第八話

噂には聞いていた恩師の親友だという人物は、とかく賑やかな剽軽者でよく笑う人物だった。
ハンサム――なのだと思う。
だが面白可笑しいキャラクターが災いしてか、その美形は残念な事に完全に鳴りを潜めてしまっていた。上背もあるし、黙って立っていれば結構絵になる容姿なのに、どういう理屈なのか手放しで笑うその様子に全てがおじゃんになっているようだ。
(なんちゅーか……全体的に、なァんか惜しい感じの人だってばよ……)
膨れた腹をさすりながら話の輪を抜け出したナルトは、同じくぶすりとした顔で卓から離れたサスケと共に夜風の流れる縁側に腰掛けていた。
飄々としてどこか捉えどころのない恩師と、このあっけらかんと明るい青年が一緒にいるところを想像してみたが、なんだか上手く映像が結ばない。
「あの人とカカシ先生が友達同士って、なんか不思議な感じするってば」
ついそのまま口をついた正直な感想に、こちらは正真正銘美青年である黒髪の友人は小さく鼻を鳴らした。さっきまでは間違いなく上機嫌だったようなのに、ナルトが彼の父親とあれこれ話を始めた辺りから徐々に機嫌を損ね始めたサスケに、ちょっと気遣わしげな視線を送る。
「まあな。確かにあいつらって、一緒にいてもあんま仲良しって感じでもなかったしな」
「へー…そんでも、親友なんだ?」
「よくわかんねェけどよ。あとその、さっきアイツが言ってたリンっていう人も入れて、三人でいることの方が多かったんじゃねェか」
「そのリンって人が、さっき話してたデートの相手だろ?」
「ああ、その三人がちっさい頃からの幼馴染同士なんだと。小学校からの付き合いだって前にカカシが言ってたから、もうかれこれ20年以上の付き合いになるんじゃねェの?」
「サァスケ~!ひっさしぶりじゃん、おぢさんと遊ぼう!」
後ろから急に話しかけられた声に度肝を抜かれると、振り返ったサスケの頬肉が笑う叔父の手によってぶにょっと両端に引っ張られた。
色男を木っ端微塵にするその暴挙に(あ…ダメだこの人死んだ)と一瞬本気で肝を冷やしたナルトだったが、青年は勢いよくその手を振り払って凶悪な目で睨みつけてくる甥っ子に対してもヘラヘラとするばかりで、一向に恐れる気配はない。
「てっめェオビトォ……!人のこと勝手にベラベラと喋りやがって」
「ん?なんだよ相変わらずの秘密主義だなサスケちゃん、まだ中二病真っ只中なのか?」
「っざけんなよ、誰がサスケちゃんだ!」
「まーまー、折角オトモダチが来てんだしよ、いいとこ連れてってやるから機嫌直せって」
「いいとこォ?」
「そうだな、言うならばオトコとオンナが一夜の夢を囁やき合う、愛の交歓場ってとこかな」
「「――は!?」」
「……くれぐれもフガクとミコトさんにはナイショにしとけよ?」
そう言って人差し指を立てた青年は、思わせぶりな科白と共にばちんと片目を瞑ってみせた。
絶対にやり慣れていなさそうなそのウインクは、やっぱりちょっと残念な感じがした。

     ☆

(……これは絶対に騙されたってばよ……!)
悪路に揺れるRV車の中、深い闇に向かい躊躇なくアクセルを踏む運転手の背中にナルトは不信感に満ちた視線を送った。妙に艶っぽい誘いにアホのように付いてきてしまったが、こんな山奥にそんなめくるめく世界があるとは到底思えない。
隣に座るサスケはさっきから黙ったままだ。
頬杖をついて真っ暗な外に目を遣っている彼はこういう展開に慣れているのか、それとも行き先に心当たりがあるのか。兎に角その顔は無表情で、未だこの破天荒な叔父への怒りを完全には解いていないようだった。

「わーっヤバい道が新しくなってたせいでナビが付いていけてない!なんか現在地がヘンな場所に出てるし、ここどこ!?」

行き先こそ怪しいけれど迷いのない速度とハンドル捌きに少しばかり油断していたナルトは、藪から棒に叫ばれた内容にざあっと血の気が引いた。嘘だろ、この人道も解らないのにあんなスピードで爆進してたってこと?窓から見渡す限り、辺りにはもう民家はおろか対向車さえ見当たらない。
さっきまでは確かに新しく舗装された道路を進んでいたと記憶しているが、今ひた走っているのは鬱蒼と茂った木々の間を細く切り開かれた山道で、照らす灯りは乗っている車のヘッドライトのみという頼り無さだった。

「……地図、更新してないんスか?」
「この車買った時以来してないから、もうかれこれ10年?」
「てめえはいっつも不精するからこういう時困るんだよ。自業自得だ」
「自業自得って、今はお前らも一緒に乗ってるんだからこの場合は運命共同体なんだぜ?山道に迷い込んでこのまま帰れなくなっても最後まで一緒だからな」
「ふざけんな、今すぐ戻れ!」
「無理。方向転換する場所ないもん」
「――ナルト!運転代われ!」
「それも無理!こんな真っ暗で細くて知らない道コワイってばよ……!」
「今夜は車内で寝ることになるかもな。ああ残念だな、ミコトさんの朝ごはんスゲェ美味いのに」
「ちょっ、それは嫌だって!てか迷ってんならもうちょっと悩みながらアクセル踏んでくれってば!」
「何を言う。男なら常にアクセルは全開だ」

意味の解らない訓示を述べて更に突き進む運転手に、ナルトは頭を抱えたくなった。
なんなのこの人。
どっからきてんのその根拠のない自信。
「サスケ……!大丈夫なのこれ、このヒトいっつもこんなんなの?」
抑えた掠れ声で隣に囁けば、腕を組んでうなっていたサスケはそのうちに諦めたかのように後部座席のシートにぼすんと背を沈め、深い溜息をついた。どうやら彼は、このままこの流れに身を任せる覚悟を決めたらしい。
「もう諦めろ、ナルト。こいつはやると決めたら絶対に退かないんだ。カカシがいりゃあもうちっとマシなんだが、いないもんはしょうがねェ」
「そ、そんなァ」
「まあお前らちょっと似てるし、すぐに馴れるんじゃねェか?」
「は?誰が、誰と?」
「だから、お前とオビトが。タイプ分けするとしたら、絶対同じカテゴリーに入ると思うぞ」
うんざりとした顔で闇に塗りつぶされた景色を眺めるサスケに、ナルトはハァァ!?と納得のいかない息を吐いた。
え?何?じゃあオレってばサスケの目にはこんな風に映ってるって事?
衝撃の発言にナルトは前のめり気味にハンドルを握る青年を見た。野趣溢れるドライブコースに時折バウンドする肩は楽しげで、先の見えない道行きだというのにその口許はやけに嬉しそうだ。
本当に、こんな猟奇的なヤツだと思われているのだろうか。
ちょっと、気を付けよう。小石に弾む車内で、ナルトは心密かに自戒した。
「――サスケんちって、なんか思ってたよりもすっごい普通なのな。サスケのとーちゃんもかーちゃんも仲良さそうだし」
落ちないスピードに無駄な足掻きを悟ったナルトは諦めろと言ったサスケに倣ってシートに背を預けると、家の中ではなんとなく言い出せなかった感想を告げた。「なんだ普通って」と少し皮肉げに笑ったサスケに、慌てて「あっ、嫌味とかじゃなくってな?!」と言い添える。
「お医者さんばっかの家系だって聞いてたし、なんかこう、もっとすごくセレブでカタい感じかと」
「はァ?セレブぅ?」
「でもいい意味で思ってたのと違った。すっごく、あったかい人達だ」
へへへと照れたような笑いを向ければ、サスケは照れ臭さを無理やり押し込めたような複雑な顔で「…フン」と小さく鼻を鳴らした。あ、そういやこれってばとーちゃん譲りだったんだな。つい先程、食事の席で同じ光景を見たのを思い出せば、それもなんだか微笑ましい。
「その癖、とーちゃんと一緒だな」
ついそのままで指摘をすると、途端に言われたサスケは苦虫を噛み潰したような顔になった。「俺もさっき初めて気がついた、最悪だ」と言うその声が、ガタガタと悪路を拾うタイヤに揺さぶられる。
「顔はさ、かーちゃんそっくりなのに性格はとーちゃん似なんだな。親子って面白いなー」
「まあな。顔が母親で助かったのは確かだな」
「なんで?フガクさんだって充分カッコいいってば」
「冗談だろ?あんな顎が割れてたまるか」
低く呟かれた言葉に、運転席のオビトがぶはっと吹き出すのが聴こえた。げらげらと笑うその動きに合わせ、左右に揺さぶられる車体に緊張が走る。
「ありゃあ俺らの親父からの遺伝だからな。確かに俺もあの顎はもらわなくて良かったと思ったよ」
「え?オビトさんてサスケのとーちゃんの……?」
「なんと弟なんだよね。年離れてるけど」
「うそ、信じらんねェってば!」
「だよな……俺も何度聞いても信じらんねェ」
驚愕の事実に言葉を失っているナルトにサスケも同情を禁じえないというような頷きを返した。
見た目はおろか、あまりにもキャラの違う血縁関係に開いた口が塞がらない。
「俺ら兄弟多くてさァ、一番上のフガクはやっぱザ・長男って感じで責任感強いタイプで。一族の総領息子だったから結構昔から気ィ使う事も多くて。まあ厳しいけどその分人一倍努力もする奴だから、誰も文句言えなかったけど」
「へェ…」
「俺ァ末っ子だったし、まー見ての通りあんま優等生なタイプではなかったからよ。出来のいい兄貴の影で割とほったらかし?というか期待もされてない?って感じで育ってきたから、まあ性格も正反対になって当然なんだわ」
「なるほど」
大した感慨もなさそうにつらつらとそう述べた青年に、ナルトは長い年月をかけて辿り着いたかのような諦観の念を感じた。重さのない言葉はいっそ清々しい程だ。優秀な兄の下で育ったという話に、もしかしたらこの剽軽な叔父がやたらサスケに絡むのは、単にかわいい甥っ子に構いたいというだけ以上のものがあるのかもしれないなと少しだけ思った。
さらりと話をしているけれど、ここに至るまではこの青年にも色んな葛藤があったのかもしれない。
そんな時期に、あの寝ぼけ眼の恩師は、この彼の隣にいたのだろうか。
「でもよーサスケ、フガクだってお前位の頃はまだ顎割れてなかったんだぜ?オッサンになる頃にはお前もヤバいかもな」
「――マジで?」
「マジマジ、あいつ気がついたら親父そっくりの顔になってたんだよなァ、怖ェよなー」
思わずそっと顎に手を伸ばした甥っ子をバックミラーで確認して、クククとまた肩を震わせたオビトはカーナビを見るといきなりブレーキを踏み抜いた。急停車の衝撃にがくんと揺れる車内で、全く構えのなかった二人が尻を浮かす。

「おまッ……止まるんなら止まるで何かひとこと言えよ!」
「着いた!やった、さすがやれば出来る俺!お前ら降りていいぞ!」

いそいそとドアを開けたオビトに続いて車外に出ると、そこは本当に何もない、山合いの中腹にあるちっぽけな空き地のようだった。車一台がどうにか転回出来るかどうか位のスペースの先には、獣道のような樹木のトンネルが続いているらしい。見通すことの出来ないその奥からは、さらさらという和流の音とゆっくりと点滅する灯りがぼんやりと漏れ見えた。
「なんの光だ?」
「オバッ…オバケじゃねェよな……」
「ナルト、お前やっぱオカルトダメなのか」
「フッフッフッ、未知との遭遇かもよ?」
「誰だってばそれ、ミチさんって名前の幽霊?」
「うそっ、知らねぇの!?ジェネレーションギャップ感じちゃうなァもう!」
くだらない言い合いをしながらも周到に用意されていたらしきペンライトを翳したオビトに、こっちこっちと手招きされ獣道を進むと、少し行ったところで突如として立ち込めていた林が途切れた。水音が大きくなり、一行は淡い月光に照らされた一筋の清流に出迎えられる。

「――ぅわ、あ……なにコレ、すっげェ……!」

開かれた闇に、無数の命がその身を焦がすような輝きを放っているのを見て、ナルトは湧き上がる感動のままに溜息じみた叫びを上げた。
せせらぎに沿って流れる光は、まるで幾千の星を集めた天上の川のようだ。
ふわり、またふわりと飛び交ううたかたの輝きは、てんでバラバラな動きながらひとつの大きな流れとなり、見事な星屑の帯をつくりあげていた。かと思えば、ついっと身近な闇に走る明るい筋。時折はぐれたかのように見当違いな方向へ飛んでいく光の軌跡が、塗り潰された闇の中また酷く際立って美しかった。
強弱をつけて燃やされる命が、ゆるやかなリズムを刻みながら、清かな沢を照らす。
「――蛍か」
「すっげ…!オレってばこんなん見たの初めて!」
「だろ、スゲーだろ。田舎といえどもこんな穴場は滅多にないんだぜェ」
蛍光がかった光の群れに用済みとなったペンライトを消したオビトは、鼻下を擦り上げると幻想的な光景に息を付くのも忘れている二人の後ろで、得意げにそう宣った。
な、いいとこだって言っただろ?
ニヤリと笑ったその顔が、放心状態のナルトを覗き込む。
「お前、変な期待してただろ?」
「んなっ…!しっ、してないってば!」
「……フン、ドスケベが」
つい狼狽して赤らめてしまった顔を想い人に哂われて、ナルトは俄然居た堪れない気分になった。
こういった悪戯じみたサプライズはこの青年の専売特許なのだろう。冷めた表情のサスケは、随分と早い段階でこういった展開に気が付いていたようだった。どうやら、諮られたのは自分一人だけらしい。作戦成功にニマつくオビトを恨めしく思いながら、ナルトは少し汗ばんでしまった手のひらをジーンズの腿で拭った。
「いや、でもここが愛の交歓場ってのは間違ってないんだぜ?なんたってこのチカチカは、求愛のサインなんだから」
そう言って光の川を見渡したオビトは、「この飛びまわってるヤツらの中で、オスとメスの比率ってどん位か知ってる?」と唐突に訊いてきた。「えー…半々位?」と弱々しい回答を出すナルトの横で、当たり前のような顔をしたサスケが「殆ど全部がオスだろ」と答える。
「サスケ正解!よく知ってたな」
「別に――オスの求愛行動の方が激しいのは、自然界では当たり前だし」
大げさに褒める叔父に素っ気なく返したサスケだったが、すました口先からは満更でもなさそうな空気が伝わってきた。
あ、コイツこの人の事、本当のところはかなり好きなんだな。
今更ながらにこの若々しい叔父と甥が親しみを分け合っているのを感じて、ナルトは淋しいような悔しいような、ほんの一瞬置いてけぼりにされたような気分になった。
この人は自分より先に彼と出会えていて、オレが知らない彼を沢山知っているんだ。
当たり前の事実が、なんだか胸がすうんと響く。
「蛍ってさ、二年近くかけて成虫になっても、精々二週間位しか寿命がないんだって。オスはその間食事も一切取らずに、ただひたすらに葉の影に隠れているメスを求めて光り続けるんだ。しかもさ、そのメスの数自体が元々オスの三分の一位しかいないわけ」
「うぉ…すんげー競争率だってば」
「そうでなくとも、メスの羽化はオスよりも十日も遅いんだ。だから結局、大部分のオスは交尾どころかメスに出会うことすら出来ず、夜露を胸に儚く消えていく運命なんだってさ」
――泣ける話だろ?と相槌を求めたオビトに、ナルトはがくがくと首を縦に振った。
なんと報われない命、救いのない恋なのだろう。
そう思って見ると、先程まではただひたすらに美しく見えていた群れの光が、そこに切ない情熱を孕んでいるように思えてきて益々明るく輝いて見えた。
しかし感動に胸震わせていたその時、隣に立つ黒髪の美青年の口から「なんかもう、狂気じみてんな」という呟きが漏れたのを拾ってしまうと、ナルトは思わず弾かれたかのようにその白い横顔を見る。
「なんで!どーして今の話でそんなコメント出ンの?」
「いやだって、飲まず食わずでひたすら探し回られる方の身になってみろ。ありがたさ通り越してもう怖ェよ」
「これだからモテ男ってやつは……!」
「はァ?そんなん関係ねェって。見つかったら最後、好きでもないヤツと連れ添わなきゃなんないなんて嫌すぎンだろ」
真っ向から反発する意見に顔をしかめたサスケに、後ろにいる叔父から「あ、それはちょっと違うみたいだぞ。蛍のメスは気に入らないオスが近付いてきたら断固拒否の姿勢を貫くらしい」という補足説明が入った。
あっそう、ふーんと興味なさそうに聞くサスケに、熱意を込めてナルトは言う。
「ホラ、やっぱ泣ける話だってばよ!」
「何そんな感情移入してんだお前。嫌なヤツが来たら拒否して何が悪い」
「だっ……て、かわいそじゃんか、オスの本懐も遂げず消えてくなんて」
「仕方ないだろ。縁がなかったんだから」
「縁がなくても!ちょおーっと位付き合ってくれたっていいってばよ」
「だからなんでそんなフラれ蛍に入れ込んでんだてめエは」
「入れ込んでるってゆーか、サスケこそなんでそんなドライなんだってば!」
「――話にゃ聞いてたけど、お前らホンットに仲いいんだな」
諍い合う二人を後ろから面白そうに観察していたオビトが感心したかのようにそう言うのを聞くと、口を閉じるのを忘れたふたつの顔が、揃って勢いよく振り返った。うんうん、オジさんはちゃんとわかってるゾとでも言いたそうな訳知り顔が、却って気持ち悪い。
「なんでそうなる、目が腐ってんのか」
「いや、だって二人ともスッゲ楽しそうじゃん。サスケが誰かとこんなに会話が弾んでんのって初めて見た」
「会話……と言いますか、今のを」
「いいよね、打てば返してくれる相手って」
――まるで、俺らみたいじゃん。
細めた視線で唖然とした若者達を見比べて、青年はにまりと笑った。満月みたいなしたり顔に、複雑そうに間を置いたサスケが「俺らって、まさかカカシとお前の事か?」と訊く。
「お前らだって俺にはあんま仲良さそうには見えないんだが」
「え?そう?」
「確かにカカシ先生とオビトさんって、正反対の性格してそうだってば」
「ああ、まあね。俺最初の頃、あいつの事大っ嫌いだったし――てか、今でもちょっと嫌いかも」
しれっと告白するオビトに驚きの目を向けると、蛍の群れに目を遣ったままのその顔がほんのちょっと苦んだ笑顔を結んだ。ゆっくりとした光の瞬きに、精悍な頬が照らされる。
ああ、やっぱりこの人、本当はすごく姿の好い人だ。
何かを思うようなその横顔に、美麗な友人のつくりにも似た精巧なものを見つけると、ナルトは改めて感嘆した。おちゃらけた表面に誤魔化されてしまっているけれど、正直な話、きっとこの人に真剣に迫られたら、拒否できる人はそうそういないのではないだろうか。
「……嫌い、だったんですか?」
「うん、嫌いだったね。大っっっ嫌いだったよ」
「えっと、ちなみに、その理由は?」
「だってアイツ何考えてんのかわかんなくね?やたら出来がよくてスカしてて偉そうで、あんな寝惚けた顏してるくせになーんか女にモテるしさ。たぶんあン時カカシの事嫌いな奴ランキングがあったら、俺絶対に堂々第一位だったね!」
妙な自信を漲らせてそう言い切ったオビトに、ナルトは「ハァ」とも「アァ」ともつかない返事をした。
解るような、解らないような。それにしてもなんだか変に覚えのある科白だ。
「それが何で今でも付き合ってんだ?親友なんてこっ恥ずかしい単語まで使ってさ」
「うーん、なんでだろうなァ」
「カカシ先生の方から、オビトさんに近づいてきてくれたのかってば?」
「いや、カカシはカカシで俺の事スッゲ―馬鹿にしてたからな。実際俺頭悪かったし、出来もしないことばっか口にしてたし、どーしよーもなくいい加減な奴だと思われてたんじゃね?」
へえ、と言ったサスケが、何故だかちらりと此方を見てきたのがやけに気になった。……なんだよ、なんでここでオレを見るんだよ。まさかあっちはあっちで覚えがあるとか思ってたりしないだろうな。
「カカシの奴、俺の顔みればああだこうだダメ出ししてくるしよ。まあそれがどれもこれもいちいちごもっともなもんだからまた更にムカつくというか。そうでなくともリンに惚れられてる奴っていうだけで俺がアイツを嫌う理由には充分だったんだけど」
「――待て!リンさんてカカシの事が好きだったのか!?」
奇をてらわない告白に驚かされたサスケが慌てて横槍を入れると、むしろそんな甥にちょっと驚いた様子のオビトが「お前、気付いてなかったの?」と呆れたように言った。
「アイツらが一緒にいるの見てたら、すぐに解ンじゃん。相変わらず鈍い奴だな」
言われたサスケは、開いた口が塞がらないといった様子ではくはくと音のない呼吸を繰り返している。
ひとり小さなパニックに陥っているらしい友人の横で、ナルトはナルトで茫洋とした恩師の知られざる過去に面食らっていた。あの女っ気のない、金もやる気もない、ないない尽くしのしがない高校教師が?リンさんといったら、この(本当は)ハンサムで(一応)個人医院を経営している小児科医であるこの男性が、好きで好きで熱烈にアタックし続けているという魅惑の女性の事であったはずだ。先程聞きかじったばかりではあるが、大変に優しく賢く可愛らしい女性だと聞いている。
「だからさ、俺がカカシの事嫌いだったのって、憧れの裏返しみたいなもんだったのかもな。なんでも出来て、リンからの視線を独占してるアイツが羨ましくてさ。まああっちはあっちで俺に対してなんか思うところがあったみたいで、なんかそのうちに親しくなっちまったんだけどさ」
「いやいやいや、なんかそこんとこやけに端折ってないか?」
「そうだってば、なんでそんな状況で親友になれんの?」
一足飛ばしで進められた話に揃って突っ込むと、一瞬虚を突かれたかのようなオビトが次いでくしゃりと鼻にシワを寄せた。可笑しそうに目を細める青年に、未だ話の筋がのみ込みきれないふたりが、ほんの少し憮然となる。
「――っとに、お前ら面白いなァ。おんなじような顏しやがって」
「「は?」」
「身に覚えがあんだろが、お前らだって。全然タイプ違うのに、なーんか仲良くなっちまうような奴ってのがさ。なんでか、世の中にはいるんだよなァ」
言われた言葉に思わず横目で隣を盗み見ると、同じことを考えたらしい男といきなり目が合ってしまった。ぱっと逸らされた視線とほんのちょっと尖った口先に彼の思いが感じられて、図らずも口元がむずむずと緩む。
かなり、気恥ずかしい。
けど、相当、嬉しい――かもしれない。
「それでも喧嘩ばっかしてた俺らがバラけないでいられたのは、間にリンがいてくれたからだろうな。あの捉え所のないカカシが俺らといたのも、やっぱリンの存在が大きいだろうし」
「あの……ちょっと、いいですか?」
再び語りだしたオビトに遠慮がちに割り込むと、ナルトはおずおずと挙げた手を降ろした。んん?と顏を戻したその人に、訊こうかどうしようか一瞬迷って、それでもやっぱり口を開く。
「カカシセンセー…は、リンさんの……」
「ああ、うん、好きだったと思うよ?たぶん」
――でも俺程じゃないね、絶対に。
胸を張ってそう言い切る青年に、浮ついていた思考がはっと戻された。休む事無くまたたき続けている光の群れに、その自信に満ちた立ち姿が明るく浮き上がっている。
「ご存じの通り、俺はもうガキの頃からずうっとリン一筋だからさ。もう、好きで好きで、堪んねえの。絶っ対に、それは揺るがないの。でも、カカシは――アイツは、さ。たぶんそれよりも『三人』でいる事の方を愛していたんだろうな」
「『三人』って、でも今、カカシ先生は」
「うん、だからそれを壊したんだ、俺は。『三人』よりも『二人と一人』になるのを望んだから」
独白じみた告解を終えたオビトは、それでもまっすぐに立ったままでぐらつくことはなかった。
一片の後悔すら滲まない声。淡々と明かされていく昔語りの中に語られる事のない沢山の葛藤を感じ取り、その中にいたであろう若かりし頃の恩師を脳裏に描くと、ナルトはなんだか胸が塞がれるような思いがした。
「大人になって、俺にしては相当頑張って医者になって、ちょっとはカカシと並ぶ事ができたかなって思ったから……オレやっとの思いで告白したの、リンに。まあ元々バレバレだった恋だし、最初からいい返事が貰える訳ないってのは承知の上でだったんだけど、案の定見事に予想通りのキレイなフラれ方してさ。それ以来何度も玉砕し続けて、今に至るってわけ」
「――自分の方が身を引こうとは、思わなかったんですか?」
遠慮しながらも確かな口調でそう尋ねると、オビトは端正な唇の両端をちょっと上げた。笑おうとしたのだとわかったが、その顔は何故だか逆に悲しそうに見える。
「俺は諦めるからお前ら幸せになれよって?……俺はそんな物分りよくないし、カカシはそんな俺を押し退けてまでリンと上手くいこうなんて考えねエよ」
――言っただろ?アイツは『三人』を愛してたんだって。
ひっそりと暗示めいたほほえみを浮かべてそう言ったのを最後に、青年はそれ以上語る気はないようだった。不意につうっと滑るように宙を舞ってこちらへ流れ着いた一匹の蛍が、力を抜いて立つオビトの胸元に留まる。
虚空に囚われていたかのようなその瞳が、心臓の上あたりでゆっくりとまたたきだした灯りに動かされると、薄く開いたその唇が思い出したかのように「ああ、そういえばさ」と呟いた。
「蛍のオスってさ、最初に出会えたメスと想いを遂げられたら、もう他のメスにどれだけ出会っても心を動かされないんだってさ」
「……へぇ……」
「なんかさ、やっぱ、男の方が一途だよな」
へへへ、と笑って鼻を擦ろうとしたオビトの手に驚かされて、胸に留まっていた蛍がふいっと飛び立った。ほうき星のように長い尾を引いて飛び去る光点に、無言になった三人の視線が集められる。
ざわざわと木立をさざめかせて吹き抜けてきた夜風が、軽く汗ばんだ首筋を冷やして流れ去っていった。
「――そろそろ行こっか」と呼び掛ける声にそちらを向くと、普段通りのちょっと惜しい感じのハンサムが、まっくろなその瞳をやわらかく細めていた。



なんとなく言葉数が少なくなってしまった帰り道を経て家に戻ると、玄関先で出迎えたミコトから「お風呂が沸いているから、ナルト君からどうぞ」と笑顔で告げられた。
急かされるように押しこめられた脱衣場はナルトの暮らすアパートの浴室よりもはるかに広く、手入れの行き届いたそこで、ナルトはなんだか後ろめたいような気分に襲われつつ服を脱いだ。そろそろと浴室に続く引き戸を滑らすと、いきなり大量の蒸気に顔面が出迎えられる。
むせるような熱気に胸を詰まらせながら見渡すと、うっすら予想はしていたが檜で組まれたうちは家の風呂は一瞬たじろぐ程に広く、たっぷりとした湯けむりが豪勢に浴室内に満ちていた。
恐縮しながら浸かった熱い湯の中、豪華な風呂に少し慣れてきたのかようやくほぐれだしてきた体を心地よく伸ばしながら、ナルトは先程聞かされたオビトの話を反芻する。
(……カカシ先生にも、あんな過去があったんだな……)
飄々としてどこか捉え所のない恩師を思い浮かべ、ナルトはしみじみと思った。体は温められていくのに、なんだか頭の中だけが変に冷めたままだ。
オビトの語ったカカシ達との話は、世間一般ではいわゆる三角関係と呼ばれるものなのだろう。生まれ育ったこの地を出てひとりアパートで暮らしているカカシ。彼は結局のところ、身を引いたという事になるのだろうか。未だに女っ気も無しに一人暮らしを貫いているカカシの今の気持ちも気になったが、絶対的な恋に突き進むオビトのブレのない生き方も、ナルトには鮮烈な印象を残した。
全てを薙ぎ払ってでも意中の人を振り向かせたい、そんな恋をしている彼は、成就のためなら親友もプライドも何もかもを惜しみなくなげうっているようだった。あのまっすぐさの根源はなんなのだろう。
好きで好きで、堪んねェの。
そう言って悔いのない様子の笑顔を見せたオビトの顔に、たちこめる湯気がもやもやと掛かった。カカシは『三人』を愛していたんだという、オビトの言葉が離れない。
そこには当人達にしか理解できない微妙な遣り取りがあったのだろうかとぼんやりと考えながら、ナルトは温かな香りを立ち昇らせている柔らかな湯に目を落とした。
――まあとりあえずその話は置いといて。
今はこの殿様気分なお風呂を堪能させてもらうってばよとざぶりと一度湯に潜ると、浴室の扉の向こう側から、「ナルト、」と小さく呼ぶ声がした。
「はっ…はい?」
「――俺だ」
湯加減はどうだ?と尋ねてくる扉越しの声は、浴室内に充満する湯気のせいかなんだかいつもとは少し違った音に聴こえた。
だがその飾らない口調にいつもの友人らしい響きを確かに拾い上げ、ほっとしたナルトは竦めた肩を撫で下ろし、緊張を解く。
「あ、サスケ?うん、すっげー気持ちいいってばよ。やっぱ広いお風呂って最高だな」
「そうか。俺も一緒に入っていいか?」
「……えっ!?」
「今日は疲れただろ。背中、流してやるよ」
「マ、マジで!?」
「マジで」
ひそめてくぐもった声の主は、きしきしと床に張られたすのこを鳴らしながら近づいてきたかと思うと、古めかしい引き戸に手を掛けて、すすす…と音もなくその扉をスライドさせた。
ゆっくりと端から覗いた白い指と低く甘いその声に、早鐘を打ち始めた心臓が抑えきれない期待に跳ね回る。
……ウソだろ。一緒に、お風呂?
以前一度だけ目にしたことのある彼の着替えが蘇り、ナルトはそわそわと落ち着かない仕草で意味もなくあたりを見渡した。なんということだ。上半身だけでも相当な威力のあるあの白くてしなやかな躰が、間もなくオレの目前に捧げられるだなんて。
それも上半身どころか、風呂に入るんだからそりゃもちろん常識的には間違いなく全部が脱ぎ捨てられ生まれたまんまの姿になっている筈で・・・しかも自分の聞き間違いでなければ、何やらものすごいサービスまで付けてくれるような事を言っていなかったか?あのサスケが、まさか三助のような真似までしてくれるとは。
……ど、どうしよう。あの、ちょっと、まだ――こ、心の準備がですね――!

「入るぞ」
「はっ、はははははいッ、どおぞ!」

思わずどぷんと鼻下まで湯に浸かり白い裸体を待っていると、記憶の中にあるよりも随分と短い黒髪がにょっと扉から現れた。
「……なーんつって!残念、俺でした~」とにやけて飛び出したその顔に、つい開けてしまった口からごぼりと大きな気泡が出て、代わりに大量の湯がなだれ込んでくる。
「――えッ!?なんでアンタなんだってば、サスケは!?」
「うははっ、なァに期待してんだお前!恥ずかしい奴!」
ゲホゲホと咽ながら苦しい息の合間に問えば、素っ裸の腰にタオルだけを巻いたオビトが、腹を抱えてひいひいと喉を引き攣らせた。にわかに騒々しくなった広い浴室で、ふたりの声が伸びやかに反響する。
のぼせかけているのか謀られた怒りからか判じ難い眩暈の中、治まらない笑いにその身をふたつに折っているオビトをじっとりと見つめたナルトは、再び沈んだ湯の中で(……やっぱこの人キライだってばよ)と小さく思った。