第二話

予期せぬ美形の登場に、ともすると怯みそうになる気持ちも落ち着いてくると、ナルトはどうにか止まっていた呼吸を再開した。「……何の御用ですか」などと、今更ながら取ってつけたような敬語を使う男に、コレなんだけど、と下に抱えたままのダンボール箱を見せる。
小引き窓からこちらを睨んでいた管理人だったが、それを見ると、「あぁ、」と納得したような声を出した。長い睫毛に縁どられた切れ長の黒い瞳が、改めてナルトの顔に視線を戻す。
品定めするかのように、ゆっくりとそれが眇められる。
かと思うとひと呼吸分だけの間が置かれ、
「……フン」
と小さく鼻先で笑い捨てた音が、ナルトの耳まで確かに届いた。

    ☆

(――― なに今の)
明らかに好意的とは思えない態度に、ナルトはかあっと頭に血が昇るのを感じた。
一瞬でも見蕩れてしまった自分が無性に腹立たしい。縺れそうになる舌を励ましながら、ナルトはどうにか一矢を報いようと必死で声を張った。
「これ!張り紙されてたんだけど!」
「はあ」
「前の時もなんだけど!」
「知ってますよ」
それが?と細めた目のままで管理人が言う。言葉こそ丁寧だが、言ってる態度はどこまでも不遜だ。
――イヤな奴だ!!!!
迷う余地もなくナルトはそう即断した。見つめ返してくる傲岸そうな顔つきが、更にそれを助長する。
「袋に入れろとか!無理だろこれ、ぜってー入らねえってば!」
「入れてください」
「だってスティックとか!どう考えてもアウトだってば、見りゃわかんだろ!?!?」
「それ、木製ですよね?」
なら、折るか切断するかして、バラして捨てれば?
酷薄そうな表情に加え、物騒な物言いに思わずひやりとした。バラすって……。
無神経な言い方に、ムカムカとした不快感がひたすら募る。
「そ……んな事、できるかァ!」
「あっそ。じゃあ粗大ゴミとして出すんですね。有料ですので、市が発行するゴミ処理券を自分で買ってください」
「っていうか、そもそもコレ普通ゴミなのかよ。本当に燃えんのか?ヘルメットとかもあるんだぞ!」
「燃えますよ」
「こんな固いのに!?!?」
「大丈夫です」
「すげえ頑丈なんだぞ!?!?」
「…………しつけェんだよ、燃えるっつってんだろが!」
ストーカー式焼却炉なめんなよ、と急に凄みのある声になった管理人が、尖った目付きでナルトを睨めつけた。ス・ストーカー?と間抜けに返せば「**市の焼却施設。摂氏900度で強化プラスティックもきっちり灰にできっから」と投げやりな言い方で返してくる。な、なんだこいつ、なんのマニアだよ。急変した言葉使いに整った顔が不気味にも見えてきて、ナルトは一歩後じさる。
「あと、廊下にゴミを置くのは厳禁だ。虫が寄る」
「……植物はいいのかよ」
「手入れがされてるなら景観を損ねないからな」
(なんだそれ、景観なんて気にするような物件かよ!)
自分の住まいであることも忘れて、ナルトは内心で思い切りつっこんだ。それでも考えうる抗議全てが言い負かされて、悔しさに言葉が見つからない。
ぐうの音も出なくなった様子のナルトを認めると、管理人は奥にある納戸らしき扉を開き、ガタガタと音をたてて何かを引っ張り出してきた。「ほらよ」と言いながら小窓の前にある小さなカウンターにそれを置き、唇を噛み締めたままのナルトの顔を覗き込む。
特別に貸してやる。それで小さくして捨てろ。
「そんなチャラチャラしたなりしてねえで、社会人ならルールくらい守りやがれ」
そう言い捨てると、黒髪が引っ込んで曇りガラスの小窓が撥ね付けるように閉められた。「それ、必ず返せよ」と、付け足すような声が窓の向こうからすると、再び金属音と共に鍵が掛けられる。
カウンターには、バタフライナイフのように折り畳まれた小ぶりの鋸が乗っていた。しばらくは呆然とそれを見下ろしていたナルトだったが、ポケットの携帯からの着信音にはっと気が付くと、恐る恐るそれに手を伸ばす。
触れ難いものに手を掛けているかのように、指先で木製の柄の部分に触ると、急いでつまみあげるようにしてそれをダンボールの中に落とした。
動悸を打つ心臓を宥めながら、鋸の行方を見届ける。
箱の中身にそれが紛れ込んだのを確認すると、ナルトは尻ポケットから携帯を取り出し、通話ボタンを押した。



「ありえねえってばよ、あの感じの悪さ!!」
午前零時のロッカールーム。ベンチに座ったまま喚くナルトに、前で着替えをしていたシカマルが苦笑した。
都内にある、とある企業の本社ビル。ここの所、固定で派遣されている勤務地だ。
大学に在籍していた頃から世話になっている警備員のバイトは、大学を辞めてからもそのまま続けているものだった。体力と腕っ節には少々自信があったし、なにより給金も悪くない。中々に熱心な仕事ぶりのナルトを気に入っている社長からは、退学したのならいっそうちの社員にならないかと声を掛けられているほどだ。
とはいえこれまではその勤務時間の不規則さに若干辟易していたところもあったのだが。大学をやめ、日中就職活動をする身となってからは、これまで不満だったそれが逆にありがたかった。
「へえ、そんな若い管理人なんてねえ。お前、どこに住んでるんだっけ?」
「**市」
「え?そうなのか?」
俺んちと同じじゃねえか。驚いたようにそう言って、シカマルがスチール製のロッカーを閉じた。
見開かれた三白眼が、ナルトの方に向き直る。
「**市のどこ?」
「〇〇町」
「マジで近所じゃねーか!」
こんな偶然もあるもんなんだなぁと、普段あまり驚くような表情を見せないシカマルが感心したように言った。警備員としては頼り無さ過ぎるのではないかと、ナルトが常々思っている細い体躯を折り曲げて、行儀悪く座る金髪頭の隣に座ると、支給されているブーツの紐を締め直す。
バイト先で知り合った同い年のこの友人は、事あるごとに「面倒くせェ」を呟く横着者だ。そんな彼を軽く見倣している同僚も多かったが、怪力もバイタリティもないこの男が、実は誰よりも派遣された先の勤務地の警備が手薄になっている場所や、狙われそうな場所を即座に見抜く目を持っている事に、ナルトはこっそり気がついていた。
人には特別吹聴していないから職場では殆ど知られていないが、日中は偏差値の高さでは間違いなく日本一の某国立大学に通う学生なのも、以前渋々といった感じで教えてもらったことがある。どういった経緯で彼がこんないかにも不向きそうなバイトを選んだのかは聞かせてもらえなかったが、ナルトにとってはバイト仲間の中でも、特別に気に入っている友人であることには違いない。
「ナルト、お前今日朝までのシフトになったんだっけ?」
「あ、そうなんだってば。シノが来れなくなったからって、さっき本部から連絡きてさ」
「んじゃ、俺もその時間にあがるから。一緒に帰るか?」
思いがけない誘いに、顰め面のままだったナルトは少しだけ目を丸くした後で、にまりと笑った。帰る帰る!と賑やかに言うと、座っていたベンチから弾みをつけて立ち上がる。
今日は夜勤だから、あがりの時間は翌朝の8時頃だ。うまくいけばちょうど管理人が外の掃除をしているところに、シカマルとふたりで出会えるかもしれない。
心強い味方を得たような気分に、ナルトは想像した。
あの嫌味な管理人を、是非ともシカマルにも見せたい。そして後で一緒に、あのスカした態度をこき下ろしてやるのだ……さぞ気分が晴れるに違いない。
いつになく底意地の悪い思いつきに自分でうっとりとなりながら、ナルトは制帽を目深に被った。



「――どこ?」
「そこの角を曲がったとこだってば」
案内をするために一歩先を歩きながら、ナルトは大分慣れてきた道をシカマルと共に進んでいた。夜勤明けの目に、朝日が容赦ない攻撃を仕掛けてくる。
駅に向かう大きな流れの中を逆流していると、何も悪い事をしていないはずなのに、なんとなく後ろめたいような気分になる。「悲しき小市民」。急ぎ足の人々から避けるかのようについ下を見てしまうと、そんなフレーズがぼんやりと頭をよぎった。
「あ、あの茶色い建物だってばよ」
指差した先のアパートから、洗いざらしたオフホワイトのカットソーにジーンズ姿の管理人が、水が張ってあるらしきバケツを持ってちょうど出てくるのが見えた。
タイミングよく、朝の清掃時間に間に合ったらしい。
慌てて近くのマンションの影にシカマルを引き込むと、共に管理人の様子を観察することにした。
件の管理人は無表情のまま大きなガラス張りの共同玄関の外側に回ると、軽く腕まくりをしてかがみ込み、バケツから水の滴る雑巾を引き上げた。くっ、くっと何度かそれを絞り上げて広げると、通りに背を向けて朝日を弾く玄関のガラス窓を拭き始める。
そういえば玄関のガラス窓が曇っていた事ってないなと今更ながらに気がついて、ナルトは少しだけ感心した。なるほど、こうして毎朝磨いていたってわけか。
(うわ……なんつーか、)
言葉にできないまま思わず漏れた溜息が、壁に張り付いている手の甲を撫でた。
まっすぐに伸びた背筋、無駄のない体躯。申し分なく伸びた四肢が、優雅な伸びをするように窓に広がっているのが、たまらなく気持ちよさそうだ。
ガラス窓の上から淡々と左右に動いていく雑巾は、端までいくとぴしぴしと小気味よくターンを踏んでは徐々に下へと降りていく。
きゅ、きゅ、と磨かれたガラスの歌う音がここまで聴こえてくるようだ。
カットソーから覗く白い腕が、正確なワイパーのように振れている。
「あれか?」
惚けたような顔のナルトに、シカマルが遠慮がちに声を掛けた。は、と気がついてシカマルの方を見ようと思うのだが、どうしたことか目が管理人から離れられない。
「……そうだってばよ」
視線を管理人から外す事を諦めて、マンションの影に隠れたまま返事をすると、シカマルが降り注ぐ朝日の眩しさに目を眇めながらナルトの見詰める先を検めた。
「後ろ姿だけじゃよくわからねえが。けど確かに若そうだな」
「前から見るとムカつく程のイケメンなんだって」
「へえ」
「クソ、アイツ足もあんなに長いのかよ!腹立つわー」
「そだな」
「まったく、女みてェに白くて肌キレーだし!」
「ナルト?」
「うわっ、見ろよあの頭!ちっせー、頭ちっせー!」
「……おい!」
気付けのような友人の声に、再度意識が取り戻される。
半分ぼやけたような頭でゆっくりと声の元へ顔を向けると、何だか心配そうな顔のシカマルがいた。
「大丈夫かよお前。さっきからそれ、全然貶してねェぞ」
むしろすげー褒め称えてるようにしか、聞こえなかったけど。
呆れたようなシカマルの声に、ナルトは微妙に引きつった笑いを浮かべた。は?何言ってんの、オレがあんな奴褒めてどーすんだ?
「…………いやいや、こんなのはまだ単なる敵状視察の一部だってば。アイツの嫌味ったらしさは、口を開いてからが本領発揮だからよ」
いいから、みてろよ?
言い残して、ナルトは出来うる限りの素知らぬ顔を造って、窓拭きを続ける管理人に近づいていった。
磨かれて鏡のようになったガラスに、ナルトの姿が映り込む。管理人はそれに気が付くと、伸ばしていた腕を止めて、首だけでちらと振り返った。差し込む光に目を細めながら、表情のないまま「おはようございます」と杓子定規な挨拶をしてくる。
「オハヨウゴザイマス。朝からゴクロウなことで」
「……仕事ですから」
「ふうん。道理でここの窓いつもキレイだと思った」
何の気もなしにそう告げると、虚を突かれたかのように管理人が一瞬きょとんとした。そうしてみると、キツそうに見えた瞳が実は黒目がちで、案外可愛らしく見える事にナルトは気がついてしまう。
なんだか急に狼狽えたような気分になって、ナルトは羽織ったシャツの裾を握りしめた。
「べっ、べつにだからなんだっていうわけじゃねえけどな!こんなとこ、キレイでも汚れてても関係ねえし!」
「……あっそ」
途端に仏頂面に戻った管理人は、バケツに寄って手にした雑巾を濯いで絞りなおすと、早く行けと言わんばかりに再びガラス窓に向き直り背を向けた。取るに足らない相手だと思われているのが丸判りで、俄かにナルトは酷く悔しい気分になる。
「こんなボロアパート、今更キレイにしたところでしょうがないんじゃねえの?」
突っかかるように言った言葉に、管理人の動きが一時停止した。目障りなものでも飛び込んできたかのような、うんざりといった顔で反論を呟く。
「 プーの癖に、人の仕事にケチつけてんじゃねぇよ」
「オレってばプーじゃねえし!大体なんだよ、オマエだってまだ若いくせに、こんな地味な仕事してんじゃねえか。ジジくせえったらありゃしねェってば」
「……ンだとォ?」
低く唸るように言って振り返った管理人の表情は、昨日とは比べ物にならないほどの怒りに満ちているようだった。
しまった、言い過ぎだ。すぐさま自分でもそれが判ったが、後戻りができない。
もういっぺん、言ってみろよ。
地を這うような声がナルトの足を竦ませたその時。
「――サスケ?」
訝しむような声が、険悪な空気が漂いつつある二人の間に割って入った。少し驚いたような笑顔を浮かべて、シカマルが歩いてくるのが見える。
「お前、うちはサスケだろ?うっわ、久しぶりだなあ、オイ!」
「……もしかして、シカマルか?」
そうそう!と明るい声を出すシカマルに、管理人はぎこちなくも微かな笑顔を浮かべた。「なんだよ、こっち帰って来たんなら連絡位しろよな」などと気易い言葉を口にしながら、腕まくりしたままのカットソーの腕を躊躇うことなく掴む友人を、ナルトは呆然と眺める。
(……なんだ)
コイツ、ちゃんと笑えんじゃねえか。
何故かうっすらと裏切られたような気分になり、図らずも口が尖っていくのがわかった。敬語が消えた管理人が、何言かシカマルと会話している。
しかしそれを横目にでくのぼうのように立っているナルトの頭には、それさえもろくに入ってこなかった。
とりあえず部外者は、どうやらオレの方らしい。親しげに笑い合う2人を観察した結果、ようやくそれだけは理解する。
(コイツにも名前、あったんだな…………)
ひとりだけ置いてきぼりにされたような疎外感の中、当たり前の事に気がつくと、なんだか妙に胸がざわついた。
うちは、サスケかぁ……。
胸の中でもう一度こっそりとその名を反芻しながら、初めて見る管理人の表情を盗み見る。
なんだかとてつもなく重要なパーツのように思えたその情報は、鼻先に拗ねたような皺を寄せたままのナルトの胸の中に、やわらかく落とされた。