Strawberry on the Shortcake 1

指定された時間よりもかなり早くに訪れたそのコンビニは、深々と冷えていく夜の街の中、くっきりとした明るさで建っていた。たっぷり巻いたマフラーに顎を埋め、自動ドアの前に立つ。扉が開くと同時に、中からは気の早いクリスマスソングが漏れ出してきた。
……一歩踏み込んだ、真っ白なタイルの床は今日もピカピカだ。ここには相変わらず、徹底した清潔が保たれている。
っらっしゃいませこんにちはー、と少し間延びしたようなお決まりの挨拶と共に、入口付近で品出しをしているざんぎりオカッパの男が振り返った。オレを確認するとあからさまに(わー…)という顔をして、そっとレジカウンターの中の男をちらりと窺う。
その目の動きを追うように、オレはカウンター内で立つ青縞のユニフォームを黙視した。
意味もなく、遠回りして『レジ休止中』の札の出してあるカウンター前を通る。出来るだけ大きく空気を動かすようにわざと大股に肩を揺らして歩くと、流石にそれに気が付いたのかぴくりと柳眉が動き、まっくろな眼がほんの少しだけ前髪の下から現れた。まっすぐな鼻梁は今日も冷たい。絶対に気が付いたはずなのに、するりと無視して再びクリップボードに目を落とす。
ぐるっと店内を回るようにしてガラス張りの一角にたどり着くと、オレは色とりどりな表紙で賑わう雑誌コーナーを見渡した。
整頓されきちんと最新の雑誌が前にくるよう配置された棚は、他のコンビニにあるような端の折れた雑誌は一冊も見当たらない。キャンペーン中の棚は心躍る展示がされているし、食品の陳列棚は入れ替え時間前で品が少なくなっているにもかかわらず、淋しい印象にならないよう並べ方に配慮がされている。いつもながら文句の付けようがない店だ。きっとあのカウンター内の帝王が、抜かり無く目を配っている成果だろう。
(……だけどよぉ)
面白くない気分を抑えながら、オレはいつも通り漫画雑誌を手に取った。カウンターの向こう側に立つ、ムカつく二枚目をじっと睨み、苛立ち混じりの鼻息をふんと漏らす。
こんにゃろう、小馬鹿にしている相手とはいえ、一応今はお客様なんだぜオレってば。
バイトリーダーならせめて、「いらっしゃいませ」位は言いやがれっての。

  * * *

オレはいい、とそいつは言ったのだった。
差し出された手を眼下に見下ろして。自分の手は制服のズボンのポケットに突っ込んだまま。
「タレントだかなんだか知らねえけど、オレ別にあんたの事好きじゃねえし。ファンでもないのに、なんで男の手なんて握りたいと思うんだ?」
「―――ハイ?」
言われたことのない台詞に、思わず敬語で聞き返した。瞬間、周りを取り囲んでいたメイクさんやマネージャーやカメラマンや監督やら、とにかくその場にいたスタッフ全員が凍りついたと思う。
慌ててとりなすように奴の横にいたざんぎりオカッパ君がヤツを横に押しのけ、ずずいと前に出て「いやっ、光栄です!わ~、いい記念になったなあ!」と納めどころのわからなくなっていたオレの手をむぎゅっと掴んだ。もうひとり、勤務時間でもなかったらしいのに野次馬根性で見に来ていた赤い髪の女も「…あっ、う、うちも次!次お願いしま~す!」と白々しく叫びながらその後ろに並ぶ。ふたりに続くようにして最後にはなんだか妙に老成した雰囲気のでかい男が困ったような顔で、(じゃあ、まあ、オレも一応)といった感じで列の最後尾に並んだ。「あらあら、ほんとに、サスケくんたら」という声に首を巡らせると、そんなバイト達を少し離れた所からニコニコ(というよりニタニタ?)眺める、ちょっとオカマっぽいオーナー。その隣には、店長だといういかにも胃が弱そうな男(オーナーが別にいるということは彼は雇われ店長なのだろうか)が、丸い眼鏡にヒビが入りそうなほどの恐慌に陥っている。
季節は丁度、秋と冬の狭間といったところか。
11月もまもなく終わるかという、北風吹き荒ぶある日の事だ。

「―――あのォ、握手してもらってもいいですか?」

エキストラで入っていた女性からそう言われた時オレはもうすっかり帰る気満々で、現場の監督に長々挨拶しているマネージャーに(まだかなあ、早く帰りたいってば)とぼんやりと眺めているところだった。製作中のミニドラマの撮影をするために訪れていた、深夜のコンビニで。そんなに難しい撮影ではなかったけれど時間も遅かったしその日は昼間から撮影続きだったから、オレの顔はもう完全にOFFモードになっていたと思う。急いでそれを引き締めてニッコリと撮影用の笑顔を作り上げ、オレは鷹揚に振り返った。
「もちろん、いいってばよ」
「あの、あとサインも……」
あらかじめ用意してきていたのだろう、そう言いながら後ろから色紙を出してきた彼女に慣れた手順でサインをし手を差し出すと、嬉しげに頬を染めながら彼女はオレの手を両手でしっかと握ってきた。「私前からナルトさんの大ファンだったんです~!!」と裏返ったような声で小さく叫ぶ彼女に、えっ、ホントに?いや~うれしいってばよ、ありがと~、とお決まりの返しをする。
ふとそんな華やいだ雰囲気の彼女の背後にスラリとした青縞のシルエットが見えて、オレは満面の笑みを浮かべる女性からちょっと目を離した。本音をいえば、つらつらと情熱的な語りを始めた彼女との会話にちょっと目処をつけたかったというのもある。オレ達の様子をじっと見ていたらしい彼に、その時のオレは深く考えることなく声を掛けたのだった。

「―――あ、そっちの彼もサイン?」
「……」
「じゃなくて、握手?別に遠慮しなくてもいいってばよ」

そう言って笑顔を浮かべたまま「ん、」と手を差し出したオレを、そいつは怖いくらい冷ややかな目でじっと見定めた。撮影している間、実際の店舗スタッフは奥の方で作業していたようだったから全然気がつかなかったけれど、ちょっと目を見張る程の美形だ。身に着けている冴えないコンビニのユニフォームが、細身の体躯に嫌味なくらいスッキリと爽やかに映えていた。多分二枚目ってのは、こういう奴にこそ相応しい言葉なんだろう。そんなことを思いつつ、ネームプレートに印字された「アルバイトリーダー」の文字を見た。ふうん、リーダーねえ。うわ、「うちは」だって。めっずらしい苗字。
差し出されたオレの手を、そいつはちょっと眇めた目でしばらく眺めていた。
やがてなんだかいつもと勝手が違うような…?とオレの笑顔がこわばり始めた頃、言い放たれた科白が冒頭の「それ」である。

(おのれ、『バイト・うちは』め……!!)

思い出せばまた腹の底がグツグツと煮立ちそうになりながら、オレは雑誌の影から再びそのクールな横顔を睨んだ。黒縁の伊達眼鏡が視界を阻む。こんな変装をしていることすら、ヤツにとっては嘲りの種になってるかもしれないと思うと、更に腹立たしい。
オレだってなあ…!オレだって別に、好きであんなサイン配ったり握手しまくったりしてる訳じゃねーんだ!これはその、事務所というか、社長が言うからだな、仕方なくやってんの。社長っつーか、まあそれオレの父ちゃんなんだけど。かつて一世を風靡して伝説のアイドルと言われた父親と舞台女優を母をもつオレは、いわゆる二世タレントというやつだ。何もわからない赤ん坊の頃からモデルとしてちょいちょい映像に出ていたこともあって、十代半ば頃には自然と父親の運営している芸能事務所でタレントとしての仕事をもらっていた。年齢の割に芸歴が長いだけあって、知名度はそこそこだと思う。自慢じゃないけど好感度ランキングなんかでも、いつも結構上位にランクインされてるし。
だから実際本当にサインねだられたり握手してくださいってのは、やたらほうぼうで言われるのだ。
自意識過剰に見えるかもしんないけど、これも人気商売としてのサービスのひとつだって(社長兼父ちゃんが)いうんだからしょーがねえだろが!

「なんていうか―――精が出ますね、今日も」

労わりというよりむしろ哀れみのこもった声に振り返ると、いつの間に来ていたのか後ろで「バイト・鬼灯」が苦笑いを浮かべていた。いやまあ、うちは別にいいんすけどね。深夜の撮影までは普通に営業してるだけだから、単純に先に来て買い物してもらえんなら売上あがるってだけだし。
「つーか、まだ続けるつもりっすか?サスケは多分、変わらないと思うけど」
「ったり前だってばよ。ぜってー最終日までにアイツの手ェ握り締めて、ぎゅうぎゅうやってやる」
泣いても放してやんねーかんな、と呟くと、事務所的にそれはOKなんですかと呆れたようにそのバイト君は言った。OKじゃないかもしれないから、わざわざマネージャーにも内緒でここに来ているのだ。このまま引き下がるなんて、絶対に我慢ならない。
あの日、結局最後までヤツはポケットから手を出さなかった。気遣いなバイト達との気まずい握手会が一通り終わり、再び前に来たアイツにオレは果敢にも再度手を出したのに。なんだかもう、芸能人としての意地を賭けた勝負みたいな心持ちにさえなっていた。最早笑顔も消え失せて、挑戦者としての目線しか送れなくなっていたオレの内側では、この潔癖そうなクールビューティーをどうにか屈服させたいという強烈な欲望が渦巻いていた。
そんなオレに、ヤツは悪びれる事なく再び言い放ったのだ。
「だから、オレはいいって言ってんだろ。その手を引っ込めろよ。―――見ず知らずの他人なんかと無差別に握手なんてしたい奴なんて、いるわけねえだろ」

(―――これは挑戦だ。ジャ●ーズに対する宣戦布告だ)
再度の挑戦もあっさりと退けられた瞬間、オレは決意した。
絶対こいつと握手してやる。あのなまっ白い手を掴んで、渾身の力を込めて握り締めて、魅惑のアイドルスマイルであのスカし顔を覗き込んでやる。そう思い、深夜の撮影時間よりも数時間も早くからこのコンビニに現れるようになって数日。もちろんこちらから「握手してください」とか言うなんてのは言語道断だ。芸能人の沽券に関わる。あくまで、向こうから出してきた手を捕まえなくては意味がない。大丈夫、チャンスならあるのだ。
(よし―――いくぞ)
開設されたレジにヤツが入ったのを確認すると、オレは読んでた雑誌を置きカウンター前の棚に陳列されているタブレットミントをひとつぞんざいに取った。缶コーヒー1本だけを袋も無しに買っていくサラリーマンの会計を待つように、その後ろに並ぶ。
立ち去り際サラリーマンがちらりとこちらを見て(あれっ?)という顔をするのも相手にせず、ただまっすぐに冷めたまなざしでこちらを見るヤツを睨めつけた。
「これ、」
几帳面なフィルムに包まれたミントのケースを差し出すと、無表情な視線がそれに落ちた。長くて細い指が優雅に動いて、それを受け取る。袋はご入用ですか?という決まり文句が言われる前に「そのままでいいってば」と告げると、それにも無反応なままハンディタイプのバーコードリーダーが品物に当てられた。短い電子音。いつの間に準備されていたのか、店のイメージカラーが印刷されたテープがそのバーコード部分にぺたり。ご丁寧にも後で剥がし易いよう、端が少しだけ折られている。……こーゆー抜かりないサービスがまたこいつの『デキル感』を上げていてムカつくのだ。そりゃこうしてくれていた方が確かにちょっと嬉しいんだけど!
「お会計210円です」
低いけどなんだか妙に涼やかな印象のある声が、感情もなく告げる。
ぱしん、と音をたてて曇りない500円玉を白いカウンターに置くと、切れ長の瞳が瞬間じっとそれを確かめた。しゅ、と乾いた音をたててそれがカウンターを滑り、ヤツの手の内に落ちる。500円お預かりします、と言った時には、既にその手にはお釣りが用意されており、遅れてレジスターから出てきたレシートがピッと取られ、差し出したこちらの手のひらにヒラリと載せられる。
チャリ、とヤツの指先でコインの擦れる音がする―――今だ!!

「………290円のお返しです」

アリガトウゴザイマシタ、という無感動な声と共に、次の瞬間、クシャリとしわくちゃになったレシートとお釣りだけを握りしめたオレの手のひらが虚しく宙に浮いていた。白い指先は颯爽とオレの追求から逃れ、何事もなかったかのようにカウンターの奥に落ち着いている。
にゃろ……あいっかわらずクッソ速え……!!!
「ぶぶっ」
堪えきれなくなったかのような吹き出す音に後ろを見ると、離れたところで本日の一騎打ちを見守っていたらしき『バイト・鬼灯』が腹を抱えて震えていた。憮然としたまま、そちらへ足を向ける。ツンケンとしたヤツと違って、こっちの彼は随分と親しみやすい。ちょっと他人を面白がるきらいはあるけれど、なんともいえず憎めないキャラだ。最初はオレの事を物珍しそうに見ていた彼も、ここ数日通っているうちに随分と遠慮がなくなってきた。
「あれってどう考えても握手とは言わないって。ただ単にサスケの手を握りたいだけじゃん」
「いーんだってば!」
「ほんと、おもしろいわーうずまきサン。TVで見てる時はこんなキャラだとは思わなかったなー」
砕けた笑いを浮かべながら、そのバイト君は冷蔵の商品棚で少なくなってきているお弁当を見渡すと、その中のいくつかを迷う事なくピックアップした。ひょいひょいと籠に放り込んでいく彼に、「何してんの?」と深い意味もなく尋ねる。
「買うの?それが晩メシ?」
「まさか、余程の大食いでもなきゃこんな食べらんないよ。これは廃棄するのを選んでんの」
これあともうちょいで賞味期限が切れちゃうから、その前にね、と棚から目を離さないままで言うバイト君のカゴの中には、結構な量のお弁当や冷蔵スイーツが入っていた。こんなに?と驚くと、そ、こんなに。と気の入ってない様子でバイト君が応える。
「もったいなー…!」
「でしょー?」
「捨てちゃう位なら割引したりして売っちゃえば?スーパーとかってそうしてんじゃん」
「それもできないんスよ。本社がうるさくて」
今ってちょっとなんかあるとすぐにクレームきちゃうし、たまたま重なったよくわかんない腹痛とかでも、うちのせいとか言われちゃったら困るから。
そんな事を説明するバイト君にふーん、と相槌を打ちつつ、カゴを覗く。ぽいっと適当にまた中に入れられたのは、見栄えよく丁寧にパッキングされたショートケーキだった。斜めに傾げたせいで、三角の角がちょっと潰れる。でも上に載っているイチゴはまだ赤々としたツヤをたたえていて、充分美味しそうだ。
「まだ全然いけそうなのに、それも捨てちゃうんだ?」
「捨てちゃうんです」
「あっ、じゃあオレ買おっかな、それ。買うよ」
やっぱケーキはイチゴショートだよな~と気安く籠の中に手を伸ばそうとすると、それを察したバイト君はすいっとそれを躱し、プラスチックのパッケージに貼られたラベルを確かめた。そうしてちょっと制服の袖をめくって、そこにある腕時計を検める。
釣られるようにして覗き込むと、意外にしっかりとした力のありそうな手首に巻かれたダイバーズウォッチの秒針が、「12」のところをきっちりと回ったのが見えた。
その瞬間、「ハイ残念。これたった今、賞味期限切れました」とバイト君がすぱっと宣言する。
「えーっ!?アリかよそれ、嫌がらせ?」
「違うって、マジでこれが決まりなの。それになんかあったら困るでしょ、特にアナタは」
「特にって?」
「ニュースになっちゃうし、それに撮影とかうずまきサンがいなきゃ進まないじゃない。周りが迷惑するって」
「―――あの…」
複雑な気分を抱きながらもお弁当コーナーでしばしの立ち話をしていると、細く高い声がおずおずといった感じでオレとバイト君の間に入ってきた。む、この声色、この気配。フルーティーでふわふわしたあまーい香り。
「……なに?」
瞬時に気の抜けていた顔を引っ込めて、オレは呼びかけられた方を向いた。
予想通りだ。そこに立つのは、メレンゲみたいなきめ細かいほっぺたを上気させた女子高生。
「えっと、もしかして。うずまきナルトさん、ですよね?」
「あー……そうだけど」
わあ、やっぱそうだあ…!!
もったいぶった仕草で答えると、感に耐えないといった様子でその女子高生は両手で口許を覆った。見る間に目が潤み、ふるふるとブレザーの肩が震える。
そうだこれだよ…これが正しいアイドルとの遭遇場面だってばよ…!!
「握手してもらえますか…?」
「はいはい」
「しゃ、写メもいいですか…!?」
「いいよー」
本当は画像はあんまり良くないんだけど、なんとなく気分がのっていたオレはそのまま彼女に肩を寄せてスマホのファインダーに収まった。感激した様子の彼女は、「ありがとうございましたっ」とドギマギしながらお辞儀をして小走りに店を出て行く。
「……かっわいー」
「だろだろ?」
「あ、なんか復活してるし」
そうしてしゃんとしてたらやっぱアイドルに見えますね、などと言ったバイト君をちょっと睨んで、オレはちらりとカウンターに立つヤツの様子をうかがった。
毛筋ひとつほども乱されていない横顔。どこか先程までのオレと女子高生のやり取りを、バカにしているようにも見える。
「じゃあ普段オレってばどんな風に見えてんだよ」
そう尋ねたオレにバイト君は「んー?」と少し考えたあと、「なんていうか、どこにでもいるただのにーちゃん?」とてらいもなく言った。あんぐりと口を開けたオレに、「芸能人のオーラゼロだね」とにこにこ追い討ちをかける。
「ゼロ!?」
「うん、サスケの方が余程オーラあるし」
「……お前らなんでアイツの事そんな好きなの?なんだか知らねーけど、やたらアイツここで大事にされてるよな。リーダーつったって、ただのバイトだろ?」
脱力したままそう訊いたオレに、バイト君はちょっとだけ動きを止めきょとんとしたが、すぐにニヤリとした笑いを浮かべた。まーね、オレらサスケがいるからここのバイト続けてるようなもんだし、などと言うから再び呆気に取られる。
「―――えっ、なにそれなんで」
「なんでって。サスケかっこいいし、キレイだし、かわいいし」
「見た目ばっかじゃん!」
「あ、そんな事ないない。彼言葉が足りないからどうしても誤解されちゃうだけで。ホントは最初うずまきサンに言ったのも…」
そうバイト君が言いかけたところで、カウンターの方から「いい加減にしろよ、水月」という声が投げかけられた。「いつまで油売ってんだ」と言うヤツは、何をチェックしているのか目線を落としたままだ。
「ホントはって?」
「あー…まあいいや、撮影もあと2日だけでしょ。ほら、スタッフさん達も来たみたいだよ」
言われてウィンドウの向こうを見ると、確かに機材を積んでいる見知ったワゴンが、丁度コンビニの駐車場に到着したところのようだった。こちらに気が付いたスタッフが、助手席の窓を開けて陽気に手を振ってくる。
へらへらとそっちに手を振り返しながら、オレは買ったばかりのミントをポケットに仕舞い自動ドアの前に立った。ガカーッ、という引き攣れたような音をたてて扉が開く。「今日も早いっすねーナルト君」という気安い声が、ワゴンの中から掛けられた。顔見知りのスタッフの吐く息が、煌々としたコンビニの光を跳ね返すように白く煙る。
伊達で掛けてた黒縁のウェリントンを外しながら、そちらに向かいゆったりとオレは歩き出した。
『オーラ、ねぇ』と思いつつ、指紋ひとつないウィンドウに映る自分の姿を、ちょっと確かめた。

「父ちゃん、芸能人のオーラってどんなんだろう」
箸を動かす合間にぽとりと落とした問いかけは、幸せそうに愛妻の手料理を頬張っていた父親の動きを止めさせるには、充分に浮いた質問だったようだ。いつまで経っても中年らしさの臭わないハンサムが、呆気に取られたように顔を上げる。カウンターの向こう側にあるキッチンでサラダを盛り付けていた母親までもが、ポカンとしてこちらを見た。
「オーラ?」
「うん。それってば何色?」
「……なに、なんかそういう企画の番組に出たんだっけ?」
おかしいな、ナルトのスケジュールはオレ完璧に把握してるはずなのにと首をひねる父親に、オレは「違う違う、そんなんじゃないってば」と苦笑した。そんなオレ達を可笑しそうに眺めて、山盛りになったサラダのボウルを持った母親がキッチンから出てくる。
久しぶりに家族三人が揃った食卓には、賑やかな晩餐が彩り豊かに広げられていた。ここのところ各々忙しくて中々全員で食事が出来る時がなかったから、きっと鬱憤じみたものも溜まっていたのだろう。湯気を立ちのぼらせる皿達はどれも全部食欲を駆り立てたが、料理好きな母親がここぞとばかりに腕を振るったために、その量は三人だけの食事にしてはいささかボリュームがありすぎるようだった。それでもきっと、多少の無理はしてでもこの料理は、最後は父親が全部胃の中に収めるのだろう。仕事柄いつまでも年齢不詳なうちの両親は、いまだに熱烈恋愛中だ。
「なんだってばね急に。相変わらず唐突に変な事言うわー、うちの息子は」
「なんだよ、『プッツン女優』なんて呼ばれてる母ちゃんにだけは言われたくないってばよ」
「あっ、それってばうちでは禁句って言ったのに!」
「そうだよ、クシナはプッツンなんかじゃないよ。ただちょっぴり過度に情熱的なだけなんだから」
ミナトまで!と椅子からちょっと腰を浮かせた妻に、すかさず父ちゃんが「でもお母さんはそこが最高なんじゃないか」とにこりとした。自身ももう40過ぎだし、そもそもこの父とはもう20年近く連れ添っているくせに、膨れた頬をトマトみたいに赤く染めた母親はその言葉にもじもじと腰を下ろす。
なんだかなあ、この夫婦ってなあ。生ぬるい視線を送りながら箸を咥えていると、「ナルト!舐め箸しない!」と普段に戻った母ちゃんからの注意が飛んだ。ああ、オレにも父ちゃんと同じ位のスキルがあればいいのに。顔色ひとつ変えずに瞬殺の殺し文句を口にする父(←元伝説のアイドル)には、到底追いつける気がしない。
「まったく、どこで誰に見られてるかわからないんだから。家で行儀悪くしてると、無意識のうちに外でもやっちゃうってばね」
「あーはいはい、大丈夫だって。なにしろオレってばオーラゼロらしいから」
「ああ、さっきの話?」
なに?誰かに何か言われでもしたの?
そう言って覗き込んできた碧眼に、むうっと口先がとんがった。んん?と尋ねてくる瞳は、オレと同じ色だ。だけど中にある星の数の差は歴然で、現役を退いていてもきらきらしいその輝きが今日は特に眩しい。
「今ミニドラマの製作でさ、深夜のコンビニを借りて撮影してるんだけど」
「ん、聞いてるよ。なんかナルト、随分とそこの店を気に入ってるんだって?」
「ふうん、コンビニを?」
「そう、撮影前から現場入りして買い物したりしてるみたいだって、今日テンゾウ君が」
「へえ!めっずらしいってばね、いつも時間ギリギリのナルトが!」
「今日もゴハン食べたら夜行くんでしょ?また早目に行くの?」
「いや、行くけどそんな気に入ってるってわけじゃ……」
どうやら秘密裏に行っていたオレの動向は、実際は全部事務所の方に筒抜けになっていたらしい。父の口から出た敏腕マネージャーの名前に、オレはもそもそと口の中の食べ物を飲み込んだ。「それでそれで?」とポップコーンみたいに矢継ぎ早に弾ける会話に、エプロンを外した母親が身を乗り出してくる。長く櫛られた髪が、オレンジがかったダイニングの電灯の下で赤々と照っていた。腰まである髪は間違いなくすごく手入れが面倒なんだろうけれど、オレは母親が髪を背中より短くするのを見たことがない。多分、この髪がとても好きだと公言して憚らない父に柄にもなく忠義立てしているのだ。なんだかんだ言っても、母親もこの父にぞっこん惚れている。
「そこのバイト君がさ、オレよりもそのコンビニのバイトリーダーの方が、オーラあるって言ってて」
―――オレは『そこらへんにいるただのにーちゃん』みたいだってさ。
目線を落としたまま尖らした口先でそう告げると、一瞬だけしんとした沈黙が明るい食卓に落ちた。
静かになってしまった両親をそろりと見上げると、上目遣いになった視線の先で並んだ肩が小刻みに震えている。
「やだ、ナルトってばそんな事言われたの?」
「うん」
「それで、それを気にしてるんだ?」
「別に、そういう訳じゃないけど……」
ちょっと居心地悪く思いながら憮然顔になると、それを見た両親は堪えきれなくなったかのように息を漏らした。くつくつと品良く笑う父親の横で腹を抱える母は、「ぐあっはっは!」と豪快な声をあげている。なんだよなんだよ、人が言いにくい事を打ち明けたってのに。ていうか母ちゃんの笑い方ってほんとデリカシーの欠片もないってば…こんなんでよく美人女優だなんて言えたもんだ。いやまあ、あんまりそれは言われる事ないか。どちらかといえばこの人は『演技派』と言われる事のほうが多い。
「合ってる合ってる、確かにアンタにはそういうオーラはないってばね!」
「ちょっ…母ちゃん!?」
「でも、だァいじょーぶ!!あたしにもそれないから!」
「そういう問題じゃないってばよ!」
「いや、そういう問題だよナルト。いいじゃないか、そんなオーラなんて無くても」
だってナルトはそのナルトらしいとこがいいんじゃないか、気にする事なんかないよ。
そう取りなす父親に微笑まれて、オレはモソモソとぶうたれていた表情を引っ込めて椅子に乗せた尻を納め直した。そうそうアンタの売りはその親しみ易さだってばね、とまだ笑っている母親に、最後にもう一度睨みをつける。
「やたら芸能人でござい!っていう雰囲気持ってるよりも、『どこにでもいる感』ある子の方が現場では使い易いって」
「複雑だってばよ、ソレ」
「大丈夫よ、オーラなんてなかろうが他人から何言われようが、アンタは間違いなくあたしとミナトの子なんだから」
もっと自分に自信持ちなさい、と晴れやかに言う母親に、曖昧な笑顔を作り上げた。
胸を張る妻に眉を下げながら、父親がビールの注がれたグラスを傾ける。気持ちよさそうに青い瞳を細めながら滑り落ちていくアルコールにその喉仏を揺らしていたが、そのうちにふと思いついたかのようにそれを止めると、「でもさ、そのバイトリーダー君てのはそんなに雰囲気ある子なの?ナルトと同い年くらい?」と訊いてきた。その隣で大雑把な性格の割に酒に弱い母は、空けたグラスに早くも目を潤ませている。
「そんなオーラある子なら、うちの事務所に来てくれないかなあ。歌とか演技とか、興味ないかな」
「あーダメダメ、アイツ絶ッ対そういうの嫌いだと思うってばよ」
むしろ馬鹿にしてんじゃねえの、芸能人とか。カウンターの内側で無表情を貫く姿を思い出しながら、オレは吐き捨てるようにして言った。「お世話になってるロケ地の人の事を、『アイツ』なんて言っちゃダメだよ」とたしなめる父親に、「ハイハイ、わかってますよ」と適当に流す。

『―――オレはいい』

なんのためらいもなくハッキリと告げられた『拒否』が、再び鼓膜に蘇った。
あの日、あの時。
まっすぐこちらを見透かすように向けられていた、どこまでも嘘のないまなざし。
容赦ない拒絶をやり遂げた彼は、それによって自分が他人にどう思われるかだなんて、微塵も気にしていなさそうだった。オレの焦りや怒りなんて完全にどこ吹く風といったような、揺らぎ無い立ち姿。
(ちくしょう、今夜こそは絶対あのおキレイに整ったスカシ顔をぶっ壊してやる)
壁に掛けられた時計の針が、8時を回る。
今夜の対戦に備えるべく、オレはからりとキツネ色に揚げられて山と盛られた唐揚げ(母ちゃんの料理は味は文句なしだけど、盛り付けに関してはとにかく豪胆だ)に、闘志を滾らせながら箸を伸ばした。