第七話

土曜日の朝は久しぶりの快晴で、まさに絶好のドライブ日和だといえた。
運転に慣れていると言ったのは嘘ではないらしく、レンタカーのハンドルを握るナルトの手には熟れた様子が伺え、ペダルを踏む足にも安定感が漂う。
地方へ行く遠征に比べたら全然たいした距離ではない筈なのに、ナルトはサービスエリアに立ち寄る度にいそいそと車から飛び出して行っては、何やら嬉しそうに軽食を買い込んできた。大の男が串付きの真っ赤なフランクフルトを嬉しげに頬張っている姿に、呆れ返ったサスケが苦言を呈する。

「お前いちいち止まる度に買い食いすんなよ。時間掛かってしょうがねェだろ」
「だってなんか高速道路ってテンション上がらね?サスケも食う?」
「いらん。てかお前さっきもなんかアメリカンドックみたいなの食ってたろ」
「ちがうって、あれはイモ。高速乗ったらやっぱ『じゃがべー』は食わねェと……!」

お気楽なドライブに腕時計の針を読むと、既にあらかじめ伝えておいた到着予定時刻をオーバーするのは確実なようだった。苛立つ母親の顔が微かに頭を掠めたが、それを無視してサスケはコーヒーの紙コップに口を付ける。
久々の太陽に誘われてか、サービスエリアの駐車場には色とりどりの車が隙間無く停められていた。これからどこへ遊びに行くのだろう、先程からやたら両親の座るベンチを嬉しそうにはしゃぎながらぐるぐると旋回している小さな子供を、何とは無しに遠目に眺める。
「サスケサスケ!スゲーのここのコンビニ、限定品だらけッ!」
興奮に鼻の穴をおっぴろげた金髪成人男子に遠くから呼ばれて、サスケは少しだけ残っていた紙コップの中身を一気に煽った。(あいつ、あのガキと大差ねェな)と思いつつ空になったコップをゴミ箱に放ると、急がない足取りで声の方へ向かう。
馬鹿みたいだと思いつつも、案外ナルトのハイテンションぶりにつられて浮き立っている自分がなんだかこそばゆい。片手をポケットに突っ込んだまま空いた右手でサスケは小さく鼻を擦ると、横柄な態度でコンビニ前でひとり盛り上がっている同行者を呼んだ。

     ☆

「えと……ここってば、旅館ですか?」
「馬鹿。俺ンちだ」
街を抜け、田畑ばかりが続く田舎道を越えたところで突如として現れた黒塗りの門に、ナルトは絶え入りそうな声を出した。
漆喰の白壁を従える門の上部に刻まれたうちはの家紋が、赤々と二人を見下ろす。
威風堂々としたその佇まいに圧倒されている友人を捨て置いて、サスケはさっさとその境界内へと足を踏み入れた。敷き詰められた玉砂利を踏みしめて、泰然として奥に建つ純和風造りの館へと向かう。
「――ただいま」
ガラリと大仰なガラス戸を引き慣れた流れで帰宅を告げると、艶光りする廊下の奥から急いた足音が聴こえてきた。明るい日差しの元から急に暗転した視界に、甘い眩暈が一瞬襲いかかる。奥まった廊下に現れた見慣れている筈の白いエプロンは、久しぶりのせいなのかやけに新鮮に映った。

「サスケ、遅い!」

一喝する声が上がったのと、おずおずと歩を進めてきた男が自分の横に立ったのは、ほぼ同じタイミングだった。
幼少のみぎりから他人に対しては人一倍愛想が無い事が懸念事項であった我が子の隣りで、燦然と輝く金髪頭の青年が弱気な笑顔を見せているのに気が付くと、早速小言を言おうとしていた母・ミコトは思わず足を止め声を失う。
「カカシ君――では、ないわ、ね?」
「あっ!あの……はっ、はじめ、まして!オレ、うずまきナルトっていいます。今、木の葉荘の102号室に住んでて、サスケ…くんにはいつもお世話になってますッ」
「え?――ああ、あなたが『ナルト』君?」
自然な日本語と低姿勢な挨拶に安心したのだろうか、幾分ホッとした様子で改めて青い目を見詰める母親に、サスケはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべた。
急な帰省にかこつけて、母親には友人を連れて行くというのを敢えて伝えていなかったのだ。ほんの出来心から生まれた悪戯であったが、日頃から口煩い母親が日本人離れした容姿の友人を突然連れて帰ったらどんな反応をするか、サスケはちょっと見てみたかったのだった。そうでなくとも滅多に、というか幼い頃から一度も友人を家に招いたことがない息子である。母親からしたら間違いなく、友達を連れてくるだけでも相当な大事件であろう。
緊張に固まるナルトも、驚きに鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔をしている母親も。
家の前に立ったところからここまでは、面白いくらい予想通りの展開だ。
「え、じゃあ今日運転してきてくれたのってナルト君なの?カカシ君は?」
「あ、カカシセンセーは今日、学校の用事があって」
「そ。だからこいつが今日の運転手」
「またあんたって子は……!ごめんなさいねナルト君、うちの子の我が儘に付き合わせてしまって。ご迷惑だったでしょう?」
「……イエ!ぜんっぜん、そんな事ないってば!」
耳に掛けた長い髪をサラサラと肩からこぼしながら膝を折って目線を低め、まっすぐに目を合わせて話しかけてくる母親に、どぎまぎとした仕草でナルトが背筋を伸ばした。
心なしか、頬がピンクに染まっている。自慢じゃないが、うちの母親はとうが立っている割には中々の美人なのだ。
「オレってばいっぺんサスケのとーちゃんとかーちゃんに会ってみたいなって思ってたし、呼んでもらえてスゲー嬉しいっていうか……!」
「そう?ほんと、ごめんなさいね」
「そういうこと。まあそんなわけで今夜こいつ泊まってくから。よろしく母さん」
「もちろん大歓迎よ。ナルト君、何もないところだけれどゆっくりしてってね」
そう言ってにこにこしながらナルトに案内をする母親を前に、サスケは脱いだ靴を雑に揃えると上がり框に足を掛けた。勝手知ったる仕草で家に上がろうとしたその矢先、白魚の指がくいっと息子のシャツの端を引き留める。スニーカーを脱ごうとしたナルトが大きな体を折りたたんだ僅かな隙に間髪入れずその指がジーンズの尻を摘むと、ギュッと容赦なく抓りあげた。
「――っ!でェッ……!」
「ん?何?どしたんだってばよ?」
妙なへっぴり腰になった後ろ姿をキョトンとした顔のナルトが見上げれば、不自然な叫びを有耶無耶にするかのように白百合のかんばせが聖女のようなほほえみを浮かべた。
「何してるの、サスケ。常に姿勢は良くしていなさいといつも言っているでしょう?」
咎める声も甘やかで、何も気が付かないままのナルトはうっとりとその音色に酔いしれている。

「……ごめんなさい母さん」
「……わかればいいのよ」

しおらしげな謝罪に花の笑みを広げると、ミコトはいそいそと奥の方へ戻っていった。突然現れた小麦色の大男に、きっとこれから夕飯の献立に何を追加するべきか、その算段をつけるのだろう。
痛みを残す尻たぶをそっと撫でて、サスケは塵一つ落ちてない板間を見渡した。
屋敷内に漂うしっとりとしたい草の匂いにほんのり混じるのは、澄んで香る庭の泰山木だ。
「――サスケのかーちゃんて、すんげェ美人だな」
あんなキレイなかーちゃん見たことねェよと溜息混じりに付け足された言葉に、ほんの一瞬頬を引きつらせたサスケは、口を噤んだままひっそりとした笑いを見せた。



まずは先に挨拶してらっしゃい、という母の声に「わかってる」と返事して、サスケは荷物を隅に寄せると流れが飲み込めないままの顔のナルトを従え、長く続く廊下に足を向けた。
一番奥、青畳の香りが籠る一室に踏み入ると、どこから流れてきたものか深緑の風にふうっと頬を撫でられる。

「――ただいま、兄さん」

重厚な黒檀の造りに華麗な彫刻が施された厨子へ目を向けると、サスケは想いの込もった声音で帰郷を告げた。滑るような歩みで前に進み飾られた写真を見下ろすと、フォトフレームにはめ込まれた柔和な笑顔を見詰める。
「この人が、イタチさん?」
すぐ後ろから掛けられた声に、サスケは「…ん、」と短く応えた。半歩横にずれたナルトは覗き込むようにして、シンプルなフレームに入れられたポートレートを眺めている。
「……優しそうなにーちゃんだな」
混じりけのない素直さで述べられた感想に、サスケはもう一度「……ん」と応えた。
何を機に撮ったものだったか、穏やかなほほ笑みを浮かべたその表情からは、隠しようもない程の聡明さと、深い親愛の情が伺える。
――『優しい』なんて単純な言葉で言い表せるような、そんな兄ではなかった。
言うならば、サスケにとっての兄は世界そのものだ。幼い頃からずっと、サスケの知りたいことの全ては兄の中にあった。
見たいものも、聴きたいものも、美しいものも明るく輝いているものも全部。兄と一緒にいれば何もかもを識ることができた。
不思議を尋ねればいつだって欲しい答えをくれた、強くて聡い人。兄が教えてくれたのは善い事ばかりに留まらず、彼が構ってくれない時は寂しさを教えられ、喧嘩の後には悲しみや悔しさを知らされた。
大袈裟ではなく純粋に、一緒にいてくれるだけで、どこまででも行けるような気がした。もしも世界中の人間が死に絶えこの世で二人きりになったとしても、兄さえ側にいてくれればきっと自分は生きていける。そんな馬鹿げた幻想の中でさえ、サスケが描く世界の中心は常に敬愛する兄ただひとりだった。

『――たとえ、この体が滅びても』

掴み損ねた憧れを前に、悲嘆に暮れる自分へ兄が最後にくれた日々。
弟のためになんでもないような顔で嘘をついた彼は、最後の最後まで我が身を顧みることがなかった。ナルトは嘘ばかりではなかったと言ったが、やはりあの彼らしさの欠片もない発言は、弟に自分と同じような重荷を背負わせないようにする為のものだったのだろう。
あれから何度も考えたけれど、やはりサスケは今でもそう思う。

『俺のこの想いは、永遠にお前と共にあるから』

『だから、泣かないで。俺の分まで、幸せに生きて』

……この人無しでどうやって生きていったらいいのか。
死に向かう兄と共に過ごしながら、サスケはひたすらに道に迷っていた。
別れの覚悟なんて、つきようがなかった。引き止めることができないのならば、いっそ、一緒に連れていってもらいたい。そんな危うい願望を持ち始めたのは、周りからの重圧に挫けてしまっていた頃だろうか。
けれどいつだって弟のことならどんな些細な事でも承知していたあの人は、きっとサスケのそんな願いなんてとうにお見通しだったのだろう。美しく完成された世界が失われたあの日、病床の兄は振り絞った力で、儚いほほ笑みと共に最愛の弟を手招きした。
寄せた耳に、色を失ったその唇が紡いでくれた、最後の言葉。
青白く燃え尽きようとしているその瞬間にも、壮絶に綺麗で、乱れを識らない人だった。


『俺は、父さんと母さんの子として……そしてお前の兄として生まれてこれて、本当によかった』

『――愛してる』

『愛してるよ、サスケ――』


「兄ちゃんもオマエも、かーちゃん似なんだな。イケメン兄弟だってばよ」
不意に降りかかってきた陽気な声に、サスケはハッと過去に浸っていた自分に気がついた。
ここに来ると、いつもこうなってしまう。つい見せてしまった忘我の表情を、ナルトはどう思っただろう。
「イケメン?兄さんの方が、ずっと知性的な顔してんだろ。背も俺より高かったし」
誤魔化すように言った言葉を軽く聞き流していた様子のナルトは、突然そのほほえみを止めるとスッと仏壇前に置かれた座布団の上で膝を折った。
きちんとした正座をつくり神妙な顔になると、丁寧に手のひらを合わせ粛々と黙祷を捧げだす。
「お前、会った事もない人間に何をそんな話す事あるんだ?」
延々と続けられる祈りにしびれを切らしてそう言えば、ニンマリとした笑いを浮かべたナルトがゆっくりと振り返った。その唇が「サスケがどんだけ人使いが荒くて口が悪くて酒癖も悪くてやたら手も足もすぐに出る暴君かってのを、にーちゃんに言いつけてたんだってば」などと言うから、即座にその側頭をスパーン!とひっぱたく。
「バーカ、そんなの兄さんだったら、全部受け入れてくれるに決まってンだろ」
小気味良い音をあげて叩かれた頭を軽くふらつかせていたナルトが、「ひっで……ほら、やっぱ手ェ早いってばよ!」と唸るのを聞いて、サスケは「フン」と鼻を鳴らすと正座したままの金の髪を見下ろした。光の透ける前髪から覗く、青い瞳が拗ねたようにこちらを睨む。
――サスケー、お茶が入ったからイタチへの挨拶が済んだら手を洗ってらっしゃい。ナルト君にも教えてあげてねー。
台所から届けられた母の声に、一瞬張った空気がほろりと解けた。「だとさ。ほら、立てよ」愛想のない声で促すと、髪と同じ色の眉が困ったようなハの字になる。
訝しげにその目を見ると、情けなさを滲ませた碧眼が救いを求めるような視線を縋り付かせてきた。
「……あし、しびれちゃった……」
か細く明かされた告白に、サスケは盛大なため息をついてみせた。先程金髪頭を叩いたばかりの手をポケットからもう一度出して、仕方なしに差し伸べる。
アンガト、と呟くように言って手を掴んできた大男は、立ち上がりざまぐいっとその体重を腕一本にかけてきた。思わずよろけたサスケの足が、寸でのところで踏み止まる。
「お前、オッモぃ……!買い食いのし過ぎだ!」
「なっ……オレのは筋肉だってばよ!」
ガキ臭い言い争いに興じる二人を、写真立ての中の笑顔が穏やかに見守っていた。
気の早い風鈴が、どこかで澄んだ音色を奏でている。
青々と薫る畳に降り注ぐ夏至の太陽が、賑やかに喚き合うふたつの濃い影を作っていた。



母の手によって早々に悪戯の反省を余儀なくさせされたサスケであったが、その余波はまだ消えたわけではなかった。うちは家における想定外の大事件は、夕飯刻になってから他出から戻ってきた父親にも、問答無用に襲いかかったのだ。
いつもの厳めしい顔つきのまま居間に入ってきた父親は、中途半端にくつろぐ金髪の大男を発見するやいなやわかりやすくぎょっとすると、そんな自分を恥じらうかのようにわざとらしい咳払いでその場を取り繕った。ナルトはナルトで、見るからに気難しそうなオーラを全身に纏って現れた壮年の紳士に、その広い肩を気の毒な程萎縮させている。
「Do you speak……」とやりだした父親に「あ、すンませんオレってば日本語しか喋れないです」とすかさず制止をかけたナルトの横で、サスケは痙攣しそうな表情筋を必死で抑えながらも呆気にとられる父の顔をしかとその網膜に焼き付けた。そっと台所の方を見れば、背を向けている母親の肩も同じように震えている。あの母親のことだ、たぶんこれを見たいがために敢えて父親には突然の来訪者の事は知らせずにいたのだろう。
人のこと言えねェよなと内心呆れながらも、サスケは滅多に拝む事のできない父親の姿に満足の溜息をついた。

「そうか、君が木の葉荘の……サスケはちゃんと管理をやれているかい?不備があるようだったら、今この場で言ってくれて構わないから」

大きな食卓に沢山の皿が並べられた頃には、友人と父親は最初の面食らったような緊張から少しずつ開放されてきたようだった。先に会った母親の方はといえばそれ以上で、出来立ての料理を取り分ける母と目が合えば、その人懐こい青がきゅっと細められ「ありがとだってばよミコトサン」という言葉が自然と口を付いて出る。愛想のない息子とは正反対の、快活で一々反応を返してくれるナルトに、母親はすっかり惚れ込んでしまったようだ。
台所で低く唸っている大きな冷蔵庫の扉の奥では、甘い物が好きだというナルトのために母がさっき手早く作り上げていたご自慢のチーズケーキが食後の出番を待っていた。甘党がいなくなったこの家で、母の手作りスイーツがお目見えするのは、本当に久しぶりの事だ。
「サスケは管理人さん頑張ってるってばよ。学校始まってからはちょっと大変そうだけど、重吾さんもスゲーいい人だし」
このあいだなんか、害虫駆除まで手伝ってくれたし。
そう言ってちょっと暗い顔になったナルトに内心ヒヤヒヤしながらも、サスケは久しぶりの母の手料理に箸を伸ばした。並べられた献立に、帰省を心待ちにしていてくれた母親の思いが透けて見えるのが照れくさい。それでも慣れ親しんだ味付けが舌に嬉しくて、サスケはいつになく何度も皿を空けた。
「――それで、術後具合はどうだね?経過は順調かい?」
前振りもなく父親から尋ねられて、ナルトは一瞬ポカンと抜けた表情をした。きゅっと回した首でサスケを見ると、見られた方もフルフルと首を振る。
どういった仕掛けだろう。父親にはナルトのやっているスポーツの事も手術の事も、まだ話していない筈なのに。
「あれ?なんでわかったんですかってば。ヒカク先生から聞いてました?」
彼も同じ事を疑問に思ったのだろう、サスケに紹介してもらった担当医の名前を出しながら首を傾げるナルトに目を和らげると、種明かしをするように父は言った。
「いや、でも君だろう?アイスホッケーをやっていて、膝の故障があったというのは。――二年程前だったかな、サスケが急に、東京で整形外科の専門医をやっている私の従兄弟に連絡を取りたいと言ってきてね。きけばプロスポーツの選手を目指している知人が外科手術を希望しているから、優秀な専門医を紹介してやりたいと言うじゃないか。サスケがそんな事を言ってくるなんて思ってもみなかったから本当に驚いてね。忘れようもないよ」
いつもよりも随分と口数の多い父親にちょっと驚いていると、ナルトが「でもだからってなんでそれがオレの事だって解ったんだってば?」と不思議そうに言った。
「『知人』っていっても、オレ以外にもあの辺にはサスケの知り合いがいるってば?シカマルとか…他にも、色々」
首を傾げるナルトの横で、サスケも同意見の頷きを見せた。確かに、父親の従兄弟だという遠縁の叔父にサスケは連絡を取ったが、その叔父も父親以上に寡黙なタイプで、あまりベラベラと患者の事を話すタイプだとは思えない。あまり頻々に近況を伝え合う二人だとは思えなかったが、もしかしてナルトの名前位は、叔父から父へ連絡がいっていたのだろうか。
そういえばそもそも、両親が『ナルト』の名前を知っていたことすら不思議だ。
家を出たばかりの頃こそあれこれ心配しては根掘り葉掘り息子の私生活についてしつこく訊いてきた両親(というか主に母親)だったがそれも最初の数ヶ月だけで、そのうちに特に詮索してこなくなった両親にサスケはこれまで特に疑問を持ってはいなかった。あまりに執拗につつき回してくる質問の嵐に辟易して、本気で拒否を言い返し続けてきた成果かと思っていたが、今にして思えばやけにすんなりとこの母親が追求の手を緩めたものだ。
……なんだろう。
なんだか凄く、不自然な気がする。
「いや、この子が他人に対して興味を持って、なおかつ親切心じみたものまで出すなんて本当に稀だからね。サスケは『知人が』なんて言っていたが、生憎うちの息子には知人どころか友達らしい友達は殆どいないし。そうしたらその後すぐ、家内から君の名前を聞くようになって」
「はァ」
「なにやら、ゴミの分別で何度かやりあったんだって?まったく、この子は思い込むとどうも躍起になってやりすぎる所があるのが良くないと前々から」
「――父さん!」
なんだか雲行きの怪しくなってきた話に横槍を入れると、父親は「……フン」と小さく鼻を鳴らしてニヤリと口の端を上げた。その仕草に薄ら寒いような既視感を覚え、なんだか背筋がぞわりとする。  
図らずも発見してしまった自癖のルーツに複雑な思いを抱きながら、サスケはもぞもぞと椅子に座り直した。斜め向かいに座る父の前に置かれた冷酒の酒器を見れば、いつの間にこんなに進んでいたものか随分とその目方が減っている。
誰とでもすぐに打ち解けて心を解してしまうのはナルトの特技だったが、父親にはその効果が些か現れ過ぎてしまったらしい。普段はひたすらに無口な父親に絡み酒の気があるのを思い出すと、サスケは膿んだ気分で溜息を吐いた。

「まるで俺にひとりも友達がいなかったみたいな言い方しないでよ」
「そうじゃないのか?こっちに越してきてからは特に」
「それはっ……俺には、兄さんがいたし。こっちでは特に気の合う奴がいなかったってだけで」
「やっぱり合ってるじゃないか」
「オビトとかカカシとかとも、よく遊んでたし」
「遊んでもらってた、の間違いだろ」
「……学校とかでは普通に色んな奴と喋ってた」
「家に呼ぶほど親しくはなかったけどな」
「――でもアナタもサスケ位の年の頃、お友達なんてひとりもいなかったわよね?」

突然するりと介入してきた涼しげな声に、父の顔に浮かんでいた嗜虐的な笑いがすうっと引っ込んだ。「あら、じゃあ今はいるのかしら」とまっくろな瞳を小鳩のようにくるくるとひらめかせながら囀る母に、アルコールにほんのちょっとだけ顔を赤らめた父は頬を引きつらせる。

「俺の事はどうでもいい」
「そうですか?でも折角だから、アナタがどうしてお友達を作らなかったのか、サスケに教えてあげたらいかが?」
「……なんでそうなる!」
「いいじゃないですか。人生の先輩として、教示を垂れたいんでしょう?」
「それはっ……」
「それは?」
「……友達なんて、いなくてもいいかと……」
「へえ。そうだったんですか。随分と潔いいこと」
「……」
「それでよくもまあサスケに色々と言えたものね」
「……がいたから」
「なんですか?」
「――俺はその頃もう、君と付き合っていたから……別に友達なんて、欲しいとも思わなかったんだ」

口達者な母にあっという間に形勢逆転された歯がゆさについ舌が滑ってしまったのだろうか、つるりと出た本音は朴念仁の父らしからぬものだった。
言われた方にとっても思いがけない返答だったのだろう。歯切れ悪く呟かれた自白に仕掛けた母自身もちょっと驚いているようだ。
黒曜石の瞳をまん丸にすると、羞恥に震える夫の姿を見詰め「……それは、どうも」とポツリと漏らす。
「――っていうか母さん、なんでナルトの事知ってんだよ。俺こいつの名前なんて教えた事あったっけ?」
ムズ痒さ混じりのどうにも居た堪れない沈黙を断ち切るべく動きを止めたままの母に問い質すと、ほの白い頬を僅かに染めた顔が何故か俄かに焦った様子で「あっ、そろそろデザート出しましょうか」などと言って立ち上がった。
……やはり、何かがおかしい。
伝えた事のないナルトの名前を両親が知っていたり、出会った時の経緯を知っていたり。
釈然としないまま冷蔵庫のドアを開ける後ろ姿を睨んでいると、表玄関の方でキュルキュルと急停車する車の音が聴こえてきた。チャイム無しに威勢よく玄関の大戸が開けられたかと思うと、「ミコトさーん上がるね?上がるよ!」という張り上げた大声が廊下に響き渡る。
勢い付いたその人物は、もう一秒だって黙っていられないとでもいうかのように口上を捲し立てながらまっしぐらにこちらへ向かってくるようだった。段々と大きくなってくる派手な足音が、長い廊下に響き渡る。

「ちょっ、聞いてよミコトさん!リンのやつさァ、デートだっていうから張り切って行ったのに夜は看護士仲間と約束があるからっつって晩飯も一緒に食べないで帰っちまったんだぜ!?しかも!映画観に行きたいっつーからメロメロのラブストーリーのやつ調べてったらアイツこんなのよりもこっちがいいってアニメ映画なんて選びやがってさァ!昼なんか折角気合いれて予約の取れないレストランに根性で予約を入れてたってのにファーストフードでいいとかっつって大口開けてハンバーガー齧り付いてるし、買物付き合えっつーから何買うかと思ったら院の待合室のオモチャが傷んできてるから新しいのと交換しようってトイザ●ス連れてかれるし、いやまあでもそん時キッチリ領収書とか書いてもらっちゃったりなんかしててさッすがリンだよなァしっかりしてるぜとかついうっかり惚れ直しちゃったりもしたんだけどでもどう思うよこれぜんっぜんデートなんかじゃないよね!」

――ねェ、そう思わない!?
締めのひとことと共に、声の人物は実体を伴って微妙な空気に支配された居間に飛び込んできた。スラリとした体に仕立ての良さそうなスーツを纏っているが、暑さのせいか既にそれは散々に着崩されすっかり他所行きらしさを失っている。
それでも突然の騒々しい登場に唖然としたままの一同に小さな頃からよく知っている甥っ子が混じっているのに気が付くと、艶のある黒髪を短く刈った人好きのする顔に、なんとも言えない戸惑いの表情が浮かんだ。
「あれ、サスケ?お前なんでいンの?」
「……よォ」
「え?――じゃあ、カカシは?」
きょろりと見渡した中に親友の顔を探すと、青年は親しんだ寝ぼけ眼の代わりにぽかんと口を開ける初見の顔を見つけた。異国人じみたその容貌に一瞬身構えたのち、違和感なくサスケと肩を並べているその様子にぱっと閃いた声が弾ける。
「おお!オレお前ン事知ってるぞ!あれだろ、あのラーメンぽい名前のヤツだよな!?」
「……『ナルト』ですってば」
さすがにちょっと気分を害したらしいナルトがぼそりと返すと、それを気にする様子もなく短髪の青年が「あーっそうそう、それそれ!」と臆面もなく笑った。……どうやら密告者は、自分からのこのこと顔を出してきたらしい。
たぶん間違いなく最初の情報源であるだろうボサボサ頭の存在に思い至ると、サスケはこの口の軽い男達の背信行為を恨めしんだ。情報源がカカシということは、サスケからというよりもナルトの視点に立った話の方が格段に多い筈で。
あの教師と元教え子が今でもよく一緒に連れ立って食事に行っているのを思い出すと、サスケはナルトとの関係が実家に筒抜けになっていたカラクリを瞬時に理解した。十中八九、口の上手い母親あたりがそれとなくお調子者のこの青年から、カカシが語る木の葉荘でのサスケの暮らしぶりをあれこれ聞き出していたのだろう。道理で長電話してきてもひたすら母自身の話ばかりで、息子の近況についてはほじくり返してこないわけだ。
「――えっと、とりあえず、話を纏めると」
むっつりと下唇を突き出すように押し黙ったサスケをちょっと気にかけながら、厳かに口火を切ったミコトが冷蔵庫前でゆったりと腰を伸ばし、幸か不幸か未だに状況が読みきれていない青年を見た。「今夜はまだ晩御飯を食べ損なったままなのね?アナタは」と質した唇が、諦めたように緩んでいる。

「……ごはん食べてく?オビト君」
「やった!いや~いつもすみませんね、ミコトさん」

手にしていたスーツのジャケットをいい加減に放ったオビトは、食事が終わりかかっている卓を見渡すと、悪びれる事なくナルトの隣りにどかりと胡座をかいた。
横からの胡散臭げな視線をものともせず、「そーかお前が『ナルト』かァ、キミには一度会ってみたいと思ってたんだよ、いやマジで!」と破顔する。
バンバンと無遠慮な仕草で背中を叩かれて僅かにむせたナルトの向かいで、やっと幾分持ち直したらしい父親の、乾いた咳払いが白々しく食卓に転がった。