告白

きっと先に帰られてしまうのを危惧して走って来たのだろう。
息を整えながら近付いてきたナルトと視線を合わせないよう注意しながら、サスケは巻かれた包帯に目を落とした。今更ながら、サクラの企てにまんまとのせられた事を苦々しく思いながらも、軽く衣服を整えて裂かれた任務服のズボンの具合を確かめる。
「木の葉丸君は? 先に帰ったの?」
「ついさっき待機所でイルカ先生に捕まっちまって。欠員の出た任務の穴埋めに連れてかれちまったってばよ」
それは災難ねえとサクラが苦笑した。力量もスタミナもある若い中忍は、使い勝手の良さからどの任務でも引張りだこなのだ。二代目お騒がせ忍者のような木の葉丸ではあるが、あれで中々優秀な木の葉の忍なのだった。
「サクラちゃんは? 今夜はまだ仕事?」
あと数時間で日付も変わろうかという時刻を指している時計を確認しながら尋ねたナルトに、うん今日は夜勤だからと白衣の女医はあっさり答えた。そっか、大変だなと労わる声が、どことなくホッとしているように聞こえて、その正直さに思わずサクラは苦笑した。

     *

椅子から立ち上がろうと、サスケは両の脚に力を込めた。処置を終えた傷にじわりと痛みが広がる。サクラの診たて通りに、傷口は熱く腫れてズクズクと規則的な痛みを訴え始めていたが、それも所詮慣れた外傷の痛みの範囲内だ。支えさえあれば、家までは問題なく歩けそうだった。脇に立て掛けてある松葉杖を拝借しようと手を伸ばす。しかしそれを見ていたナルトに、すかさず横から奪われた。
「…それ寄越せ」
「んなもん使わなくてもオレが肩貸してやるってばよ」
感情を抑えた声で言われると、ぐっと腕を下から掬われる。不愉快そうに眉を顰めするりと腕を引き抜くと、あからさまにムッとした顔でナルトがこちらを睨んだ。
「人の親切は黙って受け入れとくもんだってば」
「頼んでもいないのに親切の押し売りすんじゃねえ。とっとと帰れ」
手厳しい言葉に引く気がなさそうなナルトと睨み合いを続けていると「あーもう、いい加減にしなさい!」という一喝と共に、突然熱を持った傷口近くをぱしんと掌で軽く叩かれた。不意を突かれての痛みに、ぐうっとくごもった声が漏れる。同時にナルトの額には鮮やかなデコピンが決まり、うおっと叫びながら金髪頭が衝撃に仰け反った。
「…サクラ、てめえ…」
「いってぇ……酷いってば!」
「医務室で喧嘩なんかしないの! 大切な器具も沢山あるんだから」
腰に手を当てた仁王立ちの女医が、有無を言わせぬ口調で叱りつけた。ナルトから松葉杖を奪うと、押し付けるようにサスケにそれを渡して立ち上がらせる。
そのまま今度はサスケの荷物をナルトに持たせると、はいはい兎に角今日は早く帰って休む! と急かすように言いながら、二人の背中を廊下まで押し出した。いつになく強引な様子に呆気にとられたような二つの顔をふと可笑しそうに眺めると、最後にまた厳しい目を作る。
「二人共もう子供じゃないんだから、いい加減話し合いで解決する方法を学びなさい!」
そう言うと、ぴしゃん!と「医」の文字の扉が閉められる。有無を言わせない様子のサクラに、完全に毒気を抜かれた様子のサスケが思わずといった様子で呟いた。
「あいつ、いつからあんなにおっかなくなったんだ?」
「知らなかったのかよ、変な事したらマジでぶっ殺されるから、気をつけるってばよ……」
ぽかんと口を開けたまま締め出された二人が、一瞬諍いも忘れて顔を見合わせる。
寒々しい待機所の廊下に、冷たい風が吹き抜けた。

「うはー、さっびーなあ!」
外に出ると、もうすっかり夜も更けた里には人影もまばらだった。居酒屋などの夜の店ばかりが煌々とした灯りをともしていて、それらが集まっている歓楽街の辺だけが蜃気楼のように、ぼんやりと明るく夜の空を染めている。
「それよこせ、自分で持つ」
サスケの荷物を持ったままのナルトにぞんざいに言うと、碧眼がこちらに向き直った。夜を映した青は、いつもよりも深い暗色に染まっている。
「嫌だ」
家まで送るってばよ、と短く答えた声は小さかったが揺ぎなかった。経験から、こういう声を出す時のナルトはテコでも動かないのを知っている。
「オマエ、もうメシ食った?」
無言のままぎこちない歩みを進めていると、思い出したかのようにナルトが訊いてきた。腹は減っている気がしなかったが昼から食事を摂っていなかったのは確かなので、仕方なく声を出さないまま小さくかぶりを振る。
正直食事よりも今は血の付いた身体を洗い流したい気分だったが、それを言うのも面倒に思えてそのままサスケは黙っていた。
「……じゃ、なんか食ってこうぜ」
そう言うと、返事を待たずに再びサンダルの足が動き出す。目的地が明確にあるらしいその歩き方に、また一楽にでも行くのかと思っていたら、思いがけず小さな居酒屋の前に連れてこられた。
サスケとて酒を振舞うための場所に入ったことがないわけではなかったが、未だ未成年であるから自らやってきたのはこれが初めてだ。迷いのない仕草で縄のれんを潜っていくナルトに呆気に取られていると、「大丈夫だから、入れよ」と腕を引っ張られた。
一歩入った店内は酔っ払い達の大きな声で溢れていて、熱気と暖房で温まった空気が煙るように漂っていた。顔見知りになっているらしい店主に挨拶をしながら、慣れた様子で一箇所ずつ仕切りで区切られたテーブルにつくと、ナルトは苦笑して言った。
「んな妙なモノ見るような顔すんなって」
酒飲みに来たわけじゃねえよ、と言うと首を伸ばして「おばちゃーん、いつもの今日は二人前頼むってばよ」と声を張り上げる。
程よく肉を付けた女将が、あいよ! と威勢のいい返事を返した。
「ここさ、エロ仙人がよく使ってた店なんだ。何度か晩飯食いに連れてきてもらってて、エロ仙人がいなくなってからも時々メシだけ食べに寄らせてもらってんの」
へへ、酒飲んでるのかと思ってビビっただろ? とニヤニヤしながら言われて、サスケは憮然とした。忍稼業なんてヤクザな仕事を請け負っている癖に、里では酒や風俗へ規律が厳しい。忍の三禁に繋がるものはできるだけ子供達からは遠ざけようという考えなのだろうが、そういった中で力む事なく店に出入りしているらしいナルトに、また自分の知らない一面を見せつけられたようで、サスケは面白くもない気分になった。
悪戯に引っ掛けられたような気分で黙りこくっていると、お待ちどうさま! という張りのある声と共に盆を持った女将が横にやってきた。思わず見惚れるような手馴れた仕草で、素早く何枚もの皿が卓に並べられる。唐揚げ、だし巻き卵、青菜の和え物に吸い出しと白飯。どれも取り立てて珍しいものではなかったが、つやつやと光って湯気を立てている飯はいかにも旨そうだった。
「んじゃ、いただきまーす!」
ごゆっくりと笑顔を残して離れていく女将を見送ると、ナルトはそそくさと茶碗を手にする。しかし目の前にいるサスケが動かないのを見ると、いいから食ってみろよと箸先で促した。食欲は変わらずないままだったが、渋々だし巻きのひと切れを更に小さく割ったものを一口食べてみると、ほろほろと卵がほどけてじゅわりと香りのいいダシが口の中に広がった。
「……うまい」
「だろ!?」
唸るようなサスケの言葉を聞くと、嬉しそうにナルトが破顔した。安心したかのように、猛然と箸を使い出す。一口目に刺激されて、少しずつ食欲を覚え始めたサスケも姿勢を正すと、もそもそと口を動かしだした。腹が満たされていくのにしたがって、さっきまでの冷めた気分が温められていくのを感じ情けない気分になる。無言で食べ続けるサスケを余所に、あっという間に食べ終えたらしいナルトはお茶を啜りながらゆっくりと咀嚼するサスケを眺めていた。
「――で?さっきのあれ、なに?」
最後の唐揚げに箸を伸ばそうとしていた所でぼそりと吐かれたナルトの言葉に、サスケの箸が止まった。撥ね退けた手の事を言っているのは明らかで、一気に喉が狭まっていくような気分になる。
「オレ謝っただろ、まだ怒ってんのかよ?」
「……」
「それとも、違う事で怒ってんの?」
「……」
「言ってくんなきゃ、オレだってわかんねえよ」
「……」
しつこい追求に尚も黙っていると、諦めたようにナルトがわざとらしい溜息をついた。
「……そんなに嫌だったんならさ。火遁でもなんでもやって、逃げりゃあよかったのに」
そうすりゃオレだってあんなことやらなかったってばよ、などしゃあしゃあと言い放つ男に、サスケは箸を持つ手も忘れて唖然とした。まるで駄々を捏ねる子供を相手にしているかのような表情で目を伏せる目の前の男に、沸々と言いようのない怒りが湧いてくる。
……なんだその言い草は!?
言いたい事が渦のようにめぐるましく巻き起こり、サスケは一気に頭に血が昇るのを感じた。嫌だって散々口で言ってたのに、実力行使で逃げなかったからなどという言い分を偉そうに振り翳すとは。どう考えてもテメエの方がおかしいだろうが。
「なんだその態度」
「あ、やっぱこの前の事でまだ怒ってるんだ?」
「それだけじゃねえが、それもある! 勝手ばっかしやがって」
「オレもう謝ったし! なのにサスケが許してくんないからさ」
「誠意が感じられないんだよ!」
「セイイってなんだよ、真面目に謝っただろ!」
「どこが真面目だ!」
「ちゃんと頭下げたし!」
「あれ位で許してもらおうなんざ甘ェんだよ!」
「――でもさ、サスケだってあん時、ホントに良さそうな顔してたんだってばよ!」
思い余って勢いよく立ち上がったナルトが、目の前の卓に手をつきながら叫んだ。けたたましい音をたてて、皿達が跳ね上がる。
のっぴきならない様子のナルトに、一瞬店の中の喧騒が静まりかえった。チラチラと此方に投げられる視線を感じ、慌ててサスケは「バカ、座れ!」と小声で命じる。
のろのろと椅子に座りなおしたナルトは、背中を丸めて俯いた。ぼそぼそと何事が言っているらしいが、すぐに戻ってきた酔人達の笑い声にかき消されて聞き取れない。聞こえねえよ、と苛々と言い放つサスケを、おずおずと青い瞳が見上げてきた。
「あの、さ」
「はっきり喋れ」
「あの……サスケは、さ」
「なんだよ」
「もしかして、オレに―イタチみたいになって欲しいとか、思ってんの?」
はあ? と訊き返した声は存外に大きくなってしまって、騒めく店の中で変に響いた。イタチ? イタチっつったか、こいつ? 話の文脈でどうしてその名前が出てくるのかが理解できなくて、サスケは混乱する頭を抱えた。疑問に渦巻く脳内をどうにか宥め、理性を総動員して極力静かに問い返す。
「……なんでイタチが関係してくるんだ」
「だって! そういう関係にはなりたくないけど傍にはいてくれるって、家族とか兄弟みたいな関係の事なのかなって!」
オレ家族いた事ねえからよくわかんないけど、と吐露するように言うと、ナルトは再び下を向いた。小さくなった肩がなんだか情けない。
妙に威圧的になったかと思えばあっという間に萎んでみせるナルトの様子に、サスケはなんだか急に自分がムキになって矜持を張っているのがばかばかしく思えてきた。急速に落ち着いてきた頭で、頼りなげに座っている目の前の男を観察する。強大な力をその身に収めた里の英雄の姿はそこにはなく、必死にこちらを見詰める顔は、泣き出すのを堪える子供のようだ。
ああ、そうか。―「怖い」のか。
剥がされた虚勢の下から現れた、不安に揺れる青い瞳を眺めているうちに、唐突にサスケは気が付いた。
この瞳。いつか見た、この不安定な光。
一度得た温かさを手放す事を、極端に怖れていた少年を思い出す。
どうして忘れていたのだろう。どんなに強くなっても、里中の全ての人に認めてもらっていても、実力と信頼を勝ち取って自信に満ちた笑顔の内側には、今でも愛されることに不慣れな子供がいることを。その内面にある柔らかい部分を必死で隠すために、精一杯強がって粋がっていた子供。悄気返る英雄の姿に自分勝手な自尊心は呆気なく霧散して、代わりに胸の内に広がったのは子供みたいに口をへの字にしたまま歯を食いしばっている男を、どうしようもなく愛おしく思う気持ちだった。
……どちらが優位だとか、駆け引きだとか。端からそんな事考える必要なんてなかったのだ。
今がどうであれ、ナルトはナルトのままなのだ。どこまでいってもサスケの一挙一動に必死な事に変わりはなく、それはサスケの縮こまっていたプライドを緩く撫で付けるには十分な発見だった。力でも男としても、全てにおいて敵わなくなってしまったような気がしていた。いつの間にか軽々と追い抜かされたようで、自分は単に悔しかっただけなのだ。
「話し合いでの解決法」を覚えろと言ったサクラの正しさを痛感する。言わなくても分かり合えるだなんて、不器用な自分達には到底無理な話なのだ。
今必要なのは、言葉。
正直な思いを伝えるための、当たり前の手段。
「――あのな。俺はお前に兄貴みたいになって欲しいなんて思った事は、一度もねえよ」
ていうか、どう考えてもお前そういうキャラじゃねえだろと、呆れたような溜息をつきながらサスケは言った。
「いいか、ちゃんと聴いて、理解しろよ?」
俺は、お前のことが好きだ。
酔っ払い達のダミ声が飛び交う中、区切られるように落とされた言葉は簡潔だった。あまりにも単純な告白に、空色の瞳がぽかんと見開かれる。
次いで思わず再度立ち上がったナルトを、黒い双眸が見詰めた。
「――サ、サスッ…!」
「でも、お前の下になるのは嫌だ」
「……は」
「お前に寄りかかって生きていくのも御免だ」
「よ、寄りかか……??」
声もなく立ち尽くす男を見上げるサスケの口の端に、微かな苦笑いが浮かんだ。
……認めよう。俺は、里の英雄様が好きなんじゃない。
どうしようもない弱さを抱えた、コイツに惚れているんだ。
いっそ清々したような気分で結論付くと、絡まっていた頭の中が急に整理されだしたようだった。不可解に思っていた事が、繋がり合い形が出来ていくのを感じる。
「…じゃあ、どうしたいわけ?」と恐る恐るといった様子で訊いてくるナルトに、「さあ、どうしたらいいんだろうな」と答えると、サスケは小さく笑ってぬるくなったお茶に手を伸ばした。
答えはもう出ているような気がしたが、目の前にある青い瞳から張り詰めた光が抜け落ちたのを認めると、もう少しだけこのままでいられたらよかったのにとそっと胸の内で呟いた。

「今日の任務の事、木の葉丸から聞いたか?」
店から出てしばらく歩いた所で掛けられた声に、先を歩いていたナルトが立ち止まった。振り返ってみると、やけに穏やかな表情になったサスケが微かに首を傾げて伺うようにこちらを見ている。
「あー…っと、まあ、大体は」
追い忍の任務だったんだって? と答えると、それだけか、と小さく尋ねられた。それだけだってばよ? と再び返したナルトは訝しげにサスケを見る。
「けどなんでサスケにそんな事させんだろな……まあ、サイは今でも本来の所属は暗部だから解るんだけど」
暗部も今人手不足だからかなと、できるだけ感慨を込めずに言ってほんの少し視線を落とすと、隣で聞いていたサスケが小さく鼻を鳴らして止まっていた脚を再び前に出す。
大戦を終え一瞬の平和が訪れたとはいえ、国というものがある以上暗殺や血にまみれた謀がなくなるわけではなく。忍里としても、忍者の本来の仕事であるそういった依頼を断る道理もなく、大戦後も依頼があればこれまで通り受け続けていた。が、一度連合軍として袂を分かち合った忍同士、出来ることならば刃を交えたくないと思ってしまうのは人として当然の事であろう。暗殺専門の特殊部隊として常に血に染まる機会の多い暗部は、以前のようなエリート達による花形部隊というよりも、忍の世界における闇の部分を一手に担うための組織として、平和に慣れつつある人々から一歩離れた位置にあった。
「今日殺った奴が、最後に俺に言ったんだ」

―俺とお前、どこが違うんだ?

「全然、違わないと思った」
凪いだ声が、ナルトの耳に届いた。穏やか過ぎるサスケの顔が、なんだか逆に不吉な予感を運んでくる。
「……んなことねえよ!」
うちは一族があんな事になったのは、里のせいでもあるんだし! と勢い付けて打ち消そうとするナルトを、立ち止まった黒い瞳が静かに眺めた。ふと視線を外して溜息をつくと、にわかに声音に厳しいものが混じる。
「――お前、五代目にまた無理な事言ったらしいな」
そういうの、もうやめろ。
諭すようにそう告げると、いつもより深い色合いの青がほんの少し滲んだようだった。追い打ちをかける事を躊躇する気持ちを押し潰し、サスケは尚も言う。
「どうしてそんな我侭が通ると思うんだ?」
「だって…!」
オレ、サスケと一緒に上にいきたいんだ。
ポツリと漏らされた本音はひどく子供じみていたが、宵闇の中で素直に響いた。まっすぐで混じりけのない視線に見つめられ、サスケは心密かにたじろぐ。ぶつかりあった視線を、先に外したのは黒い瞳の方だった。
「そりゃ無理だって、わかってんだろうが」
「でも! でもさ!」
言ってみなきゃわかんねえだろ、と拗ねた響きを持って呟くと、ナルトは居心地悪そうに肩に掛けたサスケの荷物の位置を変えた。
「だってもったいねえよ、すげえ力持ってんのに、このままでいるなんて。頭だってさ、悔しいけどオレよりいいのは認めてんだ。オレが火影になった時にオマエが横にいてくれたら、もう敵無しってゆーか、最強ってゆーか! なんか―想像したら、止まんなくて」
サスケもそう思うだろ!?と勢い込んで同意を求められ、サスケは一瞬口篭った。確かにそれが叶うならばそんな素晴らしい事はないだろう。自分だって同じような夢を見なかったわけではない。
だからこそ、その実現がどれほど無謀なものかも、誰よりもよくわかっている。
「だからってまた五代目に直訴して何とかしてもらおうなんてのは、やっぱ違うだろ」
知らず深い溜息を吐きながら言ったサスケの言葉に、痛い所を突かれたナルトが口を噤んだ。そんな事は自分だってとうに気がついてる。しかしならば、他に一体どんな方法があったというのか。
「……そうして俺のためにやってくれた気持ちには感謝する。でも、もうやめてくれ」
俺は、お前の力で上になんかいきたくない。
きっぱりと言い切られてしまうと、ナルトには返す言葉がもう見つからなかった。どこまでも静かなサスケの表情。その表情が意外にもスッキリとしていて、ナルトは訝しく思う。なんだろう。サスケの中で、何かが整ってしまったような感じがする。
「サスケ?」
「……悪ぃ。やっぱ俺もまだ、プライドの捨てらんねえガキのままらしい」
「…え?」
「上にいくにしても、木の葉の忍としてこの先を生きていくにも。お前に引張ってもらって、後ろからずっと付いていくってのは嫌だ」
「そん―な風に、オレは思った事ねえよ!」
「お前は思わなくても、俺が思う」
それに、と凪いだ表情のまま、サスケは言い加える。お前の夢は、もう手を伸ばせば届くところにまできてるんだろう? こんなところで迷う必要なんでないんだ。
「さっき言っただろ? 俺はお前が好きだって」
「……うん、聞いた。聞いたけど」
「お前が俺のために何かしたいと思うように、俺だってお前のためになりたいと思うんだよ」
くしゃり、と伸ばされた白い手が梳くような動きで金髪に絡んだ。愛おしげな目。軽くその手に力が込められると、自然な動きでお互いの顔が近付く。
微かな金属音に、額当て同士がぶつかったのだと、思考が止まりかけていたナルトは気が付いた。吐息の掛かる距離で、落ち着いたサスケの声を聴く。―俺は俺の、できる事をする。お前の事も、里の事も考える。

「だからお前は、お前のできる事を」

……じゃあな、という言葉と共に、朧げな街灯の光の中で薄い唇が柔らかく笑ったのがわかった。話をしながらも、いつの間にかサスケのマンションのすぐ近くにまで来ていたことにやっと気がつく。
幻術にかけられたかのように動けなくなったナルトの肩からそっと荷を取り返すと、サスケはほんの一瞬その瞳を細め、呆然と立ち尽くしたままのナルトを置き去りにしたまま静かに背を向けた。路地裏に入り、益々濃くなる闇の中を迷うことなく進む。街燈に照らされ動く影は、自分のものただひとつだけだ。
自宅前まで歩いてきても追ってくる気配がないのを確認すると、サスケはホッとしたような悲しいような複雑な気分になった。未練がましいなと密かに自嘲しつつも、それでもこれで間違ってはいないはずだと改めて思う。
と、唐突に建物の暗がりから、まるで場にそぐわない歌うような声が掛けられた。
「遅かったですね。どこで寄り道してたんですか?」
フン、と小さく鼻を鳴らすとサスケは現れ出た影に視線を向けた。白蝋のような青白さが、闇の中で際立って見える。
「暗部ってのは、随分と早く合否が出るんだな」
「あれ、驚かないんですね」
さすがだな、と発言に反してたいして感嘆したわけでもなさそうにサイが言った。模造品のような笑顔を作って向き直ると、やっぱりナルトと違って察しがいいなあと笑う。
「回りくどく人を試すような事しやがって。胸糞悪い」
「すいません、ずっとヌルい任務ばかりだったようなので。腕が落ちているようでは困ると、上が言うものですから」
僕は全く心配なんてしてなかったですけどね。しれっと言い放つサイに、サスケは小さく鼻白む。実際のとこはどうだか。本当はテスト自体の発案もこいつなんじゃねえのと疑わしく思う。抜き打ちでの追い忍任務。暗部の人手不足。ナルトの上忍試験。元重罪人の自分。そんな自分にいつまでも拘わり続けるナルト。全てを繋げれば、その裏にあるものを推測するのは容易だった。
うちはサスケを、暗部へ引き抜く―次期火影候補であるナルトと距離を作れる上に、サスケの忍としての能力も十二分に活用できる。
里にとっては、ベストな選択だろう。
「本当にいいのかよ、俺なんかを暗部に入れて」
「もちろん上層部内でも賛否両論あるんですけどね。正直今のままでは仕事が回らないというのが本音でして」
「…そうかよ」
「ああでも、万が一に備えていくつか呪印を刻ませてもらいますよ」
「わかった。好きにすればいい」
「怪我の方はどうですか?」
「一週間もあれば」
「そうですか。では一週間後から動けるよう、任務を組んでおきますね。ああ、上にはその怪我の事は報告してないので、そこらへんはうまく合わせてくださいよ」
「…おい」
「なんですか?」
「お前、本当は俺の事嫌いだろ?」
薄い笑いを浮かべ、下から睨めつけるような視線を送りながらサスケが言った。全く動じることなくそれを受けて、サイはにっこりと笑顔を作る。
「あれ? なんで判ったんですか?」
勘が鈍ったかなとニコニコしたまま呟くサイから目を離さずに、サスケはニヤリと口の端を上げた。そんなサスケに、笑顔を貼り付けたままのサイは「嫌いですよ」と流れるような口調で言い放つ。
「サスケはいいですよね。なんの努力も無しに、ただそこにいるだけで七班のみんなからもの凄く愛されてる」
僕なんてここまでくるのに結構大変だったんですよ?
わざとらしい溜息を吐きながら肩をすくめるサイを、サスケはただ黙って眺めた。ただそこにいるだけで、という言葉が妙に胸に突き刺さる。
「……こういう気持ちって多分、嫉妬、というのだと思うんですが」
少しだけ考え込むような仕草を見せて最初に断りを入れたサイが、不意にその顔から全ての笑みを抜き取った。
初めて見る、サイのまっさらな眼差し。

「無条件に愛される人間なんて、信用ならないと思いませんか?」

鋭利な切先のような視線を、サスケは臆することなく受け止めた。宵闇の中、動かない二つの影がしばし対峙しあう。
ふ、とその張り詰めた空気を揺らしてサイが小さく笑った。ああ、そうだこれを。思い出したかのように後ろに置いてあった長い包みを差し出す。蛇の腹のように絖った輝きを持つ布で丁寧に包まれたそれをぱらりと開くと、中からひと振りの刀が現れた。
「慣れた得物の方がいいだろうという事で。これをお返ししておきます」
この先の任務では、このくらいのものがないとやられちゃいますから。そう言いながら軽く投げ渡された刀を、サスケは力むことなく受け止めた。里に戻るときに没収されたままになっていたそれは、変わることなく静謐な殺意をもったままの姿で手の内に収まる。
久しぶりの感触を確かめるかのように何度か柄を握り直すと、サスケはスラリと鞘から刀身を抜き放った。草薙の剣。数え切れないほどの人の血に塗れてきた、その細く鍛えられた鋼の体。
「――お前、努力もなく愛されるやつなんて嫌いだと、今ぬかしたよな?」
獰猛な輝きを宿した刃をかちりと鞘に収めると、サスケは今しがた受け取った愛刀を鞘のまま易々と振るった。
ひゅ、と風を切る音をたてて、鐺が地に突き立てられる。

「なら、見せてやるよ。俺の本気を」

ゆら、と細い体躯を気炎が包む。
不敵な笑みを浮かべ闇の中で立つサスケに、思わず立ちすくんだサイは笑顔を貼り付けたまま静かに息を飲んだ。