第四話

実のところ、その日の事や辺り構わず泣きじゃくっていた香燐の事を、サスケはよく覚えていないのだった。
ただ大人達に囲まれた街灯の下で、厳しいけれども普段手を上げることなんて一切なかった父親から、恐ろしく重たいゲンコツをくらった事だけは、痛覚を通して嫌というほど記憶に残っている。
「ちゃんと確認しなかった俺も悪かったんだ」と庇ってくれた兄の、間に入ってくれた白い手のひら。
そんなものの方が少女の泣き顔よりも余程鮮明に覚えているのだと言ったら、いくら自分に首ったけだという彼女といえども、さすがに怒るだろうか。

     ☆

「かくれんぼ?」
「そ、かくれんぼ」
程なくして「家が遠いから」と未練たっぷりに席を立った香燐が喧騒にまみれた店から出て行くと、全ての気力を使い果たしたかのようにシカマルが長い長い溜息を吐き出した。思っていた以上にややこしくなってきた事態に、サスケは言葉を失くしたままだ。矢も盾もたまらずに事情を聞き出そうとしているナルトを見ると、シカマルは面倒くさそうな顔を張り付かせたまま昔語りを始めた。
「小一の頃だったかな、その頃香燐と俺達は結構よく遊んでてよ。まあその頃からあいつはサスケサスケってそればっかりだったんだけど、仲間うちでかくれんぼが流行ってた時期があったんだよ」
――その日、鬼になったのはサスケだった。
いつものメンバーが集まる中、小さな両手で目隠しをして数を数えだしたサスケを置いて鬼を免れた子供達は一斉に散り散りになり、それぞれ思い思いの場所に隠れた。もちろん、その中にいた香燐も同様に、息を潜めとっておきの隠れ場所に身を隠した。他人の気配に敏感な彼女は、ちょっとしたかくれんぼの名手でもあったのだ。その日は憧れのサスケに感心してもらいたい一心で、彼女はいつも以上に念を入れてここぞという場所に小さな体をすべり込ませると、驚く黒い瞳を心待ちにしながらいつまでも彼を待った。
「……で?」
「……で、だ。鬼になったサスケは他のやつらをあっという間に見つけて回ったんだが、どうしても香燐だけは捕まえる事ができなくてな。探し回っているうちに、間の悪い事に、下校途中の兄貴に遭遇しちまったんだ」
熱烈に信奉している兄と思わぬ場所で会えた事で舞い上がった幼いサスケは、鬼の職務をケロリと忘れた。中々見つけられない香燐に、ちょっと探し飽きたというのもある。
更に悪い事に、シカマルを含めすぐに見つけられてしまった他の子供達は既にかくれんぼをやめて、違う遊びにすっかり心を奪われていた。
要は、全員で香燐の事を、ほったらかしにしてしまったのだ。
家で一緒に遊ぼうというイタチに誘われてサスケはあっさり帰宅してしまい、他の子供達も香燐の不在に気がつかないまま夕暮れ前には各自家路についた。
「そ、そりゃヒデェ……あんまりだってばよ」
「言うな。わかってる」
思わず投げかけられた非難に、サスケはこめかみを抑え項垂れた。自分でも酷い事をしたと思う。
……サスケが再び鬼としての義務を思い出したのは、夜になってからだった。就寝しようと布団に潜り込み、眠い目にまかせて天井の木目をぼんやりと数えていた時になって、唐突に未発見の少女の事を思い出したのだ。
いやまさか、さすがにもう自分でも異変に気が付いて家に帰ってるだろと祈るように思いながら、サスケはとりあえず二段ベッドの上段で就寝前の読書をしていた兄に相談してみた。事の次第を打ち明けられると、兄はすぐさま意地っ張りで負けず嫌いな少女に思い至り、そうしてさっと顔を青くして、慌てて階下にいた母親を呼びに子供部屋を飛び出した。一通りの家事を終えお茶を啜っていた母親に事情を説明し、大急ぎで香燐の家に連絡を取ってもらったところで、サスケ達親子は半狂乱になった香燐の母親からまだ彼女が帰ってきていない旨を知らされたのだ。
「そんで?香燐は見つかったの?」
「見つかった。あいつは昼間隠れた場所から一歩も動かないまま、泣き疲れて眠ってた」
かくれんぼをしていた公園にそびえ立つ大きな木のウロの中から、ほっぺたを涙と鼻水でぴかぴかにした香燐が見つかったのは、もう小学生ならばとうに布団に入っていなければならないような時間だった。遅い時間だったが、連絡を受けたシカマルも香燐を探すため、自分の親に連れられてその時その場に同席していた。自分のしでかした事がどんどん大事になっていく様に青ざめているサスケと、小さな子供が隠れそうな場所を懸命に探して回ったのを覚えている。
それでも泣き眠る少女を発見したのがサスケだった事だけは、かろうじて彼女の救いになったのではないかとシカマルは思う。
職務怠慢のせいで散々多くの人に心配をかけさせたかくれんぼの鬼は、泣き疲れて眠り込んでいた少女に声を掛けた瞬間、弾かれたように目が覚めた香燐に飛びつかれそのまま盛大な尻餅をついた。
あられなくワンワンと泣きじゃくる香燐にゴメンと言った彼は、最初こそはしゃくりあげる背中を優しく摩ったりもしていたが、そのうちに延々と泣き続ける彼女に困り果てて、つい、こう言ってしまったのだ。

『悪かったって』
『頼むから。もういい加減、泣きやめよ』 
『なんだよ、どうしたら泣くのやめてくれんだよ』 
『ゴメンって言ってんだろ?』 
『わかった、じゃあ、お前のいうこと、なんでもきいてやるから』
『…………ホント?』
『(チッ、やっと泣き止んだかよ)……ああ。いっこだけ、な』

それは幼い二人の口約束だったが、その場には昼間一緒にかくれんぼに興じていた子供達数名が集まっていた。あの女子につれない事で有名なサスケがそんな約束をしたということは、彼らにとっても大きな衝撃だったらしい。ゆるゆるのチャックしか付いていない小学生の口に戸板を立てるなんて事出来る訳もなく、数日後には学校でもすっかりその話は広まることとなった。憮然とする当人を余所に、サスケの言った事は「公約」として子供達から認められることになったのだ。
「な、なるほど……でもさ、なんで香燐はその約束をすぐに使わなかったんだ?」
話の経緯を聴き終えてからチラリと暗い顔をしたままのサスケに目をやると、ナルトは不思議そうにシカマルに言った。ああ、それはとシカマルが答える前に、「その事件のすぐ後に、あいつは引っ越しちまったからだ」と項垂れたままの黒髪が答える。
「親父さんの転勤だったか。引越し先も県外だったし、それっきりあいつと会う事はなかったんだ」
「へー」
「……っていうかシカマル、なんであいつがここにいるんだ?お前ずっと連絡取りあってたのかよ」
詰るような目付きで見上げると、ひっつめ頭を申し訳なさそうに指先で掻きながらシカマルは「そんなんじゃねェよ」言った。
「先月だったか、俺の仕事先に出入りしている製薬会社の営業で、あいつがやって来てよ。研究所にいた俺に気がついたのはあっちで、その場で名刺も貰ったんだけど、その次の瞬間にはお前の事訊かれて」
「なんて?」
「まだ連絡取ってるか、とか、今どこに住んでんのか、とか。あと、彼女いるのかってのも」
「すげー、積極的だってば」
「あいつ、あんま友達多い方じゃなかったしお前も引越し先を人に知らせて回ることもしなかっただろ?だからお前ン事、ずっと連絡取れなくて悶々としてたみたいだな。俺だって香燐がお前にぞっこんだったのは知ってるし公約の事も覚えてたから、あいつがお前に会わせろって言った時はどうしたもんかと悩んだけどよ、ほら、俺もあの日香燐の事忘れて帰っちまったひとりだからさ。向こう脛に傷ある身というか、拭いきれない罪の意識というか。・・・いやしかし、付き合ってくれ位は想定内だったけど、まさかいきなり結婚まで迫ってくるとはな」
――まあ許せよ。ここは俺が奢ってやるし、な?
へらりと虚ろな薄ら笑いで誤魔化してそう言い訳するシカマルにがっかりすると、サスケはテーブルに立てられた品書きに手を伸ばし猛然とそれらを捲りだした。一番高級な酒と、一番高いつまみを注文するべくメニューを端から端まで物色する。新米社会人といったってどうせこいつは実家住まいだ、遠慮なんてするものか。
なんだよ畜生。友達甲斐のない奴め。
砂を噛むような気分で三白眼を睨むと、「おっと、くわばらくわばら」と演技がかった調子でシカマルは横に座るナルトの影に隠れる素振りをした。厚みのあるナルトの肩が、頼りなくぐらりと揺れる。
普段の彼だったら冗談めかしてシカマルを差し出すくらいの事をしそうだったが、今日はそんな素振りは全くなかった。澄んだ青空のような双眸が、今は何故か煙るように霞んでいる。
「……ナルト?」
サスケが声を掛けても、その音は耳に届いていないようだった。塞ぎ込んだ視界で、虚空を見つめたまま微動だにしない。
あーあ、とシカマルが小さく嘆くのが聴こえた。
それでもナルトは、動かない。



タダ酒をしこたま呑んで店を出ると、湿気て立ち篭める空気は崩壊寸前の圧迫感に満ちていた。
そういやゲリラ豪雨の予報が出ていたんだっけ?
すっかり酩酊しきった胡乱な頭で、昼間読んだ重吾の書付を思い出す。
「ホント、容赦なく飲みまくってくれたな……」
薄くなった財布を仕舞いながら、シカマルが恨み節をあげた。が、知ったことか。こちとらもっと面倒な事態になってるんだ。慰謝料代わりに奢られてやるってンだ、ありがたく思え。
「雨きそうだな――俺は明日会社あるし、このまま自分ちに帰るわ。ナルト、お前こいつ連れて帰れるよな?」
「オウ、まかしとけってばよ」
快く引き受ける声と共に、腕を掴む大きな手が視界に映った。よろめく酔人を見て、溜息をついたナルトがサスケの腕を潜るようにして肩を組む。
少し先の分かれ道で離れていくひっつめ頭を見送ると、そのまま優しく引き立てられるようにして、サスケは慣れた家路をナルトと並んで歩いた。
「ヤバイな、降ってきそうだ。サスケ、走れるか?」
「無理。」
「……でも早く帰らねえと」
「なんだよ、そんなに早く帰りてェのかお前。もっと一緒にいようぜー?」
ひゃはは、と自分らしからぬ発言に更に自分ではないような笑い声が出た。こりゃ相当酔ってるなとぼんやり自覚する。これはたぶん、明日の朝には今夜の記憶が飛んでるパターンだ。今だってすでに、三杯目以降の会話の記憶がない。
それでも共同玄関に飛び込むまで、天候は二人を待っていてくれたようだった。しっかりとしたナルトの腕に助けてもらいながら、どうにか階段を登りきる。
自宅の鍵が鍵穴に収まるまでにまた随分と時間がかかったが、人のいい金髪男は辛抱強くそれを待っていてくれた。やがてかちりと錠が回る。
「――じゃあな。もうあとは大丈夫だろ?」
玄関に座り込んで靴を脱ぎだしたサスケを見下ろして、ナルトが言った。
おやすみな、と言う声がなんだかいつもよりも素っ気ない。
「帰んのかよ?」
呂律の回らない口を尖らして、サスケが言った。
意図したわけではないが、拗ねたような言い方になったのは自分でもわかる。
さっきまでナルトの項に乗せられていた腕が、その確かな温もりから離されると妙な心細さにすうすうした。灯りをまだ点けていないドアの内で、金色の髪だけがほの明るく揺らぐ。
もう少しだけ、ここにいてくんねェかな。
そう思う事に、疑問は感じなかった。舌に残る酒気が、ひどく曖昧で自己都合な言い訳をのせる。
だって、仕方がないだろう?
こいつと居るのは、とても、とても、気持ちいいんだ。
「――カレー、食ってけよ」
誘いかけた目で黒ずんだ大きな影を見上げれば、呆れ果てているかと思われたナルトは、予想に反して何故か泣き出しそうな顔になっていた。
彼方の遠雷が聴こえる。
やがて重苦しい大気の圧に耐え切れなくなったかのように、ナルトが小さく頷いた。予報のゲリラ豪雨がやってくるのは、時間の問題だろう。


「うまいだろ?」
「うん。何かコツでもあんの?」
「いや、箱の裏面に記載されているレシピを、手順から材料比まで寸分違わず順守して作るだけだ」
「はは、なんかオマエらしい。いわゆる『正しいカレー』ってヤツだな、それってば」
冷蔵庫から取り出されて火を入れ直したカレーを、ナルトは感心するほど綺麗に食べきった。正直よく覚えていないけれども、さっきの店で彼はあまり食べていなかったのかもしれない。帰り際のテーブルの上は人数分以上の空いたグラスが置かれているばかりで、料理の皿は少なかったように思う。
「うあー、今日は飲んだな。飲み過ぎで腹がたぽたぽだ」
「オマエ、そーやって酒呑んで現実逃避しようとする癖、やっぱ良くないってばよ」
「なんだよ、そんなの俺の勝手だろ。まだ昔の事根に持ってんのかよ」
「いやオレが言いたいのは、そーゆー事じゃなくってさ」
「ああー、これでまた朝起きたら、今日あった事全部忘れられてればいいのになァ」
丁寧な忠告に対する不遜な反抗に、ナルトは黙って口を噤んだ。たぶんコイツは二年前にあった事を思い出しているのだろう。サスケの記憶には全く残っていないのだが、ナルトが言うには二年前の春にあった兄の一回忌の夜に、やはりグダグダに酔っ払ったサスケは彼の金髪を思うざまに引っ掴んでやった事があったらしい。
その他にも数々の失態があったらしいが、都合のいいことにサスケの脳内ではそれらの情報は綺麗に消去されていた。泥酔すると記憶が消滅するのはいつもの事だ。ついでに言えば、それを利用して嫌な事があると酒の力を借りて少しでもその嫌な記憶を消そうとするのも、いつもの事だ。
確かにナルトの言うように、悪癖というべき慣習ではあるかもしれない。
「別に、根に持ってるとかってンじゃねーけどよ……」
あの子、どうすんの?
ぽつんと落とされた質問に、また頭が痛くなりそうだった。シカマルではないが、まさか交際やらなにやらを全部すっ飛ばして、突然結婚を迫られるとは。
「どうすっかなァ」
「まさか、本当に結婚するつもり?」
「いや、さすがに今すぐにってわけにはいかねェだろ。俺まだ学生だし」
「……気になってんのはそこだけなのかってば」
「だって、約束しちまったし。せめて取り敢えず付き合ってみてから、とかにしてくれねェかな」
「――付き合う事には、異論はないんだ?」
確かめるようなナルトの言葉に、今度はサスケが口を噤む番だった。
そりゃあ香燐の事が好きかとか、そういう事を訊かれると困るのは確かだ。だけど自分の不注意によって傷つけてしまった少女との約束を簡単に反故にするというのは、なんとなく男としての道理に反しているような気がして嫌だった。まあ別に知らない相手じゃないし、初めて付き合う女って訳でもないし。香燐の事を軽く考えている訳ではないが、自分が誰かと交際する事について周りが思う程に敷居を高くしている訳でもないというのが、実際のところだ。
自分では良くわからないけれども、この容姿についてあれこれ騒ぐ奴が多い事は、さすがにこの年齢にもなればその手の話に興味のないサスケでも気がついていた。その中には何人か、告白の勢いに押されて付き合う事になった女の子もいる。年頃になれば人並みに女子に対する興味を持つようにもなったが、ありがたいことに二十二年間の記憶を遡ってみても、彼女がいなくて淋しいとかいう嘆きに身を投じたことは一度もなかった。……しかし大概が、あまりにも自分に興味をもってくれないサスケに諦めをつけて、程なく向こうから去っていくのが常であるのも事実である。
「冷たい」とか「適当すぎる」とか、別れを切り出す女の子達の口上は大体いつも同じだった。まあそれに対しては否定はしない。どの子も向こう側からしたらひたむきに好意を注いでくれていたのだろうけれども、申し訳ないがサスケからしたらその好意に見合う程の熱意を返せる程、彼女達に興味を持つことができなかったのだ。
興味の大きさでいったらふわふわの砂糖菓子みたいな女の子の感触を楽しむよりも、敬愛する兄との会話を楽しむ方が余程有意義な気がした。というか、女というのはとかくああしろこうしろと指示をしたがって面倒なことこの上ない。煩いから黙って従っていれば「リードしろ」と言われ、ああそうですかとこちらの趣向を口にすれば「思いやりが足りない」と口を尖らす。
どうして女の子というのは、自分が差し向けたのと同じだけの『好き』を相手にも求めてくるのだろう。
未だに理解不能なままで放置している難題を、サスケは久しぶりに思い出した。それを要求され始めると一見なんとなく上手くいっていそうな進行状況でも、途端に何もかもが面倒になる。そんな事を言われても、一緒にいる時、向こうが感じているほどの喜びを自分は感じることができないのだ。同じだけの『好き』を返せないのは、致し方ない事だと思うのだけれど。
それでもいいと言った子達も少なからずいたが、彼女達はサスケからの好意が欲しかったというよりも、サスケを横に置ける自分が好きだったのだろう。幻滅というより諦観の念をもって、サスケはそれを認識する。そこにはこの自分の性格や思考などは加味されていない。彼女達にとっての『彼氏』は、自分の価値を惹きたてるための、高価なアクセサリーのようなものだ。
(――たぶん、香燐もそうなんだろうな)
殆ど会話もしないままで一方的なプロポーズを打ち出して去っていった彼女を思い返しながら、サスケは想像した。
きっとあの幼馴染も、この容姿が自分の隣にくることに、妄信的な価値を信じているのだろう。一旦それで試してみれば、きっとそのうちこの無愛想な男の退屈さに気がついて、あちらから離れていくに違いない。
「……ったく、このカラダだけで満足してくれンなら、いくらでもくれてやるんだけどよ」
「オッマ……なんちゅー破廉恥な事言ってんだってば!?」
慌てふためくナルトを遠い目で眺めて、サスケは薄く笑った。向かい合って座った卓袱台の向こう側で、親しみに溢れた顔が赤くなっている。
どうせまた、勝手な想像で妙な妄想を走らせているのだろう。
こんな時でも極彩色の感情をダダ漏れさせているナルトに、サスケの心は妙に安らいだ。この男の百面相のようにコロコロとよく変わる相貌は、見ている者の心を温める。いつだって与えてくれる掛け値無しの好意は、透明な幸福感となってサスケの体に素直に染み込んでくるのだった。
ああ、そうだ。
中身がこいつみたいな女がいれば、ずっと一緒にいても退屈しないだろうに。

「なァ、ナルト」
「ん?」
「俺は、お前と付き合えたら、よかったのにな」

……ザア、と急に押し寄せてきた大きな雨音に、鼓膜が揺さぶられた。
まるで調節を誤ったステレオのようだ。出鱈目みたいに激しい音量に、それまで考えていた事が一気に持っていかれる。
カーテンを閉め忘れたままの窓の向こうで、稲光が走った。ドン!という重低音と共に、灯されていた部屋の灯りがばちんと消える。
「うおっ、停電!なァ絶対今のヤツのせいだよな!」
「――サスケ」
屋根を打ち付ける雨の合間に、自分を呼ぶナルトの声が紛れた。
またひとつ、真っ暗な空を走る光を見る。
稲妻を逆光にして、大きな影がゆっくりと引き寄せられるように近付いてきた。
地を揺らす雷鳴。
近すぎる金の影に、息が、出来ない。

「ナル、ト?」
「――忘れて」
「え?」
「これも、忘れて――」

ひどくやさしい唇にそっとひとつ、くちづけを奪われた。
果ての見えない土砂降りのどこかで、世界の終わりを告げる音が鳴るのを、確かに聴いた気がした。