屠られし子羊こそは

*ナルト・サスケ共に小学五年生。ふたりは幼馴染です。
*吸血鬼ハンターカブトがイキイキと変態を演じています。
*オカルト?ホラー??なんやら自分でもよくわからなくなりました…。嘘臭さ満載ですが、どうかご容赦ください。
*なんでも許せる方向け。ショタが嫌いな方、生々しい描写の嫌いな方は回れ右でお願いします。

ご了承いただけるようでしたら、下へどうぞ。










ハァ、ハァ、ハァ……

顎の向くまま出鱈目に走り回った路地はとうにわからなくなっており、どうにか前に進んでいるスニーカーの靴先が示す方角も、もはや北も南もあったものじゃなかった。
緊張と疲労で限界を訴える呼吸がやかましい。熱い息が混じるそれは、しかしオレだけのものだった。顔の横、跳ねたくせっ毛が頬に触れる。肩組みで半ば引きずるようにして連れてきたサスケの呼吸音は、先程から途絶えたままだ。

ハァ、ハァ、ハァ……

ダッフルコートの袖から出た手はのように白く、力を失ったそれは走るオレの動きに合わせゆらゆらと揺れるばかりだった。うなだれた頭は先程から一度も上げられることはなく、いつもは勝気に睨んでくる瞳も今は固く閉じられたままだ。どういういわれで自分達がこんな事になってしまっているのか。苦しい息の合間に考えてみても、答えはサッパリ浮かんでこなかった。ただ漠然とだがハッキリと感じるのは、兎に角逃げなくてはならないという事だ。あいつにサスケを渡してはいけない。渡してしまったら最後、きっともうサスケには会えない。
追い詰められ途方に暮れた気分で天を仰ぐ。
見知らぬ住宅街の屋根の隙間に見えたのは、乾ききった冬の青空だった。



そもそもが今日は、オレの予定としてはすこぶるハッピーな一日になるはずだった。
だって今日はクリスマスイブで、それでもって明日からは冬休み。背中で騒いでいるランドセルに突っ込まれた通信簿は相変わらずだったけれど(だがこういうのは気にしない事が肝要だ)、今夜はその出来不出来に関わらずクリスマスのご馳走がテーブルには並ぶ筈だったし、それが終わったらすぐにお正月だ。小学生にとって、これ以上に幸福な日があるだろうか。そんな風に思いつつ、オレはいつも通り幼馴染のサスケと共に、馬鹿話に笑い合いながら通学路を帰っていた。自分達の家の玄関前で別れるまで、オレ達は同じ道を歩く。オレとサスケの家は隣同士なのだ。

「――ねえ、君たち?ちょっといいかな」

『そいつ』が現れたのは、唐突だった。
通い慣れた通学路の、住宅街に入る手前。ゆるい坂の真ん中に、そいつは立っていた。
色を抜いているのだろうか、髪は灰色、黒い瞳に丸い眼鏡をかけている。歳は20代…いや、どうだろう、30近いんだろうか。年齢不詳な細い体に長く黒いコートをぞろりと羽織り、中はカンフー服というのだったか、やはり真っ黒な中国風の服を着ている。平和な街の一角において何から何まで異世界じみて見えたそいつだったけれど、中でも特筆すべきはその肌だった。蝋人形のように青白く、きれいに型どられた笑顔。黒ずくめのその佇まいの中、完璧過ぎるその表情がかえって異様だった。

「なっ…なんだってば」

じっとその影法師のような姿を睨み上げると、そいつはまたもうひとつ、にこりと微笑んだ。
「ああ、そんな身構えないで。ちょっと道を尋ねたいだけだからさ」
そう言って、そいつは無意識に足を踏ん張ってしまっているオレ達のところへ、するすると音もなくと近づいてくる。
「このあたりでね、うちはさんっていうお宅があると思うんだけど」
「…え」
「あ、僕ね、そこのお父さんの古い友人で、今日は彼のところへ尋ねるところで。でもほら、この辺の住宅街の道ってどこも似てるものだから、久しぶりに来たらすっかり迷ってしまってさ。もし知っていたら、君たち道案内してもらえないかな?すごく助かるんだけど」
「あ…そ、なの?」
喋りだしてみると案外普通な口ぶりに、警戒でガチガチになっていたオレだったが、ついホッと明るい声が出た。なんだ…サスケの父ちゃんの友達か。確かサスケの父ちゃんは海外の色んな企業相手になにか貿易関係の仕事をしていると、昔自分の父親から聞いた話を思い出した。だったらこの人は、仕事関係での友達なのだろうか。それらならばあの服も納得だ。
何となく色々に納得をつけながら、止めていた息を吐き出したオレは「なあんだ、だったら」と言いかけたが、その言葉は不意を打つようにしてオレの服を引っ張ってきた、サスケの手によって阻まれた。首を傾げ振り返ったその顔は、紙のように白く乾いている。
「…らねえ」
「うん?なんだい、男の子だったらもっとハッキリ言わなきゃ」
「――知らねえ!!そんな家はねえよ!」
そう怒鳴ると、サスケはぐっとオレの手を掴み、一目散に住宅街とは反対方向へと駆け出した。
訳もわからないままに引っ張られ、つんのめりながらもオレも続こうとしたが――

「ちょっと待ってよ、まだ話の途中だろ?」

聴こえた声の位置のあり得なさに、ハッとして顔を上げた瞬間、息が止まった。鼻先でにこやかに微笑む作り物めいた笑顔、穏やかな声。
え、なんで…だってこいつ今、反対側にいたはずじゃ…!?

「ねえねえ、もしかしたらなんだけどさ」
「……ッ!」
「君、そう、黒髪の方の君ね。君さ、もしかしてサスケくんていうんじゃない?うちは、サスケくん?」

整った口許に端正さを湛えたままのそいつはそう言うと、激情に燃えるサスケの瞳をじいっと覗き込んだ。
ああ、やっぱり。当たりでしょ?
嬉しげにそう言うと、再び出来過ぎな笑顔をニッコリと浮かべる。
「歩いて来るの見た時から、そうだったら凄くラッキーだなあって思ってたんだけど」と歌うように言いながら動かされた手を、完全に空気にのまれてしまったオレは、ただ呆然と眺めていた。「今日は、相当ツイてるのかな」という半ば独り言じみた科白と共に、どこから取り出したものかその手に小さな銀のピストルのようなものが現れ、同時に目の前にいたはずのそいつの姿が煙のように消え失せる。
マジックのような動きに声を失っていると、またすぐ頭の上で「ここだよ」という楽しげな声がした。
ギクリとした瞬間、同じく隣で硬直するサスケの首筋に銀のピストルがあてがわれる。

「なんだ…子供でも純血だったら、もっとヤルのかと思ったら。つまらないなあ」
「…!!」
「本来の摂食が出来てないせいなのかい?世に聞こえし一族も、こうなってしまうとただの子供だね」
「……れ、走れ、ナル…ッ…!」

絞り出すようなサスケの叫びを待たずして、プシッ!という小さな破裂音がその声をかき消した。崩れ落ちるダッフルコート、ぽきりと折れる細い体。最後までオレを見詰めていたまっくろな瞳が、抗えない昏睡に段々と光を失っていった。重たいランドセルに押しつぶされるかのように、ガクリと膝を地に着いたサスケがそのまま前のめりに倒れていく。

「サ…ス、ケ?」
「あ、大丈夫だよ、これ見た目はこんなだけど鉛玉が出るわけじゃないから。そうだな、麻酔銃のようなものでさ。薬を打ち込んだだけだよ」
「薬…?」
「そう。ちょっとこの子の中に眠る、『本能』を刺激するための薬をね」

――僕からのクリスマスプレゼント…彼の持つ本来の力を、呼び起こしてあげるよ。
放心するオレの前で、そいつは満足げにそう言った。おもむろにぐったりと力を無くした腕を掴むと、ぐいっと容赦なく引っ張り上げられる。脱力した肩から、黒いランドセルがズルリと落ちた。アスファルトに響く鈍い音に、ようやく真っ白になっていた頭が動き出す。
な、なんだよこれ……なんだよ、これ。
完全に意識を失っているらしいサスケの変な形になっている姿勢などを見るに付け、どんどん焦りと現実感が増していった。嘘だろ…こんなの、本当なワケない。だって今日は終業式で、クリスマスイブで、今日帰ったらこのままオレんちでふたりしてゲームする約束してて。三時に出されるのは多分クリスマスケーキ作りで余ったイチゴで、いつもみたいに夕方になったら高校から帰ってきたイタチ兄ちゃんがサスケを呼びに来て……間違いなくハッピーな日になる筈だったのに。なにがどうなって、こんな事になっているんだ?

『―――走れ』

混乱し過ぎて再び停止しかけた頭に、不意にサスケの声が響いた。
走れ――走れ、ナルト!
意識を失う間際まで必死で絞り出してくれた言葉に、動かなくなっていた体が熱くなる。
腕を掴まれたサスケに目をやると、担ぎ上げようとしているそいつに、細い体が意識もないままに強引に引き立たされたところだった。上体の角度が変わった途端、かくん、と小さな顎が仰け反る。力なく半開きになった赤い唇から、苦しげな吐息がひとつだけ漏れるのを聴いた。
くっそォ…あの嘘笑い野郎、オレのサスケにひでェ事しやがって…!
サスケはオレの一番のダチだって、生まれた時から決まってんだ!そんなサスケをオレの許可なく連れ去るなんてぜってェ許さねえ!!

「――てっめえサスケに何しやがんだ、今すぐ離れろってばよ!!」

背負っていたランドセルを素早く下ろし両手で振り回し勢い付けて放り投げると、みっしりと中身の詰まったそれ(なにしろたっぷり出された冬休みの宿題と課題図書、それに通信簿まで入っているのだ)は威力を持って飛び、サスケの腕を取るそいつの顔に見事に命中した。狙いどころもよかったのだろう。呻きを抑えられない様子のヤツはサスケの腕を放し、両手で包むようにして顔を抑えている。
(…ッしゃあ!チャンスだってばよ!)
落ちてくるサスケを下で拾い受けたオレはここぞとばかりに火事場のクソ力とやらを発揮して、脱力するサスケを肩で折るようにして抱え上げた。オレよりも背の高いサスケだけれど体つきはヤセな方だから、体重はそう変わらないのだ。
「…く……待…ッ!」
グローブの手で片目を抑えつつ唸ったそいつは、顔を上げた瞬間ハッと目を見張った。視線の先はオレの背中だ。オレの角度からは表情は見えないが、いつの間に気が付いたのかサスケが頭を僅かに擡げている。どうやらあの眼鏡野郎をじっと見つめているらしい。

「その目…」
「……」
「――は…!成程、秘していても失われているわけではない、か…!」

素晴らしいな、君は……!
感嘆しかたのようにそう囁くと、だらんと両肩を落としたそいつはまるで何かに命じられたかのように、その場に膝をついた。それと同時に毅然と顎を上げていたサスケも、限界を訴えるかのように再びがくんと脱力する。
「サスケ…おい、サスケってば!」
慌てて揺さぶってみてもその目蓋は、今度こそぴたりと閉じてしまったようだった。なんなのお前…こんな危なそうな奴に狙われたり、なんかあっという間にそいつ動けなくしてみたり。それに『本能』ってなんなんだよ、11年も一緒にいんのになんで教えてくれなかったの?なんでずっと黙ってたの?
もしかしてオレにも言えないような秘密を、お前ずっと抱えてんの?

「さて……それで、次はどうする?子羊くん」

どこか楽しんでいるかのような奴の声が、真っ白な顔を更に白じろとさせているサスケの横顔に疑問を渦巻かせているオレを、再び現実へと引き戻した。見れば、膝立ちになったままの奴が、にやにやとこちらを見守っている。
「逃げるなら今なんだけどさ…けどまあ考えてみれば、君は部外者だからね。サスケ君さえ手に入れば、こちらとしては別に君を追ったりする理由はないから、そのまま君は放免て事にできるけど」
「へ…?」
「どうする?多分彼はしばらく目が覚めないだろうし…僕だって今はこんなだけど、本気出せばこの程度の拘束だったら、実はすぐに解除できるんだよね。君のその小さな体で彼を連れていくのは相当大変だと思うよ?置いてっちゃった方がいいんじゃない?」
「ばっ…かやろォ、ンな事できるか!サスケはオレの友達なんだぞ!!」
腹の底から出た叫びに、一瞬キョトンとしたそいつだったが、やがてその顔がぐしゃりと歪み、ククク、と引き攣れたような下卑た笑いが喉の奥から漏れ聞こえてきた。
友達?…ああそう、友達なの…!
明らかに小馬鹿にしたようなその言い口に、抑えようのない怒りが体中に燃え広がる。

「ねェ――鬼ごっこ、しようか」

100、待ってあげるよ。いやらしい笑いでニンマリとその顔を彩りながら、そいつは言った。なんだか君、面白いし。折角だから、もう少し遊んでから帰るのも楽しそうだよね。
「もちろん逃げるのは君ら、鬼は僕。明日の朝まで逃げきれたら君らの勝ち。僕はもうこのまま帰るよ」
「えっ…」
「でも逆に捕まったら…わかるよね?」
サスケくんは僕の、好きにさせてもらうよ?笑いながら言われた言葉の不穏さに思わず吃ると、そいつは眼鏡の奥の瞳をきゅうっと三日月に変えた。心底楽しそうにするそいつの不気味な笑顔が、縮こまりそうになる胸に迫ってくるようだ。
その時ふと、坂の遥か下の方でまたぼおっと立つ黒ずくめの影法師が見えた。もしかして、こいつの仲間だろうか。判断したオレはぐったりとしてしまったサスケの力無い腕に首を潜らせると、ぐんと膝に力を込め立ちあがる。気になる事は山程ほどあるし結局こいつの提案に乗ってしまったようになるのは気に入らなかったが、今は兎に角この場から逃げる方が先決だ。

「――さあ、君はいつまで、彼のお友達でいられるかな?」

立ち去り際、愉快げに言う奴の言葉が、後ろからオレを追いかけてきた。
振り切るように一度深呼吸したオレは、転がったままのランドセルも打ち捨てたまま、そこからはただ猛然と走り出した。



見つけた古い建物はかつては幼稚園かなにかだったらしく、刺の生える鉄線に難儀しつつもどうにか侵入した庭には、ペンキの禿げた遊具が寂しげに傾いでいた。壊れかけの園舎と体育館とを見渡すと、その間に小さな講堂のようなものが建っているのに気がつく。壁にはすっかり剥げ落ちた金の十字。昔ここは、キリスト教系の幼稚園だったのだろうか。
「サスケ、サスケ!」
体を引きずるようにして入り込んだ教会のベンチで、ピシャピシャと血の気のない頬を叩くと、ようやくサスケは気が付いたようだった。うっすらと開かれた瞳が、ぼんやりと脇に立つオレの顔を見詰める。

「……なる、と?」

まだ頭がハッキリしていないのだろう。回りの悪い舌で呟かれた言葉に、それでもオレはホッと息をつく。
「…ここ…?」
「ゴメン、走り回ってるうちによくわかんなくなっちゃったんだけど…けど多分まだ、木の葉町からは出てないと思うってば。つぶれて使ってないっぽい幼稚園があったから勝手に入っちゃった」
笑って答えた俺に、目の動きだけで辺りを見渡したサスケは小さく、「幼稚園?」と訝しんだ。不思議に思うのも無理はない。高い天井は奥行をもって尖り、四方の壁にはここを使っていた子供達の為であろう、カラフルな色ガラスをふんだんに使った可愛らしい天使を描いたステンドグラスが嵌め込まれている。建物の中で唯一鍵のかかっていなかったこの建物は、どうやら教会として使われていたらしい。舞台のようになった奥の方には、パイプオルガンらしきものも埃を被っている。
「……そうだ、あいつは!?」
やっと記憶が噛み合ってきたのだろう、突然横たわっていたベンチから身を起こしたサスケはそう叫ぶように言うと、そのまま小さく呻いて頭を抱え込んだ。さっき打たれた薬とやらのせいだろうか。普段殆ど汗をかいたりしないサスケのこめかみに、汗で束ねられた髪の筋が張り付いている。
「あいつ、オレんちに…!」
「だ、大丈夫!あいつしばらくは動けないみたいだったし…それにオレってば、サスケんちとは反対方向へ走ったから!」
無理にでも立ち上がろうとするサスケに急いで取りなすと、聞いたサスケは一度はほおっと息をついたようだったが、どういう訳かすぐにまたこちらを睨んできた。「な…なんだよ」とつい同じく睨み返すと、「お前、なんでまだオレといるんだ」とサスケが言う。
「はァ~?なんでって、そりゃお前を助けるためだろ」
「オレは走れと言っただろうが」
「だァから、走ったっつーの!お前担いで!無茶苦茶キツかったっつーの!」
折角頑張ったってのに、なんだよその言い方は!普段から愛想のないサスケだけど、それにしてもあんまりな言い草に、さしものオレもむうっと頬を膨らませた。
あのまま放っておいたらなァお前、絶対あの眼鏡に連れてかれてたぞ!?
鼻息荒くそう言い切るオレに、反論出来ないらしいサスケがむっつりと黙り込む。
「あいつ絶対ヤバい感じだったし。捕まったら何されっかわかったもんじゃねえってば」
「……」
「だいいち、どんな場面だろうとオレがサスケ置いてひとりで逃げるなんて、ぜってーありえねえよ。お前だってわかってんだろ、そんくらい」
「…それでも…」
お前まで巻き込まれる事、なかっただろ。
ぽつんと零された言葉の重たさに、オレはふとベンチに座るサスケを見下ろした。いつだって堂々としているヤツなのに、ベンチの上で靴のまま体育座りをしているサスケは、なんだか見たことない位頼りなさげだ。長い睫毛が、黒目がちな大きな瞳とその白い頬にほのかな影を落としている。サスケは昔から、本当に綺麗な顔をしている。小5になった今でも、まだ時々女の子に間違われる事がある程だ。
「――――なあ…さっきの、あの眼鏡野郎が言ってた事ってさ…」
尋ねたかったことをようやく口にすると、体育座りのサスケは明らかに体をこわばらせたようだった。
「あれ…どういう意味?」
「……」
「あとさ、いきなりあいつ動けなくなったり。あれもお前がやったんだろ?オレってば今まで、サスケがあんな事出来るなんてのも全然知らなかったんだけど」
「…だったら知らないままでいいだろ。これ以上深入りしたらお前だって…!」
「いやあコレ多分、もうとっくに深入りしちゃってるってばよ?」
顔を上げ咄嗟にまた言い訳で逃げようとするサスケにニシシと笑いかけると、目が合ったサスケはそんなオレに諦めたかのように脱力した。普段無口で秘密主義のサスケだけれど、オレ相手の時だけは大体いつだってこのパターンでいけば攻略できるのだ。そう思いつつじっとその目を覗き込んでいると、はたして予想していたとおりふかぶかとした溜息が吐き出され、落とされた肩には観念したかのような気配が漂う。

「あれは……目を通して、相手の意識に強制的に命令をかけたんだ。オレの家…というか、一族に伝わる能力のひとつで」

語り出された言葉に真剣に耳を傾けようとしたオレだったが、その語りは「あ、ちょっと待て」というサスケによって早々と中座した。何?と落ち着かないオレに構うことなく、にわかに袖口に手を突っ込んだサスケがそのままするりと何か紐のようなものを引っ張り出す。赤・青・白の三色の糸で編まれた組紐だ。確かあれ、お守りだっていっていつもサスケが手首につけてるミサンガだよな。どうするんだろと思っている内に両手でそれを持ったサスケは、見守るオレに何の説明もないまま、おもむろに紐を引きちぎった。ぷちん、という音と共に、他愛なく紐は垂れ下がる。
「えっ、いきなり切っちゃうの?」
「ああ」
「何なんだってばコレ」
「GPS」
「GPS!?」
「…みたいなもん」
もちろん本物じゃねえよ、と付け足したサスケは切れた紐をポケットにしまうと、「けどまあ、機能としては似たようなもんだ。これで兄さん達にオレの居場所は伝わった筈だから、ここにいれば必ず助けに来てくれる」と自信満々に言い切った。そんなサスケにポカンとしながらも、オレはただ言葉が出ない。いやGPSって、絶対そういうんじゃないって…。高性能なのか、はたしてアナログなのか。いかんとも判断し難いお手製GPSに、オレはただ感心するやら衝撃を受けるやらだ。

「――え…と、そんで、お前とかお前んちの人達とかが狙われるのって、なんでなの?その能力のせい?」

改めて尋ねつつ、ベンチに体育座りしたままのサスケの横に腰掛けると、そんなオレに合わせサスケも曲げていた足を下に下ろした。並んだ肩が僅かに触れ合う。それだけでなんとなく、あたたかな安心が伝わってくるようだ。
「…ああ」
「けどそれ、自分の意思で制御できるチカラなんだろ?オレだって今まで見たこと無かったし、お前んちのおじさんもおばさんも、普段そんな力使ったりしてねえし…悪い事にも使ってないんだろ?」
「もちろんそうだ」
「あとさ、あの眼鏡、本能がどうとか言ってたけど。あれってばどういう事?」
「――それ、は…」
交わされる会話がいつものテンポに近付いた途端、状況も忘れ一気に気が軽くなってきたオレはつらつらとそう言ったが、ちらとこちらを見たサスケは何故か突然硬直したかのように固まると、そのまま言葉が継げなくなってしまったようだった。その様子に、気になったオレはちょっと前屈みになり、隣で座るサスケを覗き込む。
「サスケ?」
「……」
「?…どうした?まだ具合悪い?」
「…匂い、が…」
「におい?」
「………血、の」
「血?」
言われてようやく、右の手の甲に僅かなヒリつきが走っているのに気が付いた。ポケットから手を出してみると、斜めに真っ直ぐな赤い切り傷が走っている。そういえばここに侵入した際、周りを囲んでいる有刺鉄線を潜った。隠れる事で頭がいっぱいだったから気がつかなかったが、その時にでも出来た傷だろう。もう血も止まって乾き出している。
「ああ、こんなのへーきへーき。ちょっと引っ掻いただけ…」
ひらひらと手を振ってそう笑い飛ばそうとしたオレだったけれど、不意にそれは途中で打ち切られた。
口を噤んだままのサスケが、そっとオレの傷を負った手のひらを、その白い手で絡め取ったからだ。

「ど…どしたんだってば?そんなじっくり見なくても、大丈夫だってばよ…?」

訝しむオレをよそに、オレの手を取ったサスケはそのままそれを自分の方へと引き寄せた。
冷たくかじかむ指の背に、生ぬるいサスケの吐息がふわりとかかる。

「…サスケ?」
「……」
「……ッ、サスケ!?」

――れろ、と。
半開きになった薄い唇から伸ばされた桃色の舌が血の滲むオレの手の甲を舐めると、背中にぞわりと悪寒のようなものが走り抜けた。
ぬるついた生き物が肌を這う。きたない、きもちわるい――なのにどこか、たまらなく…きもち、いい。
不快さの中に同居する甘い感覚に、オレは一瞬、完全に意識を奪われた。甲を微かに撫でる、柔らかな唇。その赤さを見るに付け、オレのお腹の底の辺りはなんだかむずむず落ち着かなくなってきた。思わず狭くなった喉の奥から、「ひゃ…ぁ!」と変な声が出る。
あんまりにもオレが動転した声を出したからだろう、何かに取り憑かれたかのようにうっとりとした表情になっていたサスケだったけれどその声を聞くと、びくりと目を見張りその肩を跳ね上げた。待ちきれないかのように突き出してしまった舌先と両手で捧げ持っていたオレの手に気が付くと、愕然としたかのように慌ててその手を放し、体をずらして距離を取る。

「オ・オレ、今…!?」
「だっ、大丈夫だってば!別になんにも…しみたりとかも、全然なかったし!」

身を固めるように再び体育座りになってしまったサスケに急いでそう伝えたが、薄い背中はこわばったまま、怯えたように丸められていた。膝を抱える指先にも、頑なな力がこもっている。
「ホント、大丈夫だってばよ?」
「……」
「こんな傷とか、ツバつけときゃ治るってよく言うもんな!サスケもそのつもりだったんだろ?」
今し方の行動にどうにか理由をつけようと、混乱する頭で必死に考え出した言い訳にも、サスケは顔を上げる気にはなれないようだった。ぴったりと自分の殻に閉じこもってしまった様子に、(ああ…これは当分、時間がかかりそうだぞ)と長年の付き合いからくる勘が告げる。
ふう、と溜め息をつくと、冷えた教会の中でそれは白い煙となった。
ステンドグラスの向こう側に見える外の世界は、いつのまにか真昼の明るさから夕方の薄暗さへと光を落としている。

「…そういや今日ってば、クリスマスイブだったな…」

真正面に見える金の十字架に、ふと昼間まで考えていたハッピーなイベントを思い出した。
流石にもう家の方でも母親が異変に気が付いているだろう。サスケはさっき自信満々に迎えが来ると言っていたけれど、本当に信用してもいいのだろうか。まあ賭けだとしてもこの状況では、信用するしかないんだけど。うちの父ちゃんと母ちゃんも絶対心配してるだろう。オレだけじゃなくサスケもセットでいなくなってる事で、母ちゃんにはいくばくかの安心は与えられているかもしれない(うちの母ちゃんは頭がよく日頃からの行いもいいサスケに、昔からオレのお目付け役として相当な信頼をおいている)けれど、もしかしたら既に、大きな騒ぎになっているかもしれない。

「なーなーサスケさ、ちゃんとプレゼントに『アルファサファイア』頼んだ?」
「……」
「オレサンタさんへの手紙に『オメガルビー』ってしっかり書いたかんな!サンタさん間違えずに用意してくれたかなあ、赤い方って説明も書いておいたんだけど」
「……」

「スタートも(せーの)で一緒に始めんだかんな!そんでどっちが先にクリアできるか競争だってばよ!」などと、前々からふたりしてサンタにリクエストしようと決めていた、新作のゲームソフトの話題を明るく出してみたが、返ってきたのは結局まだ動かないままのだんまりだけだった。…まあ確かに、このまま家に帰れるかどうかも、現状では確定してはいないのだけれど。何を言っても反応のないサスケに、いよいよオレは深い溜息をつくしかなくなる。ああ、これは本格的に難しいパターンだ。いつもだったらここで、「いいけど、まあこのオレがウスラトンカチに負けるような事は絶対ないだろうけどな」位のこと返してくれるのに。
ちょっと暗い気分になってきたところでサスケを見遣ると、抱えられたコーデュロイパンツの膝が、カタカタと落ち着かないでいるのに気が付いた。改めて確かめてみればそれを抱える白い指先も、目に見えて細かく震えている。
「ごっ、ごめん大丈夫かってばサスケ…寒い!?」と慌てて尋ねても、返ってきたのはカチカチという震えからくる歯のぶつかる音だけだった。 「どうしよ、オレの上着着るか?なんか…どうして欲しいか言えってば!」という必死な言葉も、上滑りするばかりでどうしようもない。

「…いい……はな…れろ、ナルト…」

離れてくれ、という苦しげな呻きに、仕方なくオレはベンチに座る尻を横ににじらせた。これもさっき打たれた薬のせいなのだろうか。そういえばあいつは、あの薬の事を『本能』を刺激するものだと言っていた。サスケの中にある本能って一体何なんだろう。オレの中にはないものなのだろうか。

「―――よかった。ちゃんと効果は出てるようだね」

突然入り込んできた声に驚くと、オレはようやく壊れかけた入口の扉に寄りかかる黒ずくめの影に気が付いた。すっかり四肢の自由を取り戻したらしい『あいつ』が、悠々としてこちらを眺めている。
「てめえ、いつの間に…!」
「まったく…100どころか、1000数えてから出発したのに。これじゃ全然、ハンデにならなかったねえ」
「ダメだよ、もっと頑張って遠くまで逃げなくちゃ。君、結構根性ありそうだったのに。期待外れだったな」などと 入口で立ったままそんな苛立つような事を言ったそいつだったけれど、ずれた眼鏡を直すと「けどまあ…一番面白い場面は、これからみたいだね」と嬉しげに呟いた。そうしてから未だ震えの止まらない様子のサスケを眺めると、「かわいそうに。今が一番辛い時だよね」と悼むように言う。

「かわいそうって…お前がサスケに変な薬打ったからだろ!?」

怒鳴りつつ、体を低く構え入口の扉に寄り掛かったままの奴めがけいきなり突進したオレだったがやはりよくあるヒーローアニメのようにはいかず、遮二無二向かってきたオレに眼鏡野郎は鼻で笑うかのように体を返すと、がら空きのままのダウンジャケットの襟元をひょいと掴み持ち上げた。「この…ッ、放せってば!!」ともがくオレを片手一つで吊し上げるその顔は、痩せた体のくせにどこまでも余裕の表情だ。
「違うよ。僕はちょっとした刺激を与えただけ。彼が今苦しんでるのは、彼の一族が持つ本能のせいさ」
さらりとそんな事を告げながら、奴はつまらない玩具でも投げ捨てるかのように、オレをサスケのいる方に向けいとも容易く放り捨てた。いきなり地面に叩き付けられた腰に、じんと熱い痛みが走る。
つい漏れそうになる呻きを根性で飲み込んで、オレは歯を食いしばりもう一度前を見た。
さっきから一歩も場所を動かないままの奴が、いやらしい笑いを浮かべたまま楽しげにオレを眺めている。さっきからこいつの言ってる事ってなんだか訳が分からない事ばかりだ。眼鏡の奥から見下してくるその視線に、苛立ちと気味の悪さでひたすらに胸が悪くなる。

「本能!?なんだってばそれ、そんなのがサスケをあんなに苦しませてるってのかよ!」
「そうさ。彼の一族はね、人でありながら人の血を…」
「――クソが…黙れ、変態」

まるで舞台上の役者のように気持ちよさそうに胸を張っていた奴だったけれど、そこに膝を抱えたサスケの横槍が入ると、朗々としたその語りは途端に打ち切りとなった。余裕綽々だったその顔が僅かに歪み、興醒めしたかのように黒いコートの肩がすくめられる。
「なんだい、君は見た目の割に、口が悪いんだなあ」などとまだ余裕ぶった言い方をする奴に、サスケが「うるせえ」と低く唸った。
長い事伏せられたままだった顔が、ようやく静かに上げられる。

「こいつに余計な事、吹き込むんじゃねえよ……」

底を這うような声と共に開かれた眼差しに、見詰めていたオレは思わず息を飲んだ。
いつもは長い睫毛に縁どられ黒々と湿っているその瞳が、爛とした赤に染まっている。

「余計な事だなんて。折角僕が恥ずかしがり屋のサスケ君に代わって、彼に君の正体を教えてあげようとしただけなのに」
「…だれ、が…!」
「ねえ君…そう、『ナルト』君?」

いきなり名前を言い当てられギクリとすると、そんなオレを見透かし楽しむかのように奴がニヤリと笑った。忘れ物のランドセルに、そう書いてあったよ?あっさり打ち明けられた種明かしに、オレのランドセルを暴く奴が目に浮かぶ。なんだか酷く嫌な気分だ。
ゆっくりとした足取りで、ようやく奴がオレたちの方へと近付いてきた。
そうしてから様子の変わったサスケに驚くオレの元にたどり着くと、冷や汗をかきつつ動けなくなったオレをじっと目上から見下ろしてくる。

「あのさ…友情に篤そうな君だからこそ、打ち明けるんだけど。今こうして君の隣で震えているサスケ君だけど、実はね、彼はもうずっと、生まれた時からこうして苦しんできているんだ。親友である君の知らないところでね」
「えっ…」
「でもね、喜ばしい事にそんな彼の苦しみを君は一瞬にして取り去る事ができるんだ。しかも君は特別何かをする必要はない。必要なのは、ただその君の体と…」
「てめ…ッ…!」

ぐにゃり、と。教会の中の空気が、一度大きく歪んだ気がした。
弾かれたかのように立ち上がったサスケが、迷う事なく笑う奴の胸ぐらに飛びつきその黒ずくめの体をたやすく押し倒した。異様な緊張感に肌がピリピリする。即座にそのまま馬乗りになったサスケの体の周りに、歪んだ空気が異常に集まっているようだ。
「それ以上こいつに余計な事言ってみろ…ブッ殺すぞ!」と唸るサスケに、そいつはにんまりとまた笑った。
「おやおや…そんな可愛らしい顔して。物騒な事言うものじゃないよ?」と応える様子も、床に組み敷かれている割には妙に楽しげだ。
「すっかり『力』は覚醒したみたいだね。君はいい被検体になりそうだよ」
「…るせえ…!」
「しかし大人に対してのこの態度はないなあ。やっぱり出自のせいなのかな、本当にこれだから君たちの一族は、野蛮な」
「黙れ!!」
そう叫んだかと思うと、サスケはその掴んだ胸ぐらを激情のままぐうっと押し付けたようだった。細い筈のサスケの腕には今異常な力が加わっているのだろうか。放置されいたんだ木の床が嫌な音をたて、嘲笑いつつも痛みに顔を歪めた奴の体が他愛なくそこにめり込まされる。
「痛っ…」
「一族の事を愚弄するのは許さない」
ようやく嘘くさい笑顔を消し痛みに呻く奴に告げられたサスケの声は、これまで聞いたことがない位冷たいものだった。真っ赤な瞳の中で何か文様のようなものが組み込まれ、射るようにしてそれに見入られた奴が、ビクリとその体を跳ねさせる。
「本当に…君は、素晴らしいね…もうそこまで能力をモノにできるとは」
サスケの下で硬直したように体を伸ばした奴は、感嘆するかのようにそう言うと、体を伸ばしたまま再びその顔を笑顔で塗り替えた。

「けど…これ程の『力』を使ったら」
「…?」
「きっとこの後、もの凄く、お腹が空くんだろうね……」
「!?てめェ…!」

―――愛すれば愛するほど美味…だっけ?君は我慢、できるかなァ…?

そそのかすかのように最後にそう囁くと、そいつは事切れたかのように、ぱたりと瞳を閉じた。
横を向くその表情は、今度は嘘ではなく本当に嬉しげだ。
しんと静まった教会は今、完全な無音になった。いつの間にか外はすっかり日が落ちたらしい。真っ暗になった教会に、僅かな星明かりだけが差し込んでくる。

「……しん…じゃった、の…?」

張り詰めていた空気が緩んできたのを感じ、オレは恐る恐る、奴の上で馬乗りになったままのサスケに声をかけた。うつむいたままの黒髪が、ふるりと横に揺さぶられる。
「いや…気絶してるだけだ」
「あっ、そ…そか、」
「……」
「…あの、えーと、そ・そんで、その目なんだけど…」
「じろじろ見んじゃねえよ」
恐る恐る尋ねてみたのは先程から何より気になっていた事だったのだけれど、サスケから返ってきたのはそんな苛立ったかのようなキツイ返答だけだった。下を向いたまま、奴からおりたサスケだったが、やはり消耗は激しいのだろう。力の入らないらしい膝がかくんと折れたかと思うと、そのままその場でへたりこんでしまう。

「サス…!」
「――来んな!」

決して楽ではなさそうなその姿に咄嗟に前に出たオレだったけれど、その足も投げつけられた強い拒否にすぐに止められてしまった。うつむいたままのサスケは、表情が見えない。
「来んな…絶対、来んなよ」
かたくなにサスケはそう重ねたが、流れ落ちる黒髪のから覗く赤い唇からは、せわしない息が絶えず白く煙っているのが見えた。ダッフルコートの薄い肩も大きく上下して、いまだ落ち着く様子もない。
「サスケ……苦しいのかってば?」
そろりと尋ねても、答えは返ってこなかった。ただ「ふーっ、ふーっ」と細く聴こえてくるサスケの荒い息遣いだけが、冷え込みの進む教会で、やむ気配もなく続いている。
自分自身を抑えつけるかのようにぎゅっと胸元で交差し回された腕に、ふと先ほど奴が言っていた、もうずっとサスケは苦しんでいるのだという話が甦った。
あの時奴は、他に何て言ってた?
オレならばサスケの苦しみを一瞬で取り除いてやることができるとか、言っていなかったか?

「なあ、オレってば…なんかしてやれる事ない?」

呼び掛けつつ止められていた足を一歩前に出すと、その微かな靴音にも、サスケは大袈裟なほど反応した。
顔を下に向けたままの口元が、掠れた声で「…よせ…」と絞り出す。
「てめ…こっち来んなって、言ってるだろ…!」
「…だってお前、苦しそうだし」
「いいから…ほっとけよ…!」
「ほっとけるわけねーってば」
きし、きし、と砂埃だらけの床板を軋ませつつ静止を無視して前に立つと、へたり込んだサスケの下を見る口許が、焦ったかのようにひとつキリリと奥歯を噛むのが見えた。震えの止まらない体が、また更にぎゅうと縮こまる。

「マジ…あっち、行けって……!」

お前オレの事、怖くねえのかよ…!?
そう絞り出すように言ってはぶるぶるとまるで高熱に侵されたかのように揺れる背中を、オレは無言のまま見下ろした。
汗で湿るうなじ、かわいそうな程に委縮した肩。
交差した手で掴むダッフルコートが、痛々しい程に強く握りしめられているのが目につく。確かにオレの幼馴染は、色々とオレの知らなかった秘密を抱えているらしい。けど怖いなんて事あるだろうか。だってどんな色の瞳になろうと、普通の人には無い力を持っていようと、サスケはサスケだ。オレの親友だ。我慢強いこいつが、こんなになるなんて。余程の苦しみであることは間違いない。
「…サスケ…」
呼びかけつつ、そっと背を摩ろうとすると、指先が触れる直前、顔も伏せたままのサスケにぴしゃりとその手が叩き落とされた。「…さわ・・ん、な…!」と言う掠れた声に、「いいから。…大丈夫だから」と丁寧に言っても、うつむいた顔は薄い唇を噛みしめるばかりだ。

「いい、から…向こう行け、ナルト…!」
「どうして?お前苦しいんだろ?ずっと苦しんでるんだろ?」
「ちが…平気、だ…!」
「ウソつけ。なんだってしてやるから素直に言えって」
「……っ」
「…オレらの間で、隠し事なんてナシだってばよ」
「――だめだ…触るな、」

ナルト…!!という掠れた叫びにも構わず手を伸ばすと、震える体は大きく身じろぎ、床板を軋ませた。
逃げるサスケに、意を決し更に腕を伸ばす。と、今度こそ指先が、その乱れた黒髪の先に触れた。ふっとまた逃げようと身構えていたサスケの体から、一瞬だけ抵抗する気配が抜ける。今だとばかりに意を決し、うつむく顔を覆っている邪魔な髪を、そおっと指で掬い上げた。

「―――ほら、やっぱ平気じゃねえってば」

呆れたようにそう言いながらも、汗で湿った前髪の下から現れたものに、オレはほおっと溜め息をついた。
赤い赤い――真紅よりもまだもっと赤い、純粋な赤。
真っ白な肌と、濡れた黒髪との間、その赤はまるでとんでもなく高価で希少な宝石みたいに輝いていた。この世の中に、こんなにきれいな生き物がいていいんだろうか。そんな事を思いながら、伸ばした両手でその頬を包み直す。
そうしてそっと顔を上げさせてみると、「あ…」という溜息じみた呟きと共に長いまつ毛がぱさりとまたたき、大きな瞳からぽろりと一粒、無色透明の涙が落ちていった。震える唇の奥、赤い口内では、さっきオレの手の甲を舐めた舌が、やわらかく息付いている。繊細な細工物のように尖った犬歯の先が、半開きになった口許から真っ白な輝きを覗かせていた。熱く忙しない息が、頬を包んでいるオレの手を撫でていく。

「――見ん、な…」

気味わりィ、だろ……。
魅入られたかのようにただぼおっと見蕩れていたオレに、掠れた声で、サスケが囁いた。
どこか自棄になったかのように言われたそれに、キョトンとして首を傾げる。
気味悪い?……こんなきれいなものに対して、どうしてそんな事思うだろう?
心底わからなかったオレだけど、また流れ落ちていく涙の粒を見ると、ふとある事を思い立った。
舌を伸ばし、白いほっぺたを伝っている涙の粒を、予告もなしにペロリと舐め取ってやる。すると思った通り(びくん!)とひとつ、縮こまっていたサスケの肩が派手に跳ね上がった。「!!?おまっ、なにす…っ…!?」と動転するサスケに、作戦成功とばかりにニンマリと笑ってみせる。

「へへ…さっきの、お返し!」

オレの言葉に、まんまるになった赤い瞳がなんだか無性にかわいらしかった。
腕を伸ばし、その細い体を抱き寄せてみても、まだ驚いているのかサスケはもうオレの為すがままだ。ほっぺたを撫でる、つやつやのクセっ毛がくすぐったい。ぐんにゃりと脱力している背中に、しがみつくようにしっかりと腕を回す。
抱き締めた体はもう、あれほどあった震えも治まったようだった。細い体からは抵抗が抜け、どこまでもやわらかい。ぎゅっと体を寄せると、首筋にまだ濡れたままのサスケの頬を感じた。大丈夫だサスケ…お前のその苦しいの、全部オレが消してやる。根拠もないままただそう強く思いながら、そっとそのくせ毛の跳ねる後ろ頭に手を添わす。
すぐそばにある熱い吐息。
徐々にまた忙しなくなっていくそれと、久々にこんな近くで感じるサスケの匂いに気持ちを奪われているうちに、不意にオレの肩口に顔を埋めていたサスケが 「ちくしょう、なんで…!」 とまた泣きそうな声で呟いた。
……なんだよサスケ、オレが付いてるから大丈夫だって、こんなに言ってんのに。
どこかふわふわと浮わついた頭で、そんな不満をぼんやり思う。
星明りだけしかない夜、ステンドグラスに嵌め込まれた天使が、鳴らないラッパを吹き続けている。
そういえばあの眼鏡の言ってた本能ってなんだったんだろうとチラリと思った時、耳の後ろ、首筋のやわらかく凹んだあたりに、そろりとサスケが唇を寄せてくるのを感じた。熱くて濡れた感触に、背中がぞくぞくと波立つ。なんとも言えないその危うい感覚に頭の芯が溶かされそうになっていると、やがてそこに何か小さな尖りがやわらかくあてがわれた。ゴメン、と囁かれる小さな謝罪。へ?と思っている間にそれが段々と食い込んできて、そうして……



「 ナ ル ト ォ !!」

耳元で呼ばれた大音量のコールに、ハッと覚醒すると、視界いっぱいに映ったのはサラサラと滝のように流れ落ちてくる豊かな赤毛と、自分とよく似たどんぐり眼だった。ふっくらとした頬が、ちょっと怒ったようにプクリと膨れている。覗き込んでくるその顔の近さにギョッとして「うわっ」と跳ね起きると、真上で構えていたその顎に、オレのオデコが見事にヒットした。ぐああっ、と親子で呻き合いつつ、涙目で見つめあう。…ていうかアレ、母ちゃん?なんで母ちゃん??

「っとにも~ロクに使ってない頭の癖に硬さだけは一丁前なんだから!いい加減起きるってばね!」

持ち前の早口でそう言い切ると、まだちょっとひりついているらしい顎を赤くさせた母ちゃんは、鼻息荒く腰に手を当てた。はっきりとした痛みに一気に目を覚まされ、キョロキョロと周りを見る。しっかり引かれた分厚いカーテンは、よく知るサスケの家のリビングのものだった。丸い電灯が煌々と点き、それが照らすダイニングテーブルには所狭しと色とりどりの皿。フライドチキン・ミートローフ・ローストビーフを散らした豪華なグリーンサラダにラザニア、チーズの盛り合わせ…その他山盛りのクリスマスのご馳走の横に置かれたワインクーラーからは、シャンパンのボトルが口を突き出している。
……どういう事なんだろう、意味がわからない。オレってばさっきまで、古ぼけた教会にいたよな?下校中妖しい眼鏡野郎に捕まりそうになって、そこから逃げて、どろどろに草臥れ果てるまで走り回って。使われていない幼稚園に不法侵入して、そこの教会でサスケと話してて、そしたらサスケが…

「――そうだ、サスケ!!」
「なんだよ」

蘇ってきた記憶に慌てて叫んだが、その返事はすぐさま真後ろから返ってきた。再び度肝を抜かれ振り返る。すると寝かされていたらしいオレの枕元に、いつも通りの整い顔にまっくろな瞳をまたたかせたサスケが立っていた。その隣にいるのはイタチ兄ちゃんだ。こちらはどこか困ったような笑いを浮かべ、丁寧に膝をついている。
「えっ…え?」
「ようやく起きたか、ウスラトンカチ」
見下ろすサスケに、弾かれたかのように立ち上がり縋り付くと、オレはまじまじとその顔を確かめた。
ぺたぺたとほっぺたを触ったり、指で目をぎゅうっと開いてみたり。思いつく限りの検分をするオレに、一気に苛立ったサスケが「てめ…ふざけんな、離れろ!」と怒鳴る。
「うぜえ…!さっきから何なんだお前は」
「だってサスケ…目が…」
「目?」
「赤くないし、それに、なんか薬とかさ…!」
「はぁ?クスリ?」
何言ってんだお前。
必死で今日これまで見てきた事を説明しようとしたが、ようやくオレの執拗な調査から逃れたサスケは、(訳がわからない)とばかりに肩を竦めるだけだった。でも確かに、さっきまで苦しむサスケといた覚えがあるのに…!釈然としないまま立ち尽くしていると、優しい声に「ナルト、」と呼ばれた。ハッとして顔を上げたオレの頭に、いつ現れたのかオレの父ちゃんが、ぽんとその大きな手を乗せてくる。

「どうやら悪酔いして、随分と可笑しな夢でも見てたようだね」
「悪酔い?」
「…覚えてないの?」

これ、勝手に飲んだだろう?
そう言って見せられたショットグラスには、半分程になった蜂蜜色の液体が、とろりとその表面に光を乗せていた。全く覚えのない話に首を傾げると、そんなオレに父ちゃんが「…成程。ナルトは酔うと記憶を無くすタイプか」と苦笑いを浮かべる。そのまま説明する父ちゃんの話を聞くに、どうやら今は波風家とうちは家の合同クリスマスパーティーの準備中で、待ちきれず居間とキッチンとをウロウロしていたオレは、ふとダイニングテーブルで見つけたグラス入りの食前酒を、興味本意で飲んでしまったものらしい。甘い甘いワインにすっかり酔いしれたオレはひとり廊下に出ると、そのまま寒い玄関前に面する階段で座り込んでしまった。そこに足りない物のお使いを頼まれたイタチ兄ちゃんとサスケが外から帰ってきて、玄関を開けた途端、眠りこけるオレを発見したという。…って、説明を受けていても、サッパリ自分の話だとは思えないんですけど…でも確かに口の中には甘ったるいブドウのシロップみたいな味が残ってる。頭もどこかぼんやり痛いし、『酔う』ってこんな感じだと言われれば(そっか、そうなんだ)としか言い様がない。

「まあ、一杯で満足できて良かった。一気に何杯もいって、急性アルコール中毒なんて起こしてたら大変だったからね」

…結構、美味しかっただろ?そう言っては不謹慎にニヤリとする父ちゃんに、後ろにいる母ちゃんが「ミナトってば!」と髪を逆立てた。その横ではサスケんちのおばさんが、ホッとしたように眉を下げている。サスケによく似たキレイな顔も、丁寧に梳かされた長い髪も。こちらも全くもって普段通りだ。
「さあ、もう少ししたらフガクさんも帰ってくるっていうし。それまで子供は子供らしく、遊んで待ってなさい」とソファに追いやられると、オレとセットにされたサスケはまだちょっとさっきのオレの所業に怒っているのか、憮然顔のまま横に座ってきた。夢で見た真っ赤な宝石みたいな瞳の片鱗はその黒目には見当たらず、白じろとしたほっぺたにはもう涙の跡もない。
……やっぱ全部、夢だったのかなあ。
どこかちょっとガッカリするような思いで(じいっ)とその横顔を見つめるオレに、サスケは隠すことなく物凄くイヤそうな顔をした。うん…やっぱこいつも平常運転だ。いつも通りの愛想のなさだ。

「お前な、いい加減うっとおしいぞ」
「ん~~~~~」
「…どんな馬鹿げた夢を見たのか知らねえが、迷惑だからとっとと忘れろ」
「んん~~~~~…」

唸ってみてもやっぱり解らない答えに首を捻っていると、いよいよ話題を変えたくなったらしいサスケがポツリと、「…どうせ夢見るんだったら、クリスマスプレゼントの夢でも見りゃ良かったのに」と呟いた。そうだ、クリスマスプレゼント!なんだか腑に落ちない事は多々あるけれどそれはそれとして、伝説のポケモンをゲットする事も小学生男子としてはかなり重要な案件である。
「ああ~そうじゃんどうせ起きるなら今日をとばして明日の朝だったら良かったのに!」と頭を抱えると、横で見ていたサスケが「…いいけどよ、それじゃお前、ケーキ食えねえぞ?」としれっと言う。

「ああっ、そっかその通りだってば!」
「『サンタ』はお前が食うんだろ?」
「『家』はイタチ兄ちゃんな!」

そんでサスケの分も、イチゴ以外のとこはオレとイタチ兄ちゃんで半分こだってば!とウキウキしながらソファで弾むと、ダイニングの方からまた、「コラー!もうおっきいんだからソファで飛ばない!」という母ちゃんからの注意が飛んできた。「へいへい、わかってるってばよー」と適当に流すオレに、呆れたようにサスケが笑う。

「なーなーなーサスケさ、サンタさんへさ、ちゃんと『アルファサファイア』頼んだかってば?」

すっかり晴れてきた気分にのって、オレは再びサスケに訊いてみた。
確かさっきも夢で同じ事訊いたけど。まあ何度訊いたっていいよな、夢だったんだから。
「もちろん」とつんとして答えるサスケに、「よっしゃ!んじゃ明日お前朝ゴハン食べたらウチに来いってばよ!『せーの』で一緒にスタートしようぜ!」とまたオレは夢と同じ事を言った。「わかった。けどそんならお前、ちゃっちゃとドリルと宿題終わらせておけよ。それ先にやらねーと、お前んちDS出して貰えねえだろ」というシビアな返答に(ああ、そうだった…やっぱこっちが現実だってばよ)と、今度こそはっきりガッカリする。

「わかった!早起きして頑張るってば」
「おー。しっかりやれよ」

力強く宣言すると、サスケは気のない様子で適当な激励をした。興味ないような顔してるけど、本当はサスケもこの新しいゲームをやるのを凄く楽しみにしてるの、オレは知ってるんだ。だってポケモン図鑑を完成させるために、二種類に分けて発売されるこの新作のソフト(うまく出来たもので、どちらのソフトにもそれぞれ限定のポケモンがいて、その全てを集めないとゲーム中に出てくる図鑑を完成させられない仕組みになっているのだ。うちの母ちゃんはそれがいたく不満らしく、『商法的にズルいってばね!』とよく言っている)を分担してゲットしようと最初に持ちかけてきたのはサスケの方だし。サスケにはイタチ兄ちゃんという超優秀なブレーンが付いてるけど、こっちだって父ちゃんという最高に頼もしい協力者がいるんだ。絶対にサスケよりも先にクリアしてみせる。
「でもどーする?万が一さ、サンタさんが間違えてたら」
ちらりと湧いて出た不安にちょっと声を抑えると、訝しむようにサスケが「?」とこちらを見た。
もしも明日の朝さ、オレんとこにも『アルファサファイア』きちゃってたら。ちょっとヒゲキだってばよ?
そうやって急に真面目顔になるオレに、ぷっと吹き出したサスケが軽く言う。

「ま…大丈夫じゃねえの」
「なんで、わかんねえじゃん。どっちも同じポケモンなんだぜ?サンタさんわかるかなあ」
「ちゃんと『赤い方』って説明も書いたんだろ?なら間違えねえって」

…え?と聞き返そうとした時、玄関の方でガチャリと鍵が外される音がした。ただいま、という低い声。それを聞いた途端、くつくつと笑っていたサスケがさっと立ち上がる。
「父さん!」とまっすぐに玄関へと向かうサスケのトレーナーの背中を呆然と見送りながら、オレはまたわからなくなってきた。
『赤い方』?
それってオレがサンタさんに書いた手紙の話で…確かオレってば、この話、まだ一度もお前にしたことなかったよな?
なのになんでお前、それを知ってんの?
――夢の中でしか話した事ないのに、なんで知ってんの?


キッチンからは、笑い合う母親達の賑やかなおしゃべりが聴こえてくる。
その声にはたと気が付いたオレは緊張に体をこわばらせつつ、そろりとセーターの袖をたくし上げ、右の手の甲を確かめた。






「屠られし子羊こそは」

【end】
リクエストで、吸血鬼パロでした。
これ実は未来のお話まで考えてあるのに先が書けないのが悔しい。けっこう気に入っているふたりです。未来に賭けたい。