【Ⅲ】



――触れるのならば、『お前の』手で。
抑えきれない興奮に、つい利き手である義手の方を伸ばしてしまう度、サスケは必ずそう言ってオレを制した。
ずらした下穿きから覗く、黒々とした茂み。
触れたときにはもう芯を持ち始めていた性器は、控えめに開いた口に、はやくも透明な雫を慎ましやかに宿していた。言われて変えた左手で、じっくりとそれを潰す。
親指の腹でゆるゆるとそこを撫で、持ち上がってくる幹の全体を、搾り上げるように何度も甘くしごいた。今だけでなく、十代の頃からもあまり性に対しては貪欲ではなかったのだろう。器用さにやや欠けるオレの左手の動きにも、サスケは逐一身じろぎをする。
「――ちょっと、久々だよな」
気持ちいいだろと笑いかければ、オレの座る椅子の真正面、再びテーブルの端に腰掛けたサスケは、眇めた目で小さく鼻を鳴らした。ぐしゃりとめくれ上がった黒いシャツ、中途半端に下ろされたスボンは腿の途中。だらしなく着崩した衣類のその端々に、白い肌があられもなく覗いていた。ぬちぬちという淫靡な音が、陽のたまる温室に響く。
「気持ちいい、と、いうか――男なら当たり前の感覚、だろ」
ン、とその眉根に快楽の皺を寄せながら、サスケはそれでも言う。その当たり前の事を普段平気で放置しているくせに。
「先に一回出す?」
「……ん、」
「早いな。やっぱお前、結構溜めてただろ」
「…っせ、い、だろ別に……も、若くはねェんだ、し」
そんな減らず口にも苦笑して手を早めれば、「あ、」とサスケがまた息を飲んだ。オレの肩口に、斜めに寄りかかってくるその上半身を抱きとめ、服の上からしっかりと抱えてやる。
そうしてやるとサスケは快楽よりも安堵を感じ、欲に対し従順になりやすいようだった。表情を見られないというのも大きいのだろうか、安心したような溜息に、乱れていく呼吸が混ざる。
「――ん、ふ…ッ」
 小さな息切れと共に吐き出された精を、擦っていた左の手のひらで全て受け止めた。指の股にまでとろりと溜まる乳白色のそれ。じっとそれを眺めたオレは当然のように、ぺろりとひと舐め、それを味わってみる。
「あ、やっぱ濃い」
「……」
「お前、どんくらいぶり? こっち帰ってきたの一昨日だろ、サクラちゃんとしてないの?」
「黙れ、お前には関係ない――というか、いちいち人のもんの味を確かめるな。気持ち悪くないのか」
「うん、全然気持ち悪くない」
しれっと答えれば、まだ僅かに上気したままの顔が、半分呆れたように眉を顰めた。どうして気持ち悪いなんて思うのか。これなんてサスケが普段どんな性生活を送っているのかを知るのに、最適な情報ツールなのに。
サスケとこういう事をするようになって、もう随分と経った。
はじまりはあの大戦の後だ。オレ達は揃って、木の葉の病院で並んで過ごしていた。正直これというきっかけに関してはもう覚えていない。なにしろ若かったし――怪我をしていても、溜まるものは溜まったし。それにあの日、谷で一緒に目覚めて以来、オレ達の間には『境界線』というものが無くなっていた。何をしても、何をされても、いわゆる嫌悪感というものをまるで感じない。
だから怪我でろくに身体も動かないくせに、着々と熱だけは溜め込んでいっていたオレ達がこういった行為を始めた事にも、当時からたいして疑問に感じなかった。
だってこれは『自慰』だ。
オレの半分は、サスケで出来ている。

「サスケ、」

落ち着いた? と尋ねれば、まだオレの肩に頭を乗せたままのサスケはその場で小さく応えた。吐精に汗ばんだ身体からは、普段はないようなどこかふしだらな甘さが立ちのぼっている。オレに寄りかかり、丸みをみせている背中。なだらかなラインを描くその中心を、シャツをたぐり寄せるようにして下からゆっくりと触れていく。うん――どこも、変わってない。異変の感じられない感触に、オレはほっと胸をなで下ろす。
ふたりでのこの時、オレはいつもこんなふうにサスケの身体をあちこち確かめる。
怪我をしてないか、傷が増えていないか、肉が減ってないか増えていないか弱っているような場所がないか。オレの見えないところで、荒れた地をひとり行くこの片割れの身体がどんなことに晒されているか、考えるだけでたまらなかった。捲られていくシャツから現れたすべらかな背中に傷がないのを確かめながら、薄い肉に浮き出る綺麗な骨の並びを、指で丁寧に辿っていく。
「なあ、さっきの質問なんだが」
変わりのない身体に安心しつつまださわさわとあちこちを探っていると、ふと差し込まれた静かな声に、オレは調査に回っていた指を止めた。
ちらりと横目で重みのかかる右肩を見る。うつむくサスケの表情は、髪に隠されたままだ。
「質問?」
「ああ、」
「なんだっけ」
「一緒に死ぬなら――とか、言ってただろ」
ああ、うん。なんでもないように応えるオレに、肩口の黒髪が少し動いた。
流れる前髪の間から、その瞳がこちらを向く。
「あれな、一応先に言っておくが」
サスケは言った。
「無理だぞ?」
「へ?」
「無理だから。オレが先に逝ったからって、くれぐれも馬鹿なこと考えるなよ?」
あっけらかんとした否定に思わずぽかんとすると、サスケはそんなオレに(やっぱり)といったような顔で見た。肩の向こう、ガラスの壁の側では、狂い咲きのタチアオイ達が変わらず静かに群れている。
「ええと…――なんで?」
のろのろ聞き返すと、サスケはふかぶかとした溜息をついた。少し目を伏せると、そこでようやく身を起こす。
「お前なぁ、もういい加減わかれよ。できっこねえだろ、そんなの」
つけつけと連ねられた言葉に思わずムッとすると、オレはそこでようやくサスケの顔を真正面から見た。「無理ってなんで、オレってば絶対ビビッたりなんか…!」とややも大きな声が出たが、それにもサスケは落ち着き払っている。
「馬鹿が、そういう意味じゃねえよ。自分の立場よく考えろ。お前はもう、てめえの都合で勝手に死んでいいような身分じゃねえだろ」
お前は木の葉の、七代目火影だろうが。
静かな顔でそう言われれば、その真っ当さにオレも黙らざるを得なかった。心なしか触れたままの細い体からの体温までもが、ほんの少しだけ余所余所しく下がったようだ。
「そりゃあオレだってそんくらいは――わかってるけどさ」
でも、と。まだも思いながら、オレはぐずぐずとその身体を抱き寄せた。
でも本当に。
オレはサスケがいなくなった世界では、きっとまともには生きていけない。
兄のようであり、弟のようであり、伸びる影であり導く光でもあるオレの片割れ。先の戦いでその肌が焼き爛れただけで我を忘れたオレが、どうしてその命が消える時に正気でいられるだろうと思った。身分がどうであろうと、後がどうなろうと、その一点にだけは自分でも呆れるほどに我慢がきかないのだ。
遠い昔、闇の手に絡み取られていく彼に対し、激情のままにどうしても他の奴にはくれてやりたくないと叫んだ事があった。
あの頃と同じように、オレはもしこの先サスケが黄泉の国へと攫われそうになった時は、きっと躊躇なくその国を潰すだろう。
しかしさすがにそれが叶わないというならば、自分も一緒にくっついて行くしかないじゃないか。
「――だけどオレ、もうお前を見送ってばっかなのは嫌だ」
ポツリと一番の本音を言えば、それは穏やかな温室の中、酷く頼りないもののように響いたようだった。
しかしそんなオレに対し、サスケの方はよほど意外だったのだろうか。つい今しがたまで毅然として結ばれていた唇が、驚きにうすく開かれている。
「見送るって」
「大戦の後の時も、カグヤの探索の時もさ」
「そりゃお前は里でするべきことがあったんだから」
「付いてきたいって言ったらダメって言うし」
「当たり前だろ、当代火影がそんな長期間里を空けるなんて言語道断だ」
てきぱきと返される言葉に(う、)と圧されつつも、それでもオレはまだ言った。
サクラちゃんだってお前追っかけてったし、それにボルトもいいってのにさ。なんでオレだけずっと、置いてけぼりばっかなんだってば。
そんな事まで口にしだしたオレに、いよいよ唖然とした様子のサスケが「置いてけぼりなんて、そんなの一度だってオレはしてねえだろ」と言う。

「それを言うなら、むしろ――…」

言いかけてすぐにやっぱりやめておこうとばかりに口を噤んだサスケは、そうしてそのまま黙ってしまった。
困ったような肩の向こう、ガラスの壁の側では、狂い咲きのタチアオイ達がが変わらず静かに群れている。
先程撒かれた水がまだ乾ききっていないのだろう、濃い緑の葉には水滴に反射してきらきらと陽の光が踊っていた。
緑の匂いが濃い。葉の匂いがして花の匂いがして、そうしてそこにもう若くはないがまだ確かに息づいている、オレ達の性の匂いが絡み、混じる。
「……まあ、けど、あれだ」
やがてどうにもぐずぐずと子供じみた駄々を引っ込められないオレに、サスケが歯切れ悪く口火をきった。
そう悲観することもねえよ。
かけられた言葉に、思わず「へ?」と顔が上がる。
「ヒカンスル?」
「がっかりすんなって。もしオレが先に逝っても、お前が来るまで待っててやっから」
「……え?」
思いがけない事を言う彼に、いきおい目が大きくなった。え、そうなの? お前兄貴とか、父ちゃんや母ちゃん達のとこに――会いたかった人達のところへ、とっとと行っちまうんじゃねえの?
考えていたまま尋ねるオレに、サスケはほんのり苦味の混じった笑いを浮かべ、ゆるゆると首を振る。
「だからお前は、ゆっくり来い。急がなくていい。お前のペースでいいから」
――果たすべきお前の使命を、果たしたら。
そう言うと、残された右手がやわらかく持ち上がり、そっと慈しむ動きでオレの頬を包んだ。
非の打ち所のない顔がゆっくりと近付き、思わず待ってしまう唇を素通りすると、細く白い首が僅かに傾げられ吐息が耳元で「そうしたら」と吹き込んでくる。

「その時は、今度はオレが――…」