【Ⅰ】





   incurable:不治の、治らない 





遠くの空に、鐘が鳴る。
耳を澄まし仰いだ先には、細く立ちのぼる煙が見えた。
凪いだ高台を包む空気は、今日は底無しに冷たい。乾いて張り付いた唇を無理に剥がせば、漏れた吐息はただちに淡い影になり、凍った大気に他愛なく消える。
「――七代目、」
呼び掛ける声。それを背中で受け取ると、後ろからはそのまま「こちらにいらっしゃるならばどうかもっとお召し物を、お体に障ります」という震える陳情が続いた。ずっと機が見いだせず、困っていたのだろう。もうけっして若くはない体に対し、付き人も必死だ。
「すまねェな、けど、このままで」
精一杯の気遣いに、長いことそこで動かなかったオレはようやく苦笑して、ゆっくりと振り返った。
あいつは今熱いだろうからさ、こっちは凍える位で丁度いいんだ。
さらりそう答えると、若者は痛ましそうに何か言いかけたが、結局黙ったままくしゃりと顔をひしゃげさせる。
高い高いところで、鳥が一羽ずっと旋回している。あれはサスケの鷹だ。賢い彼も何かを察しているのだろう、広げられた美しい翼は呼び出されるのを待っているかのように、いつまでも切なく羽ばたいている。
「心配ねえよ。最後まで、見届けるだけだから」
それだけ告げてまた口を結ぶと、高台には再び静寂が戻ってきた。風になびく事も無く、まっすぐに昇っていく煙。粛々と上がるあれは、火舎から出ているものだ。
あそこで今、サスケの体は紅蓮の炎に抱かれている。
まっしろな、清らかなあの肌と美しく整った細い体躯を、無慈悲な赤い炎の舌が、隅々まで舐め尽くしている。
――想像だけで噴き出そうとしてくる衝動を抑え、オレは空を仰いだ。これは怒りなのだろうか、それとも嫉妬なのだろうか。自分でも判別がつかないまま、とにかく先程から震えてやまない、羽織に隠した拳を強く握り締める。
吸い込まれていく色褪せた天球の片隅には、白く光る真昼の月が、つと引っ掛かっているのが見えた。ひたりとオレに向けられるその、細く尖った鋭い切先。まるでかつての彼の愛刀に、動きを制されているかのような、そんな感覚に、ようやく食いしばっていた口の端から息が漏れた。 御霊鎮めのつもりだろうか。誰かが焚いているらしい香が、どこからかゆるりと漂ってくる。
匂い紫のやさしい甘さ。静かに鼻先を掠めていくそれに、じっと目を細めた。
白い煙は、まだ終える気配がない。
彼方まで澄み渡る響きで、また、鐘が鳴った。


* * *


死ぬならば、冬がいい。
そんな事を彼が言ったのは、もう随分と昔の事だ。
話の始まりは、オレからだった。温かな光で溢れた空間、力強い草木の匂い。
そこはそもそも、二代目火影が建てたものらしい。里の中央、今は使われていない旧火影邸の庭の端には、ぽつんと忘れられたかのように建つガラスの温室がひとつあった。
個人の邸宅の庭にある事に加え、それ以上にここを通る大概の人間は、すぐ横にある里の管理する執務棟の見事な庭園に目を奪われてしまうからだろうか。古くても組まれた木枠はきちんとしたものだったし、しっかりとした硬度を保ったままのガラスは当時としては結構な財を投じて作られたものだったのではないかと思われたが、その温室は当時、火影の座と一緒にそこの所有権をオレが手にした頃から、既に誰からも顧みられる事がない状態だった。
そんな古い温室を、オレが誰にも知らせることなく、こっそりと使用しだしたのは、一体いつ頃からだっただろうか。
気の赴くままに集めた植物達を置き世話を始めたり、気分転換したい時や、山積みの書類や優秀過ぎる補佐殿から、ほんの少しのあいだ、雲隠れしたくなった時。オレによってこっそり使われだしたその温室にも、気がつく者はひとりとしていなかった。
その上更に、そこには当代火影であるこのオレが腕によりをかけて組んだ、特殊な目眩しまでもが施してあった。いくら目に付きにくい所にあるとはいえ、そこそこの大きさもあるその秘密基地が、それまで見つからずにやってこれたのも、そのオレの技の巧さに依るものだと思っていたのだけれど。

「――なんだこの中途半端な術は」

なってねえな。
あの日。突然やって来た彼は平然とした面持ちでそのガラスの扉を開くと、破られてしまった術にぽかんとするオレに向かい、開口一番そう言った。
その左目の前では、オレの自信作などちゃちな蜘蛛の巣程度のものだったのだろう。入って来た瞬間、確かに感じたであろう術からの強い拒絶の力にも、整ったその顔は微塵も動かされた気配がない。
「ひっでェ……そうか?」
現れた黒衣のマントに、オレはちょっと口を尖らせた。
自分では、ここ一番の出来だと思っていたのに。相変わらず彼は評価が厳しい。
「結構工夫したつもりだってばよ?」
「工夫? あれでか」
「外からはうまいこと見えなくなってただろ」
「一応な。けどあんなの、中忍クラスでもたぶん見破れる奴は見破るぞ。火影ともあろうものが、もう少しマシなの出来なかったのか」
相変わらずセンスねえな、という斟酌のない意見に、オレは憮然として鼻に皺を寄せた。そっちはそっちで、相変わらず口が悪い。だいたいが今や世界に唯一となったその瞳を前に、破られない術なんて今あるのだろうか。なってないなどと言われても、仕方がないというものである。
「ちょっと――驚いた。どしたんだってば急に」
あまり見ることのない陽光の下でのサスケの姿に、背凭れから少し身を起こしたオレはそう尋ねた。日の高い内に、彼がオレを訪ねてくるのは希な事だ。里に滞在している間、火影室にいるオレを彼が訪ねてくるのは、大概が日中の公務を全て終えた夜の遅い時間だった。そうでなくとも休憩中に、火影室から出てこの結界の張られた秘密基地に隠れているオレを見つけ出してまでくるとは、余程の事だ。
「何か話?」
「ああ」
「どうかした?」
「お前んとこの子供。あれ、どうにかならないか。里に戻ってきた途端オレに四六時中張り付いてくるうえに、今度は自分も旅に連れていけとか言い出して聞かないんだが」
「あー……ボルト?」
やっぱ、そっちに行ってた?
なんとなくだった予感は的中だったらしい。苦笑いで頭を掻けば、憮然顔のサスケはむすりと頷いた。してみると、こんな真昼間に彼がやや強引な方法を使ってでも、オレの所に来た理由もわかる。確か今日、息子は里の外れにある集落での任務に就いていた筈だ。自分の滞在中、暇さえあれば師匠師匠と纏わりつく弟子から確実に逃れるには、この時間しかないと判断したのだろう。
先の中忍試験の以来、経緯は知らないが初めて会った時からすっかり彼の信奉者となっていたうちの息子は、師匠である彼の旅について行くのが、目下の目標らしかった。しかしまあ、憤然とするのを通り越し今や困り果てている様子のサスケには申し訳ないが、彼を追いかける事に関してはオレ自身あまり言えた身分ではないのだ。なにしろオレときたら、ただそれだけに青春の丸ごと全部を投入しているし。その道に関しては、云わばひとつの先駆者なのである。
「なんなんだあいつは。そんなにまでして、この里を出たいのか」
げんなりとした風情で、サスケは言った。いや、そういう反抗期的なものではないんだけど。言いながらも疲れを見せる彼になんとなく我が子の健闘が窺えて、先達としては申し訳ないなと思う反面、その追い詰めっぷりに密かに感心する。
「まぁ、とにかく―そういう事だから。お前機を見てちゃんと、あいつに話をしろよ」
言いたい事はひとまずそれだけだったのだろう。草臥れた様子でそれを告げると、サスケは肩の荷が降りたかのような溜息をついた。
しかしそんな彼に対し、「へ?」とオレは口が開く。話を終えた筈なのに何故かぽかんとしたままのオレに、更に上塗りするかのようにサスケも「?」と首を傾げた。
「へ、とは何だ。オレの今言った話、ちゃんと聞いていたか?」
「聞いてたけどさ……え、何を話すの?」
「だから、オレの旅についてきたいなんて、そんなこと考えるなって」
「? 考えちゃダメなのか?」
真面目にわからなくて首を捻ると、向こうは向こうで同じく本気でオレの意図がわからないようだった。傾けあった首に顔が揃う。
訝しむ目と目がぱちりとかち合うと、おそるおそるといった様子でサスケが口火を切った。
まさか、お前……あいつが旅に出るのに、反対しないのか? 
佳貌をこわばらせそう訊いてくる彼に、少し気の毒になりつつもオレは言う。
「いや、だって……あいつが自分で決めた事だし」
「里を出るって事だぞ?」
「里抜けじゃなく、きちんとした手続きを踏んでるなら別にいいんじゃねえの。仕方がないってば、あいつサスケを追っかけたいって思っちまったんだし。じゃあもう追っかけるしか他に道はねえって、オレだって昔、そうだったもの」
個人的見解をまるで全宇宙の真理のように告げると、聞いていたサスケはくろぐろとした瞳を大きくさせたまま、今度こそ本当に言葉を失ったようだった。ガラスの天井の上を、数話の鳥が渡っていく。よぎり去る小さな影に、オレは深く息を吐く。
「まあ……うるさいとは思うけど、我慢してやってくんねえか? それでもお前から見て、ちゃんと連れて行けるって思うレベルにまで修行が追いつくまでは、いくらでも適当にあしらってくれていいからさ」
そう言ったオレに、ようやく少し気を取り直したのだろう。開いたままだった口にはたと気がついたらしいサスケは、唖然としていた所から一転して今度は深々とした溜息を吐いた。
重たげな黒衣のマントが物憂く揺れる。
脚絆の足を一歩前に出しながら、白い指が詰まった襟元にすっと差し込まれるのをオレは見た。
「呆れた――まさしくこの親にして、この子だな」
そう言っては近付いてくる重たげな外套の襟元が、ぷつんと外された。するりと脱がれたそれを雑にまとめると、片腕の男は慣れた様子で、歩みを止めないままそれを適当に端へと放る。
それでも温室内の気温に対応するには、まだ不十分なのだろう。旅装の下から現れた白い手は細い咽喉を守る上の襟元を広げると、グローブの右手が器用にボタンをひとつ外した。里へは数日前から滞在しているせいだろうか。マントの下はいつものベストではなく、彼の家族が用意したものらしき、着心地の良さそうな黒の上下だ。
髪を僅かに乱し、斜めに掛けていた得物が潜られた頭から外される。そうして最後にひとつ乱れた髪をぞんざいに掻きあげれば、黒衣の麗人はすっかり、気楽な姿になった。
優雅な癖に隙の無い、さばさばとしたその動き。まだ椅子に座ったままのオレの前、どしりと構えるテーブルに薄い尻を行儀悪くひょいと上げると、開きっぱなしになっているオレの目を覗き込みながらサスケは言った。
「――で? なんなんだ、ここは。随分と手の込んだ休憩室だな」
せめてもの腹いせに、今度はオレの秘密を暴いてやろうという心積もりだろうか。身軽な姿になってそう尋ねてきたサスケは、すっかりここに腰を据える構えのようだった。斜めに構えるその顔を照らす陽光は明るく、溢れる温室内の空気は、まるで四季を無視したかのような温かさだ。
その横を、ひらひらと蝶が横切っていく。表ではもうとうに見掛けなくなっている虹色の翅に、細められたままの黒がじっと後を追った。
「お前が自分で作ったのか?」
「ん。建物は元からあったものだけど、中身は全部」
「なんでまたこんな―あんな結界まで張りやがって。シカマルはこの事」
「だっ……いじょぶだって、ちゃんと許可得てるし!」
怪しくなってきた話についぺろりと嘘が出ると、即座にそれを見破ったのか、サスケがじろりとこちらを見た。冷たいまなじりが細くなる。五大国一の明晰さを誇るうちの補佐殿には、オレの片割れからも篤い信が寄せられているのだ。
「へえ。許可、ねェ」
さりげなくそうやって刺を出してくるサスケに、う、と顎を引いたオレは、そのまま黙らされた。
一気に悪くなった形勢に、もじもじと尻が落ち着かなくなる。
「――葉の形が、すべて違うな」
ひとまず胡散臭いオレの動きは、補佐殿に一任することに決めたのだろう。
見渡した一面の緑にふと気がついたらしいサスケは、ぼそりと話を変えた。普段から森や林を歩き続けている彼にとって、それは普段から気にかけている事なのだろうか。彼の気付いた通り温室の中で壁を塞ぐほどに茂った草木は、全部が違う種のものだ。
「そう。さすが、よく気がついたな」
変えられた話題に内心でほっとして、ようやくオレも背中を伸ばした。体を起こすと同時に、鼻先が青々しい香りをまた捉える。日を受け、先程水を与えられたばかりの緑達はきらきらとした生気に満ちていて、湿度の上がった室内はちょっとした亜熱帯のようだ。
「それぞれちゃんと考えて集めたものなのか?」
「まあ、だいたいは。山野草とかは出先で見つけて、持ち帰ってきたものもあるけど」
「花も多いが、それもお前が選んで?」
「ん、いのに教えてもらったりもしてな。世話の仕方もだけど、あいつ花言葉とかも詳しくて」
「花言葉?」
椅子を軋ませる百八十を超える大男に、その可憐な単語は笑えるほど似つかわしくなかったのだろう。へぇ、と言いつつも小さく吹き出したサスケに、オレはむうっと口を結んだ。眇められたその瞳には、揶揄するような光が見える。その奥ではどうせ、これまであった数々のオレのがさつな言動が思い出されているのだろう。ああそうとも、いかにもオレは無神経なザル人間だ。笑いたければ好きに笑うがいい、どうせ今更だ。
「―なあ、」
ふいに掛けられた声に、うん? と目線を上げた。
じゃあこれ。なんていうんだ?
テーブルの端、置かれたままになっている鉢植えを顎でさしてはおもしろがるような風情で尋ねてくるサスケに、ちょっと口を尖らせつつも、オレは答える。
「アスター。……信じる心」
「これは?」
「マトリカリア。忍耐。寛容」
「そっちは?」
「キンレンカ。愛国心」
「……それは?」
「グロリオサ。栄光に満ちた世界」
次々答えていくと、やがてサスケは最後に諦めたような息を吐いた。お前なァ…という斜め上から落とされてくるどこか憐れむような視線に、かあっと頬が熱くなる。
「なんか、ちょっと――思っていたのと違った」
「なっ…うっせえってば!」
「花言葉ってもっとこう女が好きそうな、ふわふわした感じの物じゃねえのかよ」
「そっ…そういうのもちゃんとある! つーかお前こそなんでわざわざそういう言葉付いてるヤツばっか選ぶんだってば、そっちのがオレは怖ェよ!」
軋む椅子からがたんと音をたて立ち上がると、オレは入口付近でまだどこか斜に構えた笑いを浮かべているサスケにがみがみと睨みつけた。
だったらお前もなんか、好きな花選んでみろってば。
憮然としてそうけしかけてみれば、ニヤニヤとしていたサスケはふとその笑いを引っ込め、黒い瞳を一瞬ぱちくりとさせる。
「あァ? なんでオレが、好きな花なんて別にねえよ」
「うっせーいいから選んでみろっての! きっとさぞお前にふさわしい、すンばらしい花言葉がついてんだろ」
憎まれ口にそう煽ってやれば、サスケはやれやれといった様子でテーブルの上から辺りを見渡した。ゆっくりと現されている方の瞳が室内を見渡したが、彼には匂やかに開いた大輪や、賑々しい小花達にはまったく興味が湧かないらしい。
しかし一通りが素通りで終わりかけたその時、ふとその中でぽっかりと浮いている一角に目を止めた彼は「なんだ、野菜まで作ってんのか」と小さく呟いた。本来は夏の収穫だけれど、温かなここでは年を通して、その赤い実は細い茎を弛ませている。
「じゃあオレはあれで」
もう半分は面倒になってきているのか、適当に言われた言葉に唖然とするも、サスケはもう他には目を遣らないつもりらしかった。はあ? でもあれってば花というより野菜だろ。ぶつくさ言うも、テーブルに腰掛けたままの顔はどこ吹く風だ。
「なんだよ、野菜でも花は咲くだろ」
「まあ、そうだけど」
「花言葉は?」
「………『完成美』」
そこはかとない悔しさに奥歯を噛みつつ、ボソリと告げると、それを耳にしたサスケは(ふうん)と気のない様子で聞き流しただけだった。昔から変わらない、余裕な態度。ゆらりとひとつ足先が揺らされる。すましたままの横顔は、やっぱりどこかスカしたものだ。
「お前ってやっぱムカつく」オレは思わず言った。
「そうか」素っ気ないままに、サスケもまた流す。
ガラス越しに差す明るい陽射しの中、温室内にはしみじみと胸に広がっていくような、穏やかな沈黙が漂っていた。ンン、と伸びをするように背中を伸ばし、そのまま太陽の熱で温まっている机の上に、ぺたりと胸から上だけで寝そべってみる。
ふと思いついたオレは、目の前にあるその組まれた太腿の上に、こつんと頭を乗せてみた。なんだよ、と平静のままの声で、サスケがちらりと横目をくれる。別に、なんでも。言いながら頭を乗せている彼の脚は旅に鍛えられ固く締まっていたが、なんともいえない張りと体温をオレの頬に伝えてきた。着込まれた黒いズボンの、草臥れた安心感。拒否されない体温がしみじみ嬉しく、なんとも幸せでうっとりする。
「ざまみろ、ボルト」
にんまり呟けば、聞き取れなかったらしいサスケはうん?と小さくこちらを見た。今のこのオレの姿を見たら、彼の愛弟子はさぞや羨ましがる事だろう。いい気味だ。
緑の草木の間を、また一匹大きな蝶が飛んでいった。
穏やかな沈黙を縫うような、不安定な動き。厚ぼったい虹色の翅はきらきらとして重く、それが視界の端に映った途端、何故だか不意に手を伸ばし、それをひと思いに握り潰したい衝動に駆られた。
しかしそうしてからすぐ、それを思った自分にゾッとする。
ここにある花々同様、あの蝶だって元は、オレが自分でここに放したものだ。色とりどりに咲く沢山の花達に、実を結ばせる為に。その妙なる虹色の翅の彩りを、オレ自身が愛でる為に。
「――鳥が渡っていくな」
ふと光に満ちたガラスの部屋を横切っていく影に、細い顎を上げサスケが言った。言われて見上げれば、空の低い所を鳥が数羽飛び去っていく。
「雁か」
見事に並んだ隊列に、またサスケが呟く。晴れた空に見えた灰茶の腹は、毎冬里にやってくる渡り鳥だ。
「……じきに冬だな」
変わりのない彼の声に、呆れるほどホッとさせられたオレは、ゆるゆると応えた。季節のないここでは日が当たる限りずっと常春が続いているが、本来の季節はその時、秋の終わりだったのだ。
「なーサスケ、お前さ、季節の中でいつが好き?」
ふと何の気もなく尋ねると、閉じた瞳でうらうらとした陽の光を顔に受けていたらしいサスケは、うっすらと目を開けた。流れる前髪の隙間から、普段は隠されている紫色がちらりと覗く。
「季節?」
「そう」
「そういうお前はいつなんだ?」
「……へ?」
人に質ねるなら、まずは自分が答えたらどうだ。逆に問われポカンとするオレに、ほのかに笑いサスケは言った。旅の中でも色を変えないその首筋が、見上げた視界でしろじろとして眩しい。形のいい耳に掛けられた黒髪が、逆光の中ぱらりと艶めいて落ちていく。
「そうだなあ……いつが、いいかな」
のびのびとした寛ぎをみせるサスケに合わせるように、その膝の上でオレもゆったりと言った。
「春はさ、やっぱ沢山花も咲くし、あと虫とか動物も沢山生まれるじゃん? 賑やかでいいし」
「……」
「夏は暑いけど、でもオレもともと暑いのって結構好きでさ。あと夏の空の、あの青ーい感じ! あれスゲー好きだってば」
「ふぅん」
「秋はホラ、オレ誕生日あるから! 風が気持ちいいし紅葉も好きだし」
「まあ、そうだな」
「冬はさー、正直寒いのはちょい苦手なんだけどよ。でも雪は好きだな、木の葉にはあんま沢山は降らねえけどさ、たまに積もると子供達も夢中になって」
「なんだそりゃ、つまり全部じゃねえか」
へらへらと並べられる絞られていない答えは、彼には不真面目に聴こえたのだろう。オレの返事に、テーブルの上でこちらを向いていたサスケは、呆れ返ったかのように肩を竦めた。
絞れないのは仕方がない。だって本当に、里を巡る四つの季節は、どれもこれもおもしろさで溢れている。
「きれいだよな、うちの里は」
静かに落とせば、広がった波紋のように、しみじみそれがまた感じられた。相槌と独白の中間のような声で、静かに目を細めたサスケも「ああ、」と応える。間近に見る横顔、それがつくる陰にオレは密かに(やはり)と思った。また、彼は痩せた。けれどその痩身は肉が削げたぶん、何故かしなやかさだけは増している。年々厚みを増していく、オレとは正反対だ。
「なあ、あいつ――本当に、外に出していいのか?」
他愛ない会話の最中も、本当はずっと気にかかっていたのだろうか。ぽかぽかとした光の中、膝枕の上の金髪に再び尋ねてきた。ひとり年を取るのを止めたかのような彼に見蕩れていたオレは「うん?」と思考を戻した。
図らずも、気の抜けたような返事になった。サスケがゆっくりとこちらを見る。
「ああ……ボルト?」
「里を出たら、目に映るのは綺麗な物ばかりじゃねえぞ。オレが回るのは豊かな国ばかりじゃねえし……貧しい国や、今でも戦闘区域になっている場所だってある」

【火影】としてのお前が隠したい事も、きっと見ることになるぞ。

きっぱりと告げられた言葉に息を止めさせられて、オレはじっと問いかけてくる視線に返した。
まっすぐに向けられてくる瞳は静かな夜の色だ。
オレを映す瞳――反転する、この世界。
「……いいよ。むしろそれを見てきて欲しい」
吐く息でひと思いに言うと、サスケは動かないままにそれを聞いた。明る過ぎる日差しのもと、伸びやかに育った手足は一部欠けていても尚均整が取れている。
光も、闇も、何もかもをのみこんでもなお凛として在るその姿に、幼い頃から抱き続けてきた憧憬が、今でも揺るぎないものであるのが確かめられた。
漂う濃い緑の匂いが、深く吸い込んだ胸に満ちる。
狂おしい程に、サスケは今でも綺麗だ。
「――そうか。なら、いい」
短く言うと、サスケはまたすいっと顎を上げた。重たげな翅を広げ、また蝶が飛ぶ。
「それにしても、」
話の終わりに、そろそろ執務室に戻らないとシカマルが怖いなとふとオレが思うと、そんなオレを引き止めるかのようにサスケがぽつりと言った。
お前ら親子は、つくずくよく似てるな。あらためてそんな事を言うサスケに、え、そう? と目をしばたく。
「顔?」
「……顔もだが」
「? 性格はあんま似てねえだろ」
「性格というか、しつこさが。どうなってるんだお前ら親子は、オレに絡む以外に夢中になる事はねえのか」
つらつらと並べられた苦言は、実際のところ見事にどれも言い返せないものばかりだった。不本意ながら文句の言いようが無いオレは、「へえへえ、すンませンね」と首を引っ込めるばかりだ。
「しょーがないじゃん、血筋だってば」
「どんな血筋だ、病気じゃあるまいし」
「病気だったら治しようもあるんだけど」
「治す気あんのか」
「ねェな」
あっさり言い切ると、サスケはまたやれやれといった風に溜息をついた。「……ったく、揃いも揃って同じ顔してちょろちょろと。ようやく最近になって、父親の方は落ちついてきたってのに」などと言い出したサスケに、オレは(む?)と首を捻る。
「落ち着いた?」
オレはまた訊いた。
「落ち着いただろう?」
訝しみつつ、サスケも返す。きょとんとした様子で返してくるその邪気の無さに、ざわりとまた、体の奥に衝動めいたものが集まってくるのを感じた。その美しい顔が焼かれたのを見た瞬間、我を忘れたオレを彼が制したのは、ついこの間の事なのに。あれを見ておきながら、よくもまあそんな事が言えたものだ。
「ふぅん…――オレの事、そんなふうに見てたんだ、サスケちゃんよぅ?」
ゆっくり立ち上がり言えば、見下ろしたその目が静かにオレの目線とぶつかった。しかし向こうは向こうで、長い付き合いの内に学んだ事が多いのだろう。わざわざ彼が、もっとも大嫌いとするその呼び方を選んだというのに、見返してくるその瞳には醒めた光があるのみだ。
――ああ、久々のその瞳。かなり深くクるな。
「なーなー、サスケェ」
意図した猫撫で声は、温かな温室にぬるく響いた。

「なんかさぁ、」
「……」
「オレらってさぁ、」
「……」
「こうしてるとさぁ、」
「……」
「ちょっと、ヘンな気分になってくるよな?」
「は? 馬鹿じゃねえのかお前は、ならねェ――」

よ、と言い終えるのを待たずしてその肩を一気に押せば、隻腕のその身体は抗う間もなく机上に縫い留められた。身じろぎを腕で捉え、崩された膝を無理やりに押し止める。揺らされたテーブルに、置かれていた植木鉢の幾つかがバランスを失い転がり落ちていくのが見えた。がしゃんという焼き物の割れる音、散らされた黒い髪。仰向けにされた腹が、めくれた上着からさえざえとした白さで覗く。
しかしオレが首尾よくいけていたのはここまでだった。
乱れた髪の真横、楚々とした耳の真横に腕を置き顔を伏せようとした所で、首筋に感じるひやりとした硬さ。
「――あ、あれ?」
サスケさん? と言い直しつつ、急所へと的確に押し付けられる尖った感触に、勝ち誇ったニヤニヤ笑いを凍りつかせたオレは、ぴたりと動きを止めさせられた。
机上からこちらを見上げてくる横顔は相変わらず精巧なままだ。急所を的確に狙うその刃は、皮膚に感じる形状から察するにたぶん千本だろう。
「えっ…と、そんなのも、持ってたんだ?」
「まあな」
「オレと会うだけなのに?」
「お前と会うからだろ」
微妙な返しに「へ、へえ…」と曖昧な笑いで見下ろすも、向けられた刃は退かれる気配が無かった。頚動脈をゆっくりと押すその感触に、こくりと思わず喉が鳴る。
ふと見上げた先に、まっくろな瞳が澄んだ輝きを閉じ込めているのが見えた。微動だにしないその美形に、オレも動かないまま瞳を返す。
白く大きな鳥を思わせる首には、伸ばされた髪が艶めいて掛かっていた。凛とした鼻筋、うすくて赤い唇。緊張しつつも、思わず誘われるようにして伸ばした手でその雪の肌に触れれば、繊細なまつげが秘めやかな陶酔に震えるのが見える。    
落ち着いてきたなんて、とんでもなかった。
ただ単にちょっとばかり、老獪になったというだけだ。
「――なぁ、さっきの質問の続きなんだけど」
出し抜けにそう言い出してみたが、その明るい声にも刃を持つ手はぴくりとも動かなかった。
サスケお前、季節の中でいつが好き?
改めて訊かれた質問に、すっと伸びた優美な眉が、ようやくぴくりと持ち上がる。
「またその質問か」
「お前の答え、聞きそびれてたからさ」
「季節なんていつだって一緒だ。暑かろうが寒かろうが、オレがやるべき事に変わりはないからな」
それよりお前、迂闊に動かねえ方がいいぞ。そう言った彼に、場にそぐわない長閑さで話していたオレはひとまず口を噤んだ。首筋に宛てがわれたまま微動だにしない冷たさに、まァそうだろうなとぼんやり思う。
彼の得物ならばさぞや綺麗に肉を刺すだろう。なにしろ『忍たるもの、道具の手入れは基本中の基本だ』と下忍時代ずさんだったオレに向かいくどくどと偉そうな高説を宣ったのは、他でもない彼自身なのだから。
「なるほど……さすが、相変わらず情緒も何もねえの」
へらりとコメントすると、僅かに刃が肉にまた押し付けられるのを感じた。それにしても見事な力加減だ。あともう少しでも動けば頚動脈がぷつりだろう。
「んー……じゃあ、質問を変えるってば」
空気を混ぜかえすかのようにほんの僅か目を泳がすと、オレは乗り上げたテーブルの向こうで視線を止めた。広げられた黒髪の向こう、温室の壁際には紫に白を混ぜたひと群れが声もなく佇んでいる。
秋の終わりに狂い咲いているそれは、オレが来る前からここで自生していたタチアオイだった。きっとここが以前、薬草園として使われていた頃の零れ種だろう。花言葉はたしか、威厳・大志。
それからもうひとつ――『永遠にあなたのもの』。
「なァ、サスケ」
呼び掛けたその声に、切れ長の黒がこちらを見た。
首筋の冷たさはまだ退かない。羅紗の翅を広げ、また蝶が横を通り過ぎていく。

「オレらが一緒に死ぬ時は、季節はいつがいいかな」

訊いた途端、刃に構わずぐっと首を伸ばし素早く唇を重ねれば、ぎくりと身じろいたその腕が僅かに後ろに引いた。
喉元の柔らかい皮膚に、一瞬だけはしる痛み。銀の切先が掻くその跡に、じんとした熱さだけが残る。
「バッ…カじゃねえのかお前は、まだそんな」
「隙あり」
狼狽えに突っぱねては開かれた唇をニヤリとしてまたすぐ塞いでやれば、小さな呻きと共にサスケは言葉を飲み込んだ。逃げてのけぞる顎を左手で抑え、中身の無い左の袖を義手の右手で大切に掴む。
唾液をすすりあげ、まだ迷っている舌を唆すように絡めとってしまえば、観念したかのようにサスケも、その体から徐々に強張りを解いていったようだった。濡れて赤みを増した、形のいい唇。控えめな受け入れをみせていたそこが、やがてそろそろとオレを捕食しはじめる。
そうして徐々に貪り合うようになってきた交歓にいよいようっとりしてきたオレは、崩された膝の間に割り入り、横たわったままの細い腰を更に抱き寄せた。差し込んだ手のひらに、痩せた背中が弓のようにしなる。
ぐり、とその脚の間に膨れた欲を押し付けてみせれば、同じ状態になっているらしい彼が(ク、)とオレの上着を掴んだ。こうなればどうしたって抗えない熱を抱えてしまうのは、昔からどちらもお互い様だった。それが無性に嬉しくて、ますますくちずけが深くなる。
「――今度は怒んねェの?」
ようやく離れた唇でニヤリと問えば、乱れた息に僅かに顔を赤らめたサスケがちらりと睨み上げてきた。「うるせェ、黙れ」と返してくる相変わらずの憎まれ口は、しかし欲で潤んだ瞳では威力半減だ。
「怒る前にしてきたんだろうが」
「ははぁ、なるほど」
「……次はない」
「そんな事言って。そうやって結局流される癖に」
そう言ってその上気した顔に笑いかけてやれば、憮然としてサスケはオレを見返した。するりとその穿いている下と細い腰との隙間に手を差し入れる。うすく張りつめたへその下を辿っていくと、静淑な体の中で、そこだけは硬く野卑な性毛に指先が潜り込んだ。ざらりとした感触、湿って籠る熱。
ふと一瞬だけむき出しの腹が緊張し逃げるように身じろいだが、またくちずけでその場に縫い留めた。目を閉じたまま記憶と感覚でそれを探す。知っている。ふくらみはいつも左側だ。
「……なるほど、違ったな」
やすやすと奥で身を潜めている彼自身を甘く掬って握れば、ゆったりと上から包み込むようにして撫でてくる手に、サスケは僅かに息を止め、吐き出すように言った。
んー? なにが。
まだその手に刃を持ったままの彼のズボンを引き下ろしてやりながら、機嫌よくオレも言う。
「これっぽっちも落ち着いてなんかいなかった」
「そうだろ」
「タチが悪くなっただけだ」
「――…そりゃどーも」
褒めるなよ、とニヤリとして怒るその目に歯を見せてやれば、根負けしたかのように整った口許がふかぶかとした溜息をついた。
虹色の翅はいつの間にか、姿が見えなくなっていた。