≪3≫

やはりすっかりまわってしまったのだろう。
元の姿に戻っても、サスケのほてりは一向に引かないようだった。
そのままソファでぐったりしてしまった彼に、寝室から毛布を一枚取ってくる。熱いのだからこのまま冷ました方がいいのだろうかと一瞬迷ったが、あられのない半裸の姿に、ちょっと覚悟して毛布を掛けた。毛布からはみ出した長い手足が、シートに収まりきらずひじ掛けに乗り上げている。
(うう……どうしよこれ、このままで大丈夫かな)
伏せられたままの睫毛に、おろおろと思う。とりあえず子供の姿のままでいるのは危険だろうと、強引に術を解除したが、煙が爆ぜると同時にサスケは意識を失ってしまったようだった。それでも昏倒などとは違い、一応今の所は眠っているだけらしい。ゆっくりと上下する薄い胸に、ひとまず息をつく。
ほんの出来心で仕掛けたつもりがこんな事態になるなんて、正直自分でもショックだった。
いや、ショックというよりもただひたすらに反省だ。反省というより猛省だ。そもそもは酒である。思いがけず貰ったそのプレゼントに、このオレがおかしな下心を出したのが、今回の件での元凶である。



「――『悪魔のくちづけ』?」
その名の意味を教えられたのは、今日の昼間の事だ。
帰宅前によった報告所。まだ真昼間だったそこで鉢合わせした彼らから、オレはそれを受け取ったのだった。
艶のある上質紙で丁寧に包まれたそれはいかにもシックで、聞けば木の葉から遠く、遠国で作られている名高い高級酒なのだという。朱色のリボンに金で刺繍された異国語はいかにも格式高そうで、雰囲気から察するにこの酒の銘柄であるらしかった。だから普通にそれを送り主達に訊いてみたのだ、これはごく自然な人としての興味だろう。
「なるほど、これそうやって書いてあんのか」
「おー、」
「あ、だからこれ箱も黒なのか。なんか箱だけでもすげえ高そう。いかにもだな」
名のままにいかにも優雅な趣きのそれへ盛り上がるオレに、遠国での長期任務を終えてきたばかりの彼らはこっくりと頷いた。数カ月に及ぶ任務に並んだ顔は一様に真っ黒だ。男所帯が続く内にどんどんむさくるしさに慣れてしまったのだろう、その顎回りには皆一様に、手入れのされていない髭が伸びるがままになっている。
「っていうか、実際高いんだろ?」
「ああ」
「ひゃあ、楽しみだってば! ほんとありがとな!」
「いいからお前――サスケにもこれ、飲ませろよ」
そう言ってはわざわざ出された名前に、なんとなく引っかかった。一緒に暮らすパートナーである事はとうに知っているくせに、そこはかとなく念押しされた感じがして、訝しみつつその日焼け顔に、きょとんとしては質問で返す。
「なんでわざわざ言ってくんの?」
「は? ――いや、まあ」
「言われなくても一緒に飲むってばよ?」
「いやその、なんだ」
「……あああもう、めんどくせえ! よせってキバ、ンな回りくどい言い方でこいつに伝わるわけねえだろ。変に隠さねえで、先にきちんとぜんぶ伝えておけっての」
中途半端が一番おかしなことになるんだよ。面倒そうに言いつつ代われとばかりに出てきたひっつめ頭は、そうやって前に出てきつつもまだ、ちょっと迷うように首の後ろを掻いた。しかし、
「いいか、ナルト」
そう言うと覚悟を決めたのか、その三白眼は静かにオレの目を見る。

「この際だからもうそのまま言っちまうが――それな、実はお前に飲ませるために買ってきたんじゃねえんだ。飲むのはサスケだ」
「…はぁ?」

いきなりの告白話に間の抜けた声が出ると、そんなオレにシカマルはその細い眉を困らせ苦笑した。
サスケに飲ませる? でもこれ、ちゃんとしたオレへの土産だよな? 
訳の分からない問答に、頭がぐるぐるしてしまう。

「え? いや……ど、どういう事?」

そう言えば、ようやく目的が果たされたのに安心したのか、日焼け顔の一同は安心したかのようににんまりとした。自ら進み出たシカマルだけはひとりだけ(やっぱり)といったように深い溜め息をついていたが、しかしかったるそうにまた口を開く。
「だから……その酒な、一応表向きは地元の名酒なんだが。実は度数高いくせにあんまりにも口当たりがいいせいで、気が付けばつい飲み過ぎになりがちで」
「ふむふむ、」
「だからそれを逆手にとって、あっちでは好きな女とかにわざと勧めたりするらしくてな。もうホント、これが笑っちまうくらい簡単にべろんべろんになっちまう代物で。向こうの国ではその酒の名前が、そのまま『お持ち帰り』の隠語になってるくらいなんだ。なんでもどんなお高くとまったお姫さんでもこれ飲むとむちゃくちゃ従順になって、するっと誘いにのってきてくれるんだと」
「は…はァァ?! 」
なに言って、と言い出す前に理解が及ぶと、途端になんだかひどく落ち着かなくなってきた。
……え、なにそれつまり、これをサスケ飲ませろってのはそういう事? 
普段厳しい恋人のあんな姿やこんな姿、果てはそんな姿までもが、他愛なくもやもやと浮かんでくる。
「い、いや待ってでもやっぱそーゆーのは良くないってば。なんつーかその――…り、倫理的に? ダメだと思うし」
かなりぐらついたがどうにか踏みとどまったオレに、しかしずずいと前に出てきてはキバは言うのだった。
でもよお、お前今日、誕生日だろ?
ピンポイントなその言葉に、また自制心は揺れる。
「いいじゃねえかたまには、普段だったらしないことだし」
「う、で、でも」
「だいたいがお前、いっつもあいつに適当にあしらわれてっけどアレで本当にいいのか? たまには自分の方が主導権持ちたいとかねえのかよ、どうせ家でもあいつにあれこれいいように顎で使われてんだろ?」
「へ? いやそんな事ないってばよ。オレってば別にそんなの思ってないし、それにだいいちサスケは――」
「バカ! だからそういうとこがお前は歯がゆいんだ!」
つらつら語られる言葉に反論しようとした所、がしっと真正面からキバに肩を掴まれた。ぐっと近づけられる顔に思わず身体が避ける。しかしヒートアップするキバに対し、シカマルの方は冷めた目だった。(めんどくせえ、こいつらにこんなの要るか?)そんなふうな顔で、かったるそうに姿勢を崩している。

「あのなあ、サスケバカのお前のために、オレらだって一生懸命考えたんだぜ? でもどう考えてみてもお前が欲しいと思うのも、貰って嬉しいと思うのも、サスケ以上のものはねえっていうのが結論だったんだ。だからそのまま、サスケを用意する事にした。これは誕生日プレゼントだ。年に一度だけのオレ達からの祝いだ。別にどうなるかちょっとみてみたいから長期任務で貯まった金使ってみたわけじゃねえからな、あくまでオレらからの気持ちだから、ここはひとつしっかり、心ゆくまで受け取っとけよ!」

な! なんて言いながらそんな長い祝いの言葉を贈られて(ばしん!)と気合いを入れられた背中に、よろりと揺らめいていたりした昼下がり。



(……それが、まさかこんな事になるなんて)
はあ、と項垂れながらまだ赤いその顔を見る。結局下心と珍しい酒への興味からそれの封を開けたオレだけれど、結果的にはなんだか、下心なんて言ってる場合じゃないような事態になってしまった。
良心の呵責から言い訳のように「気を付けて飲んだ方がいいって言ってたってばよ、シ…シカマルが」なんて言ってみたりもしたが、こうなってしまうとそれも酷く滑稽だ。
薄いほっぺたに指の背で触れる――まだ熱い。
どうなんだろう、やっぱりサクラちゃんに来てもらった方がいいだろうか。

(ほんとバカだ、オレ)  

悔やみつつ、またこぶしを握る。素人の推測ではあるが、たぶん子供に変化したサスケは急激に濃度の上がった体内の酒に、軽いアルコール中毒に近いものを起こしかけたのではないかと思われた。
そりゃあそうだ。大人でもべろべろになるという飴色の酒は、だいたいが最初から、普通の酒よりもはるかにアルコール度数の高いものだった。
少し考えてみれば十三歳の子供なんかがそれを摂取したら、ひっくり返る事くらい予想できたのに。もういい大人だというのに、なんで気が付かなかったんだろう。

(くそう、マジで、なんでオレってば)

ぐうっと込み上げてきたものを飲み込んで、眠るその顔をまた見下ろす。キバなんかはあんなふうに言っていたけれど、家でも外でも、サスケは別にオレの事を適当にあしらったりすることなんてなかった。
むしろ逆だ。見つけた古い思い出からつい頼んでしまった事も、そのあとの色々だって、別に酔っていたからサスケは引き受けてくれたわけじゃなかった。
嫌だと思ってもちゃんとお願いをすれば、いつだってその仏頂面は溜め息をつきつつも、いつだって話を聞いてくれるのだった。外からだと凄くわかりにくいけれど、あれこそサスケの確かな優しさだ。なのにどうしてオレはいつも、こうして考え無しな行動でそれをダメにしてしまうのか。我ながら成長がない。あんまりにもなさすぎて、どうかするとこの瞬間にも、ぼろりと涙が出そうだ。

「……う……」

かすかな呻きにすぐ向けば、果たしてそれはソファに沈む恋人からのものだった。むずがる眉根。つややかに長い睫毛が、ゆるゆると持ち上がる。

「――サスケ!」

急ぎ近付いて呼びかけるも、その顔からは返ってくるものはなかった。ぼおっと宙に漂う潤んだまなざし。それでも幾分かの回復はあったのだろうか、先ほど茹でダコのように真っ赤になっていたその身体は、今は樺桜ほどのピンクにまで治まっている。
「その……ぐ、具合どう? 吐いたりとかしそう?」
焦る気持ちを抑え訊くと、その顔がふと考え込むように、ぎゅ、と真ん中に寄った。たぶん色々な情報を処理するのが普段より困難なのだろう。仕草も顔もどうにもいつもの締まりがないが、それでも一応、その顔がかすかに横に振られる。
「あのさ、あの――…その酒、な。本当はあっちの国では、『お持ち帰り専用』とか言われてるやつらしくて」
迷いつつも閊えた胸のまま、とうとう意を決したオレは、それを打ち明けた。きっと怒られるだろうし嫌な気分にもさせるだろうけど、でも秘密にしておけるような話じゃない。事態は子供の頃のパンツ事件の時のような、そんな罪の軽い話ではないのだった。
今回ばかりは知らんぷりでそのままポケットにしまえない。
ちゃんと伝えて、謝らなければならない。
「今日シカマル達が教えてくれたんだけど」
「……」
「その……飲むとな、いつの間にか酔っぱらっちまって、どんな偉そうな奴でもすっごい従順になっていう事きいてくれるって。そういう酒だって、オレ知ってたんだってば」
 言いながら、情けなさに鼻が出る。ずび、とすすり上げてオレは続けた。

「ほら、オレってばとにかくサスケじゃん? もーほんとガキの頃からずっとサスケで、パンツ盗っちゃうくらい好きで」
「……」
「だからさ、ほんのちょっとだけ! ちょっとだけ、いたずらしてみたかったんだってば」
「……」
「よ、よくないよなって思いながらも、なんとなくサスケのグラス空いたらお酒注ぎ足したりとかしてたし、自分だけは飲んだふりしてちょっと様子みたりしてたし」
「……」
「すごい、ズルイ事ばっか考えてたんだってば今日。せっかくサスケがオレの頼み聞いてくれたり優しくしてくれたり、それに昔の話も許してくれたりしてたのにさ、それなのにオレってば――!」
「……なると」

ようやく聞けた声は、舌足らずな癖にひどく嗄れたものだった。ぐらぐらする頭が、ちょっと下を向いている。

「うるさい、おまえ」
「は、す、すみま、」
「……けど、そ、か。しって、したのか」

途切れながらもしかし最後まで言われた言葉に、思わずぐっと息を止めた。
じいっと下を見詰めたままの瞳。あんまりにも無心なそれに、なんだかうるりと視界が揺れる。
「あの……ほんと、オレ。なんていったらいいか」
ぎゅうっと手を握りながら言っていると、なんだかどんどん声が震えてきた。
ゆらりとサスケがこちらを見る。まだ赤いその顔が、ほんのり困る。

「――そのかお、」

ふ、という掠れた笑いを耳が拾うと、ゆっくりと伸ばされてきた手に、黙ったまま首を抱かれた。すごく熱い手。「え、え? なに?」とわけもわからず引き寄せられた顔が、いまだ裸のままの胸に抱かれる。

「よせよ、ばか」
「へ?」
「いじめたくなるだろ」

飴色に溶けた吐息が、湿った色を帯びてオレの髪を揺らした。平たい胸で聴く心音。早くなったそれがふと離れたかと思うと、今度はぷくりと熱で腫れたくちびるが、ゆっくりと降りてくる。
あちこち啄みながら最後に目尻に滲んだ一滴を吸い取ると、ようやく息をつく気になったのかサスケは顔を上げた。
まだほてる頬、濡れた黒でゆるむ瞳――…あ、あれ?なんだろなこれ。これってばもしかして、あの例の酒の本来の効果が今出てきてるんじゃ。
……ど・どどどうしよそりゃしたいのはヤマヤマなんですけど、でもさサスケちゃんお前はそれでいいの? なんかまだ顔も赤いし息だって熱いままだし、まあ確かにそれがまためちゃくちゃ色っぽいってのもホントなんだけどでもここで無理してまた失敗したら、今までの反省はなんだったんだっていう。


「……なると」


甘くるしさをはらみ、サスケがオレを呼んだ。
じっとオレに向けられる黒。そうして目が合った途端、潤んだそれが恥ずかしげに、ふと外される。
長い睫毛はほのかに震えては淡色に染まる頬へ影を落とし、眉間では優美な眉がそっと切なさを集めているのが見えた。濡れてひかる、うすいくちびる。夢のように赤いそれがむずがるように先を尖らせたかと思うと、やがて期待で胸を高鳴らせるオレを向く。
……ああ。……もう。
いい子でなくて、ごめんなさい!



「ぱんつがきつい」
「へ? ――…アッ!? た・ただいますぐ!」





【END】