ドーピング
塹壕のすぐそばで起爆したトラップの爆炎が、汗と泥で汚れた頬を熱く焼いた。
もうもうと立ち込める粉塵が視界を奪う。
煙が晴れてサスケの目に入ったのは、近くの塹壕で同じように泥だらけで座り込む小隊のメンバーだった。迂闊にも敵方の情報操作に引っかかってしまった事が一番の敗因だろう。どの顔にも疲労の色がありありと浮かび、戦況の厳しさを雄弁に物語っている。
「やっべえな…もう十日目かよ」
そろそろチャクラ切れも、かなり切実になってきたんじゃねえか?
白い毛並みが泥と埃ですっかり茶色くなった相棒と、身を寄せ合うように座り込んだキバが溜息をつきながら言う。珍しく長期戦となってしまった戦場で、応援を頼んでから早五日。要請してから随分と経つのに一向に現れない増援部隊に、もしかしたら伝令そのものが途中でやられてしまったのかもしれないという考えがちらりと頭を掠めたが、すでに項垂れる気力さえも残っていなかった。
「――あ!…あれって」
比較的体力のある若い忍が遠くを指して小さく叫んだ。
言われた方へ目を凝らすと、ぐんぐんとスピードをあげて近付いてくる金色の影。
「わりぃ! 随分と待たせちまったな」
「ナルト! てンめぇ、おっせーよ!」
動く力ももう残っていないのだろう、現れた増援に赤丸に寄りかかったままのキバが遠慮のない罵声を振り掛ける。苦笑を浮かべながらもナルトは精魂尽き果てた様子の小隊を見渡すと、「あー、じゃあまずは取り敢えず全員動けるようにしなきゃかな」と呟いて、掌にオレンジの光を集めだした。とん、とキバの肩を軽く叩くと、そのまま次々とほかのメンバーの身体にも触れてチャクラを渡していく。
最後に座り込んだまま動けなくなっていたサスケの前に立つと、ナルトはニヤニヤとした笑いを浮かべた。
「なんだよ、お前にしちゃあ珍しくこっぴどくやられてんなあ、サスケ」
「うるせえ。いいからとっとと俺にもその……んんっ、ム――!?」
チャクラ寄越せ、と言おうとした声は止める間もなく急接近してきた唇によって押し止められた。慌てて逃げようとする頭を、大きな両の掌が黒髪の掛かる耳ごと両側からがっちりと固定する。
されるが侭、いいように形を変えられる唇。
隣にいた若い中忍の口はあんぐりと開いたままだ。戦場で響く密やかな水音。呆然と見守る小隊のメンバーを余所に、長い長い口付けは延々と決行された。
「…い…い・か・げん…に、しろォ! このウスラトンカチがあ!」
どかっ! と派手な音をたててサスケの足が蕩けそうな顔のナルトの鳩尾を狙って思い切り繰り出された。溢れた唾液を荒々しく手の甲で拭いながら、真っ赤になったサスケが勢いよく立ち上がる。
「なんっっで俺だけ口移しなんだ!?」
「だってオレだってサスケ補給させて欲しいってば!」
まだ全然足りてないのにー!
そう叫ぶナルトを塹壕から容赦なく蹴り出して、続けざまにサスケも敵陣に向かって飛び出していった。動きを見せるふたつの影に敵方の再びの応戦が始まる。そこを突っ切るようにして駆け抜けながら、きな臭い埃が渦巻く戦場に、金と黒の後ろ姿はあっという間に飲み込まれていった。
「犬塚隊長…あの、あれって…」
「あー…うん、まあ、お前らもそのうち慣れるって」
さーぼちぼちオレらも行くかあ。
キバがのろのろと立ち上がる。あいつら、ああなるとやたら強えぇんだよな。うんざりするような気分でそう思い、遠くに閃く雷を見る。あーあー、まったくあんなにも張りきっちゃって。ほんと好きだよなあいつら、敵さん残ってっかな。
(……ご愁傷様)
ついさっきまで散々やりあっていた敵の忍達に向かい、胸の中でキバはそっと手を合わせた。
宣誓
注・engageと対になっています
不安に駆られて翳した手の甲を、微温い吐息が撫でた。
ほお、と安心して吐いた溜息に、白い肩が小さく身動ぎする。
ずれ落ちそうになっている毛布を直そうとすると、滑らかな背中に赤い痕跡が幾つも残されているのに気が付いた。また怒られるなあと思いつつ、満足に顔が緩むのが抑えられない。
無理をさせすぎたかな、という反省はもう数え切れない。激しくしすぎた後の彼は本当に白く燃え尽きたように見える時があって、しばしばオレを不安にさせた。
疲れ果てて眠る彼の呼吸を、つい確かめてしまうのはそんな時だ。
優しくしたいと思うのに、温かなサスケの内側に包まれればそんな決意はすぐに何処かへ行ってしまって。自分の中の凶暴さを抑えるのが精一杯で、何度身体を重ねても余裕が持てない。
その身体も、生き方も、全部を自分のものにできたと思うのに、どうしてこんなにも不安になるのだろう。愛されているという自信はあるのに、ふと気がついたら手からすり抜けていってしまいそうで、何時までたっても気が抜けない。
……もし本当に。
この熱が、消えてしまう日がやってきたら。
そんな事を考えつつ、さっきまでその頬にあてられていた掌を、そっと開いて眺めた。
自慢じゃないがオレはサスケのいない世界では、生きていけない自信がある。
置いていかれるのはもう二度と御免だから、もしもその時がきたら旅立つその背中を、ただちに追いかけなくてはなるまい。――そんなことを。実はこっそり、決意している。
怒るかなあ。怒るよなあ。
また「うぜえ」とか言われそうな気もするのだけれど、でもひょっとしたら案外、ちょっと嬉しそうだったりして。そんなことないだろうか?
でもたとえそうだったとしても、絶対に口にしちゃ駄目なのだった。うっかりそんなこと指摘したら、追いかけるどころか真っ先にあの世に送られてしまうかもしれない。そこだけは本末転倒にならないよう、よくよく注意しなくては。
けっこう難しいのだ。
オレの最愛の人は、同時に史上最強の恥ずかしがり屋でもある。
額に張り付いたままになっていた黒髪を、そっと払う。その動きに微かに震える睫毛が愛おしかった。
そうだ、彼が目覚めたらこの決意について、ひとつ宣誓してみようか。小さな思いつきに、悪戯を仕掛けるような高揚感が胸を包んだ。波打ったシーツの狭間に見える投げ出された白い掌。ようやく普段の体温に戻ってきたらしいそれを、両手でそっと、大切に拾い上げる。
大好きな黒い瞳がひらくのが、只々待ち遠しい。
stay!
部屋の隅にセッティングされたクッションに座らされてから、もうどれだけ経っただろう。「そこに座れ」と言いつけた当の本人は、先程からずっとソファで忍術書らしきものを読むのに没頭し続けたままだ。
二人で折半して買ったソファなのに、この待遇はちょっと理不尽なのではないだろうか。しびれ出す足をもぞもぞと動かしながらオレは思う。……折角の、オフ日なのにさ。
本当なら俺が本気を出せばこんな距離を詰めるのは簡単だ。その肩を抱き寄せて、隙間なくくっついて、出来ることならば間にある邪魔っけな衣類なんかも全部むしり取って、ココロもカラダもぴったり溶け合わすのなんかお手の物。
だけどそんな欲望に必死で蓋をして、言われた通り正座し続けているオレはなんて従順な彼氏なんだろう。それもこれも全部、ひとえにまばたきひとつ投げかけてもくれない愛しい人の意見を、オレが常日頃から最大限に尊重しているからに他ならない。
オレってばなんて出来た彼氏なんだろう。
いたいけな恋人を無視し続けている麗人をチラリと眺め、その氷の横顔に思わず自画自賛してしまう。
「あのー……サスケ? もしかして、なんか、怒ってんの?」
「……いや、別に」
恐る恐るの質問に、帰ってきたのは素っ気ない返答のみ。怒っては…いないみたいだけど。それにしてもまた随分と冷たい対応だ。
「怒ってるんじゃないならさ、そっち行ってもいい?」
「ダメ」
甘えた声でお願いしてみたが、要求はすげなく跳ね除けられた。
なんだよ、やっぱ怒ってんのか?
不満気な息を漏らすと、つ、と流れるような視線がこちらに水を向けた。ああ、まったくなんて綺麗な黒なんだ。今すぐその体中を愛して、いつも極まる間際にその黒の淵からこぼれ落ちる快楽の雫を、ふしだらな唇で吸い取ってやりたい。
「……もうちょっと、な?」
「え?」
「もうちょっとだけ、がんばれ」
ひらひらと一瞬だけちらつかされたほほえみに、浮きかけた尻が再びクッションに落ちた。
もうちょっと?
もうちょっと待ったら、その後はいいってこと?
「……サスケェ」
「まだ」
「……あの」
「我慢しろ」
「…………サスッ、」
「ダメ。もう少し」
「………っ! …っっ!」
「…あとちょっと。大丈夫、お前なら出来る」
五分が過ぎ、更にもう五分。そのままゆうに十五分は待たされただろうか。シャツから覗くその甘い鎖骨に齧り付きたいという欲望が爆ぜそうになる寸前に、唐突に「よし」という声がした。
いっそ四つん這いで駆け出したくなるような気分で、尊大な様子でソファに沈む彼に飛びかかる。わしゃわしゃと髪を掻き混ぜる長い指。迷いのないその動きは、果てのない煩悩と戦い抜き勝利したオレを「よく出来ました」と褒めそやしているようだ。
「サスケサスケサスケああもう好きだってばちゃんと待てたんだから今日はもうこのまましてもいいよな!?」
「ダメだ。次は三十分に挑戦するぞ」
サイドテーブルに伏せられた忍術書のタイトルは「正しい犬のしつけ方」。
訊けば、先日同じマンセルになったキバに駄犬の躾に困っていると相談したところ、間違いのない一冊だと言って貸してくれたのがこの本らしい。
……こんちくしょオ。
駄犬には駄犬の良さがあるってこと、たっぷり思い知らせてやるぜ、サスケちゃんよォ!
【待てのしつけ方】
①ご褒美を用意する ②お座りをさせる ③少し犬から離れてみる ④「待て」と「ご褒美」の関係性をわからせる(ちゃんと待てたらその度にご褒美をあげるといいでしょう) ⑤出来たら褒めちぎる ⑥待たせる時間を徐々に長くしていく。ランダムに時間を変えるのも効果アリ (「子犬のしつけ方」より抜粋)
body control
注:stay!の続き。
「なになに、まずはステップ1。手で触ることに慣れさせる」
「てめェ…何考えてやがる。ベタベタ触ってくんな、あっちいけ」
「そんなこと言わないで。オレらの信頼を更に高めるためだってばよ」
「ほざけ。それと犬の調教法がどうして繋がるんだ」
「先に使ったのはそっちだろ?いいから言うこと聞いてくれって。…ステップ2。弱点である部位を触る」
「ばっ…どこ触ってやがる!」
「え? 弱点つったらココだろ?」
「あっ、やめっ……離せバ――あッ…」
「…へへ。やっぱここ弱いなー」
「…るせェ…」
「ステップ4。マズルコントロール、か。――サスケちゃん、お口開けて?」
「は!?」
「あーん、って」
「っざけんな! いやだって言っ…あ、…ンぐ…っ」
「……じょうず、だってば。もちょっと顎上げて…そう。今度はこっち側向いて」
「んん、ぅ…!」
「…ステップ5。マウンティングのポーズ。あ、これは得意だよな」
「ちょっ待て、まだそんな――あ…っ!」
「くっ…きっつ…!」
「――てめ…おぼ、え、てろ…!」
「……は…っ…忘れられるわけねってばよ、こんなイイカラダ」
「さいっ…てい…!」
「はいはい…っと」
「ん、あ、ぁ……や、ああっ……!」
「ステップ5…犬、を、寝かし、つけるっ…サスケェ」
「…なん、だよっ…」
「このまま終わったら、オレの腕枕で、寝よーなっ…」
「くっそ、ちょーしのってんじゃねェぞ、このっ…駄犬、が! 喰いちぎンぞ!」
「ははっ、こえーなァ…咬みつかれないように、もうちょい躾とこっか?」
「おっま…――あっ!」
【ボディコントロール】
飼い主が犬の体を触ったり、体の一部を自由に動かしても犬が全く抵抗を示さない状態のこと。
(子犬のしつけ方より抜粋)
BCP
(花粉症ナルサス。なにしろサスケの鼻が詰まってどうしようもない)
急に触れた冷たい空気に、ぞくりと肌が竦んだ。
明瞭さを欠いて久しい視界がぐるりと反転する。驚いた息は肺には入っても吐き出す事は出来なくて、通せんぼをうけた鼻はどうしたって変な音をたてる。
――ぴす、
その間抜けさにサアッと恥ずかしくなったところを、追い打ちするように青い目が笑った。
かわい、と呟かれたその言葉に、反射的に視線がきつくなる。「…てめえ、なにしようとしてやがる」
「ん?ナニしようとしてるんだってばよ」とろんと落とされた粘っこさ、それが尻の間を伝ってぬるぬると広げられた。
すっかり準備万端で出番を待っているナルトのものが、ぬめりを馴染ませるかのようにつんつんと入り口をつつく。
くぷ、とそのまま入り込んでくるそれに、んあ、と口だけの息が漏れた。
「あ、ばか、てめ…っ!」不自由な呼吸の中、つい責める言葉が出る。
「…ん、あー……サスケ、なか、今日いつもよりなんか、熱いってば……」
すげえ、イイ。
人も気も知らず感嘆すると、不躾なナルトは遠慮もなく更に腰を押し付けてきた。
ぐぶぐぶとぬめりを分けて、容赦ない質量に一気に奥までいかれる。
ンああ、と漏れた息をいいように受け止めたのかそのまま身勝手に動き始めた身体に、空を掴むような手でどうにかしがみついた。酸欠気味の頭がくらくらする。けっして気持ちよさに歪んでいるんじゃない、ごく単純に鼻が詰まって息がままならないのだ。
は、は、は、……息が詰まる。
揺さぶられた視界はぼやけていくばかりで、目を開いているのも困難だった。
くるしい、くるしい、くるしい。足りない酸素に胸があえぐ。
「く……ぁ…!」
疾走した後の犬のように口が開くと、飛び出した舌をナルトがすかさず吸い上げた。
ばっ――ばか!死ね!何してんだンな事されたら俺の方がマジで死ぬだろうが…!!?
本気で息ができなくてどんどんと叩く胸に、ようやくナルトが唇を離す。
「ごめん。くるしー、な?」
世にも嬉し気な顔で、ナルトは言った。
これ終わったらあとで、ハナぷんしよーな?
見下ろしてはどこか甘ったるい笑みで顔をとろけさせたナルトは、そんな幼児じみた言葉で、不本意の涙目に陥った俺をあやした。