野営にて

山の端に引っかかる残照がその黒々としたシルエットに溶ければ、あたりは一層寒さを増したようだった。
不意に冷えた耳が、はるかな咆哮を拾う。おおん、おおんという遠く長く響き渡るその声は、ここいらの獣達を統べるオオカミのものだろう。気高く飢えた獣である彼等の事を、失われた故郷では『牙の王』と呼んでいた。白銀の毛皮に包まれた、しなやかに痩せたその体。牙の王の名を教えてくれたのは、今は亡き母だ。暖かな家、絶やされる事の無い竈の火。まろみある母の膝にもたれかかりながら聞いた話は、確か牙の王と彼に育てられた幼子の物語だった。

「あ、また動いてるってば」

懐かしい遠吠えに、やわらかな尖りを見せる耳先がふるりと動くのを目敏く見つけると、先程から隣でせっせと薪を集めていた彼はにやりと口の端を上げた。金の髪、健やかに育った肩。空色の瞳は夕闇の中で仄かな藍に染まり、一日かけて日差しと埃にたっぷり晒された金の髪は、すっかりパサついてあちこちそっぽを向いている。

「なーなーソコってさ、中どーなってんの?耳のふちンとこ」
「あ?」
「軟骨とか。先っちょのとこまでちゃんとあんの?硬いの?」
「うっせ、触んな。ほっとけよ」

ちょっと触らしてみろって、などと言いながら図々しく伸ばされた手を邪険に払い除け、黒髪の少年はうんざりと溜息をついた。ああ、この節度のない無遠慮さ。これだから人間と過ごすのは好きになれないんだ。そんな事を思いつつ、落ちかけたマントをぐいと引き上げ舌打ちをする。日焼けを知らない無傷の肌は、抜けるような白だ。ぬばたまの瞳、黒髪から飛び出す尖る耳。…作り物じみて見える程の整った顔立ちも、全てが彼が古の一族の末裔である事を物語っている。

「んだよ、ケチ。触るくらいいいだろ、減るもんじゃなし」
「減る。穢れる」
「……これだからエルフ族ってやつはよー」
「嫌ならいつでも出てってやるぞ。オレだって別に好き好んでお前らと組んでる訳じゃねえんだ」

にべもなく言い放つと、それを聞いた少年の男らしく座った鼻っ柱には、きゅっとシワが寄せられた。
「あっそ!」と面白くもなさそうに言い捨てると、再び枯れ葉の絨毯に目を落とし頃合の薪を拾いだす。

「――ハイハイ、威勢がいいのは結構なんだけどね。そう言うお前だって出てったところで、収入がなきゃ路頭に迷うだけデショ」

そう言って、イチイの杖を片手に割って入った長身の魔道士は呆れたように眉を下げると、「どうすんのお前、この先もまだまだ寿命あるくせに。どうやって食ってくの?」と憮然とするエルフの少年を見下ろし腰に手を当てた。
だいたいが今世の中の景気はどん底だって言われてんのよ?ギルドを通さないままにまともな冒険者稼業を営もうなんて、そんな甘いご時世じゃない事くらいお前だって解ってるでしょうが。…そんな年長者らしい現実的な指摘を味方に付けて、両腕に薪を抱えた金髪がニヤニヤといやらしげに目を細めている。
横にいる金髪男の無遠慮さに加え魔道士からのズケズケとした目上からの物言いに、エルフの少年の眉間には知らず渋いシワが寄せられた。そう、言われなくとも解ってる。だからこそ嫌々ながらも、こんな間抜けなパーティーに身を置いているのではないか。

「はい、これでよし!治療終わったわよ、ナルト」

後ろからの声に同時に振り返ると、物々しい甲冑を総て脱ぎ、すっかり軽装になったパーティーの紅一点が、抱きかかえていた温かな物体を差し出した。途端、横にいた男が「おっ、出来た!?」と華やいだ声を上げ、足元に薪を置くといそいそと彼女に駆け寄る。癖のない薄紅の髪、明るいエメラルドグリーンの瞳。柔らかな毛織物のチュニックから出る腕は、ハンノキの幼木のようなたおやかだ。なのにその腕はひと度武器を握れば、大岩をもやすやすと砕く剛力を秘めているのだった。最近ではもう見慣れたが、初めてその壮絶な光景を目にした時にはその可憐な見た目と揮われる力の野蛮さとのギャップに、エルフの少年はしばらく声が出せなかった。

「折れた骨はもうしばらく添え木しといた方がいいかもしれないけど、破れた翼は治癒魔法でちゃんとくっついたから」
「おっ、ホントだキレーになってる!」
「ドラゴン族は元々自己回復力も高いしね。きっとまた飛べるようになるわよ」
「そっか~さっすがサクラちゃん!ありがと!」

日焼けと埃で浅黒くなった顔をでれでれと崩しながら、金髪の少年は細い腕の中で丸くなっているその物体を覗き込んだ。子犬程の大きさしかないけれど、華奢な前足の先に尖る爪や体を覆う艶のある赤い鱗は、明らかにこの生物がただの愛玩犬などではない事を示している。しかし天駆ける者達の中では頂点に立つ筈のその翼には、今は痛々しい包帯と丁寧な治療の跡があった。昼間、ずる賢く獰猛な狒々達に囲まれ面白半分に傷つけられていたこの小さなドラゴンを、迷い込んでしまったダンジョンの奥で拾ってきたのはナルトだ。何があったのか、どうやら母親と離れ離れになってしまったものらしい。見つけてきたナルトが言うには、その子がいた奥には根倉にしていたらしき岩室と、魔法を使ったと思わしき痕跡が残っていたそうだから、母親の方は密猟者に捕まってしまった可能性も少なくなかった。美しく強固な体を持つドラゴンは、鱗から骨の一本に至るまで余すところなく利用価値があるものとして、闇のマーケットで高く取引されている。

(……けど、こんな状況で生き延びたところで……)

少女の腕の中でくったりとしたままのドラゴンを見て、少年は思った。
この先きっと、この小さな命が生き延びていく為には、過酷な試練を重ねなければならないだろう。傷が治ったとはいえ、体はまだまだ幼いままだ。前足から伸びる爪は確かに鋭いけれども、ここいらに徘徊する狒々や牙の王達から見たら、せいぜい仔トカゲがちゃちなナイフを持っているに過ぎない。腐った肉を喰み、濁った泥水を啜るような日々を乗り越えなければ、彼はここを生き延びる事は出来ないだろう。
それでも生かされてしまったのは、果たして幸運と言えるだろうか。
何度も苦しみを舐める前に、さっさと母の元に召される方が、むしろ彼にとって幸せだったのではないだろうか。
――ぼんやりとそんな事を思っていると、ボロ布のおくるみに包まれていたドラゴンが(ぷしゃん!)と小さなくしゃみをした。その瞬間、向かい合わせでその仔ドラゴンのつやつやした鼻先を愛でていた二人は同時にハッとしたような顔になると、弾かれたかのようにこちらを見る。

「サスケくん、火!」
「…は?」
「寒いんだってコイツ、怪我してる上、風邪までひいたら大変だってば!薪はそこにもう集めてあるからさ、火ィ付けてやってくれってばよ!」
「火って…オレの術はマッチじゃねェって、いつも言ってるだろうが…!」

気安い頼み方に決して気分は良くなかったが、熱心な様子で迫ってくる二人に、エルフの少年は舌打ちしつつもその手を前に出した。
左手の手のひらを上にし、意識を集中する。
吐息とも囁きともつかない息遣いで、失われた国の言葉を詠唱すると、どこからともなく光の粒子が集まっていきその手の上で踊るようにくるくると回転しだした。次第にそれは小さな火の玉となり、ゆらゆらと揺らめいては見詰める白い頬を橙に染める。やがて頃合の大きさになったところですうっとその手が動くと、足元にある薪の小山の上でひらりとその手が翻った。ぽとり、落とされる火種。途端、魔法の火がくべられた木々は目覚めたかのようにパチッと一度はじけると、そのあとは一気にその身を燃え上がらせた。ひらひらと舌を出す純度の高い赤が、オレンジの火の粉を辺りに散らす。
押し寄せてきていた闇が突然取り払われた安心感に、見ていたふたりから「ほおっ」という温かな溜め息が漏れた。「やった、あったけ~!」と笑うナルトに、うなだれていたドラゴンの子もようやく首をもたげる。
と、火が熾されたのを見て、僅かに離れた場所にいた魔道士がのんびりとした声音のまま「サクラ~、」と少女を呼んだ。パーティーのリーダーでもある彼は、どうやら先程からひとり夕食の準備をしていたらしい。
「はぁい」とその声に呼ばれた彼女は素直に振り返り、腕の中のものをナルトに託すと足早にその場を離れた。パチパチと火を爆ぜさせる焚き火の前には、二人の少年だけが残される。

「……お前さ。親切心で助けても、これからどうするつもりだ、こいつ」

布に包まれてキョロリとその目蓋のない瞳をあちこちに向けているドラゴンを眺め、エルフの少年は言った。
「言っとくが、連れて行くのは無理だぞ。こいつはこれからどんどんでかくなるし、だいいちモンスターを連れて街に入る事はできねえからな」という言葉に、金髪の少年は頷きつつうなじを掻く。

「あー、うん。解ってるってばよ。怪我が全部治ったら、ちゃんと場所を選んで放すから」
「放すからって…こんなチビ、放した所でまた他のやつにやられちまうだけだろ。最後まで責任持てないのなら、中途半端に命を救うのはどうかと思うがな」

諭すように淡々と言うと、俄かに金髪の少年はむうっと気分を害したようだった。
それまで燃え盛る炎にうっとりと緩んでいた口許はぎゅっと引かれ、「なんだよ、それ」と返す声も固くなる。

「じゃあなんだよ、虐められてんのをそのまま見殺しにしろっての?」
「見殺しにしろとは言っていない。ただ…自然の摂理に任せるのも、ひとつの考えだ」
「けどこいつのかーちゃんがいないのは、こいつのせいじゃねえだろ。むしろオレら人間のせいである可能性も高いし。そんなんに全然関係ないこいつが巻き込まれんのは絶対おかしいじゃねえか。なのにほっとけって言うのかよ」
「……けどそれも、運命だ。生きてる方がキツイって事も、世の中にはあるだろ」

ポツリと呟くと、湧いてくる怒りにぎゅっと真ん中に寄せていた金髪の少年は途端にその表情を解き、ポカンと呆気に取られたような顔になった。
空色の瞳がまざまざと開き、傾げられた首に金の髪が揺れる。

「なにお前。お前ってばいつも、そんな事考えてんの?」

率直な訊き返しになんとなく黙ると、二人の間には奇妙な沈黙が漂った。何かが顔を出しそうな、自分も相手も、それを待っているような。けれどもやっぱり動かずにいた方がいいのではないだろうかという微妙な葛藤に、エルフの少年が舌打ちをしようとした時、離れた場所から「ナルト~!」という声が聴こえてきた。顔を向けると、薄紅の髪の少女が何やら両手一杯の荷物に難儀している。

「あっ…なにー?」
「ねえ、悪いんだけどちょっとこれ手伝ってくれない?こっちの分持って欲しいんだけど」
「わかった、すぐ行くってば」

そう言って、抱いていたドラゴンの子を焚き火の前にそっと降ろすと、離されたその子はキョトンと首を傾げると、金髪の少年の顔をそろりと見上げた。その様子に「ワリ、ちょっとここで待っててな?」と告げつつコリコリと顎の下を掻く指に、とろんと目を細めるとその手が離れていくのを見届けてから、火の前でころりと丸くうずくまる。

「えー…と、さ。なんか、オレってばお前の事、やっぱヤな奴だなあって思うのがほとんどなんだけど」

爛々と光る黄色い瞳が満足したかのように閉じると、立ち上がった金髪の少年はぱちぱちと爆ぜる炎を見詰め、唐突にそんな事を言い出した。――お前ってばなんかいっつも自分は特別!って感じで偉そうだし。実際なんか色々出来ちゃうし、やたら正しい事ばっか言ってオレにダメ出しばっかするしさ。
言いたい放題の少年に「なんだ、悪口だったらわざわざ言ってくんじゃねえよ」とそっぽを向こうとすると、俄かに慌てた様子の彼は「…や!じゃ、なくて。言いたいのは、そゆことじゃなくて…!」と息を切った。急いたように続けるその口元は見れば僅かに緊張にこわばって、炎に照らされた頬が明々と染まっている。

「けど、オレってばお前のつくる炎だけは、なんかスゲー綺麗だと思う」
「…え?」
「それだけは、なんつーか…――すごく、いいなあって思うってば」

ひらめく赤が、さあっと空気に揺れた。
オレンジの火の粉が高らかと昇っていき、闇の中に消えていく。
――何か言い返そうとした喉が、掠れた息だけを吐いた。突然阿呆のように動かなくなった頭で目だけをぱちくりと瞬くと、それを見た少年は(へへへェ)と照れくさそうに鼻の下を擦る。
「…んだ、それ…それだけって、失礼だろ」とようやく言い返すと、再び金髪の少年はむっとしたように口を尖らせた。
「だって他はヤな奴のままなんだもんよ。しょーがねーだろ」と言い捨てたかと思うと、未だ気の抜けたままのエルフの少年に、ふと思い出したかのように「あっ」と呟く。

「あ?」
「やった…隙アリ!」
「――うぁ、ちょっ…バカ、よせ!」

油断しきっていたエルフの少年に二つの手のひらが伸ばされてきたかと思うと、それらは迷いなく顔の両脇を目指し、尖った両の耳先をむにゅっと掴んだ。確かめるように何度か先をつまむと、溜め息混じりの声が、「おお…なるほど。形が違うだけで、造りはオレらと一緒なんだな」などと呟く。すりすりと縁を確かめる乾いた指の感触に、逆撫でされた神経がぞわっと体中でざわめき立った。体の中でも特に敏感な部分をいいように触られて、プライドの高いエルフの少年の内側には、鮮やかな怒りが一瞬にして噴き上がってくる。

「てめ…ナルト!殺すぞ!!」
「へへェんだザマミロ、ついに触ってやったってばよ!」

飛び出す怒声にも全く怯む様子もなく、即行で手を振り払われた少年は赤く火照った笑みを浮かべたまま快哉を叫ぶと、そのまま(あとは逃げるだけ!)といわんばかりに大急ぎで踵を返した。
急いではいても回れ右をした瞬間の顔が、どうしようもなく嬉しげに緩んでいる。
一目散に走り去っていった後ろ姿は、やがて離れた場所にいる少女と魔道士の中に混じると、砕けた様子で二人に話しかけながら、自然な流れで作業に加わりだした。何かおかしな冗談でも言っているのだろうか。金髪の少年の発言に、あとのふたりが揃って吹き出しているのが見える。
――収まりの悪い苛々を抱えながら、少年は笑い合う三人を眺めた。魔道士である男は(本人の申告を信じるのなら)30代、あとの二人はまだ自分と同じ、16を過ぎたばかりだ。
エルフの中でも最も古い血族である自分は、人やドワーフである彼等よりも、何倍も長い寿命を持っている筈だった。ゆっくりとした時間の中で生きるハイエルフの体は、一定の年齢まで成長すると、その後は酷くゆっくりとした変化しか起こらない。人が数十年の間に辿る老化を、この一族は数百年の時間を掛けてなぞるのが常だった。だからきっと、いつの日かこのパーティーの年長者である魔道士の今の年齢を越えるような時がきても、自分の見た目は今とそう変わらないだろう。どれだけ親しい仲になろうと、信を置く関係になろうと、彼等と同じ時間を生きる事は絶対に出来ない。
いつか必ず、置いていかれる。自分は未来永劫、ただひたすらに残されるばかりの存在だ。

(けどまあ、多分……真っ先に逝くのは、あいつだろうな)

ヘラヘラと相好を崩している能天気そうな顔を遠巻きに眺めると、エルフの少年はぼんやりと、そんな風に思った。
……あれは生きていられないだろう。やたら無茶をするし、向こう見ずだし。
その上これまで見たことない程の、甘ったれたお人好しだ――特別な能力など全く持たない、只の人間のくせに。ぜんたいヤツには、損得勘定のようなものが決定的に欠けている。ああいうタイプは絶対に、この稼業の中では早々に命を落とす。これまでの経験上、多分間違いないだろう。

(――…ま、いずれにせよオレの知った事じゃねえけどな)

ぽつんと思うと、少年は空を見上げ溜め息をひとつついた。
全くもって、オレには関係ない話だ。
オレには他にやるべき事が、果たさねばならない野望ががある。仇であり兄である、誰よりも憎いあの男を、この広い世界の中で必ず見つけ出さなくてはならない。その為に、こんな泥くさく面倒の多い冒険者に身をやつして、各地に散らばる奴への足掛かりを拾い集めているのだ。一族の仇を討つという大望を果たす為には、短い命でちまちまと生きている人間などいちいち相手にしている暇はない。
……瑠璃を溶かしたような宵闇の空に、銀彩に尖った月がのぼる。
離れた場所から投げかけられる「ご飯だよ~!」の呼び掛けに、ゆるゆると顎を下げた少年は焚き火の前で丸くなるドラゴンが気持ち良さげなあくびをひとつ吹かすのを見ると、ゆったりと足を声の方へと向けた。





【end】
原作扉絵からの妄想でファンタジー七班。なにげにあの扉絵でのドワーフサクラちゃんが可愛くて私大好きです。華奢な肩に頑丈そうな甲冑…ゆくゆくはきっとマーリンカカシを抜いてパーティで最強になる(色んな意味で)。
七班妄想はどんな形でも本当に楽しい。あと闇の大魔導士化した兄さんも絶対最高なので、妄想は果てしないです。