Golden!!!!! 後編

当初の予定よりも早くに着いた北の空港はやはり出発地であった都内の空港に比べ格段に気温が低く、搭乗口からロビーに降り立った途端、むき出しの半袖の腕はさあっと一気に粟立った。天気は良くてもやはり北海道だ。たった数日でもすっかり初夏の気候になっていた関東の空気に慣らされていた体は、すぐにはこの気温の格差についていけない。こちらに移って何年も経つナルトだけれど、未だにこのひやりとした出迎えには馴染めない。やはりどれだけ長く暮らしていても、生まれ故郷ではないからだろうか。遠征などでここを一度離れまた戻ってくる時には、毎回同じような異邦人じみた感覚を味わう。
「さむ……!」
小さな声に振り返ると、ナルトよりは幾分厚手だけれどやはり半端な丈のカットソー姿のサスケが、スボンのポケットに手を突っ込んだままぞくぞくと身を震わせているところだった。手持ちの荷物が嵩張るのを嫌がった彼は、搭乗前に持ってきていた上着を預けてしまったのだ。ほらみろ、これだから上着だけ取り分けておいたほうがいいと、さっきあれほど忠告してやったのに。そう考えつつも亀の子のように引っ込められた首としかめつらがなんだかかわいくて、思わずふにゃりと頬が緩む。
「なー?寒いって言っただろ。だからオレのいう事聞いときゃ良かったのに」
つい数刻前のやり取りを思いだしつつ、苦笑混じりに言いながら手荷物にしていたボディバッグの中から暖かな起毛が施されたネルシャツを引っ張り出すと、ナルトは躊躇なくそれをサスケに差し出した。「ん、」と渡されてくるオレンジブラウンのチェックを、寒さで色白の肌を更にしろじろとさせたサスケがきょとんと見下ろす。
「うん?」
「貸してやるから着ろって、そんな青い顔して。お前昨日も体冷やしてただろ、いいかげん風邪ひくってばよ」
「……お前は?」
「オレは平気。ちっと寒いけどオマエよりは寒さにゃ慣れてるし、それにほら、オレってば体だけは頑丈だからさ」
そう言って気前よく破顔してみせたが、その言葉を聞いた彼はポケットから出掛かっていた手を再び引っ込めると、むうっと面白くもなさそうな顔つきになってしまった。差し出された上着から顔を背け、「いい。俺だって別に、我慢できないわけじゃねえし」と言ってはさっさと荷物の受け取り口に向かう彼を、上着を差し出した手のまま唖然として見送る。
しまった…これもNGか。カットソーが張り付く痩せた背中を立ち尽くしたまま眺めつつ、ナルトは深い溜息をついた。こんなの別に、女扱いでもなんでもないというのに。どうも彼は昨夜から、ふとしたやり取りの中に引っ掛かりを見つけてきては、敏感になりすぎているようだ。
どんどんと離れていく姿勢のいい後ろ姿は、全くこちらを待つ気はないようだ。
仕方なしに自分も上着を腕に引っ掛けたままボディバッグの口を閉じたナルトは、不機嫌な恋人を追い掛けるべく、大股で人の行き交う待合ロビーを突っ切った。

  * * *

してもいいけど、するなら男の方でなきゃ絶対に嫌だ。
……というのが、この件に関して彼が持つ、絶対条件らしかった。
引っ掻き回された入浴の後、結局長湯しすぎる事となった結果、三人で暑い暑い言いながら食べた夕食の手巻き寿司で、お腹もぱんぱんに膨れ上がった晩。北海道へ帰るまではと思ってはいたけれどもどうしても耐え切れず、借りたベッドの中で先程判明したお互いの思惑について悶々と考え込んでいたナルトは、ひそめた声でこわごわ彼に訊いてみたのだ。やっぱ上がいい?と。
「当たり前じゃねえか。どこの世界にノーマルなのに、わざわざ好き好んで後ろに突っ込まれたい男がいると思うんだ」
そう言って、同じくボリュームを抑えた声で応じたサスケは今回も当然の如く兄のベッドの上で寛いでいたが、手にしていた携帯端末からちょっと目を離すと、あぐらをかいた姿勢のまま憮然とした。寝巻きにしているらしい薄いグレーのルームウェアの下は、膝丈のハーフパンツだ。覗く脛は白くしなやかで、女性らしいやわらかさは持ち合わせていないけれど男の足としてはやはり相当綺麗な部類に入ると思う。だけど言ってる事は素晴らしく男性的で、ちょっとその美脚から目を背けたナルトはほんのり泣きたい気分になった。ああそうですよね、わかってますけど。でもね、出来たらそんな綺麗なおカオで、『突っ込む』とか言わないで。
「つーか今その話してくんなって。ほんと我慢が利かねえヤツだな」
あっちに帰る明日の晩まで待てねえのかと言うサスケはややうんざりとした体ではあったが、最初から無視を決め込まないあたり気になっていたのはどうやら向こうも同じらしかった。それでもナルト程の熱意は無いのだろう、「だって…」ともじもじするナルトに対し溜息をつくと、「いンじゃねえの、別に。とりあえず当分の間は保留にしとけば」などとちょっと面倒そうに答える。ほらきた…と早速予想通りの反応を見せたサスケに、ナルトは心密かに思った。淡白そうなサスケの事だから、まずがっついてくるような事はないだろうなと思っていたのだ。しかしここで引いてしまってはいけない。一度引いてしまったら、この先彼がその気になってくれる機会がまたくるかどうかは全く保証がないからだ。有耶無耶の内になんとなく禁句扱いになり、この先延々先延ばしにされてしまう可能性だって充分に有り得る。
「別に急ぐ話でもなし。すぐに決めなきゃ困るような話でもないだろ」
「オレは困るってば!」
「じゃあお前下になれ」
「そ、それは……考えた事もなかったし」
もにょもにょと語尾を濁しながら答えると、サスケは重々しい溜息をまた吐いた。兄が使っていたと思わしき大きな枕に手を伸ばし、それを膝の上に乗せながらサスケは言う。
「そのな、考えた事もないってのがそもそもおかしいだろ。なんでお前は俺がそっち役だと決め付けるんだ。俺だって男なんだから、男役の方がやりたいのは当然だろうが」
膝に乗せた枕をそのまま胸に抱きしめながら、呆れ返ったかのようにサスケは言った。大きな枕に顎を埋めるその姿は、言ってる内容さえ除けばスタイルだけはかわいらしい。夜更かししてガールズトークを楽しむ女子のようなその姿勢にぽおっとなっていたナルトだったが、そんな欲目に気付いたのか「おい、聞いてんのか」と注意を引くように睨んできたサスケにハッとなる。
「自分だってヤられるよりヤる方がいいからそう思ってたんだろ?」
「えっ?……いや、うーん……?」
「……違うのかよ」
「ていうかさ、だってほら、サスケの方が美人だし、カワイイから。そっちのが自然かなーって」
言った途端、ベッドで仰向けになっていた横腹に、隣から強烈な蹴りが飛んできた。ぐあっ!!という変な叫びと共に体が横転し、そのまま向こう側に転がり落ちる。ドスン!という音と共に、したたかに腰が床に打ち付けられるのを感じた。呻きながらどうにか体を起こすと、向こう側でその今しがた自分を突き落とした長い足が、まだ伸ばされたままなのが見える。
「――っにすンだよォ!!」と怒鳴りつつ再びベッドによじ登ると、無表情のままのサスケが「フン、」と冷たく鼻を鳴らした。胸元に抱き抱えられた枕だけは、そのまま場所を動かない。
「ちょっ、なんなのオマエ、いきなり蹴ンなって!」
「知るか。何がそっちのが自然だ、てめえこそふざけんのも大概にしろよ」
「だって少なくともオレよりはさァ……!」
「馬鹿にすんじゃねえぞコラ、大体なァ、カワイイってのは女に対する褒め言葉だろうが。男が男に言う言葉じゃねえよ。俺の事を女扱いすんな」
吐き捨てるようにそう言い切ると、足をあぐらに戻したサスケは再びぎゅうっと枕を抱きしめた。……いや、今まさにそうしている姿そのものが、既に相当かわいいんですけど……。ツッコミたい気持ちは山々だったけれど、ここはひとつ我慢する。
「……あれ?でもさ、だったらそれこそなんでサスケは、オレが下だって決めてたんだってば。オレだって上がいいに決まってんじゃん」
それともオレの事、普通にそっち役のホモだと思ってたの?と尋ねると、サスケはそのまましばらく気まずげに黙った。…え?なに、なんでそこ即座に否定してくんないの?よじ登ったベッドに腰掛けつつ(これならばもう蹴り落とされないだろう)うつむく横顔に不安を募らせていると、果たしてようやく動き出したその口からは「まあ、可能性としては、否定できないと思ってた」というヒソヒソ声が、押しつぶされた枕の裏から聴こえてくる。ええ…コイツ自分はノーマルだって言い切るクセに、オレは違うって思ってたんだ……!?初めて知る彼の胸の内に、開いた口が塞がらない。
「なっ……んなわけねーじゃん!」
「っせえ、声でけえっての!」
「でもオマエ、オレにやたらスキンシップしたがるとか性欲強いのかとか訊いてきてただろ!?普通やられる側の方はそんな風にしねえってば!」
「仕方ねえだろ、俺の周りに寄ってくる女は大概がそういうタイプだったんだから」
そんなイレギュラーな言い訳を口にしたサスケはむっつりと微妙な面持ちになって黙ると、ややもしてから「まあ、だから…可能性だ。別にそれだけが理由じゃねえよ」と少しだけ申し訳なさそうに呟いた。誤魔化し気味な口振りに、(…あっ?でもよく考えたらそれでもサスケはオレがいいって言ってくれたんだ、それってばもしかしてオレかなり愛されてるって事なんじゃね?)と一瞬思わなくもなかったけれど、そんな自惚れた思いもすぐ後に続いた「だいいち、俺が上になった方が、何かと利点が多いからな」という科白を聞くとあっと今に霧散した。利点?利点って何だってば?と聞き返しながら首を捻るナルトに、枕を膝の上に移したサスケがちょっと背中を伸ばす。気のせいなのだとは思うけれど、お兄さんのベッドの上にいるサスケはどこか普段よりも無邪気な自信に溢れているようだ。絶対的な味方が自分に付いているとでもいうようなその様子に、微妙に気後れしつつ上げられた顎を見る。
「いいか?まずそもそもが、『ソコ』は本来何かを受け入れるべき器官ではない。出すとこだ。使用目的からして自然の節理に反しているし、従って当然の事ながら無理を強いれば受ける側の体には、相当な負担が掛かる」
そこんとこわかってるか?というまるで講義のような持論を展開し始めたサスケにポカンとしながらも、ナルトは「はぁ、」と答えた。…な、なんなんだろうコレ。なんだかおっかない家庭教師にでも捕まってしまったような気分だ。ていうかそうか、コイツ本当に『センセイ』なんだった。こんな感じでいつも患者さんにも接してるんだろうかと思うと、なんだか不思議な気分だった。あー…偉そうな医者だと思われてんだろうなあ。これはこれでキュンとくる人も絶対多いんだろうけど。
「だからな、強引だったり力任せだったりされると、酷い有様になるのは間違いないんだよ」
「そんくらいの事はオレだってわかってるってばよ」
「で、そこに来てお前は堪え性がない上に、スタミナとパワーだけは無駄に人一倍あるときた」
断言された言い分に、その言い方ってどうなんだろうとは思ったけれど、悔しいけれど大まかなところでは確かにサスケの言っている事に間違いはないようだった。なんとなく腑に落ちない気分ではあるけれど、ナルトは取り敢えず「はあ、それで?」と先を促す。
「と、いうことはだ。慎重に進むべきそこを、お前みたいなただ前に進む事しか知らない不器用なスタミナ馬鹿に任せたらどうなる?受ける方は酷い目にあうに決まってんじゃねえか」
「…えっ…」
「それにお前、なんかネチネチとしつこそうだし」
「ばっ……ンな事ねえよ!!」
独断と偏見にまみれまくった見解に、ナルトは思わず身を乗り出した。無理すれば云々は理解できても、どうして見た事もないのに勝手に決めつけられなければならないのか。ちゅーかしつこそうって何だよしつこそうって!オレってばしつこいんじゃないもん、丁寧なだけだもん!そんな事を内心で叫びつつ、「その点、俺だったら安心だ」などとのたまうすました佳貌を恨めしく睨む。
「……なに安心て」
「俺だったらそんなガツガツしてねえし。無理そうならすぐやめられるし」
「別にオレだってガツガツしてるわけじゃねえもん。無理だってしないし」
「あと、たとえお前に怪我させてしまったとしても、俺だったらちゃんと処置できる。一応責任とって、傷の具合も診てやっから」
「処置?」
「最悪本格的に悲惨な状態になっても、手術してやれるしな。医者だから」
とんでもない事を平然と言ってのけたサスケはそこで口を閉じると、「以上、説明終わり」とでも言うかのようにネイビーブルーのカバーの掛かるベッドの上にうつ伏せになり、再び手に持ったままだった携帯端末をいじりだした。さ、さすがサスケだ…理詰めでくるだろうとはちょっと予測していたけれども、まさかこういう形とは。想像の斜め上どころか遥か圏外にまで突き抜けていく彼の論理に唖然としつつも、ナルトはほんの一瞬だけ悲惨な状態になったソコを恋人に手術してもらう自分を想像してみる。…なんだろう、思ってた以上に酷い。というか絶対にあってはならない絵ではないだろうか。
「――やっ・やだやだやだってば、ぜってェそんなの……!!」
「ほらな?我慢ができない」
声がでけえっつってんだよ、てめえはよ。思わず大きくなったナルトの喚きに、携帯のディスプレイから目を離さないままのサスケがサクッと言った。温度差のある声にぐぬぬと唸りつつ、どうにかその先を飲み下す。言い返したい気持ちは山程あったけれど、今ここでそれをやったら派手な喧嘩になるのは避けられないだろう。我慢、我慢だ、ここで我慢ができることを証明できなくてどうする。この先の未来のためだと自分に言い聞かせつつ、ぐっと不満を押し戻す。
そんなナルトの様子に気を良くしたのだろうか、携帯を触っているサスケはもうすっかりこの話には片が付いたとでも言わんばかりの気楽そうな様子だった。以前は全く本など読まなかったサスケだったけれど、どうも最近は歴史小説やミステリーなどだったら、携帯端末を利用して時々読んだりする事もあるらしい。まさか血塗れのオカルトホラーでも読んでんじゃねえだろなと怪しみつつ、うつ伏せのまま曲げられて宙でゆらゆらしている踵を眺めた。つるりとした丸みはほのかなピンク色に染まっていて、なんだかとても柔らかそうだ。ああもう、どうしてコイツ見た目もつくりも完全に男なのに、こういう些細なパーツが妙に色っぽくてそそるのか。少女めいてさえ見えるそこはじっと眺めていると、段々とちょっぴり噛み付いてみたいような誘惑に駆られてくる。
つついてみちゃダメかな、今やったら今度は顎蹴られるかもなと思いつつ誘うように揺れている踵を見つめていると、静かになっていたサスケが思い出したかのように「…そうだ、それにな」と言い出した。「カワイイからどうこうっていう話ならな、ナルト。お前だって結構カワイイぞ」という信じられないような言葉に、そろそろと指を伸ばしかけていたナルトのその腕が固まる。
「――はぁ?!」
「お前だって俺から見れば、それなりのもんに見える。だから安心しろ」
「な、なに言ってんだオマエ……!?」
「お前見てるとなんか、でかい犬でも見てるような気がする時がある。俺は動物を飼った事ねえから想像でしかないんだが、大型犬を飼う奴ってのは、きっとこういう気分なんだろうな」
ははは、と軽々しい笑いさえ付けて言われた言葉の意味がわかってくると、ナルトの中にはムカムカとした怒りが沸いてきた。なんだそりゃ、ペットじゃねえか。せめて人にまで昇格させろよと苛立ちつつ目の前を見ると、スマートフォン片手に兄の枕へ頬を沈める幸せそうなサスケの顔と、その下に敷かれたネイビーのベッドカバーが目に入る。
すっくと立ち上がってもこちらを見ようともしないサスケを確かめると、ナルトはおもむろにそのカバーに包まれた掛け布団を掴んだ。機嫌よく揺れる踵をちらりと見てから、せーので思い切りその掴んだ両手を自分側に引き上げる。「!!?」と突然寝転がっていた布団を引っ張られたサスケは驚きに息を詰まらせた様子だったけれど、しかしそのまま何の手も打てないままベッドの反対側へ転がり落ちていった。咄嗟に守ろうとしたのだろう、ドサッ!と落ちていったベッドの向こうで、携帯を持つ手だけが庇うように挙げられているのが見える。
「てめ…ナルトォ!!」と唸りながらベッドに這い上がってくるサスケを、ナルトはじっと見下ろした。余程腹が立ったのだろう。普段真っ白な面のような顔が、鬼のように赤くなっている。
「ンのやろ、いい加減にしろよ、この……!」
「サスケこそいい加減にしろっての。オレってば真面目に考えてんのに」
「考えてんだろちゃんと」
「どこがだよ!」
並んだベッドに腰掛けあってお互い真正面で向き合いながら、肩を怒らせた二人は睨み合った。揃って真一文字に結んだ唇はどちらも一歩も引かない構えだ。張り詰めた沈黙を破るべく、ナルトが兎に角何か言ってやろうと口火を切ろうとした時、サスケの赤い唇が苛立たしげな舌打ちと共に「…るせえなあ、お前はほんとによォ」と低く言った。
「うわ……言い方……!」
「ちゃんと説明してやっただろうが。どう考えても俺が上の方が理に叶っている」
「理屈で決めるような事じゃねェだろ!?」
「だったらお前、俺の上げた利点以上に自分が上ンなるのにふさわしい理由があんのかよ」
「え、」
「あるなら言ってみろよ。そんで俺を納得させられたら、大人しくお前の下になってやらァ」
「……え?」
挑発するような視線の中、言われた条件に頭の中では急速に色んな思惑や感情が交錯し始めた。オレがサスケの上になるのにふさわしい理由?それってばなんだろう、オレの方が男らしいから?力が強いから?いやでも男らしいという意味ではサスケの方が余程アッサリザックリ清々しい。力の強弱は別に関係ないだろう、無理やり力ずくなのをやりたいわけじゃないし、そんな事したらもう二度と口をきくどころか半永久的に接近禁止令を言い渡されるのは間違いないだろう。ついでに頭の善し悪しで比べたら圧倒的に完敗だ。…ヤバい、これじゃオレが上になれるだけの説明が全くできないじゃないか。
そうやって悔しげに黙りこくってしまったナルトに、冷めたまなざしのサスケが「フン、」と嗤った。「ほらみろ、言えねェだろが」という声にありありとした優越感が滲む。
「――言っ…言えるってば!!」
どこまでも偉そうなサスケの態度に、号を煮やしたナルトはぐっと顔を上げた。策なんて全くないけど、兎に角この不遜な輩に一矢を報いたい。
「へえ?聞かせてもらおうじゃねえか」
「オッ……オレの方が好きだもん!」
出し抜けに言われた言葉に「あ?」と首を傾げると、胡乱な表情を浮かべたサスケは目の前にある必死そうな金髪頭を見詰めた。なに言ってんだこいつ、好きって性行為がって事か?馬鹿馬鹿しい、そんなの理由になるかよと一蹴してやろうとした時、いきなり勢いよく腕を伸ばしてきたナルトに、がしりと肩を掴まれる。「おい馬鹿、痛ェだろが離…」と言いかけたその目を、空色の瞳がしっかりと見据える。
「サスケがオレを好きなのよりも、オレの方がオマエの事好きだ」
「……は?」
「負けねえもん。オレってば道理とか理由とかはよくわかんねえけど、そこだけは自信ある」
単純だけれども嘘のない言葉が、僅かにうろたえるサスケを逃すことなく捕らえた。
真摯に言われるその声のまっすぐさに、ほんの一瞬だけ心を揺らす事が出来たのを感じ取る。
ぐらつきかけた視線に乗じるように、薄い肩をぐっと押さえつけたまま強いまなざしをぶつけていたナルトはふとその瞳を緩めると、ニコリとひとつ、まっくろな瞳に向けやわらかく笑んでみせた。「な?だからそれに免じてここはひとつ、黙ってオレに抱かれ…」と言いかけたその口を、勢いよく突き出された白い手のひらが顎下からガツンと封じ込める。

「――だったら尚の事お前が受けろ。口だけじゃなく行動でもって示しやがれ」

じいんと熱く痺れる顎を抑えながら前を見ると、凍てつくまなざしでそう言い捨てる、氷の女王のような美形が打ち付けてきた手のひらを軽く抑えていた。
ダ、ダメか……やっぱこんなんじゃコイツは落とせないか。
「う~…でも他にはなんも言える事ないってばよ、あとはオレの方が経験値高いって位しか…!」
「お前は俺に喧嘩を売ってんのか?」
「……多分そんなに激下手とかではないと思うから」
「そういう問題じゃねえよ、つか俺だって別に下手じゃねえし」
「お願い……もーホント、一生のお願い!!ここだけはオレに譲って!」
「確かその願いはもうゴキブリ退治の時に使い切ったな」
「なんだよ、こんなに頼んでんのに。どうしてそんなにつれないんだよサスケちゃんよォ!」
「しつっけえなあ!てめえこそその諦めの悪さどうにか…!」
とうとう本格的に堪忍袋の緒が切れたのか、こめかみに青筋を立てたサスケは語気荒く言いかけたが、ふいにその大きく開けた口を噤んだ。「待てよ、言いたい事があんなら…!」とまだ応戦しようとするナルトに手を伸ばし問答無用でピシャリと口を封じると、そのまま息を殺すかのように押し黙ってはじっと辺りの気配をうかがう。
やがてキチンと閉められた扉の向こうで、きしきしと気を使ったように歩みを進める、ささやかな足音が聴こえてきた。軽いノックが二回され、「サスケ?」という僅かに咎めるような呼び掛けがされる。
「――なに?」
「なんだか言い争うような声がしたけど。それにさっき二回も大きな音がしたし」
「ああ…そう?」
「あなた達また喧嘩してるの?もう夜も遅いんだし、いい加減になさいね」
「わかってる。そんなんじゃねえから」
しれっとそう答えたサスケに思わずむうっと睨んだけれど、向こうはもうこれ以上はやりあう気は無いようだった。やがて「母さん達は先に休むわね。ナルト君も、おやすみなさい」というミコトにようやく手を離されたナルトは、吃りつつも返事をする。するとそのまま流れるように、「サスケ?」という声が続いた。落ち着いて澄んだ声ではあるけれども、僅かに咎めるような響きがある。
「ナルト君は明日また車の運転しなきゃならないんだから。あんまり夜更かしに付き合わせちゃ駄目よ?」
「……わかった。おやすみ、母さん」
遠ざかっていく足音をしっかりと聞き届けると、二人してどちらからともなく、ふかぶかとしたため息が吐き出された。脱力した体でうなだれていると、おもむろにサスケから「おい、」と呼ばれる。
「ん?」
「明日、飛行機のチケット変更出来たら、予定より早目にここ出ないか?」
小声で提示された案に一瞬ポカンとしたナルトだったけれど、「…お前、どうにもこらえ性がないみたいだし。それにここでこれ以上喧嘩してると、そろそろ母さんがヤバい」という付け足しに、直ぐ様その提案の意味を理解した。あたたかなもてなしを惜しみなくしてくれている彼の両親には本当に申し訳ないけれども、確かに今の自分はこの問題で正直頭が一杯だ。今の状態でこれ以上ここにいたら、また余計な喧嘩を勃発させてしまう可能性だって無きにしも非ずだし。…そんな自己都合な言い訳を捏ね回しつつ、首をぶんぶんと縦にする。
そうか、じゃあ空席があるか確認してみるから、と再びスマートフォンを手にしたサスケはふとその動きを止めると、考え込むような素振りでナルトを見た。「なに?」と何かを測っているようにも見えるその表情に首を傾げると、黙ったままのサスケは言いたい言葉を探しあぐねたかのように、ほんの少しだけうつ向いてみせる。
「なんかお前って、なんだかんだ言ってても、結局…」
「なんだってばよ?」
「――いや、まあ……いい。何でもねえ」
歯切れ悪く打ち切ると、サスケはそれっきりもう何も言おうとはしなかった。インターネットを使って飛行機の空席を調べているのだろう。慣れた手付きでディスプレイをタップするその指先を、なんとなく釈然としないままボケッと眺める。
やがて検索の結果が出たのだろう、再び「おい、」と呼ぶ声に顔を寄せると、流れる黒髪からは自分と同じシャンプーの香りがした。どうして同じ香りなのにサスケのほうがいい匂いなんだろう。そんな事を不思議に思いつつ、ナルトはこっそりとその香りを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。

三日ぶりに乗る自分の軽自動車は借りていたスポーツカーと比べるとなんともハンドルも頼りなく、異様に軽く思えるようになってしまったそれを握りながら、ナルトはまたアクセルを踏んだ。道の広い北海道の高速道路は、ゴールデンウィークといえども都心と比べれば殆ど渋滞に巻き込まれる事はない。しかし気分よく加速するスピードとは裏腹に、隣にいるサスケとの間にある微妙な気詰まり感は、車に乗り込んでからずっと停滞したままだった。予定を前倒しし(次の朝、数時間早くにここを出るからと告げた時の彼の母親の落胆ぶりときたら本当に申し訳ないものだった)夕刻前には着いた北海道だったけれど、ここまではなんとなく時折引っかかる事はあっても、それなりに普段通りの会話を保てていたのだ。しかしそれも空港を出るまでで、空港の駐車場に置いておいたナルトの車へ乗り込んだ瞬間からどちらからともなく始めた無言合戦は、早くも終わりが見えない様相となってきていた。もういつでも例の事について話を再開できるんだぞ、という自由さが、むしろ安易にそこへと話を向けるのを止めているようにも思える。
それでも沈黙に耐え兼ねたナルトが「えーっと…とりあえず、高速乗っちまったけど。このままサスケんち行くのでいいよな?」と確かめると、すっかり我が物顔で助手席に収まっているサスケが「おお、」とも「ああ、」ともつかない曖昧な返事をした。走り出してから延々窓の外を見ている彼の方は彼の方で、何かずっと考えているようだ。
「オレこないだはそのまま帰っちまったけど、今日は上がらせてもらってもいい?」
「ああ」
「サスケって明日仕事だよな?朝っていつも何時頃出てんの?」
「大体8時頃のバスに乗ることが多いが……なんでそんな事訊くんだ?」
ようやく始まった会話の中にまでモヤモヤとした下心を織り交ぜつつ尋ねると、まっくろな瞳が測るような目でこちらを流し見てきた。前方に注意しつつも同じくちらりと横をみた瞬間、ほんの束の間交じり合う視線に、どきどきとした期待と緊張が高まる。
「えっと……いや、その、もし良かったらさ。明日の朝も病院まで、車で送ってってやるってばよ?」
「あ?」
「オレってば明日も、有給取ってるし。サスケんち泊まらせて貰えたら嬉しいな~…なんて」
「………ふうん。ま、いいけどよ」
素っ気ないけれど確かな了解に、ナルトはひとり頬が緩むのを抑えるのに必死だった。ああたまには有給消化しろって言ってくれたエロ仙人ありがとう。折角だしどうせだったら連休にくっつけちゃえば?って言ってくれた長門さんありがとう。よっしゃこれで今夜もまた一緒にいられるって事だ。本当は今すぐにでもあの話の続きを再開したいところだったけれど、これならもう焦る必要なんてない。話はサスケの家でひと晩じっくりしたらいい。話をしていく中でそのうちなし崩し的に…とかも、ひょっとしたらひょっとして期待できたりするかもしれないし。
ほんの一瞬ではあったけれど、昨日の話し合いの中でも、サスケの気持ちは僅かではあったが確かに揺れていたような気がした。もう気兼ねなくスキンシップもしていいのだから、なんとなく触れ合っている内にサスケの方が絆されてくれるような気もする。なんだかんだ言いつつも、サスケはどうもキスが好きみたいだし。寺の境内で口づけた時、舌を吸い上げられた彼はどこか陶酔するような目をしていた。感じ入ったようにとろりと崩れ落ちそうになった体に、つい抱きしめる腕にも力が入ってしまったものだ。あの時漏らされた甘い呻きは、締め付ける腕に対するものばかりでは絶対になかったように思える。やっぱり色々と敏感な質なのかもしれない。…今日からはそれも確かめていけるんだ。そう思ったらなんだかそれだけで、期待に下腹がそわそわと落ち着かない。
渦巻く煩悩に「やった!じゃあ長門さん達に今夜は帰らねえって連絡しとくってば!」と浮かれていると、そんなナルトにサスケはすうっと冷めた目付きになった。舞い上がる自分とは違い随分と温度差のあるその視線に、さすがのナルトも(あれ?)と思う。
サスケ?と尋ねた声は、速度を上げていく車の中なんだかやけに間抜けに響いた。
「まあ、泊めてやるのはいいんだけどよ」というサスケの言葉が、エンジン音に巻き込まれていく。
「先に言っておくけど、なんもしねえぞ?」
「へ?」
「お前が期待しているような事は絶対ねェから。つーか……」
ほんの束の間言い淀んで、サスケは窓の外に視線を投げた。
ようやくこちらでも葉を茂らせ始めた高速道路脇の植え込みが、グリーンの残像を残してはハイスピードで流れていく。
「……考えたんだが」
「うん?」
「やっぱ無かった事にしねえか、あの話。俺らには必要ねえだろ、なんていうか……そういうのって」
「――うん!?」
言われた言葉に弾かれたかのように隣を見たナルトは、凪いだ横顔の向こう側にある走り飛んでいく景色にブレーキを踏んだ。昨日の言い争いで学んだ教訓を活かし、減速しつつひとまず路肩につけ、サイドブレーキを引き上げる。
ハザードを点けながら再び横を見ても、彼はこちらを振り返る事は無かった。カッチ、カッチというランプの点滅する音だけが、静まった車内でのんきに響く。
「え……な、なんで?必要なくなんてないってばよ?」
だってオレら、付き合ってんじゃん?と急激に乾きだした喉でそっと確かめてみたが、サスケは黙ったままやはり動かなくなった外を眺めるばかりだった。
しまった……サスケの事だから、自らぐいぐい前に出てくる事はまずないだろうとは思っていたが。しかしまさか、いきなりふりだしに戻るどころかゲームボートを出す前にまで戻されてしまうとは。
「……サスケにも欲はあるんじゃなかったの?」
「ある」
「じゃあさ、」
「けど俺は、今のままでも別に不満はない。そんなものなくても気持ちに変わりはねえし、普通に横にいて話してるだけで、充分楽しい」
お前そうじゃねえのかよ、と横目で迫られると、ナルトは(うっ)とたじろいた。
……いや、そうなんだけど。サスケの口から『楽しい』なんて言ってもらえてそりゃもう物凄く光栄なんだけどさ!そう返事をしつつも頭の中では、(でもさァ…!)という反論が拭いきれない。
「だ、だけどさ。どうせだったら体も触れ合えてた方が、絶対より楽しいって!」
最早完全に決意を固めてしまったらしき彼を刺激してしまわないよう慎重になりつつ、ナルトは言った。「あったかいし、気持ちいいし、それにほら、やっぱ男だし。溜まるもんは溜まるじゃん?」と明るく説得を試みるも、彫刻めいたその表情にはヒビどころかゆらぎひとつ見られない。
「せっかく恋人同士になれたってのに……」
「お前の恋人ってのはそんな事の為の要員なのか」
「まさか!違うってば、でもさ、なんかやっぱ――さびしいじゃん?相手いんのにずっとひとりですんのとかって」
「…………わかった。だったらひとりじゃなきゃいいんだろ」
しばらく考えた後の言葉に「えっ…サスケも一緒に付き合ってくれるって事?」と微妙に上ずった声で訊き返すと、まっくろなまなざしがすうっとこちらに流されてきて「違う。そんな半端な事してたら、お前は絶対途中で我慢できなくなってまた同じ話になるだろ」と淡々と告げた。意味が飲み込めないまま「?じゃあどうすればいいんだってばよ?」と首を捻ると、すぐ横を走り抜けていく車の後部座席に乗る子供が、そんな二人を不思議そうに眺めつつ走り去っていった。本線を行く車の列が途切れたのを見計らったのか、やがて鉄面皮みたいに表情がなくなったサスケが大真面目に宣言する。
「外注だ。ひとりが侘びしいってんなら、プロにやってもらえ」
全く予想もしていなかった単語に絶句すると、「お前、そういう店詳しいみたいだしな」と感情の読めない声が告げた。…多分というか、絶対に昨日風呂場で騒いでいる最中、調子に乗った叔父が言った「ナルトはススキノにはしょっちゅう行ってるらしいからな~」という発言を踏まえているのだろう。湯煙の中ヘラヘラと陽気に笑う惜しいハンサムを思い出すと、ナルトはほんのり涙ぐみたくなった。……くそぅ、やっぱあの人キライだ……!どうしてこう最後の最後に、妙な爆弾を残していくのか。
「あ、あのね、きーてサスケ、オレってば別にそういう事の為にあの街に行ってるワケじゃ」
「別に批難してるわけじゃねえよ。まっとうな金払って外で抜いてくんなら、何も悪くないだろ。あれはあれでひとつの職業なわけだし、そういう意味で浮気じゃないからな」
「……てことは、浮気はダメなんだ?」
「あァ?なに当たり前な事訊いてんだてめえは、殺されたいのか?」
綺麗な唇から飛び出す物騒な言葉に、聞いていたナルトは知らず肌がゾゾと肌が粟立つのを感じた。言っている本人の目はどこまでも真面目だ。サスケ相手に甘甘で初々しい付き合いたてのフワフワなんか期待してはいなかった(いや嘘だ。本当は結構期待していた)けれども、それにしてもいきなりこんな極端な着地点を提示されるとは。まさにオール・オア・ナッシングだ。さすがサスケだ。
――つまり、彼の言いたいのはこういう事なのだろう。
どちらも男である以上、無理に性行為などする必要ない。そもそも精神的にしっかり結ばれた二人の間には肉体関係なんて必要なく、そんなものなくとも関係は変わらないし十二分に楽しいではないか。それでもどうしても男の生理現象として我慢の限界だというのであれば、しかるべき店で相応の金銭を支払って処理してくればいい。それだったら浮気ではないし、自分に対する裏切りではないから別に構わない。
……なるほど、清く美しく、かつ合理的で現実的な解決法だ。確かにどちらにも負担はないし実にフェアではある。あるけれども、だけどなんか、それって。
「――あのさ…サスケ。オレってば別に、性欲処理のためだけにセックスがしたいワケじゃねえってばよ?」
つっぷしていたハンドルから心持ち顔を上げて、ナルトは言った。
「それってそういう事のためだけじゃなくてさ、なんていうかホラ、体を介して気持ちを重ねるというか。まあ要はもっと仲良くなりたいからそうしたいっていう事で……」
「そのくらいの事は俺だって理解している」
「……だからオレってば、ひとりがヤだからとか溜まってるからとか関係無しに、純粋にサスケとしたいんだってばよ?」
「嘘つけ、だったらお前下になってみろよ。俺としたいってだけなら上だろうが下だろうが、どっちだって関係ない筈だろ」
真正面から突きつけられた問いに、ほんの少し言い聞かせるような心持ちにさえなっていたナルトはぐっと言葉に詰まらされた。……確かに、サスケの言い分には一理ある。一理あるといえばまあそうなんだけど、でも男なんだから、自分の体で好きな子を甘く啼かせてみたいと思ってもいいじゃないか。そうは思ったけれど、サスケの言おうとしている事もわからなくもなかった。そりゃまあセックスしたいという大望の前には上とか下とかは些細な問題なのかもしれない。それはもちろんそうなんだけども。
「ほらみろ――…出来ねえんだろ?」
押し黙ってしまったナルトに、サスケは判っていたかのようにせせら笑った。皮肉げに歪む唇が、断罪するかのように続ける。
「上に固執してるって事は、やっぱり挿れて出したいって事だろうが。どれだけ俺の事が好きだとか言ってみたところで、てめえは結局俺を女の代わりにしたいだけじゃねえか」
そういうのは嫌だ、だったらしない方が余程マシだとすっぱり言い切ったサスケは眇めた目で再び窓枠に肘を掛けると、「だからもう、やめにしようぜ。どこまでいったって平行線のままだし、こんな事でいつまでも言い争ってんのも馬鹿みてえだろ」と素っ気なく言った。ハザードランプを点け停車する軽自動車の横を、スピードを乗せた車達が鋭い風切り音を残しては通り過ぎていく。
「女の子の代わりだなんて。……オレってばサスケの事、そんな風に思ってなんかいないってば」
押さえつけるような言い口に静かな反抗心を覚えつつも、ナルトは怒りが顕になってしまわないよう慎重に言った。しかしそれをも見透かしたかのように、冷たい横顔が「フン、」と小さく鼻を鳴らす。
「嘘だ」
「嘘じゃねえって」
「じゃあ詭弁だ。かわいいだとか美人だとか、全部女に向ける言葉ばっかじゃねえか。……あのなぁナルト、もうこの先もする事はないだろうけど、一応念のため釘を刺しておくがな。お前がどれだけ俺の顔が好みでも、俺の体はどうあっても男なんだぞ?」
ようやくこちらを向いたサスケはふかぶかと溜息をつくと、どこか疲れたかのようにそう言った。
合間合間に入り込むハザードランプの几帳面な音が、妙にのんきなリズムで黙った時間を刻む。
「……なにそれ。別にオレってばオマエの顔に惚れてるワケじゃ」
「でも好きだろう?うちの母さんにもいちいちぼおっとなってるし、イズナ見た時なんて物凄い凝視してたじゃねえか」
俺の従兄妹をいやらしい目で見るんじゃねえよとグサグサと突き刺してくる言葉に、言い訳のしようもないナルトはすごすごと肩を小さくした。確かに。あの家に滞在している最中、彼の母親の長く梳られた髪にうっとりとし、突然現れたおしゃまな女の子のつぶらな瞳と小鳥のような囀りに、胸がきゅんきゅんさせられたのは本当の事だ。
「どれだけ俺の事が好きだとか美人だとか言ってもな、俺が男である事はどうあっても、絶対に変えられないんだぞ?胸はねェし、体は硬ェし、抱いたところでお前がこれまで付き合っていた女達に比べたら、そうたいして気持ちよくもないだろうし。……全体的にお前は俺に夢を見過ぎだ。いい加減現実に気付け、馬鹿」
だからもうこの話はいいだろ、車出せよ。
言いたい事を言い終えた途端、どこまでも居丈高に命令してくるサスケに苛立ちを覚えつつも直ぐ様やりこめられるだけの反論も見つからず、仕方なしにナルトはノロノロとサイドブレーキに手を掛けた。納得はいかない。だけれども、サスケの言っている事もまた真実だ。確かにオレは、サスケにかなり夢を見ている。けどしょうがないじゃないか、本当に綺麗だと思うし好きなんだから。女の子が気持ちいいというのもまた真実ではあるけれども、それでも長い長い片思いの間に抱いた夢が大きく膨れ上がってしまう事位、許してくれたっていいのではないだろうか。第一、オレだって別に気持ちよくなりたくてサスケとしたい訳ではないのだ。……ないのだけれど、するならばそっちの役につきたいなと切に願っているのもまた、事実ではあるのだけれど。
「……じゃあ、さ。サスケはもしオレが下でいいって言ったら、オレとしてくれる?それならいいワケ?」
ブレーキペダルから足を離しながらようよう考えた末、カサカサになった喉を励ましつつ問いかけたナルトに、外の景色に視線を投げたままそっぽを向いていたサスケはちらとこちらを見た。
「いや、しない」と言うほの白い頬を、本線に合流する車の中、窓から差し込む明るい陽の光がくっきりと型どっている。
「えっ、それも駄目なの?」
「だってお前、ケツやられんの嫌なんだろう?」
「……そうだけど、でもさ」
「そこまで嫌なら無理してまでやりたいとは思わない。俺もしねえんだからお互い様だ。恨みっこなしでいいじゃねえか」
そう言って、追いすがろうとするナルトをピシャリと跳ね除けたサスケは再びふいっと窓の外に顔を向けると、「大体がお前、そんな事する気無いんだろ?やる気もねェのに訊いてくんじゃねえよ」とボソリと呟いた。
スピードに乗って走る車のフロントガラスからは、迫ってきては下を這うようにして去っていく白線と能天気な程に天気のいい青空が広がって見える。
「なにそれ、そんな事ねえよ。オレってば本当にサスケとできんならって」
「よく言う。そんな事思ってもないくせに」
「あるってば!滅茶苦茶ある!!あるけど、ただその……け、決心が付かないというか」
「ほらな?口だけじゃねえか」
「つかそれを言うならサスケだってそうだろ?ビビってんのは同じだってば!」
思うがまま一息に吐き出してしまうと、狭い車内には嫌な雰囲気の沈黙が通り抜けた。
静まり返った助手席から、ゆらりと険悪なオーラのようなものが立ち上ってくるのを肌で感じる。
「……あァ?なんだと、誰がビビってんだっつーんだよ」
明らかに地雷を踏んでしまったらしき低い声が、ざわざわとシフトレバーに乗せた手から這い上がってくるのを感じた。…ヤバい。ヤバイけど、ここで引いては諦めがつかない。だってこっちだってずっと我慢してきたし、こう言ってはなんだが長年切実に望んできた事なのだ。そう簡単に諦めるわけにはいかないし、諦めてなるものか。
窓の外から目を離さないサスケは、表情は見えずとも漂ってくる空気から察するに、明らかに今じわじわと怒りのボルテージが上がりつつある状態のようだった。剣呑な光のひらめく瞳に気圧されそうになりつつも「だ…だってそうじゃん!昨日だって痛いのは嫌だとかしつこそうとか、無理されそうだとかさ…そんなにオレの事信用出来ねえのかよ!オレってばオマエの恋人だろ!?」と必死で抵抗する。
「……信用位してる」
「だったらさァ!」
「でも嫌だ」
「――んでだよワケわかんねえってば!っちゅーかそもそもさ、オレが下になるにしたってサスケってばオレで勃つの?男の裸なんて興味ないんだろ?」
「まあ……勃つだろ、たぶん」
「『たぶん』!?わかんないのに上になろうとしてたの!?」
「………うっせえ試した事ないからそう言っただけだ。その場になりゃ絶対だ」
「なんだよじゃあやっぱオマエだって挿れて出したいだけじゃねえか!人にばっか言うなってば!」
「違う、俺は上にいきたいわけじゃない。お前の下になりたくないだけだ」
「ハァ!?なにそれ、どう違うんだよ。要はオレに掘られたくないってだけだろ!?」
「――だから、違ェよ!俺をお前みたいなビビリ君と一緒にすんな!!」
尖った怒声がこちらに向けられた瞬間、ぶちりと彼の堪忍袋の緒が切れる音がした気がした。
普段余所では滅多に乱れる事などない整い顔が、苛立たしげに眉をしかめ派手な舌打ちをひとつする。
「そんな事はどうだっていい……痛みなんてもの、俺はどうとでも我慢できる。お前がどうしてもっていうんならケツだろうがなんだろうが、好きにしたらいいだろ!」
「…へ?」
「体なんて欲しけりゃいくらでもくれてやる!けどなァ……!」
泥仕合のようになってきた言い争いの中、ついに現れた告白があまりに意外なもので、ナルトは知らずポカンと口が開いた。
え?そうなの?そうだったんなら、ならなんで?と訳も分からずにいる横顔に、隣にいるサスケからの苛辣な視線を感じる。
「――けど、俺が気に食わないのは、てめえのその心構えだ!お前こんだけ俺が言ってんのに、頭ん中じゃどうあっても絶対俺なんかにはやられないって、高括って見てンだろ!!」
ずばりと射抜いてくる痛烈な言葉に、抱いていた邪まな思惑を看破されたナルトは、思わず息を止めさせられた。
再び窓の外に目をやったサスケが、苛々とした様子で窓に肘を掛ける。
「さっきだってそうだ。泊めてくれって言う時やたら浮かればかりいられんのも、まさか自分の方がやられるかもなんて全く考えてねえからだろうが。俺に妙な夢を描いて、突っ込むことばっか考えて。自分の方が好きだのなんだの言ったところで、結局のところお前は俺を組み敷いて上になりたいだけじゃねえか。そういうのは嫌だ、我慢ならねえ。それに」
長く言葉を紡いでいた唇が先を躊躇うかのようにくっと黙ると、車内には再び重苦しい沈黙が立ち込めた。サスケがどんな表情をしているのか確かめたいけれども、走らせている車の中反対側に顔を向ける彼にそれさえもままならない。
嫌な音をたてる心臓をどうにか宥めつつ、ナルトは動きの鈍い唇を必死で追い立て、「…それに?」と先を促した。
両脇を行く色とりどりな車達が、ごうごうと音を唸らせて横を通り過ぎていく。

「それにお前は端から全然俺を受ける気ないのに――なんで俺の方ばかりが、許してやってもいいなんて思っちまうんだ。それがなんかすげえ…腹立つ。ムカつくんだよ、ナルトのくせに」

……きっと本当は、決して明かしたくなかったのだろう。隠すように手のひらで覆われた口許からムスリと吐き出された本音は、猛スピードで走る狭い車の中、苦く低く響いた。
ハンドルを握る手のひらの感覚が、一瞬完全にどこかに飛ぶ。
ようやくその手の内側に湿った革の質感が戻ってきた時、ナルトはある覚悟を決めるべく、前を見たまま静かに「…なァ、サスケ」と口を開いた。相当捨て身だけれどもう仕方ない。このどうしようもなく意地っ張りでかわいくて面倒くさくて、そうして誰よりも愛しい恋人と、やっぱりオレはどうしても繋がりたい。
「これほんと、訊くの最初で最後、一回だけにするから。本気の本音で答えて欲しいんだけど」
「……なんだよ」
「サスケさ。――正直なところ、オレとしたいの?したくないの?」
黙られた時間が永遠のようにも感じた。
お互い前を見たまま、ひたすらに続くアスファルトの道の果てを見詰める。ほんの少しずつ、地平線に近付いていっている太陽が目に眩しい。突き刺さしてくるようなオレンジがかった光に、僅かに目を眇める。
「………………したくないわけ、ないだろ」
しばらく待った後、やがて助手席の窓に肘をかけたままのサスケが、絶え入りそうな声でぽとりと呟いた。回転を続けるエンジン音にかき消されてしまいそうになるそれを、一言も取り落とす事なくナルトの耳は拾い上げる。

「だから言ってるじゃねえか、俺は男だって。――好きなやつとセックスしたくない男なんて、この世にひとりでもいんのかよ」

瞬間。
ガコン、という乾いた音をたてシフトレバーが切り替えられると、サンセットオレンジのコンパクトカーは派手にひとつエンジンを吹かした。流れる本線の中すぐ見えてきた出口の看板を見つけると、スピードをのせた小型車は迷うことなくウィンカーを出し、そのまま出口車線へと滑り込む。
「………おい、どこ行くんだナルト。ここまだ下りるとこじゃねえぞ」
標識に書かれた馴染みのない街の名前に、訝しみを隠せない様子のサスケが訊いてきた。そりゃあそうだろう、オレだってこんな途中下車全く考えてなかったのだから。そんな事を思いながら螺旋状になった急カーブに身を預け、やがて無言の中見えてきた料金所に、緊張しつつも息を吸う。
――もう一度「おい、」と尋ねてくる、サスケの僅かに揺れる声がする。
それには答えずハンドルをもう一度握り締め、アクセルを踏んだナルトは真っ直ぐに、出口ゲートを潜った。