流れた時間は等しいはずなのにと、いつも思うのだ。
「で、昼前にその会議が終わったら午後からは例の堤防に関する予算の説明、及び変更箇所についての確認。それの後は里外れの集落から代表者が来る予定だから、会って陳情の聞き取り――」
淡々と読み上げる事務的な声の合間、すんなりと白い指がぺらりと紙を捲る。まだ朝の気配が濃い執務室は半分寝ぼけたような薄暗さで、深く凭れた回転椅子の表面も、体温に馴染む前の硬さで背中を押し返してきた。
腕を組みながら眺める景色の中、薄い雲が広がる窓を背に立つ藍下黒の長身には、今日も一分の隙もない。なのに、なんでなんだろうな、こいつ年々肌の露出は減ってんのにな。そんなことを思いながら、痩せてるくせにどこか艶めかしさを宿す腰つきや、端正な影をつくる美しい鼻筋に、薄目でこっそり視線を送った。過ごした年月どころか生活まで共にしているのだから、食べてるものまで同じなのに。なんでこんなに違うのか。対して着々と年相応を蓄えた我が身よ。
「――ナルト?」
ふいに呼びかけてくる声に、片目で(うん?)と答えた。
「聞いてるか?」
「ああ、もちろん」
「それと忘れてないと思うが、今日は大名への書を送れよ」
教えられた用意すべき書簡に、今度は思わず「えっ」と両の目が開く。毎月の終わり、火の国の大名に宛てたご機嫌伺いを兼ねて送る里からの報告は、里の起こりから代々の里長が必ず行っているものだ。
「忘れてたのか」
「忘れてた」
呆れるような声にさっさと白状する。サスケの鷹に飛んでもらうにしても、夕方までには用意せねばならないだろう。がちがちの様式美で取り繕った大名相手の文書作成は、正直あまり得意な分野ではない。
「……ま、いいや。わかった、ありがとう」
そう言って組んでいた腕を解き、んん、とひとつ伸びをした。よっしゃ、んじゃあ今日も一日、働くってばよー。ぼやぼや間延びした口調で腕をおろすと、立っているサスケに合わせ斜め後ろを向いていた回転椅子を、くるりと前に戻す。
そんなナルトに、サスケは黙って手にしていた紙束を半円状の机上の端に置いた。共に里長と補佐の座に就いてから幾星霜。こんなやり取りもすっかりルーティーンだ。
(あり? 眼鏡、眼鏡…っと、)
始めると言ったはいいが早速姿の見えない事務作業の相棒に、いきなり躓いた。四十を半分超えたあたりから、あれが無いとどうにも書き物が覚束ない。
おっかしいな、昨日もここで使った筈なのにな。そう首を傾げつつ机上に積まれている資料や書類その他諸々をひっくり返していると、その内にスッと後ろから手がのびてきた。薄い手の甲に、美しく浮かぶ骨の筋。長い指が大雑把に積み上げた書籍を軽く除けると、隙間から手品のように黒いセルロイドのフレームが現れる。
「ここだ」
「あっ、ほんとだ。あった」
「しっかりしろよ。いいかげん定位置決めろ」
いつも言ってるだろ、と言っては拾い上げた眼鏡を渡してくれた彼は、やれやれといったふうに溜め息をついた。振り返って仰ぎ見たその顔は怒っているというよりは、何故か少し戸惑っているようだ。
「なに?」
「いや、お前――大丈夫か?」
「大丈夫って?」
「まあ、年も年だからな。少し早い気はするが」
「は?――…なっ、違うし! そういうんじゃねーってばよ!」
失礼な、と口をへの字にして椅子に沈むナルトに、当のサスケは「ふうん」とさして気にもしていない様子だった。そうか、なら単に気が抜けてるってことだな。ざっくり言いながら見下ろしてくる涼しいまなじりに、近頃ほんのり銀が混じり始めた前髪がはらりとかかる。くそう。えろい。マジでなんなのこいつ。
「だって、しょうがねえだろ。オレってばここんとこ全然、サスケが足りてねえんだもの」
崩れた姿勢を起こし、見つかった眼鏡をかけつつ山の頂上にある書類を取りながら少し口を尖らすと、言われたサスケは「はぁ?」と眉を寄せたようだった。
「足りてない?」
「そ、足りてない」
「朝から晩までいるだろ」
「いるけどさ。でもそれだけじゃ足りねーっての」
文字を目で追う姿勢を崩さないままそう伝えると、言われたサスケは要領を得ないまま、ぱちくりと目を瞬いたようだった。
そういうことだから、今夜あたりひさびさに相手しろってばよ。
ひと息に告げてからなんとなく、意味もないのに眼鏡のつるを触る。
「……返事。サスケ」
なかなか返ってこない反応に、前を向いたまま敢えてそっけなさを装えば、ななめ後ろで微かに鼻を鳴らす気配がした。そうこうしているうち窓の外も晴れてきたのだろう。ようやく明るさを増してきた陽が後ろから差し込んでくると、書類で散らかる机にはふたりの影が、適度な距離を保ったままふわりと落ちる。
と、黙りこくっていたふたつの影の、片方が動いた。
秘めやかな一歩につい手に力が入る。持っていた紙がかさりと鳴った瞬間、無防備でいた耳朶を吐息が軽く撫でる。
「――仰せのままに。火影様」
貞淑で唆すような囁きに、待ち構えていた鼓膜が甘く揺らされた。
ただそれだけを残し、影は静かに離れていく。……首が熱い。いや、首どころか一気に全身を駆け巡りはじめた血に、赤く上気していく顔が恥ずかしくて背中が丸くなる。
「……は、反則……」
「どこがだ。全然」
「……夜もホカゲさま呼んでくれる?」
「うるさい。気が済んだならきりきり働け」
残業になるなら無しだぞ、と言っては時を確かめる横顔を、手にした書類の影からチラリと見上げる。甘やかしを口にしながらも、つんと澄ましたままのそれはやはり好ましさしかないもので、どれだけ年を経ても変わらないそれに、ナルトは小さく笑うとプラチナに近くなってきた髪を掻いた。
【end】
time after time~Giftsからの流れを汲む火影×補佐シリーズ晩年ちょい前のお話でした。ひさびさのお誘い。お互いまっしろな頭になっても、相変わらずな僕らでいて欲しいという願望…
短いのですが中途半端な長さなのでSSに入れちゃいました。オンライン小説だと会話と地の文にスペース入れるのが今は主流のように思うので、ちょっと実験も兼ねて。まあこっちの方が読みやすいよね…と思いつつ詰まってる方が好みでもあるので、なかなか悩ましいです。(でもせっかくの横書きオンラインなので、ちょこちょこ入れたいとこにはスペース入れてますが)