力なのか、それとも一族の特徴である長命の余禄なのだろうか。晩年、ほっそりと痩せて枯れていた彼の手とは、やはりどこか違う。あれはあれで、非常な艶めかしさのあるものだったけれど。
「ナルト」
ようやくまともな声に呼ばれてみれば、上げた視界の先、細い体躯で立つ男がその三白眼でじっとオレを見定めているようだった。何事かを彼が言う。
「おい――大丈夫、か?」
拾い上げた気遣う声に軽く手を上げ、オレは立ち上がった。
ざわめく場の中を、誰に断るでもなくひとり退出する。

「――どこ行くんだよ」
 
重厚な会議室の扉が、完全に閉まるのを待っていたのだろうか。不意を打って呼びかけてきた声には、もう先日のような巧みな気楽さは無かった。
行きかけた足をふと止める。ああ、こんなにも完全に気配を消せるとは。さすが彼の一番弟子だ。
「どこにも」
ニヤリと不敵に笑いかけ、オレも言う。こちらももう平常運転だ。もう誰の目も気にすることはない。
「お前こそこんな所でなにしてんだ」
「あ?」
「ここは里の中枢だぞ。こんな所でそんな気配の消し方して、下手したらお前、疑われて拘束されるってばよ」
「うっせえ回りくどいんだよクソ親父。なんなんだこの間のは、妙な茶番張りやがって」
寄り掛かった壁際でそう唸れば、喋る口調はますます粗雑になってくるようだった。子供の頃こそ、口癖が多く出ているせいでオレそっくりな喋り方だった息子だけれど、成長してからはどういうわけか、彼によく似た口の悪さを披露する事のほうが多い気がする。
「――どうするつもりだよ、それ」
不機嫌な腕組みに、ぎろりと睨まれつつ訊かれると、羽織の下、そっと隠し持っていたそれが、ほんのりまたあたたかくなった気がした。
答えを返さず、ただ笑ってみせると、苛立ったかのようにその口が(ちっ)とこれまた彼と同じような舌打ちを落とす。さても師匠かぶれな我が子である。
「訊いてんだろ、答えろよ」
「いや、なんのことだってば。それって?」
「ここにきても尚しらばっくれんのか」
「しらばっくれるもなにも、なんの事かわからねえんだから仕方ねえだろ」
ぬるぬる逃げるオレが余程気に入らなかったのだろう。睨んでくる息子の青い瞳には、強い苛立ちが見えた。暗い廊下に、押し問答となった会話が響く。それにしても鮮やかな怒りだ。食いしばる歯に、若い頃の自分を重ねてしまったオレはつい場にそぐわない笑みを漏らし、それが更に息子を煽ってしまう。
「まさか親父、」
「うん?」
「……大蛇丸んとこ、行くつもりじゃねえだろうな」
「へ?」
不意打ちのようにして告げられた名に、思わす頓狂な声が出た。
一瞬わからなかったオレだったけれどしばし考えを巡らすと、ようやく息子が抱いているらしい危惧の正体に気がつく。
「――師匠は、この世にひとりだけだぞ」
 低く確かめるように、息子は言った。ああ、なるほど。それでこんなに怒っているのか。自分では思い至らなかったその考えに、妙に感心しつつその怒れる瞳を覗く。
「ふうん、そうか。確かにそういう手もあったな」
「……」
「お前やっぱ賢いなァ、さすが」
「ふざけんじゃねえよ、そんな事したらいくら親父でもマジゆるさねえからな!」
だん! と強く打たれた壁に、誰もいない廊下がわあんとひとつ揺れたような気がした。チャクラが禁止されているこの場では術の発動はできない。けれどあまりにもここでこうしていたら、さすがに警備の者たちに怪しまれるだろう。
――ボルト。
名前で呼びかけると、壁を打ったその青年はまたオレを睨んできた。まったく、ほんとうにこいつは、若い頃のオレに瓜二つだ。大昔のオレは、きっと今のこいつのような顔で、彼への独占欲を叫んでいたのだろう。
「大丈夫だ、お前が心配しているような事はねえよ」
穏やかに笑いそう告げるも、息子はまだ半信半疑を隠せないようだった。羽織ったマントの下から引き継いだかつての彼の得物を僅かに覗かせて、オレより濃い青が強くオレを射る。
「本当、だな?」
まだ確かめてくる我が子に「ああ、」と頷けば、測るような沈黙がまた返ってきた。どうやら息子は相当オレに対し、篤い信頼を持っているらしい。苦く笑いつつも、それでも「もちろん」と付け足す。
黙って下をむいたまま動かなくなった我が子に、ようやくの問答の終わりを見て取ったオレはまた羽織を一度払うと、再び止めていた足を前に出そうとした。するとしかしすれ違いざま、またボルトが、なにかを呟くのが聴こえる。
え、とまた思わず歩みが止められた。
視線を向けた先で、少しうつむいた息子が、低い声でオレに言う。

「――絶対に。狂うなよ、親父」
 
一気にそう言うとばさりとマントを翻し、息子は大きな歩みで去っていった。
いつの間にかあのやかましかった羽音は消え、誰もいなくなった廊下には、ただ冬の静寂だけが漂っていた。