ギブ ギブ!

【age:13】

それは『バレンタイン』とかいうらしい。遠い国が発祥だという最近里で流行りだしたそのイベントに、ナルトはいたくご執心だ。
「チョコをな、あげんの」
「ふーん」
「その――好きな人とか、つきあってる人とかにさ」
だから、な? と言って覗き込んでくる空色に、(?)と返す。任務のない週末、オレの部屋に来ているナルトはいつものぶかぶかなオレンジのジャケットではなく、気楽なTシャツ姿だった。
真冬なのにやってきたナルトの上着の下は半袖で、呆れて我が身を振り返れば、迎え入れたこちらも同じような恰好で。かといってお互い節約重視の一人暮らし、暖房をつけるのはなんとなく悔しいというケチな理由で、どこか間抜けではあったがふたりしてベッドから引っぺがしてきた毛布を被っている、体育座りのオレ達である。
「な? とか言われても」
どこかそわそわした様子で返事を待つナルトにも、やっぱりわからなくて首を傾げる。並んだふたりぶんの膝小僧。揃えたまま静かにしているオレの横で、ナルトのはゆらゆらと落ちつかず、ちょっかいを出すかのように時折こちらの膝に軽く当たってくる。
「だから、バレンタインなんだって」
焦れたかのように、ふらふらとしていた膝小僧がぱちんと揃った。
「サスケ、オレにチョコとか――くれんだろ?」
変声期の狭間に揺れるかすれ声。さすがに照れ臭かったのかほんのり赤くなった顔が突然そんなことを言うから、驚いた。
「は?」
「は?」
「え、いや……なんでだよ?」
「なんでって、だから言ってんじゃん。つきあってる人だって」
だから、ぎぶみーチョコレート。そう言って「へへへ」と笑うと、ナルトは揃えた膝小僧にこめかみを乗せてこちらを見上げた。冬場でちょっと不精をしているのだろう。少し伸びすぎな金髪がさらりと、そのなだらかに笑んだ眉を隠す。いや、「ヘヘヘ」じゃなくて。
「……つきあってねえし」
ぼそりと訂正を口にすれば、すぐさま「えっ?!」とナルトは言った。
「つ、つきあってないの?」
「つきあってない」
「じゃあ今のこの状況は?!」
「……仕事仲間との、ただの時間外交流」
そ、そうだったんだ、と愕然とする青い目に、今度はオレの方が膝を抱えた。もそもそ動くと毛布の内側でぬくまったオレの左の肩が、ナルトの右肩に触れる。
「ええ~……じゃあオレってばもし他の誰かがチョコくれたら、もらっちゃっていいんだ」
少し拗ねたような口ぶりでそんな事を言うと、ナルトは毛布の端っこから飛び出た足指をぴょこぴょこさせた。いいんじゃねえの、とオレも言う。ナルトのやつ、足の爪伸びすぎ。目の端で確かめた爪先にちらりと思いながら、ふいと横を向いて暮れていく窓の外を見る。
「ほんとに?」
「ほんとに」
「そしたら今度はそいつと、こうやって時間外交流しちゃうってばよ?」
いいの? と訊いてくる声に、思わずぐるりと顔が向いた。すっぽりかぶった毛布の内側からまっすぐこちらを見詰めてくる空色。その中に映る自分の顔があまりにみっともなくて、それに気が付いた途端、酷く恥ずかしくなる。
「そっ…――!」
「そ?」
「………」
「………」
出かかった言葉は喉に引っかかったまま、夕暮れのオレンジに染まる部屋はとぷんと沈黙にしずんだ。
ナルトはじいっとこちらを見たまま動かない。
ベッドサイドに置かれた生真面目な目覚まし時計だけが、コチコチと時を刻んでいる。
「……なーんてな」
「……え?」
「んなわけねーってばよ!」
言うや否や、いきなり跳びついてきたナルトに、うわっと押し倒された。細い両腕にぐるりと抱きしめられる。勢い頭からすっぽり毛布に包まれるような形になったが、ふわふわと鼻先をくすぐる金髪に、すぐに胸いっぱいナルトのにおいになる。
サスケ、と呼ぶ声に下を見ると、胸元でうれしそうに笑うナルトと目があった。半袖のくせに少し汗ばんでいる手。ナルトの体温はいつだって、オレよりも高い。
「……おい」
仔犬みたいにまたぐりぐりと胸元に額を擦りつけはじめた金髪頭を呼ぶと、ん~? とくぐもった声がした。つめ、足の方、伸びすぎ。ぽつぽつと伝えればきょろりと目を動かしたナルトが「ええ、そうかな?」と呟く。
「まだいけるって」
「だめだ。切れ」
「だめ?」
「だめ」
「……オレってば足の爪切るの、苦手なんだってばよ」
切りすぎちゃうから、とまだ子供じみてぷくりとした唇を尖らすと、ナルトはそう言ってそろりとオレを見上げた。ひよこのようなその口先にちょっと呆れつつも、深々と溜息をついたオレはちびの癖にやたら大きいナルトの足の甲を軽く撫でると、爪切りを探すため起き上がった。




【age:27】

「さて問題だってばよ、うちは上忍」
おもむろに切り出してはみたものの、やっぱりというかさすがというか、長年対峙してきただけあって相手もさる者なのだった。
今日2月14日は、なんの日でしょうか。
さりげなく狙いすました質問。なのにダイニングテーブルの真正面で朝刊を斜め読みしている彼は、悠々と足を組んだままびくともしない。
「知らん。そんな事より早く支度した方がいいんじゃねえか、うずまき上忍」
真剣なオレからの先制をいとも軽く受け流し、サスケは言った。遅刻するとまた班のガキ共からどやされるぞ。更にはコーヒーを啜る合間にそんなご注進まで添えて。すっかり板についた黒のハイネック姿は、こちらを見ることもなく余裕の仕草だ。
「支度ならもうできてるし。あとお前オレんとこのやつらをガキ言うなっての」
手応えのない返しに咄嗟に言い返す。するとそこにきてようやく、ちらりと黒いまなざしが手元から上がった。
「だってガキだろ」
「そうだけど言い方な」
「じゃあお前オレが教えてるやつら何て呼ぶ」
「…ガキ」
「あってる」
「いやあってるじゃなくて」
「あってるだろ、ガキはガキなんだから。他に言いようがない」
それだけの話だ。そうすっぱり断じてオレを黙らせると、サスケはまたコーヒーを啜った。つやつやと跳ねた黒髪に窓からの光が踊る。部屋を選ぶ際、東向きの部屋がいいと言ったのはオレだ。夕暮れのオレンジに沈む彼のことは、もうよく知っていたから。一緒に暮らすのならできたての朝の光の中で、今度は穏やかにやすらぐ彼をたくさん見たいと思ったのだ。
けどまあ、なんというか予想というのはやはり予想であって。
「――ていうかそーじゃない、そーじゃねえってばよ、うちは上忍!!」
うっかり違う方へと流されそうになるのを機敏に察し、オレは慌てて話を差し戻した。
バレンタインだっての、バ・レ・ン・タ・イ・ン!
振り上げた拳を強く握りしめ、ドンとひとつ頑丈さだけが取り柄のテーブルを叩く。
「もういいかげん、オレってば今年こそチョコもらってもいいと思う!」
もはや恥も外聞もなく率直に言いきれば、サスケはしれっと「なんで」と返してきた。……いやなんでって。和解からこちら、友情やら恋愛やら全部コミコミで10年も一緒に暮らしている相手に、さすがにそれはないのでは。
「ここで『なんで』は酷くね?!」
「あんなもの単なる菓子メーカーの企画だろ。それにほいほい乗るのは気に食わねえ」
だからしない、とはっきり宣うその姿勢は、ここ十数年の間にすっかり里に定着した冬のイベントに対し真っ向から対決するものだった。ええ~いいじゃんかそのくらい、告白したい奴はいいきっかけになるし、カップルは普段よりいちゃいちゃする口実ができんのにさ。ケチケチしないで菓子屋くらい儲けさせてやれってばよ、という鷹揚なオレの姿勢とは、対岸同士で見事に睨み合う形だ。
「でもさ、そんなん言ったって自分は貰うんだろ。去年みたいに」
お互いの間に流れる深い河に今年も悩ましく思いながらも、ようやく新聞を読み終えたらしい男にオレはちくりと言った。教え子には優しいもんなー、サスケセンセイは。わざとらしく先を尖らせた口先で、去年の出来事をぷちぷち蒸し返す。カカシ先生の例に洩れず、上忍となってからはオレたちもそれぞれにアカデミーの卒業生を受け持ち、任務の合間をみて彼らの面倒を見ていた。『ガキ』みたいな言葉を平気で口にするくせに、受け持った生徒からのサスケの慕われっぷりときたら呆れるほどだ。こいつってなーんかちょっと優しくしただけで、された相手はものすごい特別扱いされたような気になっちゃうんだよな。まあその実例の最たるものが、誰であろうこのオレなんだけど。
「……あほくさ。あんなの班のやつら全員に配ってたやつだぞ。しょうもない事でいつまでもうだってんじゃねえよ」
我ながら大人げないがつい言ってしまったオレの嫌味に、いよいよ呆れたらしい。言いながらやれやれと溜息をつくと、サスケは手にしていた新聞をさっさと畳み椅子から立ち上がった。
オレもう先行くわ、とちょっと気怠く残し部屋を出ていこうとするサスケに、慌ててオレも立ち上がる。いや待って、ちょっと待って!そう言って行く手に立ちはだかると、そんなオレに今日も整った綺麗な顔が、今度こそめんどくさそうに眉を寄せた。
「じゃっ――じゃあオレも今日誰かがチョコくれたら、貰っちまうからな! お前以外の、他のやつから」
いいな?! と固唾をのみつつ確かめるも、サスケはなんでもない様子で「いいぞ」と答えた。
ほ、ほんとに? と未練がましくもう一度きく。それでも眇めた目は平気の平左で、「しつこい。何度も言わせるな」と言うばかりだ。オレ達の間に流れる深い河の流れは淀みない。起きた時から部屋の隅でせっせと熱を吐き出し続けているガスストーブだけが、ごうっと健気に息巻いている。
「……言っとくけど班の義理チョコのことじゃないかんな」
「ああ」
「女の子からの、本気チョコもあるかもしんねーぞ?!」
「そうかもな」
重みのない返事のあと(あとは?)というかのように軽く上げられた細い眉に、ぐぬぬと奥歯を噛み締めた。
「だったら知らねーってばよ?! そのままそのコと、付き合うことになっても!!」
退けない勢いのままついそう言い募る。と、言い終えるかどうかの間際に突然ずいっと一歩、サスケがオレに近付いた。
いきなり間近にきた美形に息が止まる。硬直するオレに対し見つめ返すサスケは実に自然体だ。威勢のいい啖呵で思い切り反っていたハイネックの胸が、肩の力が抜けたサスケのそれにほんの僅か触れる。
「……」
「……」
「…なっ、なんだってばよ」
「…ほら」
「ほら?」
「お前、もうキスしたくなってるだろ」
黙りこくった末の尊大極まりない決めつけに、さすがに「…ハア?!」と大きな声が出た。んなわけねーだろ! と言いつつ至近距離にきた黒の瞳に視線が吸い込まれる。うすく濡れた縁取り、清淑な影を落とす長い睫毛。そのまままっすぐ整った鼻筋をたどれば、その下にはぷるんと色付いた唇が、訪れをいつでも受け入れられるゆるさで軽く結ばれているのが見える。
「……べべ、べつにィ?!」
「……」
「バカにすんなってばよ! オレってばそんなん、したくなんて――!」
「そうか。オレはしたい」
しろ、と平然と命じてくるサスケに唖然と言葉を失ったが、そんなオレにも彼はまるで動じないようだった。動く様子のない男に、「えっ、あっ…そ、そうなの?」とついぎくしゃくこちらも姿勢を正す。なんだかドキドキする。意味もなくきょろきょろと辺りを確かめ、待っている両肩におずおずと手のひらを乗せた。
丁寧に丁寧に背をかがめ、やわらかな唇にチュッと小鳥の囀りみたいなキスをする。
背を戻し(ど、どうでしょうか)とばかりにそろり目を開けた。朝の白い光の中でオレを見返すサスケが、満足げにうすく笑っているのが見える。
「――よし。じゃあいってくる」
暖房消しとけよ、と言い付けそのままするりと横を抜けていくサスケに、ぼおっとなっていたオレは(はっ)となり振り返った。
慌てて部屋の端に走りガスストーブの火を消す。今日はオレも演習場で集合の予定だ。椅子にかかっていたベストを腕に引っかけ、ポケットから出した額あてを慣れた感覚でぎゅっと締めると、先に行くと言いつつもまだ玄関先でサンダルを履いている男に向かい声をあげた。
「ちょっ――待てってばよ、サスケェ!」



【end】
男子三日会わざれば刮目してみよ、みたいなバレンタイン小話でした。
まあどうしたって勝てねえんだわ~みたいなふたりが好きなんですよねえ。そう思っているのは当人だけで、実際のところはお互い様なんでしょうが。