ループ

灰色に塗りつぶされた小さな駅の構内で、そいつの姿は異様に目立った。
金髪。碧眼。極めつけが鮮やかなオレンジのダウンジャケット。
ナンバリングされたホームの端で、ジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、力みのない姿勢でまっすぐ前を向いて立っている。
強い視線を送ったつもりは全くなかったのに、そいつは突然何かを察したかのようにぐるりと辺りを見渡すと、反対側のホームのベンチで参考書を広げていたサスケに目を止めた。
青い瞳が細められ、口許が緩やかに弧を描いていく。

……あ、花……が、

咲いたみたいだ。
唐突に思ってしまい、男に対する形容としてはやや相応しくないなと、サスケは少しだけ気恥ずかしくなる。
図らずも見とれてしまっていた事に気がつき、急いで逸した目の端で、男が何事かを言ったのが映った。
ゆっくりと唇が動き、声でない声が届く。
そうしてから、男は再びゆったりと、さも嬉しそうに顔いっぱいで笑った。
……大変不本意ながら。
後にも先にも、サスケはこれほどまでに胸を打つ笑顔に、出会ったことがない。

  * * *

「お前、妙な男にストーキングされてるんだって?」
昼寝を決め込もうとしていた休み時間。机に突っ伏していると、ガタガタと音を立てて前の席に座ったクラスメイトのキバが、ここぞとばかりにニヤついた顔をしながら絡んできた。
「さすが、うちは君はおモテになりますわね~、ついに男からもラブコールきましたか!」
「……うぜえよ、お前」
うんざりしながら再び顔を両腕で囲う。まったく、嫌な話題に限ってなぜこうも広がるのが早いのか。
「なに、そいつそんなヤバい感じなの?」
5個目のパンを頬張りながら、斜め前のチョウジが振り返る。モテ過ぎるのも大変だねー、僕には縁なさそうでよかったなあ。口調の割にたいして同情してもいない様子で、次の1個に手を伸ばす。いつもながら、うっかり眺めているとこちらの方が満腹になってしまいそうな食いっぷりだ。
サスケの通う高校から少し距離のあるその駅は、決して利用者は多くないはずだが毎日ともなるとやはり目撃者がいて当然だ。
付きまとわれるようになって二週間。
今日も律儀にホームで待っているであろう金髪頭を思い出して、サスケは頭を抱えた。

件の「ヤバい男」は、その日こちらを見て笑ったかと思うと、猛烈な勢いで地下階段を回り込み、気がつくとサスケの座るベンチの前に立っていた。
弾んだ息もそのままに、いきなりサスケの両肩を掴むと嬉しそうに笑う。
「サスケェ!やっと見つけたってばよ!!」
「……は?!」

『てばよ』?

「なんだその反応、冷てえなあ!」
会いたかったー!!!と叫ぶと、男は問答無用で突然がばりと抱きついてきた。
犬のようにぐりぐりと額を肩口に擦りつけられる。
鼻先を擽る金髪から、日なたの匂いがした。
全てが想定外の展開にサスケの思考は一旦完全にフリーズしていたが、はっと気がつくとベンチに座ったままあらん限りの力で男を脚で突き離した。不意を打たれた男はたたらを踏みながら後退し、白線を乗り越えて線路側に半身を乗り出す。そこでなんとかバランスを取ろうと踏み止まるが、大きな体が災いしてか、乗り出してしまった上半身がグラグラと危なっかしく揺れて今にも線路に落ちそうだった。
……なんとも間の悪い事に、それは勢いを落とさないまま通過する快速列車がホームに滑り込んでくる直前で。構内に、呑気なアナウンスが響く。急を要する事態に気がついた人々が、男の周りに集まりだした。
やべぇ、これじゃ俺が殺人者になっちまう!!
うわわっ!と無駄に腕をばたつかせてホームの縁で焦る金髪男に、サスケは深く考える間もなく咄嗟に腕を差し伸べた。ダウンジャケットの腕を掴み力を込めて内側へ引き込むと、次の瞬間男の背中のすぐ後ろを電車が走り抜ける。
一拍置いて、どちらからともなく深い息を吐くと、疾走する車両を見送った。
「やばかった……せっかく会えたのにもうサヨウナラかと思ったってば……」
「いや、サヨウナラだろ」
しがみつかれる腕を振りほどいてサスケは言い捨てた。なんだかよく解らないが、とりあえずこいつにこれ以上関わるのは得策ではないのは間違いないだろう。
そう決めると、タイミングよく、ホームに先程から待っていた電車が入ってきた。ベンチに置いたままになっていたカバンに先ほど放り出してしまった参考書を突っ込み、さっさと開かれたドアに向かう。
あ、ちょっと待てって!と滑稽なほど慌てた様子で、男が一緒に電車に乗り込もうとしてきた。
ちっ、と舌打ちをすると、サスケは電車のドアが締まる寸前に、今度は的確に鳩尾を狙って男を思い切り蹴り飛ばした。咳き込みながら白線の内側にまで後退させられた金髪男を残して、ドアが閉まる。窓越しに声に出さず「サ・ヨ・ウ・ナ・ラ」と言ってやると、男は金色の眉を悔しげに歪めこちらを睨みつけてきた。
発車ベルが鳴り響き、ゆっくりと電車が動き出す。遠ざかっていく金髪を確認して、空いているシートに腰を沈める。清々とした気分で、サスケは再び参考書を広げると小さく笑った。
これだけこっぴどい仕打ちを受ければ、もう寄ってこないだろ。そんな風に思い、あとはもう忘れてしまうことに決めた。
……それがどれほど甘い考えだったかなんて、その時にはこれっぽちも思わなかったのだ。

「よー、サスケちゃん」

ニヤニヤと笑う金髪頭と再び相まみえたのは、次の日の夕方だった。
全く懲りてない様子で、今日はホームのベンチに腰掛けているサスケの隣に堂々と座り込む。
昨日は随分と楽しい事してくれちゃって。オレってばますますお前が忘れられなくなったってば。
そんな薄気味悪い事を言いながら、まさかの再会に呆気にとられたままのサスケの顔を覗き込む。
(……ヤバい。こいつ、マジで頭のどこかがイっちゃってんじゃねえか?)
無視だ、無視。そう決意して、サスケは男に構わず参考書に目を落とす。
まさかこいつ、ずっとここで自分に会うために張っていたのだろうか。不気味な想像に悪寒が走る。もしかして、俺はものすごく厄介な奴に捕まってしまったのではないだろうか?
「なんだよ、今日は無視でいこうって作戦?」
ちらりとも自分を見ようとしない様子のサスケに、さして気にした素振りもなく男が言う。広げられた参考書を覗くと「おおー、むっつかしそー」と呟いた。

「やっぱお前頭いいんだなー」
「……」
「顔がいいのも変わんねえなー」
「……」
「性格悪いのもそのまんまだなー」
「……どういう意味だ」
流石に最後の一言は聞き捨てならなくて、つい応えてしまった。やっと返ってきた反応に、男は嬉しそうに笑う。
「その怒った声も久しぶりだってば」
「つーか、てめえ何者だ?どっかで会ったか?」
青い瞳を睨みつけながらサスケが言うと、虚を突かれたかのように金髪の下のニヤニヤ顔が固まった。一瞬後、その顔が痛みに耐えるように歪んだように見えたが、それもすぐに淡い笑みに隠れた。
「……忘れちゃったんだ?」
「あぁ?」
「……ま、そうだよな。うん、そういう事もあるってば」
んじゃ、また明日な。
昨日と同じ、サスケの乗る電車がホームに入ってきたのを見て男は立ち上がった。ドアが開き、シートにサスケが座るまでをホームに立ったままずっと見守っている。それに気が付くと、サスケは少し肩を竦めて笑顔を浮かべる男を見遣った。
……どうも、傷つけたらしい。
気がつくと、何故か微かな罪悪感がじんわり広がった。なんでだ、やっぱり忘れてるだけでちゃんとした知り合いだったのか?
ダウンジャケットの肩が、昨日よりも小さく見えた。ただそれだけの事なのに、サスケは座り慣れた電車のシートが急に居心地悪くなったような気がして、その日はもぞもぞと身動ぎしては何度も座り直したのだった。



「……やっぱいたか」
「よ!待ってたってばよ!!」
三日目。改札を抜けたサスケは、今日は既にベンチに座っている男の満面の笑みに出迎えられて深々と溜息をついた。今日は帰りがけに担任から雑事をひとつ押し付けられたせいで、いつもより時間がずれているのに。
「もしかして、ずっとここにいるのか?」
怖々問うと、まーな、と何でもない事のように男が言う。体つきの様子からさすがに同い年ではなさそうだったので、仕事してねえの?と問いただすと、まあ、自由業みたいな?と返される。……要するに、プーなんだな、とサスケは勝手に予測する。そうでなければ、大の大人が毎日こんな所で油を売ってるなんてことできないだろう。だってサスケに会いたいからさーなどとしれっと言い放つ男に、溜息を付きながらサスケは言った。

「なあ、本当にどこで会ったんだ?」

昨日の罪悪感も手伝って、サスケはあれから思い出そうと一通りの努力はしてみたが、結局男の名前も顔も全く記憶の中になかった。記憶力にはちょっと自信があったから、この結果にはやや不満だったが、それでも思い出せないものは仕方ない。こちらの名前を知られているという事は、どこかで一度知り合ってはいるのだろうけれど。

「んー?……前世、って言ったらいいのかな?」

よく解らねえけど、とにかく生まれる前だってば。
至極真面目な様子で、金髪男は言い切った。呆気にとられたサスケが、はあ?とやや間抜けな声をあげる。
「……妙な信心のススメだったら他をあたれよ」
「は?何言ってんだ?」
本当だって、と真顔で男はサスケに迫った。だって、オレちゃんと覚えてるもん。
(ダメだこいつ。やっぱ頭ん中がちょっと可哀想な事になってんだな)
サスケの視線が憐れみを含むものになったのを感じると、僅かに男が機嫌を損ねたらしい。乱暴な仕草で立ち上がると、あー、今日はもうオレも行くってば!!と言いながら反対側のホームへ続く階段へ向かう。
「あ……おいお前、名前は?」
オレンジ色の背中に向かって、サスケが声を投げる。
ほんの少しだけ振り返った男は、少し間を開けてからぼそりと返した。

「……メンマ。うずまきメンマ、だってばよ」



そうして。
決して望んだわけではないが、帰りの電車を待つ僅かな時間をサスケはメンマと名乗る妙な男と過ごすようになった。というより、どう断ってもひどい仕打ちをしても、次の日には懲りることなくいけしゃあしゃあと金髪頭が現れるのだ。言うならば、否応なく過ごさざるを得なくなった、という方が正しい。二人を目撃した学校の生徒が、サスケがストーキングされてる!と騒ぐのも大方は間違ってはいないとも思う。
「オッス、サスケ!」
「……よぉ」
そんなやり取りにも慣れてきてしまい、サスケは自分で自分に呆れる。
さらに衝撃なのが、メンマと会うのが苦痛ではないという事実だ。話しかけてくることに諦めがついてしまえば、表情がくるくる変わるメンマはサスケと正反対の性格だったが、だからこそかえって新鮮な驚きに溢れていて、一緒にいて飽きることがなかった。
学校が終わり、改札を抜けると当たり前のようにベンチにオレンジの影があり、ほんの少しの間隣に座って話しをする。そうしてサスケの乗る電車が見えるとじゃあと立ち上がり、そのまま見送ってもらいながら別れる。
時間にしたら10分程の短い待ち時間に、今日あったことや友達の笑い話など他愛ない事を喋りあうだけの関係。嫌どころか微妙に楽しみになってきてしまっている自分に、サスケは複雑な気分になる。サスケは決して他人と馴れ合うのを好むタイプではなかったが、不思議とこの男といると何かにつられるように返事を返してしまうのだった。

「……なあ、お前さ、前に言ってただろ」
前世で会ってるって。妙な待ち合わせがひと月にもなった頃、サスケが思い出したかのように言った。
あれ、なんであんな事言ったんだ?声掛けるにしても、もっとマシな事言えばよかったのに。
「んー?や、だって、本当の事だからさ」
「……やっぱお前頭になんかキテんじゃねえか?」
「うっせー、オレはいたってマトモだってばよ」
サスケを待つ間にホームの自販機で買ったのであろう、おしるこの缶を啜りながら金髪男は口を尖らせた。でかい図体してるくせに、この男が相当な甘党であることも、この1ヶ月を経たサスケは知っている。
「前世ねえ。王様と下僕とか?大地主と小作人だったのか?」
「……なんで絶対主従関係だと思うんだよ」
サスケはやっぱり偉そうだなあと、広い背中を丸めて溜息をつく。
そして急に悪戯小僧のような笑いを浮かべると、とっておきの秘密を告げるかのように声を潜めて「実は、忍者だったんだってば」と囁いた。
「…へー…」
「あ!それ絶対信じてねえだろ!!」
「ソンナコトナイデスヨ?」
「なんか棒読みだし!!」
まともに聞く気がねえなら話さねえよ!と腕を組むと背もたれにふんぞり返ってメンマが言った。ヘソを曲げた表情が幼い。
「や、ちゃんと聞くって。忍者だったんだろ?伊賀?甲賀?それとも軒猿とか乱破衆とかってやつか?」
日本史の授業で得た情報を引っ張り出して、サスケは言った。ほんの少し、機嫌を直したらしいメンマがベンチに腰を据えなおす。
「そういうんじゃなくて。なんだろう、パラレルワールドっての?とにかくこの世界とは違う世界の忍者」
「……SF?」
「ああ、ちょっと近いかも」

なんかすげーカミナリの技とか竜巻みたいな技とかあったし。
お気に入りのマンガの話をするように、熱っぽい口調でメンマは言った。空色の瞳が、活き活きと輝いている。

「そんでさ、オレってばちょっとムツカシイ生い立ちがあって、サスケも小さい頃に結構悲惨な事件にあって」
……まあそこら辺はややこしいから割愛な?
あっけらかんとベースをすっ飛ばそうとするメンマにサスケは若干呆れる。……割愛って。
「とにかく二人共結構ひねくれたガキに育ったんだけど、まあこれが最初すげー仲悪くてさ」
「ああ、それはなんか解る気がする」
合いの手を入れると、なんでだよと金色の眉を顰められた。……仕方ないだろ、俺だって最初メンマを変態だとしか思ってなかったし。そう告げようとしたが、寸でのところでサスケは踏み留まる。流石にそれを言ったらこいつ怒るだろうな。
「サスケは忍の天才でさ、オレは何やってもドべで。悔しくて、必死になって突っかかるんだけど全然相手にもされなくて」
「だろうな」
「(……こいつ、さっきからツッコミがなんかムカつくってばよ……)で、ずっと喧嘩ばっかだったんだけど、一緒のチームになって仕事してるうちに段々友達になれて。そんで、そのうちオレが実はすげー潜在能力がある忍者だってことが分かって」
「ほー。」
「努力と根性で力をつけてくうちに、ドべだったオレが天才忍者のサスケ君に追いついちゃうわけ」
「……ほー……」
「(おお、なんか悔しそうだぞ)そしたらさ、サスケはなんか妙に焦っちゃって。もっと力をとか言って、里抜けして危ない術とかばっか研究してる悪の組織みたいなとこに行っちまうの」
「……短絡的な」

だよなー、と苦笑しながらメンマも言う。でもまあ、そうしても仕方ないような事情がサスケにはあったんだってばよ?

「オレはどうしてもそんなサスケを止めたくて。もーホント、腹えぐり合う位の大喧嘩して連れ戻そうとしたんだけど、結局サスケに負けちまってさ」
「ふふん」
「(嬉しそうだな、こいつ)でもぜってー諦めないってのがオレの忍道だったからよ。その後も必死で修行してサスケを追っかけ続けたんだってば」
「なんだよ忍道って」
「……モットー?みたいな」

その時、構内に電車の到着を告げるアナウンスが流れ出した。それを聞くと、サスケは小さく舌打ちしてカバンを抱えた。ゆっくりと立ち上がると、ニヤリと口の端をあげる。
「ま、メンマの頭で作ったにしちゃあよく出来た話だったな」
「……やっぱ信じてねえんだ?」
諦めたような笑いを浮かべて男は言った。やや寂しげにも見えるその様子に、サスケは少しだけ申し訳ないような気分にもなったが、いつも通り軽く手をあげるとやってきた電車に乗り込む。
普段よりも少しだけ空いている車内で、サスケは定位置に決めている端側のシートに慣れた仕草で座り込んだ。何となくぼんやりとした頭で、金髪碧眼にオレンジの忍び装束を着た忍者を想像してみる。
(……ありえねえだろ)
あまりにも騒々しそうなその姿を思い浮かべ、サスケは思わず口許を緩めた。



「お前、ストーキング野郎とできちゃってるって噂になってんだけど」
昼休みの安眠妨害工作としては余りにも破壊力のある発言を落としたのは、幼馴染のシカマルだった。それを伝えるために、わざわざ隣のクラスからやってきたらしい。サスケのクラスの顔見知り何人かにも軽く声を掛けながら、いつも通り机に突っ伏していたサスケの横につく。
思わず一気に目が覚めたサスケは勢いよく起き上がると、困惑した表情を浮かべるシカマルを見上げた。
「……なんだそりゃ!?」
「あ、やっぱ違うのか?」
ほっとした様子でシカマルが胸を撫で下ろす。でも、すっかり噂になってるぜ?
「あの『うちはサスケ』が金髪男に落とされたって」
「そんな事あるわけないだろ」
くっだらねえ、とサスケはシカマルの発言を一刀両断にする。そういえばここ数日、ちらちらとホームにサスケのファンだと公言している女子が数人いるのを見かけたような。鬱陶しいから無視を決め込んでいたのだが、だからといっていきなりそんな話になっているとは思いもしなかった。
「でもそのストーカー男と毎日会ってるってのはデマじゃねえんだ?」
シカマルの呆れたような声が頭上から降ってくる。お前、案外ガード緩いんだな。
「大丈夫なのかよ」
「大丈夫って、何が?」
「そのストーカー野郎だよ。何が目的でお前にまとわりついてんだ?」
「……や、別にまとわりつくって程付きまとわれてるわけじゃ……話してんのも、せいぜい10分位だし」
「でも、毎日待ち伏せされてんだろ?」
そりゃ十分まとわりつかれてるんじゃねえの?最終通告をするようにシカマルが言う。何も目的がないのにそんな事する奴いるかよ。
……なるほど、一理ある。
理論派の幼馴染に言われて、サスケは素直にそう思った。確かによくよく考えてみれば、そもそもあいつがどこで自分の事を知ったのかさえもまだ解らないままだ。まさか本気で前世がどうとか言ってるのだろうか。だとしたら、本格的にヤバい奴のお仲間だろう。無邪気な笑顔にぼやかされて、メンマの目的なんて考えてもみなかったけれど、本当のところはどうなのだろう。……もしや、俺の体、とか?
思いついたら、背中を怖気が走った。最初に会った時の、過剰なまでのスキンシップを思い出す。……そうだよ、ちょっと話したら面白い奴だったからって、こんな風にほだされるなんて俺もどうかしている。今更ながら、なんて軽率だったのだろうと思う。
外の空気でも吸って頭を冷やそうと、苛立ちを隠す事なく音をたてて立ち上がった時。サスケの目に、隣の席の女子が読んでいた雑誌が飛び込んできた。開かれたページに大きく写る、よく見知った金髪頭に唖然とする。
「おい、日向、ちょっとそれ見せてくれ」
滅多に話し掛けてくる事のないサスケに突然声を掛けられて、雑誌を広げていた日向ヒナタは大げさな程萎縮した。どうぞ、と消え入りそうな声で読んでいた記事を開いたまま、すぐさま雑誌を差し出す。
「……こいつ、知ってるか?」
食い入るように写真を眺め、サスケは唸るようにヒナタに問いかけた。ヒナタは剣呑な雰囲気のサスケに怯えながらも、怖々記事を覗き込むと、ああ、とすぐに小さく頷く。
「この人、最近少しづつ雑誌とかで見るようになってきてるよね」
私も一度作品を見に行ったことあるよ、と消え入りそうな声でヒナタは言った。
見た目は派手だけど、実は結構繊細な作品を創る人だよ。

……なんだよ、それ。

言いようのない不愉快さがこみ上げて、サスケは思わず掌で口許を覆った。写真に映る男の、すっかり見慣れてしまった気のいい笑顔がどうしようもなく腹立たしい。
自由のきく行動時間。ラフな服装。それらにやっと合点がいったが、ひとつだけどうしても納得出来ない事が残る。
なんだあいつ。なんでわざわざ、こんなくだらない事しやがったんだ?
今すぐ問い詰めてやりたいという衝動は堪え切れそうもなかった。サスケは「これ借りるぞ」とヒナタに言うと、緊張のあまり頷くのもままならないヒナタを放置したまま、丸めた雑誌を手にカバンを引っ掴んだ。
「おい、午後どうすんだ」というシカマルの声に「サボる」と短く返すと、サスケは昼休みにざわめく教室を飛び出した。



「お?何だ、今日は学校終わるのやけに早かったんだな」
待っててくれたんだ?と嬉しそうに言いながら、男はいつもの電車の時間からきっかり1時間前に現れた。いつもここに早くから来ては、こうして時間を潰していたのだろう。脇には何やら紙挟みを抱え、空いたもう片手の手にはまたおしるこ缶を持っている。
前かがみの姿勢でベンチに座っていたサスケは、ゆっくりと顔を上げると男の青い瞳を力を込めて見据えた。
「ああ、待ってたぜ……」

――うずまき、ナルト さん。

そう言うと、丸めて持ってきた雑誌を広げ、ぐいと前に出して男に見せつける。怒りと屈辱に、伸ばした腕が細かく震えるのが抑えられなかった。
「よくも騙しやがって、なにが今注目の若手書道家だと?」
「あー……よくその記事見つけたなあ」
バレちまったか、とバツの悪そうな笑いを浮かべて男は薄く傷の残る頬を掻いた。
ま、自由業だって言ったじゃん?大体合ってるってばよ。
悪意のなさそうな顔で笑って誤魔化そうとするその態度に、サスケは益々苛立ちを募らせた。
「……そうじゃなくて。名前だ」
「は?」
「名前!誰がメンマだ。ふざけんなよ」
嘘なんてつきやがって、とサスケは吐き出すように言った。
これまでこの嘘の名前を呼んだ回数を思い返そうとすると、その情けなさに居た堪れない気分になる。
しかし騙された悔しさよりも、目の前のこの能天気そうな男が嘘をついたという事の方がよほどショックで。
サスケの剣幕に圧倒されている金髪頭が逃げぬよう、自分が写りこむ蒼天の瞳をひたと見つめた。
「……ナルト」
「なに?」
「なあ、なんで、こんな嘘ついたんだよ」

……お前の事、ちょっと、友達だと思ってたのに。

不意に声が揺れてしまい、サスケはぐうっと息を飲み込んだ。先程から興奮に息継ぎも忘れて喋っていたせいか、なんだか頭がグラグラする。
俯いてしまったサスケを困ったような顔で見下ろしていたナルトは、小さな声で再び「ごめん」と呟いた。
「ごめん、ごめんな。騙すなんてつもりじゃなかったんだって」
「……それも嘘なんだろ」
「違うってば!!全部本当の事しか言ってないって」
名前だけは……違うけど。
すまなさそうに大きな体を折りたたむと、ナルトはサスケの隣に静かに腰を下ろした。少しだけ考えると、観念したかのようにそっと溜息をつく。
「……本当の名前はさ。サスケに、自分で思い出してもらいたかったんだってば」

でもサスケ、完全に忘れちゃってたみたいだからさ。ちょっと腹たったから、つい意地悪しちまった。

ごめんな、とまたナルトは言うと、気づかわしげにサスケの顔を覗き込む。真摯な青い瞳に見つめられて、サスケはやっと気が付いた。
……ああ、こいつ、俺と話してるんじゃないんだ。
俺の中の、誰か。そいつとずっと、話していたんだ。
気が付いたら、ますます胸が苦しくなってきてしまって。もっと怒りたいような、悔しいような、泣きたいような。
整理のつかない気分が全部ごちゃまぜになってしまって、サスケはもうどうしたらいいのか判らなくなってしまった。
きっと今の自分はひどくみっともない顔をしているだろう。

「……ま、いいよ。まだ果たしてもらっていない約束も残ってるし」
何かに吹っ切れたかのように、ナルトは急に声を明るくして言った。
「約束?」
「そ。約束」
どんな?と俯いたまま訊けば、それくらいは自分で思い出せよ、とナルトは苦笑した。んー!と突然声をあげて思い切り伸びをすると、弾みをつけて背の高いオレンジのシルエットがベンチから立ち上がる。思わず驚いて顔を上げたサスケを振り返り、ニシシと悪戯に成功した子供のように笑った。
「…なあ」
「ん?」
「あの、前の俺とお前の話ってさ。最後、どうなんだよ?」
「……ああ」

両思いになって、メデタシメデタシ!!
満面の笑みを浮かべてそう告げるナルトを見上げて、サスケは「…男だろ?」と少し目を剥いて聞き返した。そうだけど、まあ大した問題じゃねえってばよ。ニヤニヤしながらナルトが答える。
「……一体どんなどんでん返しがあったんだよ?」とサスケは小さく苦笑した。確か、この前の話では、最後に殺し合いまでして別れた二人だったはずだ。
「そりゃあ、オレが押して押して押しまくったんだってばよ!」
そう誇らしげに言い切る姿につい吹き出してしまうと、やや気分を害したのかナルトは口を尖らせた。素直な短い金髪が、地下鉄の構内を抜ける風にサラサラとそよぐ。しかし、突然ふと視線を泳がせると、ナルトはジャケットのポケットに両手を突っ込み、遠い遥か彼方を見るような目で虚空を見つめた。初めて会った時の姿がフィードバックしてきて、サスケは時間の感覚があやふやになってくるような錯覚を覚える。

……でも、もしかしたら。
オレばっかりが、好きだったのかもしれねえな。

ぽつりと漏らされた言葉は、この男らしからぬ気弱さに揺れていて。サスケは胸の奥がじくじくと痛み出すのを感じる。
はやく、はやく、なんとかしてあげないと。
そう切実に思うのに、気持ちは焦るばかりで言葉が出てこない。
……両側から、上下の列車が勢いを付けて飛び込んできた。交差する車両同士が、色鮮やかな残像を残す。
ごお、と大きな音がこだまして、無茶苦茶な風が巻き起こった。

『なあ、サスケ』
『…なんだ』
『もしさ、もし、次生まれ変われたら。そん時は男がいい?女がいい?』
『どっちでもいいだろ。ていうか、お前生まれ変わりなんて信じてんのか』
『……信じちゃ悪いかよ?』

突風に、ナルトの体が僅かに揺さぶられる。半紙だろうか、紙挟みの中のものが、数枚風に攫われて空に散った。
ひらりひらりと、白い影が視界に舞う。

『オレもどっちでもいいんだけどさ、でも絶対またサスケを見つけてやるってばよ』
『……無理だろ、それ』
『無理じゃねえよ!何回生まれ変わった先でも、ぜってー見つけ出してやる!』
『ふーん、……やれるもんならやってみな、ドベ』

あっ、と小さく叫んでナルトがポケットに入れていた手を慌てて出した。逃げるように舞い散る紙を指が追い縋る。
しっとりと暖かそうなその掌を目の端に捉えると、サスケは真っ白な頭のまま夢中でそれを捕まえた。
列車は風を引き連れて遠くのトンネルに消えていく。
あとには拾われないままホームにふわりと落ちていく半紙と、決死の覚悟を決めたような表情でナルトの手を握り締めるサスケ。そしてそんなサスケをぽかんと口を開けて見つめるナルトが残った。

「……そんな事、ねえよ」
思い切るように言った一言は、少し掠れて風に紛れた。怪訝そうな顔で、ナルトが聞き返す。
「え?」
「両思いだったんだろ?ちゃんとそいつも――お前のこと好きだったって」
「わかんねえじゃん、そんなの」
「……俺がそうだと思うんだ」

それで証明にならねえかよ?

不貞腐れたような顔を耳まで上気させて、サスケが言った。
「……ありがと」
少し間を開けて、ナルトは小さく返す。
その声を拾うと、サスケはおずおずとナルトの顔を見上げてきた。
ああ、こいつオレの為に、今一生懸命考えてくれたんだ。
気がついて、思わず繋いだ手に力が入った。
確かな鼓動。
溶け合った体温が、心地いい。

……黒い瞳をその青空の瞳で捉えると、ナルトはゆっくりと綻ぶように笑った。

  
『じゃあさ、見つけられるかどうか、賭けようぜ』
『何を?』
『もし!もしオレが、サスケを見つけられたらさ!』
『?』
『今度はさ、お前がオレを、追いかけてくれってば』
『……ま、考えといてやるよ』
『やった!約束な!!』







【end】
「運命の二人」ってなんでしょね?と考えての妄想。
アニナル特別編「宿命の二人」DVDを見ていてあまりのナルトの必死っぷりに、次くらいは追いかけっこも攻守交代してもらえるといいねーと単純に思って書いてみたものでした。
ちなみにヒナタ嬢の読んでいたのは「日本書法」。香道の家元のお嬢さんという裏設定付きです。

このお話が元になり、のちにリクエストをいただく事もあってevergreenができていきます。ループを書いた当初から漠然とお話の筋はあったので、書く機会が持ててとても嬉しかったのでした。いやまだ完結してないんですけどね…(すみません)この時書いていたヒナタ嬢の設定も関わってくるので、ちゃんと活かしたいです。