「てなワケで。オレとしてはやっぱさ、サスケからの本命チョコってのが欲しいワケで……」
どう?やっぱダメ??という熱心な問い掛けに、ネクタイもそのままにソファの肘掛に凭れるようにして肘をついていたサスケは、いつの間にか思考を覆っていた去年の記憶を閉じた。目の前にある青い瞳に、西日に霞むエントランスの光景が散っていく。今座っている椅子も座る度にギシギシと鳴いていた回転椅子ではなく、スプリングのきいたカーキ色のソファだ。
明かりの灯る部屋も隙間風の入る管理人室ではなく、ぼんぼんとヒーターが燃える温かなダイニングルームだった。寒冷地らしく、夏から住むようになったこの部屋には、最初から立派なガスヒーターが首尾よく完備されている。
「――ワリぃ。聞いてなかった」
悪びれることなく正直に答えれば、真正面に座るナルトはむっとして居直った。
やっぱりな。そんなこったろうと思ったってば。
「お前ってばさっきからずっと、返事も無しにボケっとしてたもんな」
「…………」
「オレさ、スゲー真剣に頼んでんのに。もうちょい真面目に聞いて欲しいってば」
「…………男が男にチョコをくれとせがむのが、そんなに重要なことなのか?」
タイを緩めつつ溜息をつくと、それを聞いたナルトは大袈裟なほど目を開き立ち上がった。
なに言ってんだ、重要に決まってんだろ!!
しっかりと温められた2DKに、大真面目な声が響き渡る。
「サスケとこういう風になってから、初めてのバレンタインだし……!」
「はァ、」
「なんてったって好きな人に、大手を振って正々堂々愛を告白していい日なんだってばよ!?」
「お前しょっちゅう告白してんだろうが。まだこれ以上言いたいのか」
ずけずけとありのままの事を指摘すると、ぐっと黙らされたナルトの顔はみるみるうちに赤面した。
そりゃまあ、確かにそうなんだけどさ……!という掠れた声に、燃え盛るヒーターが唱和する。
そう、つい先程仕事を終えクタクタの体を引き摺りながら病院から帰ってきたサスケを待っていたのは、性懲りもなくまた甘ったるいイベントに乗ろうとする、お祭り好きの恋人だった。いのに言い当てられた通り北海道にやってきたサスケがナルトと再会してから、もうじき一年が経つ。
トラブルが無かったわけではないけれどすれ違いの多かった数ヶ月を経て、どうにか夏頃からサスケはナルトと一緒に暮らすようになっていた。そうしてふたりで過ごせる時間が増えたのが、ナルトは余程嬉しいらしい。以前からスキンシップが好きだった彼であったが、同居を始めてからは更にせっせとサスケにじゃれついてくるのだった。まあ、めんどくさいなと、思わない訳ではない。それでも全力で拒否する程サスケもそれが嫌いではないというのが、些か複雑ではあるけれども正直なところだ。
研修医であるサスケは日々多忙を極めていたし、スポーツ選手であるナルトもシーズンが始まると、練習や遠征で家を空けることが多くなってきた。だから一緒に暮らしているといっても実際のところは、顔を見れない日も結構多い。習慣の違いや些細な感覚の違いでぶつかり合う事も少なくないけれど、それでも楽しい事の方が多かった。…………昔から協調性に欠けている(と、いのだけでなく各方面からしょっちゅう言われる)自分にしては、わりと頑張っているのではないかと思う。ナルトはナルトで、多分サスケとはまた違う言い分があるだろうが。
そんなまだ妙にお互い新鮮な気分の中やってきた、2月14日。考えてみればお祭り好きである彼が、この恋人同士の為の一大イベントに乗じない訳がないのだった。ゆえに仕事から帰ったサスケがドアを開け「ただいま」を言った次の瞬間、玄関先で待ち構えていた大男にがっちり腕を掴まれたのは、元々十分に想定できた事だったのだ。そうしてから問答無用で同居と同時にふたりで購入したソファ(ナルトは二人用のラブソファを主張したが、結局長身の男がのびのびと寛ぐには不都合が多いとの理由で、サスケの選んだ三人掛けのロングソファが採用された)に連行され、今日一日勤務先でのべつまくなしに差し出されるチョコレートを断り続けグッタリしていたサスケは、照れ笑いを浮かべる恋人からトドメを刺すようにギブミーチョコレートと手を出され、今に至っている。
「でもさ、やっぱこういうイベントってなんか恋人っぽくていいなって」
「俗物」
「……いいもん俗物で。こういうのは盛り上がったもん勝ちだってばよ」
「阿呆くさ。だいたいがチョコなんてお前、売るほど持ってんじゃねえか。そんだけ貰ったんならもう充分だろ、余計に増やすような事ばっか言ってないで、まずは在庫をどうするか考えろよ」
言いながらチラリと間続きに見えるダイニングの片隅に目をやると、そこには暖房を避けるように、ドカリと大きなダンボール箱が置かれていた。中身は全て、ホッケーチームの運営事務所に届けられたナルトのファンからのチョコレートだ。センターフォワードというポジションは然ることながら容姿も目立つ彼は、今やチーム1の人気選手であるらしい。結構なことだなとちょっと鼻白みながら、サスケはついっと横を向いた。
「えっ……もしかして、妬いてんの?」と妙に嬉しそうなナルトに「はあ?馬鹿も休み休み言え」と冷たくあしらうと、一瞬膨らんでいたナルトの陽気は、途端にぷしゅんと潰された。
ぺしゃんこになった期待にまた息を吹き込むかのように、めげることなくナルトはゆっくりと腰をおろしては、「……よし、わかった」と言う。
「わかってくれたか」
「うん。実はこうなるであろうことは、オレってば既に予想してたんだ」
「なので、プランBでいこうと思うってば」という妙にかしこまって言うナルトに「あァ?プランBだァ?」と眉を寄せると、ニヤリと笑った彼の手の中にはどこから取り出したのか、気が付けば金の小箱がすっと手品のように現れ握られていた。昔いのに貰ったものと形は似ているが、流石にこちらは買ってきたものらしい。金で箔押しされた表の蓋には、濃いブラウンで有名なチョコレートメゾンの名前が印字されている。
「……なんだこれは」
ボソリと呟くと、小箱を差し出したナルトは照れたようにぽっと頬を染め、「なにって、見ての通りチョコだってば」と説明した。
「まさか、自分で買ってきたのか?」というおそるおそるの問いかけに、180を越える大男が「当たり前だろ、サスケにせがんでおきながら、オレだけがあげないのは悪いからな。ちゃんと心を込めて、自分で選んできたってばよ!」などと照れたように頭を掻く。
「――お前はまた、なんちゅう恥ずかしい事を……!」
「え?いやいや、そうでもなかったってばよ?この店普通にバレンタイン以外のお客さんもいたし」
「俺は甘いものがダメだとお前知ってんだろうが。それなのになんでわざわざ買ってきたんだ」
「うん、だからコレ一回お前に渡すから、そのまま今度はサスケからオレにコレちょーだい?そしたらさ、お前はチョコ食わないで済むしオレからもチョコあげれるし。そしてオレも、お前からチョコが貰える。一石三鳥だと思わねえ?」
いい考えだろ!と晴ればれとするナルトに(それってなんか虚しくないか?)と思ったが、これ以上言えば面倒になるのは目に見えていたので、サスケは敢えてそのまま口を噤んだ。
了承した、という代わりについっと出された金の箱を引き取ると、それを見たナルトが嬉しげに笑う。
「よっしゃ、これでオレからはチョコあげたからな!」
「……で、このままお前に返せばいいんだな?」
「あっ、いやいやそのまま突き返すのは無いだろ。少しはサスケの方でも手を加えてくんねーとさ」
あァ?なんだとそんなの聞いてねえぞ、と途端に不機嫌になると、そんなサスケに構う事なく、ナルトはにんまりとどこか企むような笑みを浮かべた。
そうしてからチョイチョイと自分の顔を指差すと、かぱっと口を開いてみせ、
「なにもあれこれアレンジを加えろっていうわけじゃねえよ。オレ口開けてるからさ、サスケの手でオレに食べさせて?」
などと言う。
「はあ?なに甘えた事抜かしてんだ、自分で食え」
「だってこのままコレ自分で食うのは流石にイタすぎンだろ!?」
「……気付いてたのか」
「……自覚はあります」
座ったソファで気まずげに肩をすぼめるナルトに、サスケはふかぶかと溜息をついた。
「……ったく、仕方ねえな」と絆されると、上目使いで窺っていた碧眼がぱっと華やぐ。
マジかよ、やったあ!と浮かれるナルトを前に小箱を開けると、中からはやはりかつて貰ったのと同じような、綺麗に型取りされたチョコレートが三粒きちんと分けられ収まっていた。ふわりと漂ってくるカカオの香り。今度は確実に甘さの含まれるそれに鼻先をくすぐられつつ、おもむろにひとつ指先で摘む。
おら、口開けろとぞんざいに告げると、気にした様子もなくナルトは素直に「あーん」と口を開いた。
「ちゃんと一個ずつな?」
「……」
「みっつとも全部、こうやって食べさせてくれってばよ?」
「つべこべうるさい。黙って口開けてろ」
待ちながらもあれこれ注文をつけようとするナルトにピシャリと制すると、今度こそナルトはへへへと笑い、改めてあんぐりと口を開けた。
ついでのように伏せられた金の睫毛が、頬に明るい影を落とす。大人の男らしく精悍になった筈の顔は目を閉じていても充分にでれっとやに下がり、短くなった金髪までもがふわふわと期待に浮ついているようだ。
(……こいつ、どうしてオレの前だとこうも締まりがなくなっちまうんだろうな……)
確かこないだまた特集されていた雑誌の記事では、『甘いマスクの下にある鋼の心と肉体が云々』みたいな事が書いてあった筈なんだが、などとガックリと思いつつ、サスケは目の前で口を開ける、無防備な恋人を眺めた。
光で溢れるアリーナで威風堂々と風を切っている時などは、うっかり惚れ惚れしてしまうような事さえあるのに。しかし一旦サスケと二人きりになった途端、この大男は甘えてくるわ我侭は言うわ、子供のような言動を恥ずかしげもなく晒してくる。
臆面もなく「あーん」と開けられた口許は、どうにもゆるゆるで間抜けに見えた。
うんざりする程のお調子者だし、言動はどう取り繕ってみても知性的とは到底言えないし。
見た目こそそれなりに逞しく成長したけれども肝心の中身は出会った頃のまま、相も変わらずのウスラトンカチだ。
…………しみじみそんな事を思っているとふと悪戯心が湧いてきて、サスケは黙ったまま、音を立てないよう注意しながら手にしていたチョコレートを箱に戻した。ぴたりと目を閉じて、期待に頬を染めるにやけ顔。その顔を確かめるとそろりと腕を伸ばし、ちょっと上向きの鼻にデコピンの要領で指を構える。
そうしてから狙いを定めると、サスケはおもむろに(ぴしっ!)とその先端を弾きあげた。
「ふゴッ……!!?」
痛みよりも衝撃の方が強かったのだろう。おかしな悲鳴と共に開けられていた口が僅かに閉じると、サスケはすかさずそこにチュッと唇を寄せた。離れた顔が、青い目を滲ませ呆然とする。鼻先を赤くするその間抜け面に満足すると、サスケはクククと喉を鳴らした。
「なんだその声。油断しすぎだ、バーカ」
「なっ……」
「甘くなくて残念だったか?」
悠然としてそう言うと、むうっとむくれた表情になったナルトが、ずいっと長い腕を伸ばしてきた。
緩めたままでぶら下がっていたネクタイが迷う事なく掴まれると、ぐんとそれが引き寄せられ抵抗する間もなく唇がナルトのそれに塞がれる。
最初から深くまで差し込まれ、息継ぎさえも許さないというようなキスに攻めたてられると、思わず
「ん、ァ……ッ」
という鼻に抜けるような声が漏れた。
「……そんな声出しちゃって。サスケこそ油断大敵だってばよ」
という意趣返しのような揶揄にムカッとくるも、言い返す前に再び手綱のようにネクタイが引っ張られ、文句を押し込めるかのように熱い舌が無遠慮に入ってくる。
ぬるついた舌は我が物顔で口内を味わい尽くし、空いた方の手は周到に逃げ場を塞ぐように、サスケの項から首筋へと添えられていた。
甘い水音に、鼓膜が痺れる。固い指先が髪に差し込まれると、ぞくりとした快感にサスケは肩を震わせた。ひとつだけしかボタンの開いていないワイシャツの衿口から、無理矢理に手が入ってくる。逃げるように軽く体をよじると、躾けるかのようにネクタイがまたぐっと手元に引かれた。熱を持った指先が背骨の一番上にある窪みをもどかしげに撫でる。ナルトのセックスは執拗なまでに丁寧だ。そのまま首筋を甘やかすように往復されると、覚え込まされた期待と予感から、スラックスに包まれたままのサスケの下腹部は徐々に切なくなってくる。
「――な……いい?」
さんざん溶かされいよいよお互いこのままじゃ済まない気分になってきた頃、ようやく離れたナルトが掠れた声で訊いてきた。
どうやら彼はチョコレートよりも、先に食べたいものを見つけたらしい。
「――おい、それで俺からのバレンタインプレゼントは?」
「ん?」
「感想だけ聞かせろよ」
「んー……あ、ネクタイって便利だな!」
「…………(ああそうかよ)」
【end】
結構というか、だいぶ楽しく暮らしてます。
(ナルト視点&おふたりのお食事風景は『あまくてとろとろ』にてどうぞ)