笑う女神 ―同窓会 in USA―



 そうは言っても彼女だって、たいした美人でもないと思うのね?


「Hi! What can I get for you today?」
いつものフレーズにいつものスマイル。けっこう飽き飽きしてきている気持ちを堪え、今日も私はカウンター越しに小首を傾げた。
オフィス街の一角にあるコーヒーショップ、向かいに立つのは四十代と思わしき身綺麗な女性。キャリア然としたシックなスーツと、一グラムの無駄もなさそうなスレンダーな体は、いかにも自分に対する投資を惜しまない彼女のスタイルを如実に語っているようだ。
「May I have a tall Iced White Chocolate Mocha?」
「Sure, It’s $4.97.」
「Ok, Could you do easy Ice?」
「Of course!」
つらつらっと慣れた注文を告げる女性にはきはきと笑顔で了解を返す。名前を確かめカップにオーダーと注文者を書き込むと、女性は小さくありがとうと言ってはすぐに隣のカウンターへと移っていった。マスカラで綺麗にカールされた睫毛が最後にぱちんとウインクする。嫌味が無くて、それでもって確かに『デキル女』という印象だけは、ちゃんと残るウインク。同性の目から見てもとてもチャーミングだ。私とは全然違う。
(………いいなァ)
ためいきひとつ、またカウンターにそっと寄りかかる。ふと置かれたメニューを見れば、端っこにはそんな私を今日も笑う、プリントされた店のシンボルマークが見えた。
白地にグリーンで描かれた、人魚の身体を持つ女神――はいはいわかってる、どうせあんたとは格が違うって言いたいんでしょ? 
ここふた月ですっかり見飽きたその顔に、そんな卑屈じみた苦笑いで返す。

私の名はErin Warner.
二十七歳、独身。アメリカ全土だけでなく、世界中に沢山の店舗を持つシアトル式コーヒーショップの、しがないアルバイト店員だ。少し前まではとあるアプリ制作会社に正社員として勤めていたのだけれど、故あって先月からここに勤めている。まあごく単純に言えば、会社をクビになっちゃったんだけど。一瞬の流行りで急成長したアプリ開発会社は、流行りが廃れてしまえば傾くのも早かった。要は波に乗ったとき調子付いて増やし過ぎた社員を減数したという事だ。とはいえ、その中でも残された人は確かにいるわけだけれど。私はそちらには入れられなかった。
(ま……しょーがないわよね、そりゃ。私特別なにか光るモノがあるわけでもないし、会社の役に立っていたというわけでもないし)
ゆるゆる考えては薄く笑う。そう、仕方ない。世の中というのは結局、勝ち組と負け組で構成されるしかないのだ。ああいうさっきの女の人みたいな人がいる一方、私のような冴えない女は再就職さえも上手くいかず家を出て二年ではやばや実家に舞い戻っては、親に文句を言われつつも毎日作り笑いを浮かべるしかない。
特別すごい学歴があるわけでもなく、資格を持っているわけでもなく、技能だってコーヒーショップのレジに立つ事は出来てもあの呪文のような名前のラテを作る事までは許されていない。せめてもうちょっと美人だったらとも思うのだけれど残念ながらそちらも中の下というつまらなさだし、ほんと日々の張り合いのなさったら――

 『コンコンコン。』

ふといつものうだうだ思考に囚われていたところ、小さなノックの音が聴こえた。
落とした視界の中、カウンターに広げられたメニューのその向う側。手の平を上に軽く握られた白く大きな手が、控え目な動きでカウンタートップの表面を軽く叩いているのに気が付く。
「――Excuse me」
低いけれどどこか掠れた甘さのある声に、私は目線を上げた。
立っていたのは今度は男性だ。私とほぼ同い年だろうか、若い男の子――黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌。東洋人だ。
「Hello! What can I get for you today?」
(きっっ…れいな子~~~!!)突然現れた美青年に、現金にも浮かれて私は言った。見掛けない顔と脇に置かれた大きなスーツケースに、旅行者だろうかと予測をつける。
それにしても整った顔立ちの男の子だ、東洋人にしては背も高いし。もしかしてモデルかなにか? この近くで撮影でもしていたのだろうか。
「……I’ll have a regular coffee」
覚えてきた定型文のような正確さで、彼は注文を告げた。
ゆっくりだけど、発音もきれい。でも態度はけっこう頑なな感じ。
「For here or to go?」
「Here」
「Hot or iced?」
「……Hot, please」
「What size?」
「tall」
「Sure, would you like room?」
「は? ルーム?」
突然返された異国語に、ん? と私も止まった。
ああ、この子日本人なのか。飛び出た言葉に理解する。実は喋ったりは出来ないが、聴きとりだけならば私はなんとなくではあるが日本語を解することが出来るのだ。その技能は特別学校に行ったわけでも誰かから教わったでもなく、スマートフォンのアプリでこっそり見る、日本のアニメーションから教わったものだった。仕事から帰った一日の終わり、ベッドの中でとろとろと眠くなるまで眺めるYouTubeは私の癒しだ。地味で冴えないツキ無し女は、同時に隠れアニメオタクでもある。
「ァー……、」
どうやらそこまで英語に慣れてはいない様子の彼に、一瞬、いつも動画から聞き取っている日本語でトライしてみようかと思った。……が、すぐにそれもやめる。
なにしろ耳では確かに字幕と照らし合わせてなんとなく言葉の意味を消化できているが、それは全てひとり毛布に包まった中でのことだ。誰かと話すどころか、音にしてその言葉を発した事なんて一度もない。悲しき隠れオタクの葛藤である。
「――milk and suger?」
迷った末、結局私は英語のまま簡潔に言い直した。そうすればようやく理解したのか、彼は「…no.」とだけ小さく答える。
スマートな注文が最後まで完遂出来なかったのが悔しいのか、ほんのりその口先が尖っている。あらら、かわいい。ごめんね、言葉を合わせてあげられなくて。
「Anything else I can get you?」
ようやく変化を見せたその顔に、ちょっと盛り上がってはつい前のめりに尋ねると、彼は一瞬すぐ横にあるショーケースを見てなにか言おうとしたけど、しかし結局何も言うことなく首を横にした。……もしかして、お腹空いてるんじゃないの君? そんなふうにも思ったが、結ばれた唇は頑なにもう何も言うまいと決めたようだ。
「It’ll be $2.02, can I have your name?」
仕方ない、じゃあこれでとばかりにこれまたお決まりの文句を言えば、再び彼は「は?」と顔を上げた。
一瞬きょとんとしたその顔が、何故か今度はちょっと怪しむ目付きになる。
「なんで名前」
「? I call it」
「名前なんて必要ないだろ、なんでコーヒー一杯買うだけで名前が必要なんだ」
そんな個人情報聞き出してどうするんだ。そう言っては見上げてくる視線をきつくされれば、訊いたこちらもなんだか不快だった。
なにこの子、まさか私のこと変に疑ってる?
どう受け取ったのか急にあらわにされる警戒に、ムッとして私も口を結ぶ。
「Sorry, but it’s a rule」
それでも一応(ごめんね諦めて)とばかりに肩を上げれば、不満げではあるが向こうもようやく悟ったようだった。綺麗に整った口許は、まだ戸惑っているのか妙に動きが鈍い。

「………うちは」

消え入りそうな声で、彼はぽつり告げた。異国の名前だから耳慣れないのは仕方ないにしても、しかしそれでも不思議な響きの名だ。たぶんだけれど、実際珍しい名字なんじゃなかろうか。日本語のアニメはかなり見ているけれど、私の知る限り同じ名前の登場人物はこれまで出会ったことがない。
「u…?」
訝しみつつも復唱しようとすれば、そんな私に彼はますます居心地が悪くなったようだった。ぐ、と何かを堪えるように結ばれたこぶしが、カウンターの上で固くなる。
「う、ち、は」
「u・chi――?」
「だから『うちは』だ。……つかそんな難しいなら名前なんて別に呼んでくれなくていいっての。ただのブラックだし今ここで出すだけだろ、ほかに客も並んでねえし」
ぼそぼそっと早口で言われた文句は全部が理解は出来なかったけれど、それでも言わんとしている大体のところは感じ取れた。ああそう、これ以上楽しい英会話を続ける気が君にはないわけね。不機嫌そうに見返してくるその目――なによその顔、感じ悪いなあもう。仕方ないでしょ、ルールなんだから。オーダーの渡し間違いがないよう、教えてって言ってるだけなのに。
「……All right, fine, just one moment, please(あっそう、じゃあいいわよ。ドウゾお待ち下さい)」
精一杯の嫌味を込めそう言ってはくるりと後ろを向くと、私は背後に設置されたコーヒーマシンのスイッチに触れた。棚からトールサイズ用のマグを出しセットする。
「Here you are」
置かれたマグを見ると、彼はチラと視線を上げ私を確かめたが、結局黙ったままカウンターを離れた。いくつか開いているテーブル席を見渡し、店内で一番目立たない端っこの席を選ぶと、大きなスーツケースをコロコロと携え、静かな動きでそこに滑り入る。
表情のないまま椅子に掛けたその彼は、着席するやいなや、着ているジャケットのポケットからスマートフォンを出した。打っているのはメールだろうか? 慣れた動きで画面を起動し短い入力を済ますと、再びロック画面に戻したそれをテーブルの上に置いては、ようやく湯気の立つマグへと口をつける。
(……なによ。名前うまく聞き取れなかったくらいで、あんな顔しなくても)
行き違いなのだろうけれど、上手く疎通できなかった意志に、不愉快に寄せられた眉根を思い出しつつ私はふんと小さく鼻を膨らめた。しょうがないでしょう、耳慣れない単語なんだから。そんなすぐに機嫌損ねなくたっていいのに。ぶちぶちと口の中でそう呟く。
せっかく綺麗な男の子が来たと思ったのに――ちょっと、気分も上がったのにさ。なんなのあれ、ヒトの事あんな疑わしむような目で見なくても。平和な国から来た旅行者だか何だか知らないけど、いちいちそんな警戒しなくても大丈夫だっての。そりゃあ君のとこに比べたら犯罪率高いし銃も薬も身近かもしれないけど、でもだからってあんなことだけで警戒したり、不機嫌になる事もないじゃない?
ふと視線を落としカウンター上のメニューを見れば、再びグリーンの女神と目が合った。
……ああ、ああ、わかってる。どうせまた笑っているんでしょう?
相も変わらぬその笑顔に、見えない陰でこっそりと舌打ちをする。やっぱ辞めちゃおっかなここ、だいたいがここ選んだのだって、大好きなフラペチーノが毎日飲めるっていう単純な理由だけだったし。
そりゃまあ昔からこのコーヒーショップではちょっと働いてみたいなあって思ってはいたけど、でも実際やってみたら案外ルール厳しいし、マナーやらなんやらも面倒が多かった。一応募集要綱には書いてあったけど、アルバイトからの社員登用制度なんてたいしてあてにできなさそうだし……というかそもそも、私ここでそんなこの先も働き続ける気あるの? 人と話す仕事とか向かないのよ絶対、友達だって少ないし彼氏だってろくにいたことないし。そりゃあ見た目くらいは体裁保つ程度にはしなきゃと気を付けてはいるわよ? でもそもそもが布団ひっかぶってこそこそスマホ見てんのが何より好きだって言ってる根暗な女が、こんなコミュ力求められる仕事に就いてること自体無理が

 『ガガーッ』

引っ張るような自動ドアの音に、鬱々とまた考え込んでいた私ははたと顔を上げた。
視界に立つ明るい影。息せききって飛び込んできたのは、今度も若い男の子だ。
(ん? あれ、あの子)
オフィスから走ってきたのだろうか。タグを首にぶら下げたまま肩で息をする彼は、店で何度か見掛けた事のある若い弁護士だった。スーツを着込んだ厚みのある身体、短いブロンドにブルーアイズ。数回しか見かけたことのない彼を私がこんなにも覚えているのは、彼がちょっと目を惹く男の子だからだ。なにかスポーツでもやっているのだろうか、ワイシャツの襟から覗く太い首は日に焼けて逞しい。
立ち尽くす長身に自動ドアが開けっ放しになる。普段であればまっすぐカウンターに来ては忙しそうにテイクアウトしていく彼なのに、今日はその気配がなかった。コーヒーが目的ではないのだろうか。スマートフォンひとつ握り締めたまま走ってきたらしいその顔は、カウンターに立つ私には目もくれないまま、ひたすらにきょろきょろと誰かを探すかのように店内を確かめている。
「……May I?」
ただならない様子に声を掛けるも、なにをそんな興奮しているのか彼は、
「Thanks, but――」
などと言うばかりで、その目は変わらず店内に漂い続けていた。
けれどどうやらお目当てはすぐに見つかったらしい。
ふにゃりと蕩ける顔。嬉しげに細くなった碧眼の先にいるのは、先程の黒髪の彼だ。

「――サスケ!」

大きな声。明るく響き渡るそれが、午後の店内でひとつあがった。瞬間、活字やモバイル画面など各々に落としていたお客さん達の目線が、頬を染めたその笑顔にざっと集まる。
どうやら呼び出したのは彼の方らしい。現れた大男に黒髪の彼は、にやりと不敵にその口の端を上げては、余裕そうに椅子で脚を組んでいた。
しかし彼が悠々としていられたのはここまでだ。大声を上げるやいなや、丸テーブルをすり抜けぐんぐん近付いてきた待ち人の勢いに、次第にその整った顔は(え)といったふうにこわばりだした。笑っていた口許からは笑みが消える。が、そんな彼の様子などまったく頓着することなく、長いスーツの腕はぐんと広げられる。

「……ちょ、待てお前……!」
「すごい、嘘みてえ……ほんとにサスケだ!」

会いたかったー!! と叫んではがばりと覆い被さってきた大男に、そのままうりうりと頬ずりまでされれば黒髪の彼はいよいよギョッとしたようだった。問答無用のスキンシップ。あまりの衝撃に神経が麻痺してしまったのだろうか、なすすべもなく椅子に掛けたまま脇に降ろされたその手先までもが、変な形で固まっている。
「あ~~やばい、サスケのにおいする~!」
「!!?」
「うれしい…なんで、どしたんだってばお前、突然こんな」
「なんでっつーか――…い、いいからちょ、いったん、離れろ……!」
見られてんだろうが! と手加減なしのハグに掠れた声で一喝すると、その東洋人は力を振り絞るかのように、懸命な様子で張り付いてきた厚い体を押しのけた。赤い顔が集まった周りからの目線を気にしつつ軽く咳払いをする。
しかしいっぽうの金髪君の方はそんな彼に不満げだ。逃げられたその細い体躯に口を尖らせ「えー?」と、正直な声を漏らしている。
「いいじゃん、見られてても。平気だって」
そう言ってはまったく構わない待ち人に、黒髪の彼は半信半疑な様子でその青い目を見た。けれど訝しみをあらわにするその人にも、金髪君は全然めげないらしい。ぎーっと頓着することなく向かいの椅子を引いてはそそくさと座るその顔には、ペンで大きく『うれしくって仕方ありません』と書き記されているようだ。
「……平気なわけあるか。みんなこっち見てんだろうが」
それでもまだ気になるのだろう。椅子に載せたお尻を少し直し、黒髪の彼はぼそぼそと言った。どこか困るような視線がちらりと私の方にも向けられる。まあ、見るわよね。だってただでさえこの金髪の子目立つし。君の方だって大人しいけど充分目立ってるし。

「お前声、でけえし」
「え~? でも何言ってるかまではわかんねえからいいじゃん、言葉違うもん」

残念、わかります。

「……いきなり抱きついたりとか」
「ハグなんてこっちじゃただの挨拶だから! あんなの普通だし!」

うそ教えるのやめなさい君、あれぜんぜん普通のハグじゃないでしょ。

すぐ近くにこんな聞き耳があるなんて思いもしない(いや、金髪君の方はもしかしたら可能性があるのを承知しているかもしれないが)彼らは、向かい合って座るとそんな言い合いをしていたが、どうにも踏ん切りがつかないらしいのはやはり黒髪君の方のようだった。ふと外した目でじっとテーブルの上のマグを見詰めると、やがて躊躇いがちな唇で「…そうか」と言う。うん? 『そうか』??
「普通、なのか」
「そうそう、当たり前だって」
「……すごい国だな」
「そうだろ。だから全然気にすることねえって」
怪しいと思いつつも、その妙に説得力を持った笑顔にはどうにも丸め込まれてしまうのだろう。な? とにこにこする大男に、黒髪君は結局押し切られたようだった。
少し警戒を解いたその口許からはホッと微かな息が漏れる。……いや君は君の方でちょっと素直すぎるでしょ。それ普通じゃないからね? 実際君たち近すぎるから。
「――で、どしたんだってばホントに、なんで急に?」
思いがけない逢瀬にとても落ち着いてなどいられないのだろう。どうにもわくわくと子供のように肩を揺らしてしまうらしい金髪君からそう訊かれると、黒髪君はちょっと覚悟するかのように息をついた。
ゆったりと背を預け直した上半身。やっぱり、こうして見ても姿のいい東洋人だ。それに先程よりもかなりその表情からは、こわばりが抜けている。
「仕事? サスケってば海外にくることあるんだ?」
「いや、本当は日も合わせたかったんだが――職場の事情でそこはどうしても休めなくて」
「へ?」
「……来週。誕生日だろ、お前。十月十日」
ぽつり打ち明けられると、その答えは余程ノーマークだったのか金髪の彼は「へ?」と呟き驚きに口を開いたまま固まったようだった。
……いやあの、まあ、そうだけど。
そんなふうに確かめる声も、どこか半信半疑な様子だ。
「まさか、そのために?」
確かめる金髪君に、黒髪君はこくんと意外なほど従順に頷いた。……ふうん、なるほどね。このサプライズは遠距離恋愛中(なのだろう、たぶん)の黒髪君から金髪君への、思い切った誕生日プレゼントってわけか。
「えええ、まじで? すごい……嬉しいってば!!」
よほど感激したのだろう。早々とその目を潤ませつつ、金髪君は言った。
そうしてその反応はまた、彼にとっても望むものだったのだろう。向かいに座る黒髪君の方も、「そうか」とじつに満足げだ。
「いやでもサスケも忙しかったんじゃねえの? よく休み取れたな!」
「まあオレも四年目になったし、下の奴も少し使えるようになってきたからな。ちったあ言わせてもらってもいいだろ」
とはいえ土日入れても――なんて続けようとした黒髪君の言葉に耳を傾けていた私だったが、不意に切られたそれに(?)と横目をやった。
ちょっと偉そうに椅子でまた背を凭れようとしていた、その麗しい顔が、さっと一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「――…土日入れても、五日間が限界だったけどな、さすがに」
努めて平静を装い、黒髪君は続ける。どうしたのかなと思いちょっと背を伸ばした私だったけれど、しかし理由はすぐにわかった。そわそわと不自然な動きでやや屈むスーツの肩。テーブルが邪魔で見えないけれど、動きから察するにどうも金髪君の方が、見えない下で黒髪君の手を握ったらしい。
どうにも緊張はしてしまうらしいが、しかし彼としてもその秘密のスキンシップは決して嫌ではないらしかった。まんまとその手のひらを我が物にしたらしい金髪君が、(にしし)と嬉しげに笑う。作ったような無表情の中、それでも黒髪君は繋がれてきた手を振り払うことはない。……くそう、リア充どもめ。永遠に爆発しろ。
「そっかあ、五日も一緒にいれるんだ」
「ああ」
「っていうかさ、来るなら先に言えってば。そしたらオレも無理矢理にでも仕事休んで空港にだって迎え行ったし、そんで折角なんだから一緒に観光とかもさ」
「やっぱり。そう言うと思った」
だから言わなかったんだと溜め息をつく相方に、金髪君は「へ?」と口を開けた。
なんで? と言わんばかりのその様子に「あのなあ、」とジャケットの背中がちょっと姿勢を正す。
「お前いま、重要な案件をボスから任せられたとこだって言ってただろうが」
「……そうだけど」
「ンな大事な時に私用を優先すんな。せっかく目をかけて貰えてんだ、いいとこ見せるチャンスだろ」
会社休むなよ、などと割り切って言うと、黒髪君はまたそっと背凭れに寄りかかった。
見た目通り厳しい子らしい。まさしく映画や漫画で見る、いかにも古風な日本人といった風情だ。
「えー、でもさ、そしたらせっかくこんなトコまで来てくれたのに、ほんと夜くらいしか一緒にいられねえじゃんか!」
理屈は理解できても納得はできないらしい。口を尖らせ、金髪君は言った。……まあ、確かに。少し前とあるオタクの祭典みたいなイベントに行きたくて、東京までの飛行機代がどのくらいかかるのか私も調べてみたことがあったけれど、格安チケットを使ったとしてもしがないバイト店員には、ひっくり返るような金額だった記憶がある。
「せっかく高い渡航費払って――休みだってさ、サスケべつに取るの簡単だったわけじゃねえだろ?」
「まあ、それは」
「なのに、こんなんじゃまるで寝にきたようなもんじゃんか。そんなのって」
「……けど、シカマルが」
並べられた言葉に黒髪君は最後に小さく言い返そうとはしたが、しかしうまく言葉に出来なかったのか、言いかけたままじっと黙りこくった。
「シカマル? あいつがどうかしたのかってば」
共通の知人なのだろう、自然な様子で金髪君はそのうつむきに確かめる。頬を隠す少し長めの黒髪からは、白い鼻先がわずかに覗いている。
いつもこんな感じなのだろうか、微かに首を傾げながらも、金髪君は黙ったままちゃんと待っていてくれるようだった。
その沈黙に、きっと助けられるのだろう。流れ落ちる前髪の向こう、意を決したようなまなざしが、やがてゆっくりと持ち上がる。

「……足りないか?」
「? なにが」
「わざわざ『寝にきた』だけじゃ――祝いにはならねぇかよ」

………自分が欲しいものをやるのが、プレゼントの基本なんだろ。
なぜか怒ったような仏頂面でぽつり足された言葉に、「へ?」と金髪君の方はすぐさま意味を取りきれなかったようだった。……にっぶ、この子、早く気付きなさいよ。ぽかんとする様子に遠くでやきもきする私だったけれど、しかし彼も口の中で単語を反芻しているうちにようやく気が付いたらしい。開いたままだった口が「…あっ?!」と小さく叫ぶ。

「そ、そっち……!?」

思わず出てしまったのだろう。掠れて上擦った叫びをあげた金髪君に、さあっとまた辺りからの視線が集まった。
ハッ! とグローブみたいな手が慌ててその口元を覆う。
一瞬見合わせた顔と顔―頬を染めつつもじっと黙ったまま潤む目に、やがてその太い首までをロブスターみたいに赤くした金髪君が、参ったとでもいうかのようにゆっくり横を向く。……な、なんなんだこのフレッシュなゲイカップルは。見ているこっちが恥ずかしくなってくるんですけど。

『Prrrrrr!』

お花畑化するテーブル席の横、水を差したのは甲高いスマートフォンの着信音だった。丸テーブルに置かれたままだったそれが、画面を光らせながらブルブルと机上で自己主張をしている。
表示された名前に、まだ感動冷めやらぬのかちょっと震えた手で金髪くんがあわあわと応答した。
「は…っじゃなかった、――Hello!」
相手は仕事関係の人物だろうか、電話に出た金髪君は急に畏まった口調になると、なにやらへこへこと謝罪を口にしているようだった。声までは聴こえないけれどなんとなく相手の言ってきている事は伝わってくる。たぶん『どこにいるんだ』とか、『早く戻ってこい』的な何か。
「……まあ、そういう事だから。いいから戻れ、お前。オレはここで待ってるから」
きっと私と同じように察しをつけたのだろう。どうにか赤面をおさめた黒髪君にそう促されると、ようやく諦めたのか金髪君は椅子から腰を揚げた。ゆっくりと立ち上がる長身。ふとこちらを見る青い瞳と、途端ばっちりと目が合ってしまう。
あ、と形を変える唇。
げ、やば……むちゃくちゃ鑑賞してたの、もろにバレ――…!?

「Excuse me!」

ばっちり見物されていた事実については知ってか知らずか。何かを思い立ったのだろう、私を見た金髪君はその場でさっと軽く手をあげると、張りのある声で言った。
ずんずんと近付いてくる大きなシルエット。……え、え、なに!? 泡をくっているうちに気が付けば目の前に来た彼は、目を大きくする私をまっすぐに見据えると物慣れた仕草でカウンターに肘を掛ける。

「May I order now?」
「Yes,――…Of course, yes」
「I’ll have a Chicken BLT Salad Sandwich, Egg Salad Sandwich, Roasted Tomato & Mozzarella Panini, Hearty Veggie & Brown Rice Salad Bowl, Seasonal Harvest Fruit Blend, and hot grande coffee with no room, about that much……all for here, please?(チキンのBLTサンドと卵サンド、トマトとモッツァレラチーズのパニーニ、野菜と玄米のサラダボウル、季節のフルーツの盛り合わせ、それにグランデサイズのホットコーヒーをひとつ、あ、ミルクや砂糖はいれないってば。とりあえずそんなもんか……全部イートインで!)」

早口でずらずらっと並べたてられたメニューに、遅れを取らないよう慌てて用意すると金髪君は笑顔で「Thank you!」と私に言った。手にしてたスマートフォンでピッと手早く会計を終えると、差し出されたトレイを持ち颯爽と席へ戻る。
私もだけれど、誰よりも呆然となっているのは黒髪君だった。
説明無しの行動に驚いていたところ、さらに戻ってきた相方にいきなり「食べて」と山盛りになったフードを目の前にどかんと置かれ、わけがわからないまま「…は?」と目を白黒させている。

「いやいいってこんな、食いきれな……!」
「食べて。――あとでいっぱい、体力使うから」

真顔で言いわたされた言葉に、一瞬きょとんとした黒髪君が次いで(ぱっ)とまた赤くなった。
その様子にまた金髪君がくしゃりとたまらない顔をする。今度は我慢が効かなかったのだろう、勝手に動いてしまったらしい両手は素早くその細い顎を包み、半開きになっていた唇にかぶりつくような深いキスを一度だけ落とす。
「……おいナルト、これも……?」
離れた唇でやや不安げに、黒髪君は辺りに視線を泳がせた。
「うんそう、挨拶挨拶」
ぜんぜん、当たり前だってばよ? そう言っては蕩けそうな笑顔で、金髪君は応じる。
んなわけないでしょうが。いい加減になさい君。

(……ううむ、なんだかすごくおもしろいもの見ちゃったぞ……)

ぶんぶんと大きく手を振る金髪君が完全に店から出て行くと、残った明るい余韻に私は思った。なんだあの可愛くて恥ずかしいカップルは。初々しいんだか欲望の塊なんだかどっちかよくわかんないけど、兎に角にやにやが止まらない。
ていうかあの黒髪君、名前『u…』ナントカじゃなくて他にも『sasuke』って名前がちゃんとあるんじゃないの。ファーストネームだろうか、こっちの方が発音だってし易いし聴きとりやすい響きしてんのに、なんでわざわざ言いにくい方を出すのだろう。わっかんないなあ日本人。ファーストネームで呼ばれるのがそんなに恥ずかしいの?
(明日も来るかな、あのふたり)
いっそ明日は、思い切って聞き齧りの日本語で話しかけてみようか。
ふとそんな事を思いつけば、私はなんだかどんどん可笑しくなってきた。
きっといきなりの日本語に、あの黒髪君は心底驚いては衝撃に固まるだろう。くろぐろと見張られるであろう切れ長の瞳はなかなかカワイイに違いない――まあでも、あっちの金髪君の方はバレたとしてもノーダメージかもしれないけど。あ、でも待ってはやばや教えちゃったら、次からはあのイチャイチャ寸劇が見せて貰えなくなっちゃうんじゃない?
うーん、それは惜しいわね。
やっぱりここは知らんぷりで、最後まで貫きとおすってのも悪くないかもしれない。

「Hey, excuse me」

オーダー、いい? 
掛けられた声にはっとなると、目の前にはまた新たなお客がやって来ていた。初老の男性。やっぱりこの辺りで働く司法関係者なのだろう、ちょっと気難しそうな眼鏡の奥、ブラウンの瞳がぼんやりしていた私をじっと見ている。
急いでカウンターに寄りかかっていた身体を起こし営業スマイルを作れば、ふとまた棚に並ぶグリーンの女神がこちらを眺めているのに気が付いた。
いつもだったら上からに感じる笑顔が、どこか違って見える。――ん? ねえあなたちょっと今日、顔疲れてんじゃない? マグに貼り付けられた笑顔にちらりそんなことを思っては、ほんのり苦笑する。
しっかりしなさいよウチの看板でしょ、と思う反面、まあしょうがないわよねともちょっと思った。神であれど日々生きていれば、たまにはこういう日だってきっとあるのだろう。だって女だもの。だけどきっと明日は――明日はきっと、だいじょうぶ。
視界の端っこでなにやら生真面目な顔をした黒髪君が、慎重な手付きでサンドイッチのパッケージを開けるのが見える。
踵を鳴らし、しゃんとして立てば、はりきって出した声は少し混んできた店に正しく響いた。

「――Hi! What can I get for you today?」






【end】
英語しゃべるナルト好きすぎるのでまだまだこの子書きたいです……ちなみにサスケは英検2級。(TOEICは受けたことない)