第三話

灰色の背広を着た男性は、実はまだ40代前半位なのではないかと思われた。
額がつるりと広いのに、頭頂部の髪だけが異様に多い。
どうなってるのかなあと思いながらも視線がそこにいってしまわないよう気をつけていると、咎めるような軽い咳払いが部屋にこだました。
「……うずまきさん、ですね?何故うちの社を受けようと思ったのですか?」
ええと、御社の商品が好きでよく購入していたからです。
「それはどうも。うちの商品のどこが気に入ってくれたの?」
美味しいし、パッケージも好きだし、あと手軽に購入できるところ、……です。(手軽ってスバラシイじゃないかと思って答えた回答だったが、どうも面接官のお気には召さなかったようだった)
「自分はどんな人物だと思いますか?」
意外性があって、面白いやつだってよく言われます。
「誰から?」
…… みんなから。
「その目と髪は生まれつきですか?あ、クォーター?じゃあもちろん英語とかは話せます?」
(うっせーオレは生まれた時からずっと日本人だっつーの)イエ、英語はちょっと。
「あ、そうなの。では、これまでの人生の中で最も辛かった経験をきかせてもらえますか」
(コイツ本当にそんな事聞きたいと思ってんのかな、と思ったので少しだけ爆弾を投下してみることにする)両親が飛行機事故で亡くなった時ですかね。
「…それは……えー……ご愁傷様でした…。で、では仕事をする上で一番大切なのは、何だと思いますか?」
最後までやり遂げるということです!(キッパリ!)
「でも大学は中退されてるんですよね?」
は、その通りです……。
「では最後に。10年後の自分はどんな風になっていると思いますか?」
――そんなの。
わかるもんなら、オレの方が教えて貰いたいくらいだってば。

     ☆

自宅に戻ると、留守録の赤いランプが点滅しているのが見えた。
メッセージを再生すると、つい先程聞いたばかりの声が不採用を伝えてくる。面接の途中から『あ、これダメだわ』と早々に感じていたので、たいして悲しくもなかった。こんなに早く結果が出るなら、いっそその場で言ってくれても良かったのにとさえ思う。出会って2分の人間にあんな不躾な質問ばかりする癖に、どうしてこんなところでだけ妙な気遣いをみせるのだろう。会社って不可思議だ。
大学を辞めた後、こうしてバイトの傍ら企業の面接に赴くのはまだ今回で三度目だ。
フリーターのままでも当分はいいじゃないかと思っていたナルトに、仕事に就きたいのなら早くに動いた方がいいと勧めてくれたのは、生まれて初めて行ったハローワークのカウンターに座っていた女性だった。
黒髪のショートヘアがよく似合っていた彼女は、今ひとつやる気のなさそうなナルトに向かって言い聞かせるように言った。あのね、動くのを止めてしまうと、動き方を忘れてしまうの。お尻に根っこが生えちゃうのよね。だから動けなくなる前に、出来るだけ動いておかないと。
そんなモンですかねと面倒に思いつつも就職活動をしてみて解ったのは、世の中というのが恐ろしく細分化された世界なのだという事実だ。
国があって、産業があって、業種があって、企業があって、職種があって、部署があって、班があって、人がいて。無尽蔵に散らばっているように見えていて、その実、全部がどこかで繋がっている。
すごい、と素直に感嘆した。
そして自分のあまりの矮小さに、ちょっとガッカリもした。
不要になった企業案内のパンフレットを、ぺらぺらと捲ってみる。と、ふと目に留まった会社の組織図に、ページを繰る手が止まった。聞いたこともないようなグループ企業までもが掲載されたそれを、無感動に眺める。
なんだっけなこれ。なんかに似てるような気がするんだけど。
細かく分けられたブロックが、中心から蜘蛛の巣のように広がっていく線で無尽に繋がっていく相関図。変に見覚えのあるそれがなんだったのかを思い出すのを早々に放棄して、ナルトはパンフレットをゴミ箱に突っ込んだ。
いつまでも馴れてこないリクルートスーツをハンガーに吊るして、歩いて数歩のキッチンで立ったままパックから直に牛乳を飲む。狭い部屋って便利だ。貧乏も捨てたもんじゃない。
そんな事を考えながらチラと玄関を見遣ると、端に寄せたままのダンボール箱が目に入った。ふー、と息をついて箱の前でかがみ込む。ゴソゴソと中身を掻き分けると、底の方で横たわる探し物は容易に見つかった。
摘まみ上げるようにそれを拾う。そのまま尻を着いて胡座をかくと、ナルトは目の前の床に折り畳まれた刃物を据えた。


「うちはサスケ」と いうのが、あの管理人の名前なのだそうだ。
アパートへと戻る管理人を見送ったシカマルに、その名を教えてもらったナルトは、一瞬聞き齧っただけで一文字も違えることなくそれを聞き取った、自分の耳の優秀さにちょっと感心した。
生まれ育ちはここ**市で、同じくずっとここが地元のシカマルとは幼稚園から付き合いがあったが、うちは家はその「サスケ」が小学校を卒業する前に家の事情とかでとある地方都市へ引っ越してしまったらしい。間にブランクこそあるけれど、シカマルとはいわゆる幼馴染というやつになるのだ。道理で親しげなわけだ、と面白くもない気分でナルトはその説明を聞く。
「この辺でうちはっていやあ、結構な大地主でよ。あのアパートも多分、そのうちのひとつなんだろうな」
本家はここではなく北関東かどこかの方だそうだが、戦後のゴタゴタの時期になんの縁があったのか、この辺りの土地をうちは家が広く買い求めた事があったらしい。
まーいつだったかうちのかーちゃんから聞いた話だから、どこまでが本当かはわかんねェけどなと断りながらも、思いがけない幼友達との再会にいつになく興奮気味な様子のシカマルが、機嫌のいい声でそう言った。
なるほどね。それで、あの若さで大家さんってわけか。
卑屈さを滲ませてそう思ったナルトに、しかしシカマルはさらりと告げる。
「あいつ、全然嫌なヤツなんかじゃないぜ?むしろ男女共に好かれてたんじゃねえか」
「はァ!?」
「いや、マジで。あの顔だし、運動も頭もとにかく出来がよかったからやっぱ昔からすげぇモテてたんだけどさ、胸がすく程どの女も相手にしてなくて、そこが男たちからの反感を上手いこと逸らしてたっつーか」
そんなバカな、と呟くナルトにシカマルが苦笑する。じゃあ先日のあれは。あれはなんだったのか。
「お前の方が、なんかあいつを怒らせるような事をしたんじゃねえの?」
ニヤついた笑いを浮かべる友人にくってかかると、揶揄するようにそう言われた。裏切り者め、と唸るとかつての味方は心外だとばかりに肩をすくめる。
「まあ、一度ちゃんと話してみたらどうだ?案外お前ら、気が合いそうな気もするぜ?」

(確かに、あれはちょっと言い過ぎだったかな)
つい今朝方繰り広げたばかりの管理人とのやり取りを思い出しながら、ナルトは普段よりはきちんと撫で付けてあった金髪をボリボリと掻いた。激情に火花が散ったような、黒い瞳を思い出す。
(………怒ってたな)
そりゃそうか、と自分でも納得しながらちょっと項垂れる。
感じ悪いのは同じでも、今朝は別に何か言われたわけでもなかった。ホンの少し、あの嫌味な口調をシカマルに聞かせたかっただけなのだ。しかし今になってみると、それさえもくだらない腹いせでしかなかった事にやっと気がつく。
意味もなくあんな事、どうして言ってしまったのだろう。あれじゃまるきり、はた迷惑な絡み屋じゃないか。
自分自身に少し幻滅しながら、目の前で鎮座する鋸をじっと見詰めた。「バラして捨てろ」と言い切った、冷めた声が蘇る。
大切に使い込まれたウッドスティックは、高2の時に事故で他界した父親が選んでくれたものだった。最初カーボン製の軽くて頑丈なものが欲しいと強請ったナルトに、笑いながら諭すように語った声をおぼろげに思い出す。――うん、確かに木製は重いよね。でも、柔らかくてしなやかなウッドの方が、きっとナルトにはぴったり寄り添ってくれるんじゃないかとオレは思うよ?
……笑い方に「揺れ」のない人だったな。記憶の中に新しい発見をすると、無性に父親の声が聴きたくなった。途方も無く穏やかな人だったけど(だからこそあんな烈火のような母親の相手ができたのだろう)、……そう、いつも一定の稜線の上で笑っているような人だった。へこたれた気持ちに負けて、ひとりでべそべそしながらうずくまっているような時も、決してぶれることのないその調和のとれた笑顔に触れると、いつだって気持ちが落ち着いた。
――あの父にも、気持ちが乱れる瞬間があったのだろうか。
惨めだとか、卑屈だとか、嫉妬だとか。そういうみっともない感情に、掻き乱されるような事があったのだろうか。
……思いついてみると、どうしても訊ねてみたい気がした。もちろんこれまでだって、何度も何度も両親の事を思い出しては、寂しさや悲しみに咽せた事はある。しかしこれまでで一番、どうしたってもう二度とそれを父に確かめてみる事ができないのだという当然の事実が、ひどく切実に感じられた。不意にじわりと喉の奥から込み上げたものを、深く噛み締めてなんとか飲み下す。
鼻の奥が変に熱い。座した僅かな板間からは、玄関の三和土から這い上がってくる冷えた硬さばかりが伝わってくる。


踏ん切りのつかないまま胡座をかき続けていると、腹の方から空腹を告げる暢気な音がした。奇妙にホッとしたような気分で足を解き立ち上がると、財布と携帯だけを持って踵を潰したスニーカーを引っ掛ける。
今日はなんだか色んな事があって、いつもよりも草臥れてしまった。我侭を言えるような立場ではないのは重々承知しているが、夜勤明けにそのまま面接へ赴くのは、やはりできるだけ避けた方が良さそうだ。
ドアを開けて廊下に出ると、アパート前に見慣れないセダンが停まっているのが見えた。銀の車体が、赤く染まり始めている日に照らされている。
運転席に見慣れた頭を発見したナルトは、急ぎ足で共同玄関に向かうと深く息を吸った。

「――カカシ先生!」

運転席に向かって大きく手を振り声をあげると、開けられた窓からよく見知った顔が覗いた。いつもながら、寝ぼけたような目をしている。
「先生ってば、車持ってたんだ?」
「いや、これはレンタカー。今借りてきたの」
運転席の横に駆け寄ってきたナルトに、レンタカー会社のロゴが入ったブルーのファイルを見せながらカカシが言った。ま、運転は得意なんだけどねと付け足すように言う顔はなんだか得意げだ。
だったら自分の車買えばいいのにと言ってやると、ヤダよ、ここら辺じゃ駐車場代だって馬鹿になんないでショ、とやけに現実的な事をボヤいた。
「学校は?」
「行ってきたけど、今日は早目に帰らせてもらったの。ちょっと野暮用でね」
「へえ、これからどっか行くの?……あ、もしかして、デート?」
夜景でも見に行くの~?などと自分でもイヤラシイと解る顔で冷やかしを言うと、恩師は呆れたような苦笑を返してきた。ま、デートといえなくもないかもしれないけどね、などと妙にどっちつかずな答えの途中で、急ぐような足音がアパートの方から微かに聞こえてくる。
音に振り返ったナルトの目に、ガラス窓の向こう側で跳ねる黒髪が飛び込んだ。小振りなナイロンのボストンバッグを手に、腕時計に視線を落としながら足早に共同玄関を抜けてくる管理人を見つける。

(うわ、出た!)

知らず身構えてしまう自分を自覚しながら、恐れとも期待ともつかない気持ちのまま見つめ続けていると、共同玄関のステップを軽やかに降りきって顔を上げた管理人と、いきなり目が合ってしまった。力のある視線に、思わず目が泳ぐ。
こざっぱりとした軽めのジャケットにコットンパンツを穿いた管理人は、今日はもう仕事終いを済ませてきたようだった。今朝は形だけでも挨拶をしてきたのに、仕事中ではない今はもうそんな気遣いは無用ということなのだろうか。すました横顔は目の前の店子に挨拶どころか、会釈ひとつも寄越さない徹底ぶりだった。

「待たせたな。行くぞ」
「……ハイハイ」

悪びれた様子もなく年長者であるカカシに指示をすると、管理人はナルトを無視したまま助手席へ回り込んだ。それを見たカカシが自然な動きでその身を伸ばし、管理人が着く前に助手席のドアを開ける。
開かれたドアの隙間から、スルリと滑り込むようにして乗り込んできた管理人がシートに落ち着いたのをみると、「じゃあね」と笑みをひとつ残して、カカシはナルトとの間にあるウィンドウを閉めた。乾いた音をたててエンジンが掛かり、二人が乗ったセダンは素っ気なく走り去っていく。

…………どこが、嫌なヤツなんかじゃないって?

慧眼には信をおいていたはずの友人の言葉に、ナルトは今度こそ叛意を翻したい気分になった。むらむらと湧き上がる、意味のわからない焦燥。
微かに残る排気の匂いに少し咳き込むと、暗くなって行く道路を見渡して車が消えていった先を見定めようと目を凝らしてみた。
残光に霞む町並みに、それを見つけることは叶わなさそうだった。