すてきな日曜日

思い違いに気が付いたのは、深い息と共に送ったデータの受付レポートを目にしたからだった。
……やだ、そうよ。今日って休日ダイヤじゃないの。
システム上、自動で表示されるようになっているのだろう。パソコンのディスプレイに表示された【SUN】の文字にはっとするやいなや、急ぎ机上に置かれていたスマートフォンへと手を伸ばす。
「できたか」
ひと段落ついたのを察したのだろう。ふたつ向うのデスクから声を掛けてきたのは、同じく休日出勤中の編集長だった。先の人事異動でうちにやってきたその人が、椅子のキャスターを軋ませこちらに寄ってくる。一瞬漂う煙草と栄養剤のにおい。やや嗄れた声は煙のせいではなく、睡眠不足が主な要因だろう。
「はい、今アップロード完了しました」
「そうか、お疲れさん」
「公開時間を正午からに設定したので、まだ一般からは視聴できませんが」
管理画面からご覧になりますか? 尋ねるも、今朝一度確認済みだからか編集長は「いや、いい。大丈夫だ」とゆるく笑った。その僅かな隙を掠め取るように、ちらり編集室の壁時計に目を向ける。丸いフレームの中で数字をさす、長い針と短い針。あともう十分もすれば、ふたつは天辺で重なるだろう。
「さァて、これでどんな反応が返ってくるものか」
楽しみだな。そう言ってはされた腕組みに、「ええ、そうですね」と応える。雑誌の特集記事に絡め行われたインタビューの映像を、宣伝を兼ねて無料動画サイトを利用し公開してみようという新しい試みに、今回私達編集部は取り組んでいた。国内唯一のアイスホッケー専門誌であるうちには、基本的にはいわゆる競争誌というような存在はいない。であるにも関わらずこのような新しい取り組みが採用されたのは、シンプルに発行部数そのものが今低迷期に陥っているからだった。インターネットの世界が広がる昨今、かつては情報の主要な発信源であった専門誌のポジションというのは、以前と比べかなり難しいものになっている。
「けど本当に良かったんでしょうか……あんな感じで」
まったくもって、普段と変わらないインタビューでしたが。いまだ拭いきれない若干の不安に、私は言う。そうしながらも手ではマウスを動かし、その動画サイトを閉じた。そういった経緯から、新編集長の肝入りでこのような企画が始められたわけだが、実は発起人である編集長は当初から第一回目を飾る人選を決めていたらしい。インタビュアーは私、答えるのは北海道を拠点とする実業団チームに籍を置く、ひとりの選手だ。縁あって私は彼が子供の頃から知っているのだが、なにやら数年前に私が彼に対して行ったインタビューの記事を、この編集長は読んだのだという。
「いいさ、あれでいい」
「…はあ、」
「むしろあれがいいんだ。今回は読者に、選手の素顔や持っている雰囲気をより身近に感じ取ってもらうのが一番の狙いだからな」
上出来だ。そんなふうに言い切って、編集長は不敵に笑う。小柄で若々しいこの新編集長は、しかし社内では見た目を裏切る剛腕さでなかなかに有名なのだ。
パソコンのディスプレイから光が落ちる。エナメルで整えられた指先で素早く電車の時刻表アプリを立ち上げれば、検出されてきたのはやはりいつもとは違うダイヤでの乗り換え案内だった。やっぱり。ぎりぎりだわこれじゃ。表示された時間に頭の中でさっと逆算をしながら、空港でぼおっと待ちぼうけさせられる、赤毛の幼馴染の顔を思い出す。そりゃまあ少しばかり遅れたところで、怒ったりするような人ではないのだけれど。
「……やけに急いでいるな」
もしや、何か予定があったのか? 会話中も手は着々と広げた仕事を片付けていくのに気が付いたのだろう。スマートフォンのアプリを閉じたところで、そう言って編集長は腕組みを解いた。だとしたらすまなかったな、休日出勤まで頼んでしまって。部下を管理する上司として、時間のない中で急ピッチで進められたこの企画に少々すまなく思うところもあるのだろう。もし時間があるようだったら、一緒に昼にうまいものをと思ったんだがなどと、デスクの向こう側からは気を遣う声が繋げられてくる。
「ええ、まあちょっと」
足元に置いた鞄を膝に移し、手にしていたスマートフォンを中へと滑らせると、見守る編集長に向け私はにっこり笑った。ぱたんと閉じたノートパソコンにマウスとパットをきちんと乗せる。時刻は11:50。早歩きで行けば検索で出てきた空港行きの特急には、たぶん滑り込むことができるだろう。

「――実はこれからデートなんです、私」

  * * *

『? ランプついてる?』
『ランプ? 赤のやつ?』
『そう』
『ついてるんじゃないスか』
『あっ、ホントだごめんなさい――えぇと、はじめまして、こんにちは。私月刊ブレイクアウトで編集をしております、小南と申します』

「――おい、 」
繋がったようだぞ。祭りのような賑わいの中、ようやくアクセスできたその映像に声をかければ、丸いテーブルの向こうでスマートフォンを触っていたお団子頭が、「え!」と跳ね上がった。見せて見せて、と弾む声に急かされる。促されタブレットを持つ手を前に出せば、目を輝かせたその顔はぐんと身を乗り出し、色を映し出すディスプレイへと一気に寄る。
「ホントだ、始まってる!」
わくわくといった様子でテンテンが歓声をあげる。覗きこまれた大学ノートサイズのディスプレイの中では、小南と名乗った女性が何やらこの企画についての、簡単な説明をしているようだった。高いドーム状の天井に、日曜日にふさわしい華やいだ空気が、笑い声に姿を変え反響している。広々としたフードコートは、週末を楽しんでいる家族やカップルで溢れんばかりだ。
「よかったァ、お昼のうちに繋がって」
差し出すオレの手からタブレットを受け取り、テンテンがほっと胸を撫で下ろす。回線が集中していたのか、それともここの電波事情なのか。正午に公開と知らされていたその動画は、先程からさっぽり接続できないでいたのだった。店主といえども昼休憩は他のスタッフ達と同様、きっかり一時間だけらしい。
いいもの見せたげる。
そう言ってはどこか企むような笑みを浮かべた友人に昼食に誘われたのは、やはりその彼女から依頼されていたとある頼まれ物を届けに来た、日曜日の正午前だった。都内のウォーターフロントにある、巨大商業施設。去年オープンしたばかりのここは都内でも今人気が上がっているエリアで、隣に併設された最新式水族館の集客効果もあり、そこで遊んでからそのまま流れてくるカップルや家族連れたちで日々ごった返しているらしかった。そうしてこの華やかな場所に、シルバーアーティストである友人は自らの店を構えている。普段であればまずこんな所に縁のないオレが、よりによって日曜日(これは単純にオレの店の定休日である)にこのようなフードコートで頼んだざるそばなどを前に置き待機をしているのは、ひとえにそういった事情によるものだ。

『今回から始まったこの企画、こちらでは誌上でのインタビューとは雰囲気を変え、よりいっそう選手たちのリアルな素顔をお届けしたいというのが目的でして――こういった場ではありますが、普段よりもくだけた空気の中、進行させていただこうと思っています。というわけで第一回目の今日は、東洋製紙フロッグスのうずまき選手をお招きいたしました。よろしくね、ナルトくん』
『は、よろしくお願いしまス』

そう言って、そこはかとなく畏まった声と共に、画面に登場してはインタビュアーの女性の隣に座ったのは、ぬうっと背の高い金髪の男だった。短く刈られた髪、青い瞳――ふと記憶を掠めていくその名前に、思わず(うん?)と身を乗りだす。うずまき? うずまきナルトだと?
「……こいつあれか、あの時の無茶振り男か!」
咄嗟にそう言い放ったオレに、こちらを見たテンテンが「あったりー」とにんまりした。
やはり。思い違いではないらしい。
画面の中で僅かな緊張を滲ませつつ、罪の無い笑顔を振りまいている逞しい青年。この男こそ今目の前でにやにやしているこの友人を介し依頼をしてきた、かつてのオレの客であった。そりゃあ確かにパーツやらなにやらを集めるため、テンテンもだいぶ奔走してくれたのは覚えている。が、やはりそれでもこの件に関しては、やはりオレが一番振り回された人間だろう。忘れもしない、五年前の七月。修行先であった工房を出て、ひとりで平穏無事な日々を過ごしていたオレの元に、突然降って湧いたかのようにその難題はやってきた。

「フルオーダーメイド?」
電話を掛けてきたテンテンからその依頼を伝えられた時、オレはちょうどひとつの時計の修理を終え、作業の手を休めていたところだった。忘れもしない、五年前の七月。都心から電車で数十分程揺られたところにある街で、オレは古い時計――洒落た言い方をすれば、アンティークと呼ばれるような品の修理やメンテナンスを請け負う小さな工房を営んでいる。テンテンとは若い頃に職人として修業を積むため、一時期世話になっていたとある工房で知り合ったのだった。もう十五年も前の話になるだろうか。その世界ではわりに有名な規模の大きな工房で、時計だけでなく宝飾品も扱っていたそこで彼女は彫銀などの細工ものの勉強のため来ていたのだったが、そこから思いがけず長い付き合いとなった友人である。
「その無くした時計と、まったく同じデザインのものをもうひとつという事か」
「うんそう。文字盤から針まで、すべて」
「無理だそんなもの。とんでもない手間だぞ」
だったら古道具屋を駆けまわって、どうにかしてその無くした時計と同じものを買い直した方がいいだろう。経験上からそう判断し告げかけたオレだったが、テンテンが「いや、それがね」と遮った。その元の時計がそもそも特別みたいなの、学校が記念品として特注していたものらしくて。先回るかのように言われた言葉に、あらためて息が重くなる。
「なんだそれは。ますます無理だ」
 断る、他を当たってくれ。どう見積もっても面倒だらけの予感にはっきり拒否をするも、しかし友人はしつこかった。お願いネジ、本当に、どうしてもっていう注文なの。あっさりざっくりが性分の彼女にしては珍しいほどの強い依頼に、むうと口を噤む。なんだ、やけに頑張るな。
「すごく一生懸命な子なのよ。可愛くて、素直で」
「子? 若い客なのか」
「たしか二十二…三だったかしら。今はフリーターしてるけど、スポーツやってる子でね。実業団へ入るのが決まったから近々北海道へ引っ越すらしくて」
それでその時計は、こっちでお世話になった人への贈り物にしたいらしくて。流れるような説明と嘆願に耳を傾けつつもふうんと思っていると、やがてテンテンは「ね、そういうわけだから――どうにかならないかな」と最後を締めくくった。どうにかと言っても、実際のところ相当難しい仕事だ。まあ同じメーカーの時計からパーツを集めればかなり近いものは作れるかもしれないが、文字盤から針ひとつにいたるまでそっくり同じとなると簡単ではない。――それに悪いがフルオーダーともなれば、金額とてそれ相当な額に跳ね上がるだろう。注文主はまだ若い奴のようだし、色々甘く見積もっているのではないだろうか。そう思い「ちゃんと払えるのか?」と尋ねてみるも、テンテンは意外にも余裕の表情だ。
「ん、たぶん」
「たぶんじゃ困るんだが」
「大丈夫だとは思うわよ? 彼六十万まで予算考えてるみたいだし」
「六十万!?」
「今のお給料三か月分。偉いでしょう?貯金はわりに趣味なんだって」
想像していた以上に高額な予算に驚くと、そんなオレをどう見たのかテンテンは「バイトでも夜間の警備もあると、なかなかいくわよね」などと感心するように言った――っていやいやバイトとかなかなかいくとかではなくて! なんなんだその本気の予算設定は、給料三か月って、プロポーズでもするつもりかその男は。
「なんかね。すごく、すごぉぉーーく、彼にとって大切な人なんだって」
その、贈り先の人。そう付け足すとテンテンは、受話器の向こうで一瞬、誰かを思い浮かべているかのように息を溜めた。恩人、っていうのともまたちょっと、微妙に違うみたいだけど。でもほら、いるじゃないそういう人って。あの人と出会えたからこそ、今の自分が在るみたいな。
「それにネジ、前に言ってたじゃない。本当は修理だけじゃなく、亡くなったお父さんみたいにオーダーメイドも承るようになりたいって。その人自身の時を刻む、世界にひとつだけの時計を作りたいんでしょ?」
「言った、言ったがそれはデザインからしてオリジナルのものをという意味で」
「どっちにしたってやったことないなら、そう変わりないわよ」
「そんな訳あるか! 意匠権の事だってあるしーーだいたいが完全な創作より既にあるものとそっくり同じという方が余程難しいって、テンテンお前わかってるだろうが!」
「え~~…まあそれはわからなくもないけど」
無茶な要求に言い返すオレの言葉には、面白くないながらも確かに納得もできたのだろう。ぷちぷちそう言い返しながらも、テンテンはそう言っては少し黙る。沈黙から伝わってくる、諦めきれないといった焦燥。やはり非常に珍しいケースだ。まさかとは思うが、もしや。
「………お前、惚れてるのか?そいつに」
渋るオレに対し、どうにかウンと言わせようと考えているらしいその様子からつい尋ねてみると、余程想定外だったのか友人は一瞬虚を突かれたようだった。しかし一秒後、「はあ???」という呆れかえったような声が戻ってくる。くっだらない、ンなわけないでしょといった雰囲気をありありと漂わせたそれに、なんだか逆に訊いたこちらが恥ずかしくなってくる。
「なァにそれ、ばっかみたい」
「いや、その――…いやに、熱心だから」
「わざわざ自分のところを選んで頼ってきてくれたお客に対し全力で応えるのは、技術者としても店主としても当然の事でしょ」
ネジともあろう者が、わりとしょーもない事きくのね。最後にそんな言葉まで付けられると、ますます自分がした質問がみっともない事のように思えてきた。……なんだこれ、オレだって別に、そんな意図があって言ったわけじゃなかったのに。今更ながらにそんなふうに考えつつも、反論すればするほど分が悪くなりそうな予感に、つい黙りこくってしまったオレだったがそんな中テンテンが急に「あ、」と言う。あ?
「――そうだ、けどその贈り先の人はね、とんでもない美人らしいわよ?」
それで時々、もうめちゃくちゃカワイイんだって。何を思い出しているのか最後にそう言い加えると、テンテンはくすりと小さく笑ったようだった。……いや別に、オレは仕事にそういうのは持ち込まない主義だし、そんなものは果てしなくどうでもいい情報なんだが。そうは思ったが今度は何も言わずにおく。受話器越しに伝わってくる妙にうきうきとした空気に、可笑し気に細められたアイラインの瞳が目に浮かぶようだ。
「ね、だから無理を承知でどうか! ほんと私もネジの腕を見込んで、どうしてもお願いしたいのよ」
頼み込む声は近しさを保ったままだったけれども、それでも伝わってくる真面目な懇願に、オレはしばし考え込んだ。まあ美人とか可愛いとか、そんなものはどうでもいい。けれど大切な人に感謝を伝えたいという気持ちは、非常に不本意ではあったが個人的にわからないものではなかった。それにそういったものは得てして、伝えたいと思ったとき伝えなければ一生機を逃してしまうというのが大概だ。オレはそれをよく知っている。そうしてこのテンテンも、同じように知っているのだろう。まああくまで、たぶんの話だが。
「………どんなものだ」
低めた声でぼそり尋ねれば、聞き取りにくかったのか向こうでは「えっ?」と返す声がした。だから、その品。仕様とかデザインとかあるだろう?続けてもそもそ確かめれば、ぱっと受話器を耳に当てているだろうその顔が、明るくなった気配を察する。
「やってくれるの?!」
「まだやるとは言っていない、とりあえず仕様がどうなっているのかと」
「仕様?」
「一概に時計と言われても、タイプからして様々だ。腕時計、懐中時計――壁に掛けるもの、それとも記念品だというのなら置き時計か」
「あっ、それは懐中時計だって。鎖付きの」
「そうか。しかしそれ以外に稼働方法だって色々だ。電池式か螺子式か。螺子にしたって自動巻きと自分で巻くので全然違うし」
そのあたりはどうなんだ、と厄介そうだと思いながらも話を始めてみる。さすればやはりそこは好きの道、徐々に熱を帯び具体的になってきたオレだったが、しかし対するテンテンは逆に語尾が曖昧になってきたようだった。「あ~……そ、そっか。やっぱそうよね?」などと急に窄まっていく語調。突然ふわふわ逃げるようになった口振りに、おもわず受話器をもったまま(?)となる。
「そうよねって――当り前だろう?オリジナルと同じものというオーダーなんだから」
「うん、まあそうなんだけど」
「だったらそれの情報を寄越せ。でなきゃ話にならんだろうが」
「……あっ、絵なら!絵ならあるよ、その子が描いた!」
「絵?」
今ファックスするね!一瞬聞き返したオレを遮るかのような弾む声が聞こえてきたかと思うと、 言葉のとおり間をおかずして、店の複合機がちかちかとグリーンのランプを点滅させ始めた。やがてウン、と目覚めたような声で、古ぼけた店の機械がひとつ唸る。ピー、ヒョロヒョロ…という頼りない音。やがてカタカタと吐き出されてきた紙が見えてくるにつれて、驚愕の事実が明らかになってくる。怪しげな怪しげな楕円、ひしゃげた文字盤の数字。というかなんだこれは、たしかにどうにか時計には見えるが丸くて数字が書いてあるという時計として最低限の特徴しかわからないじゃないか。まさかこれだけを元に、同じものを作れというのだろうか。……嘘だろう?いくらなんでもたったこれだけで、オリジナルと同じものを作れなんて無茶にも程がある。
「えーと、…見た?」
専門外とはいえ、察するものはあったのだろう。アハハ、と電話越し聴こえてきたのは、宥めるような誤魔化し笑いだった。
うん、まあ、さすがに結構、大変だとは思うけど。でも私もほんと、全力で手伝うしね。

「だーいじょうぶよネジなら!ほらあ工房でも皆から若いのに腕が確かだって激賞されてたじゃない、ここで簡単に諦めちゃ『天才』の名がすたるってもんよ!」

ねっ、だから一緒にガンバロ!!
そう言っては無責任な明るさで最後に叱咤される。が、理解が及ぶにつれてふつふつと、込み上げてくる物が抑えられなかった。 ……いや、落ち着け、落ち着くんだ。相手は知識のない素人なのだ、まずはきちんと説明をして、そうして必要とされる情報を出来るだけ丁寧に……

「――ふざけるな!うまい事言って、腕云々の前に物事には出来る事と出来ない事があるだろうが!!」