holiday

「おっはよーございます長門サン、なんかお手伝いすることある?」
日課である朝市での買い物から帰ってきたオレは、突然掛けられた声の意外さに思わず抱えていた荷物を取り落としそうになった。
まだほんのり夜明けの薄暗さが残る、北向きのダイニングルーム。かつては牧場を営んでいた場所に建つこの古屋は、十年程前にここの家主である自来也先生が呑み屋で知り合った酪農家から、ひょんなことからする事になった賭けの商品として、破格で譲り受けたという曰くつきの物件だ。
「えっ、ナルト!?」
驚きのままに大きな声が出れば、廊下からぴょこんと頭を覗かせていた彼は、いたずら小僧のように(イシシ)と笑った。
明けきらない朝にも明るいそのシルエット。いつにない早起きでオレを驚かせた彼は、この独身ハウス(部屋数こそ多いけれど元々がどの箇所にも曖昧な仕切りしかないここは、寮というよりは家である)で今や最も古株となった、自来也先生肝入りのうちのエースだ。
「どうしたの、こんなに早く。外出かい?」
いつもならば放っておけば昼までぐうぐう寝てる彼に、ようやく落ち着いてきたオレは笑いかけながら尋ねた。今日は日曜日、それに天気も予報によれば夜まで上々。ようやく少しずつだけれど雪の溶けてきた四月後半の北海道は、遅い春を身にまとい始めている。
どうやら上機嫌らしい彼はニコニコしながら「うん、まあちょっと。なんか今朝はやけに目ェ覚めちゃってさ」と頭を掻き掻きこちらにやって来た。それを眺めつつ、オレは広いダイニングテーブルに手にしていた荷物の箱を置く。箱の中身はいつもと同じ、ここでこれから食べられる食材達だ。食パン三斤、卵二十個、サラダ用のレタスは丸ごとふた玉。牛乳に到っては驚くなかれ、毎日五リットルだ。スポーツを生業としている男達が八人も暮らすこの家では、食べ物は一食毎に買い出しが基本である。
「遠出?夕方までにはアリーナに戻って来なきゃならないんだよ、大丈夫?」
はずんだ声のみならず、こちらに向かってくる足どりまでもがうきうきと舞い上がっているようなのを見て、オレは一応確かめた。今日は夜から、いつものアリーナで練習が行われる予定だ。もちろん彼にも参加してもらう予定になっている。だらしない所はとことんだらしないくせに時間にだけは厳しい自来也先生は、開始時刻にリンクで整列していなかった選手には、その日は絶対に場内への立ち入りを許さない。
「あっ、大丈夫大丈夫、出掛けるっても市内だから。ウォームアップまでにはちゃんとリンクに入るし」
そう言ってあっけらかんとした様子で、隣に来た彼はオレに倣い、買ってきた荷物を広げだした。自然な流れで手伝いだした彼に、市内って、札幌かい?ともうひとつオレは訊く。
「アウトドアじゃないなんて、珍しいね」
そういえば普段と比べ心持ち小綺麗な服装に、ちらりと見たオレは何の気もなく言った。ここのところの彼はたしか釣りと温泉にはまっていたはずだ。ここにいる他のメンバーと一緒に、わあわあ騒ぎながら仲間のひとりが持つRV車で出掛けていたのを思い出す。
「そう?まァたまにはオレだって、街遊びするってばよ」
軽く口笛を吹きつつそんな事をいう彼に、ふうんとまた動きが止まる。何したらいい?とそのまま尋ねてくる彼に少し考え、あ、じゃあその牛乳しまったら卵焼いて。あとその箱の中の野菜は全部サラダ用のだから、切って洗って適当に盛っちゃってくれる? とひととおりの指示をだした。
「オッス、了解ッス!」
機嫌よく応じると彼は大きな手で言われた通り大瓶の牛乳を冷蔵庫にどかんと差し込み、卵の袋(市ではパックではなく卵は袋売りなのだ。産みたての新鮮な卵は不思議と殻まで厚く、どことなくスーパーで売っているものよりも気概がある感じがする)を手にくるりとターンを決めたナルトは、台所のシンク上にぶら下がっていた鉄のフライパンをひょいと取った。最初から強火でがんがん熱くしたフライパンに油を回すと、すっかり慣れた手付きで次々卵を落としていく。
片手で器用にやってのけるそれはこの五年弱の間にここで培われた技術だったが、それにしても今日は随分と調子がいいようだった。口笛はずっと軽やかに続いている。瞬く間に一杯目の目玉焼き(全部で二十個の目玉を焼くには、二十六センチ径のフライパンはあまりに狭すぎる)を焼き上げ二杯目にいこうとした時、オレは唐突に気がついた。上機嫌な早起き、さりげないお洒落。なんだ、答えは簡単じゃないか、久々だからすぐには気がつかなかった。

「そっか、お前。今日デートだ?」

―――ぐしゃ。
言われた途端、気分よく割られていた卵が、その手の中で無残に潰れた。節くれだつ指の間から白身が逃げる。
なんだ、そうか。どうしてもっと早く気がつかなかったんだろう。
「ちっ……違いますってばそんな!オレってば、べつに、デートとかじゃねえし!」
そんな事を言いながらも、手をべたべたにしたナルトは、あわあわと手を拭いながらも真っ赤になった。ナルトに最近恋人ができたのは、チーム内では有名な話だ。なにしろここ最近の彼の舞いあがりっぷりときたら、本当に呆れるほどのものなのだ。
ぼんやりしていたかと思えば急になにやら思い出し笑いにニヤニヤしているし、かと思えば時々唐突に「なあオレってば今ちゃんと起きてる?コレ現実 !? 」などと周りに不可解な質問をぶち当てたり。四六時中スマートフォンを覗き込んでは着信ランプが点滅する度に、笑ったりしょげたり、はたまたうっとりと溜息をついたりして。
本当に誰がどう見ても他に説明のしようがないほどに、絶賛ダダ漏れ中なのである。
「いや、ホント!……と、友達だから、あいつは」
泳ぐ目に見事な赤面を携え、それでも頑なに友達で貫き通そうとする彼に、オレはふふ、と微笑んだ。その気になればやりたい放題ができるくせに、ナルトがずっと昔の恋にしがみついたまま他の誰にも心を移せないでいたのは、チームにいる誰もが気にかけていた事だ。
そんな彼に訪れたようやくの春を、(あまりの浮かれっぷりに呆れつつも)声には出さずとも皆が応援してやりたく思っていた。もちろんそこにはオレも含まれる。オレ自身は生涯誰とも結婚する気がないし、それについて特に不幸にも思っていないけれど、でもできることなら長い人生には、一緒に歩いてくれる伴侶がいるに越したことはない。
「そっか、まあ、友達でももちろん構わないんだけど――じゃあ今日は向こうで待ち合わせなんだ?ふたりでどこ遊びに行くんだい?」
にっこり尋ねると、気を取り直したかのように再び卵を構えた彼はでへへとまた笑崩れつつも、鼻の下をこすった。テーブルの横にある窓から見える外は、ようやく完全に明るくなってきたようだ。
「聞きたい?」
「うん(じゃなくて、言いたいんだろ?)」
「どぉーーしても、ききたい?」
「うんうん(言いたいなら早く言いなさいって)」
みえみえな勿体づけに若干苦笑になりつつも、それでも辛抱強く話を待てば、やがてその金髪の大男は「あのさ」と他に誰もいやしないのに、こそりと耳打ちをしてきた。――ああ、でも、それはいいかもしれない。ようやく冬の季節を抜ける札幌を体感するにはもってこいだ。
「……どうかな?退屈?」
でも夕方までしか時間ないし、と気持ちの良さそうなそのデートプランに、空色の瞳はほんの少しだけ不安げに伺いをたててきた。
「いや、いいと思う。今日はお天気もいいしね」
そう太鼓判を押せば、ようやく「そっか!よかった」というほどけた息と共に、照れたような白い歯がその口許に溢れる。
「いや、あいつまだこっちきて日が浅いから、本当はもっと色んなとこ連れてってやりたいなって最初思ったんだけど。でも聞いたら人で混んでるところは落ち着かないし、疲れるから嫌だって」
嬉しそうに頬を掻きつつ、ナルトはそんな、尋ねてもいない説明を始めた。ふうん、おとなしめな子か。まあ、何年か前に付き合ってた彼女にも、そういうのはいたような気がする。
「かといってじゃあどこ行きたい?ってきいてもさ、どこでもいい、オレに決めてくれっていうばっかだし」
なるほど。その上従順、と。夫に一歩先を譲る大和撫子か、はたまた単純にまるごとを彼に預けているのか。
「まあ向こうも今日は夜勤明けで疲れてるだろうからさ。あんま歩き回るのとかもよくないかなって」
夜勤?
「あ、お医者さんなんだってばよ、あいつ。まだ新米だけど」
だから色々考えたんだけどさ、今回はこのくらいが、ゆっくりできてちょうどいいかなって。……大雑把な彼にしては丁寧に気遣って考えたらしいそのプランに、オレはへえ、と感心した。なるほどね、やはり周囲が予想している通り、その新しい恋人を彼はずいぶんと大事にしているらしい。
それにしても、女医さんか。剽軽な彼から告げられた意外なその職業に、オレはもうひとつ感心した。どうやら彼の前に現れた女神は、体育会系のナルトとは正反対な知的な女性らしい。似てないもの夫婦か、それもあんがい悪くない。人は自分にないものを求めるって、大昔酔っ払った自来也先生もたしか高説していた事があったし。
「ねえ、そうしたらさ」
ふと名案を思いつき、オレは言った。その子、ナルトの練習がなければ本当は夜もいられるんだろ?訊いたオレに首をひねったのちに、金髪頭がこくんと頷く。
「じゃあさ、今日の最後に。その子アリーナに連れてくるってどう?」
「え?」
「アイスホッケーは見たことある?練習だけだけど、どうせだったらちょっと見学していってもらったら?」
「――えっ !? 」
唐突な提案は、余程意外なものだったのだろうか。空色の瞳をぱちくりとさせ、ナルトはぽかんと口を開けた。驚いた拍子に妙な力が入ってしまったのだろう、ぐしゃりとまたひとつ手の中で割られるのを待っていた卵が、それの前に無残な姿になる。
「あーっ、また!」
「あっ、いや、そのっ――…ス、スンマセン」
「もう、潰れた分はナルトのだからね」
「そりゃモチロンそれで――っていうか、い、いいんですかってば、練習中は部外者立ち入り禁止だろ?」
おっかなびっくりと確かめてくる彼に、オレはにっこりと頷いてみせた。こういってはなんだが、スポーツ選手が一番輝くのはやはり競技をしている最中だ。ここはひとつ更に彼のこの恋が確固たるものにするためにも、その子に彼氏の格好良い所を、しっかりと見せつけておくのもいいのではないだろうか。
「いいよ。自来也先生にはオレから許可を取っておくから。せっかくのデートだ、ふたりともできるだけ長く一緒にいたいだろ?」

……というか、練習が終わった後も、どうせならそのまま『お泊り』してきちゃえばいいのに。

そう言ってニヤリと眉を上げると、すっかり精悍さを増していたはずのその顔はみるみるうちに耳の先まで真っ赤になって、大きな図体はやがてそわそわと、見ているこちらが恥ずかしくなる程の落ち着かないものになった。まったく、昔から本当にこの子は、自分の気持ちに正直だ。こんなに素直でかわいい弟弟子の幸せの為ならば、兄弟子としてひと肌脱ぐくらい、わけもない事である。
「おっ…おとまり…!?」
「うん。いいでしょ別に、明日も日曜だし」
「だっ、ダメだってばそんなの、そんな、そん…っ!」
「なにうろたえてんの、お前この前まで、自来也先生お気に入りの子にまで手を出してたくせに。今更そんな純情ぶっても駄目だよ」
笑ってからかえば、真っ赤だった顔は今度は「げ、知ってましたってば!?」と青くなった。赤くなったり青くなったり、まったく忙しい子だなあ。そんな事を思いつつ、買ってきたブロックレンガみたいなベーコンを冷蔵庫にしまう。
窓の外、明るさを増していく空に、水引きみたいな雲が細くかかっている。
微笑ましさと可笑しさとを噛み締めつつ音を弾けさせているフライパンを見ると、崩れ落ちたふたつの目玉はハートの形にくっついて、 中で気持ちよく焦げていた。

     ☆

「セ・ン・セ。うちはセーンセ!」
丸めた書類で放心しかかっている耳元にそうダイレクトに呼びかければ、がくっとその頬杖から細い顎が落ちた。
赤い目が驚いたように、ぱしぱしとその長いまつげを瞬いている。あああん、やっぱりかわいい。しまった、といった表情できょろきょろと辺りを見回しているその仕草に、思わず今日も身悶えする。
「――すみません、落ちてました?」
どこまで引き継ぎましたっけ?少しずらした眼鏡の隙間から眠い目をこすりつつそんな事をいう彼は、今年の春からうちの院にやってきた、期待の超新星だった。びっくりするほど整った小さな顔、そこにすんなりおさまっている銀縁の華奢な眼鏡。病院のスタッフ用に配られている半袖のユニフォームはまだ真新しくて、そこから出る長い腕はこれまた嫉妬するほどの白さだ。
院内の看護師達の間ではすでに「白衣派」と「ユニフォーム派」に派閥が分かれていて、私はどちらも物凄く好きなのだけれど、僅差の傾きでユニフォーム推しに名を連ねていた。詰まった襟のその潔癖さと、反対に下では細い腰とお尻が際立って見えるそのスタイルは、いかにも研修医らしい初々しさとキュートさに溢れ非常に目に幸せである。
「だいじょーぶ、まだ落ちてなかったよ。あともうちょっとだからね、がんばろうね~」
まだ仕事に慣れきれていないその様子にわざと先輩風じみたものを吹かせれば、ちょっと口籠った彼は一瞬なにか思うような顔をしうつむいた。わかっている、プライドの高そうな子だから、本来はこんな口振りで対されるのは絶対に好まないのだ。しかしまだ自分が未熟であるという自認あるからだろう。結局はちっちゃくすぼめられた唇が、ごくごく小さな声で「…はい」なんて素直に言うのだった。ああなんという役得。文句無しにきゃわわである。
「それにしてもよかったの?半休で。どうせなら一日お休みしちゃえばいいのに。先生もそう言ってたでしょ?」
これから休むとはいえ、昨日より確実に隈の深くなった顔にそう言えば、不明瞭な声が「いえ、大丈夫です。すみません」と呟いた。新人でありながらも大変に仕事の早い彼のあまりの多忙っぷりと、その過労っぷりに、指導をしている担当医から少しは休みを取るように彼が言い渡されたのは、つい一昨日の事だ。
「どちらにしろ前日から夜勤になっていたし」
「ああそっか、なら結局九時までは帰れないものね」
「少し、見学させていただきたいオペも今日はあったから。もし休みだったとしてもたぶん来ていたと思うので」
「先生の?勉強熱心だねえ」
ふうん、と相槌をうって、私はまた引き継いだ書類に視線を落とした。本当によく働くなあ。夜勤だって、本来なら研修医はまだそんな入らなくてもいいはずなのに。まあ出来のいい彼が下手な二年目より余程使えるというのも、悲しいかな事実であったりもするのだけれど。
「うん――けど、やっぱ次はちゃんと、一日しっかりお休み貰いなね?そのままじゃ身体、本当に壊すよ」
仕事熱心は感心なれど、なんだかここ最近また更にうすくなってしまった気がする肩に、ふと声音を変え私は言った。新人のくせになんでも巧くこなせて、しかも真面目で仕事がきちんとしている彼。昼も夜もあちこちで頼られてばかりの彼だけれど、やっぱりここ最近は少し無理が過ぎている気がする。
「夜勤もだけど、ちょっと全体的に仕事引き受け過ぎじゃない?研修医でそんなに入ってる人いないでしょ」
「……はぁ、」
「断ったりするの、言いにくい?もしアレなら、他の先生方へも私の方から――」
「いえ、大丈夫です、今の無理は承知の上でしている事だから。来月、連休中少しまとまった休みを取りたくて」
「え?」
休み、どっか行くの?自然な疑問としてきょろりとその顔を覗きこめば、動かないままの鼻梁は素っ気なく「はあ、まあ」と答えた。
遊びに?まとめてって事は、泊まりがけで?なんとなく気分のままにしつこく追求すれば、下を向いていた視線が仕方なさそうにわずかにあがる。

「……別に。ただの実家です」

ボソ、と返された答えは実に優等生な回答だったけれど、同時にいかにも胡散臭いものでもあった。実家ねえ。実家に帰るため、無理をおして十三連勤なんてやる二十七歳の男なんて、きょうびそうそういるもんじゃないと思うけど。
「へえ、そっか、ご実家に帰られるんだ?」
いいね!とひとまずニコニコしながら、書類を置いた私はちょっとテーブルに肘を突き身を乗り出した。引き継ぎの為の日誌になにやらさりさりと書いているその骨ばった手が、ぴく、と一瞬だけ動きを止める。
「あ、でもさ、それならゴールデンウィークを外して取れば?帰省だけならそこ外して取ったほうが取りやすいよ。飛行機とかも空いてるし、チケットも安いしね」
どう?と親切ぶって教えてあげれば、細い眉がちょっとめんどくさそうにわずかに寄った。
はあ、まあ。そうですねという適当な同意と共に、再びそのペンが動き出す。
「それは知ってますけど」
「そうなの?じゃあさ」
「いや……今度の帰省、ひとりじゃないので。向こうにも都合があるし」
「ひとりじゃない?」
聞き返すも、今度は何も返事は返ってこなかった。……女の第六感発動。なんていうか、ここ、是非とももうちょいほじくり返してみるべき所じゃない?
「誰と?」
回りくどい事はやめて、単刀直入に私は訊いた。ペンを持つ手が、今度こそぴたりと止まる。

「―――友達と」

できました。
ぱたん、と閉じられた冊子の音に、探究心の赴くままに身を乗り出していた私は、ふと現実に戻された。テーブルについたままの肘に何かが触れてくる気配。見れば白く痩せた手がその甲にくっきりとしたきれいな筋を浮かせ、書き終えたばかりらしい業務日誌を(す、)と差し出している。
「ん?――ああ、ごめん。了解です、おつかれさま」
「あとすみませんが、これも先生に。渡しておいていただいていいですか?」
そう言って渡されたクリアファイルは、なにやらきちんとした文字が沢山連ねられているようだった。いいよー、じゃあ今ちょっと行ってきちゃおうかな、ついでに医局にもちょっと用があるし。そんな事を言いつつ、その場に彼を置いて腰をあげる。
なんとなくはぐらかされてしまったのは確かだと思ったけれど、まあ最初からすんなり色々聞き出さえるなんて思っていなかったし。まだ四月だもんね、これからゆっくり攻めていけばいい――そんなふうに、私が思っていると。
(あれ?)
通りがかった病院の渡り廊下。見間違えようもないその特徴的な姿に、つい足が止まった。窓に映りこんだ姿で、身だしなみのチェックをしているのだろうか。グローブみたいな大きな手が短かい前髪を引っ張るかのように、ちょびっとひと房つまんでいる。
「なあに、ずいぶんとご機嫌ね」
あきらかなニヤケ顔と漏れ聴こえてくる鼻歌に、少し離れた所から呼びかければギクリとその肩が跳ねた。ああ、やっぱり。振り返ったのは、顔見知りの患者さんだ。数年前メディカルチェックのためここに来て以来、定期的に検診でやってくる、金髪に明るい目の色した大きな男の子。
「――ユ、ユリカさん?」
ややうろたえたような声で振り返ったのは、果たしてその通りの日焼け顔だった。うずまき君はここ北海道を拠点とするアイスホッケーチームの選手だ。大きな身体にニコニコ笑顔のかわいい、チームでも随一の人気選手。
「どうしたの、今日は。検診はこの前済ませたばかりじゃなかった?」
四年程前に会って以来、すっかり顔見知りになった彼だけれど、最後に会ったのがつい最近だったことに思い至ると、思わず気にかかるような声が出た。彼の定期検診は三ヶ月に一度だ。たしかこの前は、ほんの二週間前にやってきたばかりのはず。
「あっ、いや、今日は受診しにきたんじゃなくて!ちょっと、と――友達、とさ。待ち合わせしてるんだってばよ」
「友達?」
さてもまたここでもの単語に、私は首を傾げた。あっちもこっちも友達。ずいぶんと皆仲がいいものだ。
「へええ、そうなの」
「うん。そうなんだってば」
「なんで病院で待ち合わせなの?」
至極自然な疑問を口にすれば、ゆるりとその青い目が泳いだ。……再び女の第六感発動。実はこのパターン、以前も彼には一度あった。こちらでの生活が決まり、本格的に都内の病院からうちへ掛かり付けを変えた頃、当時一階の受付けにいた女の子とほんの一瞬だけ付き合っていた時期があったのだ。あの時も確かこうして、彼女の上がり時間に合わせて車でここに来ていたものだ。
「――何科?それとも、また受付の子?」
でもこの時間だったら受付はないわね、じゃあやっぱりナースかしら。ぼそぼそっと一気に畳み掛ければ、その顔はまたぎくりとして固まった。予感的中。こちらの方はわかりやすくていいわね、やっぱり男は可愛げがなくちゃ。
「え?なんの事?」
「隠しても無駄よ。またうちの誰かと付き合ってるんでしょ」
お迎えね?とズバリ言えば、正直な彼は(うぐ、)と口篭った。気の良さそうな顔がみるみる赤くなっていく。
……ち、がうけど。たぶん、本当は言いたいのだろう。ほんのちょっとだけ口許をむずむずさせて、彼は言った。ようやく暖かくなってきた今日、彼は白いTシャツにジーンズ、そこに軽いジャケットという春めいた服装だ。ほんのり細められた青までもが、なんだか霞がかかったみたいな淡い色にみえる。

「だけど、そう。……お迎えは当たり」

でも、ナイショだから。
そう言って、背の高い彼は困ったように笑い、そっと人差し指をたてると「しー。」とやった。……まぁぁ、かわいいわね……!どこのどいつかしら、今日の果報者は。今度機会を作って徹底追求してやらなくっちゃ。
「ええー、ずるい、内緒だなんて」
「うーん、でもあいつすごい恥ずかしがり屋だしさ」
「何科?ねえ、それだけでも教えてよ」
「いや、……ううん、やっぱダメだってば、それ言ったらすぐわかっちまうし」
「だーいじょうぶよすぐにバレたりしないわよ、院内にスタッフ何人いると思うの」
「――ユリカさん」
つらつらと可能性のありそうな顔ぶれを頭で並べていると、ふと後ろから呼んでくる声がした。え、と振り返ったところには白いユニフォーム。いつの間に来ていたのか、眼鏡の彼が相変わらずのきちんとした佇まいで、こちらをじっと眺めていた。忘れ物だろうか。手にはさっき受け取ったのとよく似たファイルと、それと私物らしい黒いナイロンリュックが下げられている。
「あれ、うちは先生?」
「すみません、先程渡したファイルに間違いがあったので」
直したものをもってきたのでこちらを、という彼に言われるがまま来た道を戻り持っていたものを交換すると、眼鏡の彼は少し甘い声で「よろしくお願いします」と丁寧に言った。
めずらしくにっこり笑うその顔に、ついどきりとさせられる。陽の光がはいる渡り廊下は、なんだか今とても豪華だ。
あれ?そういえばこの前の検診の時…とふとこの組み合わせに何かを思い出しかけたが、それを遮るかのようにポケットの院内PHSが、中でブルブルと震えだした。あ、ごめんね、と断って回線をつなぐ。相手は患者さんだ、ちょっと色々むつかしい、複雑骨折で入院中のおばあちゃん。
今日も朝から無茶振りしてくるその患者さんに、「ごめん、ちょっと…」とほったらかしのままになっていた二人を振り返ると、いつのまにか背の高い二つのシルエットは渡り廊下から綺麗に消えていた。
え、なにそれふたりともヒドイ、ちょっと淋しくない…!?
慌ててあたりを見渡すも、漂うのはほんの少しの甘い空気と、あとは圧倒的な置いてきぼり感だけだった。

     ☆

「なんで来た!?」
のんきな襟首をつまみ上げ、引きずるようにしてそいつを連れ移動したオレはあたりに人影が無くなった途端、いよいよ限界とばかりにそう怒鳴った。病院の地下駐車場、その入口手前に設置された男子トイレ。松葉杖や点滴など、特異な状況で使われることも想定されたそこの個室は、普通の公衆トイレとは違い、動きの自由が取りやすいようかなり広々としたスペース設計がされている。
「なんでって、迎えにきたかったから。今朝オレめちゃくちゃ早くから目ェ覚めちまってさ」
害もなく、奴は言う。いや、害はある。こいつと知り合いである理由をあれこれ聞かれるのは面倒だったし更に根掘り葉掘り聞かれて色々ばれるのは厄介だったし、ていうか既にこいつ、さっき病院の顔見知り看護師におそろしく要らんこと暴露しようとしてただろ。遠目だったから、話している内容は聞き取れなかった。けれど聞き手の表情をみれば一目瞭然だ。
「……なにを訊かれた?」
尋ねれば、何も考えてないそいつは「ん?検診もないのにどうしたんだって」と至極当然な質問を打ち明けた。なんて答えたんだ、と尚も追求すれば、じっと目を見詰められた奴は何を勘違いしたのか、ぽおっと頬を赤らめる。
「いや、待ち合わせだって。お迎えにきただけだって」
「まさかお前、オレの名前出してねえだろな」
「あっ…たり前だろ、お前の事はなんにも言ってないし。待ち合わせの相手もちゃんと、友達だって、言ったってばよ」
訥々と言葉を区切りながら、恥じらうように少し顎を引く。

「――ホントはちがうとか、絶対言ってねえから」

そうやって寄せられてくる唇に、そろりと唇をあわされた。
やっとのその感触に、不本意ながらも苛立っていた頭の芯が、じんと絆される。
――…一昨日、突然担当してもらっている指導医から少し休むようにと言われ半休を取らされた俺だけれど、まっさきに思ったのは休養よりもナルトに会う事だった。
再会したはいいが、あれからお互い見事にスケジュールが合わず、オレ達は電話さえろくにできていなかったのだ。
ひたすら遣り取りはSNSを使ったメッセージに頼っていたが、そこからもナルトが俺との再会に全力で浮かれているのはたっぷり伝わってきた。
ぐるぐると嬉しさに駆けずり回っているかのようなそのメッセージを読んでいると、苦笑する反面、なんだか引きずられるようにして俺も妙にふわふわした気分になってしまう。
「はー……なんかさあ、『うちはセンセイ』ってあれだな!聴いてるとなんかどきどきすんな!」
着替えを済ませたオレが助手席に乗り込みようやく発進すると、駐車場の開閉バーを待ちながらナルトは言った。あとあの、白い服。アレもちょっと、初めて見た。鼻先を少しむずつかせるような感じで、頬を掻き掻きそうも言う。
「白衣じゃない時もあるんだ?」
「雑用とか多い時はな。ていうか、まだオレらがやれんのってそんなのばかりだけど」
「じゃあよく着てるってこと?」
「まあな。あっちのが動きやすくて楽だから」
「へー…ちなみにあれってば、支給品なの?」
「?そうだけど」
「家に持って帰ったりとかさ……できんのかな」
唐突に、ナルトはそんな事を訊いてきた。は?と質問の意図がわからずつい隣を見る。
「帰れるが…それが?」
「いやっ、その――ちょっと、あれはあれで、なんかグッとくるというか」
白衣もすげー格好良いけどさ、というナルトにまた(?)となった。それと持ち帰り、どう関係があるんだ?
「……あれかな、やっぱ、病院の人達ってさ」
「?」
「一度はその、お医者さんごっことか、すんのかな」
言いにくそうに口をもそもそさせながらも、ぽつぽつとナルトは言った。いきなりなその話題に、思わず「ハァ?」と口が開く。何言ってんだこいつ、お医者さんごっこって…お医者さんごっこ?
「いや、ごっこっつーか……本物だし」
うっすら色めいた話題なのは感じ取れたが、ここは普通に返した。というか、こいつそんな事考えてたのか。まあ大学でもうちの学部の男子学生は、たいがいそのテの映像の洗礼を一度は受ける。
自分でどうこうとした事はないが、意外に顔の広い水月からゼミに入ってからすぐの頃、無理矢理に押し付けられた事ならあった。観たかどうか?そんなものはお察しというものだ。

「…………してみたいのか?」

興味本位に訊けば、エッ?!とその顔がこちらを向いた。
真正面を向けてきたそれはちょっと滑稽なほどの真顔だ。そうして全力の期待もそこには見える。昔より広くなだらかになった額には、まるででかでか「YES!」とでも書いてあるようだ。
「ぶっ…――バーカ、冗談だ」
まあやりたきゃいつか、風邪でもひいたとき診てやるよ。
思わず吹き出して言えば、そんなオレにナルトは茫然として口を開けた。駐車場のバーが上がる。ああしまった、駐車料金くらいこちらで用意してやればよかった。気が付けば精算のされていた料金箱に、ちらとそんなふうに思う。
「なっ…んだよ、オレの方だって冗談だっての!」
誤魔化し笑いに、ナルトは言った。バーをくぐり地下を抜けた車は、明るい陽射しのさす路上へと出る。
「――…あ、ああそうだ、なあサスケ、今日ってお前、まだ夜の予定あいてる?」
話を切り替えたかったのだろうか。外に出た途端「長門さんがさ」とナルトが話しだしたのは、そんな艶っぽさとは全く関係ない話だった。長門というのはナルトが住んでいる独身寮の寮父のような人だ。仕事の方でも普段の生活の方でも、ナルトはこの人に今、かなり世話になっているらしい。
「今日の練習、サスケも見学に来ていいって」
「え?」
「ほら、今日オレら会えるっつってもあんま時間ないじゃん?だから長門さんが、出来るだけゆっくりできるようにって、監督に頼んでくれるって」
前を見つつ言われた言葉に、「へえ、そうか」なんて返しつつも、つい声が明るくなったのが自分でもわかった。アイスリンクに足を運ぶのは、あの夏以来の事だ。
ああでも、こいつのチームの練習って、関係者以外立ち入り禁止だったんじゃ……と思ったところで、足の腿の横あたりで投げ出していたままの右手に、ふわりと触れてくるものを感じた。ん?と見下ろせば包み込んでくる熱。つい先程までシフトレバーに置かれていたナルトの左手が、オレの右手を握っている。
何も言わずにちらりとその横顔を見てみると、なんだか酷く緊張した様子のナルトが、赤い顔でまっすぐ前を見ていた。
目線だけは毅然としているが、恥ずかしさからなのかどぎまぎとした緊張からなのか、どうにも口許は締りがない。

「あっ…のさ、そうだ、え、えーとそんで、この後なんだけどさ…!」

またもや誤魔化すように話し出したナルトは、言いながら片手でウインカーを出した。右手を包む手が熱い。どきどきしているらしいナルトの熱が、触れている手の甲から伝わってくるようだ。
ぎこちなく固まるそれはやがて動くと、そっと手のひらを反転させて、指を絡めてきた。甲の面よりももっとひたりと密着してくる内側、少し固くなった付け根の盛り上がり。彼の日常を感じさせるその感触に、なんとなくこちらからも同じように返す。
青い車は走りだす。これまでと同じように楽しいのに、これまでとはちょっと色合いの変わったドライブは、なんだか可笑しいくせに、でもそんなに嫌でもない。

     ☆

彼のパーツで好きなところは幾つ数え上げてもきりがないけれど、殊に好きなのはその手だった。
指が長い。手の甲はうすくて、すべすべのまっしろな皮膚はほんの少しだけ、青みがかった静脈を透かしていた。ぜんたい固くて節も膨れて厚っこいオレとは違い、彼のそれはほっそりと全部が品よく整っている。先できちんと揃っている爪は、ごくうすい乳白色だ。まるで氷砂糖を割って削り、丁寧に形を整えたようなそれを見ると、舐めて、しゃぶって、舌の上で溶かしてしまいたいとつい思ってしまう。

(――…つーか、や、やばいんじゃねえのこれ……全然、拒否されないんですけど)

包んだぬくもりのやわらかさに、どきどきと胸が高鳴った。い、いいのだろうか。いやでもそんなうまい話ではない気がする。気はするんだけどでも繋いだ手はめちゃくちゃ柔らかかった。互いの指を組ませるように絡ませてみれば、ゆるんだ力で向こうからも同じ形が返ってくる。知ってますかこれ恋人繋ぎっていうんですよ?やわやわと揉んで親指でその手首のつけ根をすりすりしてみても、白い手は従順にそれを受け入れている。
なんだか本当に、全部が夢みたいだ。あれからずっとオレは現実が信じられなくて、ちょっと困っている。

「おばちゃん、『ゆで』と『焼き』を一本ずつ!すぐ食べるからそのままな」

近くのコインパーキングに車を停めた後、のんびり向かった目的地で通ぶってそう言えば、黄色い三角巾の丸顔はにっこり目を細め、「はいねェ」と答えた。
青空の下ぽつぽつと並ぶのは、今年初お目見えのブルーのワゴンだ。漂う甘しょっぱい匂い、ふくふくとしたいい匂いの白い煙。丸のまま受け取ったその二本を見せると、すぐ横にいる彼にへへへと笑って見せびらかした。
どっち食べる?と尋ねるオレに、呆れ笑いのサスケが言う。
「どっちって、どっちも食べたいんだろ?」
「……まあね」
照れて答えると、サスケはオレの手から片方、茹でたトウモロコシを取った。半分食べたら、譲ってやるから。そんな事をいう彼に、こんがり醤油を焦がした方を持つオレは、じゃあ交換なと約束する。

「んんん、あまい~~!」

端まで歩いた公園のベンチでひと口齧れば、口の中には少し青みの残る甘い汁がぷちゅんと弾けた。座ったお尻があたたかい。木製のベンチは午前中一杯たっぷり太陽の熱を吸収していたらしく、どこもかしこもぽかぽかとした暖かさで満ちているようだった。隣のサスケも目を細め、北の国にようやく訪れた、遅い春の光をうっとり満喫している。
半日だけなんだが、という連絡をサスケから貰ったのは、つい一昨日の事だった。再会してからこちら、オレ達のコミュニケーションツールはほぼスマホだ。忙しくて忙しくて日々過労気味らしいサスケが、その貴重な時間を使って向こうから会いたいと言ってきてくれた時は、真面目に天まで舞い上がりそうだった。なにしろもうずっと、サスケとこうなれてからオレは足元が少し浮きっぱなしなのだ。お前なにひとりでふわふわしとるんじゃ、もっとしっかり下を蹴らんか!練習中、監督であるエロ仙人にまで、そんな事を言われたりする。
「おいし?サスケ。交換する?」
大きく頬張った最初のひと口を飲み込むと、オレは横にいるサスケに早々声を掛けた。とうもろこしの出店、いわゆる『とうきびワゴン』は札幌の春の訪れを告げるものだ。四月が半分を越えたころ、残雪がようやく消えるあたりから、冬になるまでこの大きな公園には青いワゴンが沢山並ぶ。
「まだいいって。半分までは食えよ」
やっぱりまだひと口しか食べていないサスケもそう答える。眼鏡を外し、白いユニフォームを脱いだサスケは、今は昔よく着ていたチャコールグレーのカーディガンにコットンパンツという気楽な姿だ。学生の時と変わらないその格好に、なんだか嬉しくなる。ちょっと昔に戻ったみたいだ。昔に戻ったというか、会えなかった時間を取り戻してるみたいだ。
「でもあったかいうちに食べた方が美味しいし」
「そんな時間かかんねえだろ」
「サスケ食べるのゆっくりじゃん」
「普通だ普通。お前が早いんだ」
「いいから、ひと口食べてみろって」
「……」
「焼きモロコシは出来立て焼きたてが一番だってばよ?」
「……要はどうにもひと口食わせたいんだな、お前は」
 しょうがねえなあ、といった感じで息を吐くと、サスケはほら、寄越せとオレに言った。とうきびを持つ手が手首ごと掴まれ引き寄せられる。つやつやのまつげが僅かに伏せられて、小さな口が、オレの囓ったすぐ横あたりであーんとおとなしく開かれた。まるまる太ったトウモロコシの先、少し細まったそこにかぷりと齧り付くサスケに、凝視したオレはふとその光景を妙な形に変換してしまう。
(……た、たいへん……なんだこの絵は)
途端、またもやむくむくと眠らせていた欲望が首をもたげてきて、オレはもそりと尻をにじらせた。赤くめくれた唇から一瞬、そのやわらかくて少しうすい舌が見える。あの舌を吸われるのがサスケは好きだ。深いキスの時、唾液ごと吸い上げてやったそれに、しろいまぶたがいつもぴくぴくと慄くのを、今のオレは知っている。

『お泊りしてきちゃえばいいのに』

今朝聞いた一言が甦れば、ますます悶々とわだかまるものがあった。お泊り。……それをするという事は、つまりまあ、そういう事で。
(サスケ、そのあたりどう思ってんのかな)
考えても今ひとつわからないその問題に、オレはまた頭を抱える思いだった。いや、訊けばいいんだ訊けば。する気ある?って。オレのこと受けいれてくれる?って。
(……き、訊くのか……)
それを思うと、更に頭を抱えたくなった。サスケは潔癖だ。なにしろ二十三年弱もの間、セックスはおろかキスまで頑なに拒んでいた男である。
訊いて訊けない事はない気もするけれど、でもそれで今のこの安心しきったようなゆるさが失われるのは怖かった。やっぱりケダモノかみたいな目で見られてしまったらどうしよう。じっさいケダモノなわけだけれど。
(うううん、でもなあ、実際あの病院でのこいつののエロさときたらなあ)
つい先程も見た病院での彼に、オレはまたもやもやと止められない妄想を広げた。白衣の硬質なエロさも然ることながら、先程の白いユニフォームも素晴らしい。申し訳ないが同じ新人でもナースちゃんたちよりズバ抜けて可愛いく見えるし、どういうわけかあのぴしっと身体を包んでいるストイックなデザインから惜しげもなく出されている半袖の生肌との対比に物凄くそそられた。あんなのにお注射してくださいセンセイとか言われてみろ、ンもうオレだったら針も折れよとばかりに頑張るだろう。逆に「いけませんね…こんなにして」的な感じであれやこれや色々処置してもらうというパターンだってもちろんアリだ。ああ夢は果てしない、そして欲望も果てしない。ホームクリーニング万歳、マジでサスケ一度白衣オレに貸してくんないかな。
そうやってこうしてオレは今日も、教科書みたいな健全さで不健全な事をせっせと考えるのだった。けどしょうがないじゃないか、男たるものようやく憧れのお姫様を手に入れたのならば、まっさきに考える事は誰だって同じだ。シンデレラだって白雪姫だって眠り姫だって、名前のない王子達は皆同類だろう。彼らがラストシーンで彼女達をお姫様抱っこするのはようやく手に入れた宝物をそのままベッドに連れて行くためだと、オレは信じて疑わない。

「……ナルト?」
 
呼びかけられて、はたと気が付いた。ぼおっとしてしまったオレの間抜け顔を、まっくろな瞳が覗き込んでいる。
「もらったぞ、ナルト」
「……へっ?」
「どうした?食わせたかったんじゃないのか?」
……あっ、うんうん、そう!と慌てて言い募れば、整った顔が不思議そうに首を傾げた。そうしているだけでもサスケは可愛い。昔と比べ外見こそは美麗さを増したけれどふとした瞬間のあどけなさはそのままで、しかも自分の気持ちが相手に伝わっているのが余程安心できるのか、のびのびしているその様子はすごく空気がやわらかい。
「このあとは?」
ぷりぷりに茹で上げられたとうきびをゆっくり咀嚼しつつ、サスケは訊いてきた。えーと、実は、ちゃんとは決めてない。そう答えたオレに、え、と呆れた瞳が向けられる。
「考えてないのか」
「いや、一応考えてないわけじゃないんだけど。まずはサスケに意見聞こうと思って」
サスケ、なにしたい?尋ねれば、ぽけっとしたその顔は少しの間じっと黙った。仕事の後だからだろう、普段すっきりとしているその目も、なんだか今日はぼやぼやっとさえない感じだ。

「―――寝たい、かな」

ぽそ、と呟かれたのは、そんな一言だった。え、と思わず声が出る。
……あ、いやもちろんわかってる、普通に眠いんだよな、夜勤明けの眠さはオレよく知ってるし。で、でもさ、ほら、ここの公園てばちょっと歩くと先に歓楽街があってな?ゆっくり寝るにはまさにうってつけな、たいへんに広いベッドが昼間から一時間単位で貸出されて―――

「……って、さすがにそれはな。お前つまんねえだろうし」

はは、とそれでも健気に疲れた笑いを浮かべるサスケに、オレはなんだか色々な意味でじわっときた。えええ…サスケ優しい。っていうかすごく邪な事ばっか考えてるオレってばホント酷いな、こんなんじゃこのとびきり上等な男の彼氏として失格だってば。

「でも――まあ、正直」
「ん?」
「俺は別に、どこでも。無理にどこか行かなくても、その、お前とゆっくり出来れば……」
「――あれぇ、先生?」

うちは先生だあ!
しみじみとした口調で言いかけた言葉は、突然のコールに他愛なく遮られた。少し先、大通りを渡った向こう側からそれがやってきた途端、あまく見つめ合っていた空気は一転、いきなりパリンと割れて砕け散った。

      ☆

「――ねェちょっと。あれうずまき君じゃない?」
食べてしゃべってのランチを終え、大通りへと出た瞬間、最初に気がついたのは同じ科の同僚のひとりだった。明るい髪色にぐんと伸びた上背は、真昼間の公園ではひときわ目立つ。遠目にもすぐわかるその容姿に、彼女はぱっと名前が出たらしい。
「あ、ホントだ」
「わー、とうきび食べてる。いいなあ」
美味しそうにベンチでかぶりつく姿にひとしきり盛り上がる。彼――うずまきさんは、うちの科のちょっとしたアイドルだ。札幌ではないのだけれどここ北海道にあるアイスホッケーチームに所属している選手で、数ヶ月に一度、以前故障をしたという脚の検診のために、うちの病院にやってくる。
「ちょっと行って、声かける?」
そう言って、すぐにでも行こうとしたのはひとつ上の先輩だ。この人は誰にでもこうだ。悪気はないのだけれど、すぐになんにでも首を突っ込みたがる。
「え、でも誰か友達といるみたいだよ」
やめたほうがいいんじゃない?と慎重派な意見を出したのは、最初に声をかけようとした先輩の同期の人。私のみたところでは微妙に合わないふたりなのだけれど、こうしてグループで遊びに出るときなんかは自然に揃うみたいだ。
ああ、そういえば私の事をなにも伝えていなかった。
私はシホ。札幌の郊外にある大学病院の形成外科で、病棟看護師をしています。去年正看護師になったばかりの二年目ナースです。

「……ってあれ、ちょっと待って。うちは先生じゃない?」
 
後ろ向きでベンチにいる金髪の彼の隣には、どうやら友人らしき男の人が同じようにそこへ腰掛けているようだった。その跳ねた髪型が、似ていたのだろう。随分とリラックスした様子でいるその人は、確かにうちの科に最近入ってきた、研修医の先生に似ている。
「ええ、まさか。似てるだけでしょ」
「いやいやいやでも背格好もちょうどあんな感じじゃない?」
「眼鏡かけてる?」
「かけてない」
「あ、でもあの人、普段外では眼鏡かけてないんだよ。バス停にいる時いつもそのままだもん」
そう誰かが言うと、私達五人(今日は去年育児休暇に入った同僚の、出産祝いを買いに皆で街に来ていたのだ)はしばし黙った。なんとなくぞろぞろと、大通りを進んでベンチまでの距離を縮める。

「……激写しよう」

シホ、といきなり名指しで命じられ、エッとなった。
ど、どうして私なんですか。おろおろ返せば、あんたが一番バレた時、怒られなさそうだからと先輩が言う。
「怒られるんですか」
「本当に先生だったらね」
「先生じゃなければいいんですか」
「それを確かめる為にも撮るのよ。画像撮って拡大してみよう」
さあ、と言われ仕方なくスマホを出した。こういうのって、絶対よくないと思うの。そうは思うのだけれど、ここは一番下の後輩には逆らう権利なんてない。仁義なき女社会なのだ。
カシャ、と気楽な音をたてて、ベンチのふたりが切り取られる。全員で覗き込んで、ぐいぐいと指でその黒髪の彼を拡大した。

「―――ビンゴ!」

ベンチの彼は、やっぱりうちは先生らしかった。謎すぎる組み合わせである。しかも物凄く物凄く、いつも無表情でいるその綺麗なお顔が、青空の下で幸せそうなのである。
「あっ、食べかけ食べた!」
なにあれ!?と息巻く先を見れば、どうやらうちは先生はうずまきさんの持つとうきびをひと口貰ったみたいだった。野次馬根性が先走りすぎているのか、立ち止まっていたはずの私達は、気付けばじりじりと彼らの方へと移動しつつある。今はもう、肉眼でもその様子が見える場所にきていた。しあわせな顔、しあわせな私服、しあわせなとうきび。何から何までもが病院でのその人とは違っていて、私なんかは逆に直視ができない。

「突撃しましょう」

ひとりが言った。言ったのはひとつ上の先輩だ。落ち着いていて、仕事が丁寧で。上の人にも下の私達にもちょうどいい立場の接し方をしてくれるこの人が、私は結構好きだ。そして意外と行動派。
「え、結局いくの」
「ここまできたらでしょう?」
「声かけちゃったほうがこの先も色々聞きやすいかもね」
「そっか、明日こっそり見掛けましたっていうよりいいかも」
「――よし!じゃあシホ、その旨をユリカさんに送るのよ」
またもやの指名に、私は再びエッとなった。ど、どうしてユリカさんにですか?わけがわからない命令に、私は振り回されるばかりだ。
「だってユリカさんだけ今日来れなかったから」
「そうそう、それにあの人が一番うずまき君と仲いいし」
「ちょっと狙ってたんだよ、あれ。彼が東京からこっちに越して来たばっかの頃とか」
「やっぱり!?私もさ、そうなんじゃないかなって」
「ユリカさんすごい美人なんだけどねえ、なんかもうひとつ、男からみると彼女にしたいってタイプとは違うんだよねえ」
そんな褒めてるのか貶してるのかよくわからない事を言われている職場の主任に、私は言われるがままメッセージを送った。ついでにさっき撮った画像も添付する。こういうの、本当によくないと思うんです。誰に言えるでもなく、そっとつぶやきながら送信する。

「たったいま偶然見かけました的な感じでいくよね」
「もちろんもちろん。逃さないよう走ってかなきゃ」

せえので一斉に斜め横断する先輩達は、なんだか物凄く楽しそうだった。置いてかれた交差点の対岸、ぞろっと現れたナースの一団に、ぎょっとしたらしい二人がとうきびを持ったまま、ベンチで固まるのが遠目に見えた。

     ☆

『スゴイモノ見つけちゃいました』

送られてきたメッセージには、いきなりそうあった。続けて送られてきた画像。ベンチに並んで幸せそうにとうきびを頬張る、大の男がふたり写っている。送信元は同じ形成外科の後輩ナースからだった。シホはもうひとつのんびりしているところがあるけれど、見た目に反して中々根性のある子だ。どうにもずり落ちやすいらしいビン底眼鏡をいつも押し上げながら、熱心に患者さんのケアに勤しんでいる。
(なによもう、ふたりして。知り合いなら知り合いだって、そう言えばいいじゃない)
ひととおりの仕事を終えたナースステション。ちょっとだけ午後の休憩に入ろうかな奥に引っ込んだところで、それは目に入ってきた。むむ、やっぱり…!とあらためて思う。そうだった、数週間前検診でやってきた時、あの時も彼はうちは先生のこと気にしていたんだった。置き去りにされた渡り廊下で思い出した記憶を、送られていた画像でまた確認する。

『おふたりのご関係は?ってきいてみて』
 
最近お気に入りの、買ってきた紙パックのミルクティーを飲みつつ素早く送る。後輩達は今日、皆で揃って市街地に買い物に行っていたはずだ。ファッションビルから出てお茶する場所を探している途中、大通り公園で日向ぼっこしている彼らを発見したと。概要としては、そういう事らしい。これも真面目なシホが送ってくれた事である。

『友達らしいです』

返信はさくっと返ってきた。ああそう、そうでしょうね。
お二人共そうやっておっしゃってましたね、さっきもそう聞きました。

『いつからのご関係ですか?』

また送る。へえ、東京にいる時分からね。まあそれは予想してたけど。しばらくの間。向こうは向こうで、なにやら遣り取りをしているのだろう。

『ひとつ屋根の下に住んでいたらしいです』

「……は?」やがて送られてきたメッセージに、思わず声が出た。
なにそれ、ルームシェアって事?

『訂正:同じアパートに住んでいた、の間違いだそうです』

センセイがそう言ってます、とぽろりと遅れてやってきた。ふーん、そこで知り合ったって事?東京って隣近所は何する人ぞの世界かと思っていたけど、あんがいご近所付き合いがまだ残っているのね。

『たまたまこちらでまた会ったってこと?』

ぽちぽち打ってはまた送る。――『当たり前』ですって?そんな事ってあるのかしら、ものすごい偶然だ。

『この前、バスには間に合ったんですか?』

ぽちっと尋ねると、 かなりの間があった。けっこう待たされる。これがどういう意味を持つのかまでは、私にはわからない。

『間に合いました』

だいぶ遅れて、一言だけ返ってきた。これはどちらからの言葉なのだろう、できたらメッセージではなく表情も確認できるビデオ通話がしたいところ。

『もう一度ききます』

トトトッと私はまた打った。昭和生まれの私はフリップ入力が苦手だ。ポケベルのプッシュダイヤル連打よろしく、携帯入力でばしばし文字を打つ。


『おふたりは本当に、ただのお友達なんですか?』


「すみませんユリカさーん、ちょっとこれ確認していただいていいですか?」
軽いノックと同時に薄く開いたドアからそんな声が滑り込んでくると、私は飲んでいたミルクティーを最後にじゅっと吸い上げ、指先でストローを押してペコンと中に落とした。脇に置いたカバンから急いでポーチを取り出して、ぱくんとファンデーションを開き手早く鼻のテカリを抑える。
色付きのいいグロスを唇に乗せると、そうして全部をしまったポーチをカバンに放り込み、髪を整えつつとどまることなくすぐ腰を上げた。出て行き際、出入り口にあるゴミ箱にミルクティーのパックを捨てる。かこん、という軽い音に、そのまま振り返らず部屋を出る。
ポケットの携帯が小さく震える。確かめると、最後にした質問への返答だけがかえってきていた。

『かなりの友達、らしいです』

そういって送られてきたメッセージには、なにやら満面の笑みのうずまき君と、不機嫌極まるといった感じでそっぽを向くうちは先生が、テレビ塔を背景に肩を組んだ画像が添付されていた。

     ☆

「びっ…くり、したあ」
突然出くわしてしまった同僚達の質問攻めからどうにか抜け出せば、入り込んだ繁華街でナルトはそう言って息をついた。びっくりしたはこちらの方だ。よりによってこんな時に、知り合い、しかも毎日顔を合わす連中に会ってしまうとは。
「うーん、でもさ、驚いたけど病院でのうちはセンセイの様子がちょっと伺えて、おもしろかったってばよ」
ニヤニヤそんな事を言う男にイラッとする。他人事だと思って。明日職場に行ったら絶対にろくなことが待っていないだろう。だというのに、コイツなんでそんな嬉しそうなんだ。腹立たしい。
「てめえ、せっかく俺がこの一ヶ月で築きあげてきたものを」
舌打ちと共に言えば、なにもわかっていないらしいコイツは「え?」と首を傾げるばかりだった。築きあげたって?というきょとんとした声に、むかむかとその胸ぐらを掴み上げ締め上げてやりたいのをどうにか堪える。
「なんだあの、ひとつ屋根の下って!」
「エッ、なんで、だってまさしくそうだったじゃん、使い方合ってるだろ?」
「合ってねえよ!」
「そうなの?」
「そういうのは同棲とかしてるやつらの事だろ!俺とお前は最初から最後まで大家と店子だ!」
「ええー…けど、な?友達ってのはあってるじゃん?」
だろ?と確かめてくる目に、持ってきた反論はぐ、と潰えた。まあそれはそうなんだが。しかしさっきのあのバス云々というのはなんだったのか。あの時ナルトだけが(あっ!?)という顔をしていたが、結局なんだかよくわからなかった。
「……つーか、勢いで出てきちまったけどここからどうするんだ。道はわかるのか?」
大通り公園で捕まったオレ達はそこから抜け出すべく、今はその大きな公園から外れた道の方へと入って来ていた。人で賑わう百貨店や買い物客が沢山出入りしている方を避け、反対側にきたここは、ほんの少しだけ対岸に比べ落ち着いている。買い物のための店もそれなりにあるが中規模なビジネスホテルやちょっとしたオフィスビルもぽつぽつと混じり、そうしていわゆるご当地ラーメンというやつだろう、地元の名前の入ったメニューを掲げるラーメン店の看板なども時折見かける。居酒屋のような店も多いようだ。
「このあたりって飯屋とかが多いんだな」
「…ああ、うん。そうだな」
「知っている場所か?この先どっち向かえばいんだ、あんまり車停めたとこからは離れねえ方がいいよな」
「えーと、……そうだなあ、サスケが特に行きたいとこなければ、散歩がてら時計塔にでもと思っていたけど、あっち行くとさっきの集団と同じ方向だしなあ」
「そりゃ駄目だ」
「じゃあこっちの方へこのまま向かう?あ、うまいラーメン屋とかならあるんだけど」
「ラーメンか……悪かねえけど、今食ったばかりだしな」
ナルトおすすめのラーメン店というのも心惹かれないわけでもなかったが、結構食べでのあった先程のトウモロコシに、俺は曖昧に言った。元々が寝不足のせいで、正直なところ食に対しては今盛り上がりに欠けるというか。できたら飲み食いするよりも、もう少しゆっくり、穏やかなものが好ましかった。さっきの公園での日光浴は、何をするでもなかったけれども、のんびり気持ちよくてちょうど良かったのに。

「―――あの、さ」

初めての道に、なんとなくぼやっとナルトに任せきりになったままでいると、やがて彼がちょっと意を決したかのように小さく話を切り出した。
なんだ?と横を見れば、妙に緊張した面持ち。逃げてきた時小走りになったせいで暑くなったのか、やけに赤くなった顔がほんの少しうつむきながら立ち尽くしている。
「あの、」
「?」
「サスケ、まだ眠い?」
「は?」
「……この先って、休めるような場所が、沢山あるとこなんだけど。もしも本当に寝たいんだったら、その――オレは、構わないっていうか」
ど、どう?とちらりとうかがってくる上目遣いに、ようやく俺は(……あっ)となった。休めるところというのは、たぶんこの言い方だとカフェやなんかのような場所の事ではないだろう。いわゆるそういう……という事か。
「……構わないって」
「あっ、い、いやなんつーか――オ、オレはさ、今日はホント、最初からどっか遊びに行くってよりただ一緒にいられればそれでいいなあって思ってて!」
「……」
「だ、だからその……なんにも、なくていいから。オレもホント、なんにもしないし」

………夕方まで、『休憩』する?

ぽそ、と訊いてきた声は、なんだか妙に自信無さげな気配で満ちていた。赤らんだ顔はまだ引く様子はない。尋ねたきり、そのまま結ばれた唇はちょっとへの字になりかけていて、金の眉毛の下で俺を見つめてくる青い瞳はほんのり熱っぽさに潤んでいた。ふとその口の端っこに、先程食べていたとうきびの醤油がちょこっと残っているのを発見する。妙な頑張りを見せる彼だったけれども、むしろ何故かその迂闊な部分の方に心惹かれて、可笑しくなった俺はつと手をのばし、その頬に軽く触れた。

「ついてる」
「へ?」
「……だっせえ。誘うならもっと、うまいことやれって」

言いながら、そのままちょっと親指でその汚れを拭ってやれば、ぼおっとした様子のナルトはぽかんと立ち尽くしたままオレの顔を見ていた。誰かからこうして誘いを受けるのは初めてではないが、こんな粗相を付けたまま挑んできたのはこいつだけだな。そんな事を思いつつ、くくくと小さく笑いをこみ上げさせる。
正直、『そういうコト』については、俺としてはどっちでもいいというところだった。したきゃするが、なきゃないで別に問題はないだろう。そもそもがナルトが、同性である俺とどこまでの事をしたがっているのかもよくわからなかったし――もしも『最後まで』をしたいにしても、俺の方はともかく、受けるこいつの方は負担がある(と、当時の俺は親切にも思っていた。後からになってそれが真逆だった事を知り無性に腹が立ったというのは、また別の話である)わけだし。今はまだ、この子供じみたスキンシップを楽しめれば充分だと思った。急ぐ必要なんてないだろう、どうせこの先だってずっと、一緒にいるのだから。その位の覚悟がなければ、自分はこんな所に来やしない。
「え、さっ、さす……!?」
「無理すんなって。急ぐことねえよ」

―――ゆっくり、な?

そう言ってやれば、ナルトはますます目を潤ませたようだった。いったんは落ちついて、緊張で固まっていたらしいその体が、なんだかふるふると震えだす。
「サスケ……」
「じゃあそれなら、やっぱりラーメンでも食うか。俺はあんま食わねえけど、お前はちゃんと入るだろ?」
「入る、入るっていうか――や、やっぱさ、オレその、入るんじゃなくて、お前に入れさせて欲――…!」
「―――あらァ、ナルト!?ナルトじゃないの!」
そんな明るく色めいた声に呼ばれたのは、今度は彼の方だった。
買い物にでも行った帰りなのだろうか、路地の向こう側、繁華街の方から両手に大きな荷物を持ちながら、こちらへと向かって歩いてきている若い女性。ふらりと現れた彼女は、ナルトに向けあでやかな笑顔を見せている。
呼ばれたナルトが、さあっと顔色を変える。ぴゅんぴゅん振り回していた尻尾を急にしおれさせたようなその姿に、俺はぺろりと指先についた甘いタレを舐めた。

     ☆

(――い、いやああああなんでこんなトコで!?ていうかなんでこのタイミングで!?)
おーい、と呼びかけられつつ大きく振られてくる細い腕。じゃらじゃらと金のバングルが連なっているそれに、オレはひとり泣き出しそうだった。
いま!
いま絶対、かなりいいとこまでいってましたオレ!!
欲望と勇気とをごちゃまぜにしてそれをこねくり回した結果わりといい感じに仕上がりかけていたお誘いは、あと一歩というところでガラガラと崩壊した。遠くからこちらへ向け声を掛けてきているのは、一時期エロ仙人が物凄くはまって贔屓にしていた店の女の子だ。ヤッホー久しぶりィ!と気さくな様子でこちらへ向かってくる彼女に、オレは一気に血の気が引いた。夜の店では違う姿の彼女は、仕事外である今は気楽なジーンズにパーカーの姿だ。……やばい。今はやばい。なんでよりによって、わざわざサスケが一緒のこの時にこの人に出会ってしまうんだ。あっさりざっくりした格好の中、足元だけは女らしく彩られたエナメルのパンプスで、その細い踵に夜の彼女の姿を思い出す。……彼女は世に言う、イメクラの女の子だ。しかもいつも着ているのはナース服。いわゆる、ピンクナースちゃんだ。

「――サ、サスケ!」

慌てて声を掛けると、やってくる彼女にぽかんとしている様子の彼がきょとんとこちらを見た。行こう、と兎に角言うオレに、「は?」と指を舐めた彼が言う。
「行くってどこに?」
「どっ…どこか!」
「いやだって、行くとこに困ってるから今さ」
「――い、いいからとにかく行こう!先の事はまた先で考えるってば!」
ぐんと腕を掴み歩き出そうとすれば、その力にむっとなったらしいサスケは即座にオレの手を振り払った。ちょっ…どうしてさっきまであんなに素直で可愛かったのにコイツこういう場面でそうなるの!?近づいてくるピンヒールと融通の利かない恋人に、いよいよ本気で泣きたくなる。
「なんで逃げる」
低い声でサスケが言った。なんでって言われても逃げたいから逃げるんですどうしてこの人こんな時にそんな好戦的になるの!?
「―――元カノか?」
ボソ、と落とされた一言に、ぐちゃぐちゃになっていた頭が一瞬まっしろになった。……は?なに言ってんのコイツ、元カノっていやそんな――元カノ?

「ちっ…――違うってば!!」

ひと声叫ぶと、オレは今度こそ有無を云わさずその手を掴み、大股で歩き出した。すぐ脇に見える小さなシアターパネル、古ぼけたすりガラスの小さな小窓。いつかのアパートにもどこか似たそのブースの奥には、黒髪の女性が静かに座っている。
「大人二枚!」
どうやらずっと、そこからはオレ達のいざこざが見えていたらしい。急ぎ言えば、チケットブースにいる彼女は特に何か質問を重ねる事なく、手早く用意をしてくれた。その場でもぎってもらったそれを掴むと、オレは繋いだ手をそのままに、正面にあるタイル貼りのエントランスへ飛び込んだ。

     ☆

「……『料理人 ガストン・アクリオ 美食を超えたおいしい革命』……」
渡されたチケットを眺めると、シートに座ったサスケはじっくり、ゆっくり、それを読み上げた。
なにこれ、お前の知り合い?そんな皮肉をくっつけながら、まっくろな瞳は横目でオレを見る。
「お前こんなの観たかったのか」
「う…そうだってばよ」
「……へえ」
「……観たかったの!いいじゃんかオレの奢りだし!」
ん!と買ってきたポップコーンを押し付ければ、要らん、とすげなく断られた。仕方なくオレンジと白のストライプがプリントされた、その大きな丸い紙バケツをひとりで抱える。ほんのり漂う塩の香り。ああそうじゃんかこれまたトウモロコシじゃん。食べる前に気が付いてしまい、ますますがっくり肩が落ちる。
逃げるようにして飛び込んだ小さな映画館はどうやら中も本当にちいさく可愛らしいシアターだったらしく、この時間に上映がされている作品は、そのチケットにあるたったひとつだけのようだった。鑑賞にきているお客もほとんどいない。すごく年のいったおじいちゃんがひとりと、逆にとても若い、映画マニアっぽい若い男性と女性(カップルではない。個々にきている客だ)、そうしてオレ達だけである。
週末の映画館でこれって、結構ヤバイんじゃないかな。他人事ながらそんな心配をしながら、一番後ろのシートに並んで座った。その前に、一瞬、サスケがひとつ間隔を開けて座ろうとしたのを、敏感に感じ取る。ああ、しょっぱいなあ。二度目のトウモロコシはなんだか塩が効きすぎている。
映画は一時間半程の、割に短かいもののようだった。
これを観たらたぶん、本日のデートは終了だ。
「おい」
ごそ、とわずかに身じろぎをして、サスケが言った。ん?とポップコーンを抱えたオレは、前を見たまま小さく返す。
「なに」
「オレ寝てるから」
「は?」
「終わったら起こせ」
え、始まる前から!?とあんまりにもな姿勢に一瞬目が大きくなったけれど、腕組みをしたサスケはもうすっかり眠りに入る体勢を整えたようだった。
細い顎が引かれ、シートに体が沈んでいる。長いまつげはもうとっくに、閉じられたままだ。
ビ――ッ、とヒビの入ったようなブザーの音がして、上の照明がゆっくりと落ちていった。ゆるい斜め階段の座席、正面ステージを縁取るえんじの緞帳。だんだんと全部が黒ずんでいく中で、壁にある四角い避難灯だけが煌々としている。
半分ふざけているような映倫のミニドラマが終わると、やがてゆるやかに映画は始まった。料理人、ガストン・アクリオ――全然知らない人だ、料理がうまいんだろうなという事くらいはわかるのだけれど。

―――すぅ。

ほんのかすか、隣からひそやかな寝息が聴こえてきた。こいつ本当に最初から寝てるんだ?ガストンさんの人生に露ほどの興味もなく、また学ぼうとする気もないらしいその姿勢は、ある意味たいへん潔い。

―――すぅ。

寝息は、ちょっとフィジカルな感じの映像の中、最初は途切れ途切れに、やがてオレの耳が慣れてくると、静かに、たゆまなく聴こえてきた。
ガストンさんは玉葱を刻んでいる。バターを鉄のフライパンに落とし、沢山の肉と野菜とを大雑把に炒めていく。


―――すぅ。


あのさあ、サスケ。
返事を期待しなくていい気楽さに、オレはゆっくり考えた。
今日さ、オレな、ものすごく早くに目が覚めて。なんでかっていったら、たぶん昨日の夜、早く寝すぎたせいでもあるんだけど。だって早く寝たほうが、早く明日になるじゃん?昔遠足の前の日の晩には、必ず母ちゃんからそうやって言われてて。
そんでさ、起きたらもう、朝からめちゃくちゃ何にでもやる気が出ちゃうわけ。血が踊るってああいうのをいうのかな、ちょっと違う気もするけど。でもとにかく、じっとなんかしてらんなくてな?思わず珍しく、長門さんの手伝いなんか買って出ちゃったりなんかして。


―――すぅ。


で、さあ。あんまり早々起きちゃったから、つい病院まで行っちゃってさ。いや、最初バス停で待ち合わせって聞いた時から、本当はもう上までお前迎えに行っちゃおうってこっそり決めてたんだけど。だってあの白衣、ちょう格好良いじゃんか。あれすごくオレ好きだな、ちょっとあの、裾がばさーってなるのもイイなって思うし。でもあの、白いユニフォームもかなりいいと思う。っていうか、あっち見た時、ぶっちゃけ顔云々よりお前まじ足長ぇなって最初思ったってば。細いよなあ脚。走るのも速いしさ。


―――すぅ。


公園でさ、とうきび食べたじゃん?おいしいって言ってたけど、あれって本当は、サスケあんまりトウモロコシ好きじゃなかったんじゃないかな。だってすごくゆっくり食べてたし、殆どオレにくれたし。時々さ、お前ってば変に気を遣ってくれる時があるよな。そういうとこ、すごく好きなんだけど。でもだいたい後でオレ気が付いちゃうし、そういう時ってなんか、すっごくもどかしくなっちゃうわけ。
(…ああっ!)ていう、感じっていうか。だからさ、あんま変に、気を遣わないで欲しいんだよな。でもすごく好きなんだけど。そういうの、うれしいなって思うんだけど。


―――すぅ。


あとな。病院の人達に、お前いっつもあんな感じなの?もうちょい壁無くしてもいいんじゃないかな、あれじゃお前が困ってても、周りが手を出しにくいってば。でもさ、付き合ってるんですってのは言えなくてもさ、ただの友達じゃなくて、かなりの友達だって言ってくれたじゃん?あれはさ、うれしかったよな。オレも今度からお前のこと誰かに紹介する時、そうやって言う事にする。ちょっと流行らせたいよな。その言葉、チーム内でくらいならスタンダードに出来るだろうか。
……本当は。もうすぐにでも、友達以上の事もっとしたいんだ。
でもさ、お前、今結構ぎりぎりでがんばってるもんな?
今日だって忙しそうにしてる中、やっと出てこれたみたいだったし――それでもオレに会いたいって言ってくれたんだから。それだけでもう、じゅうぶんだと思わなきゃいけないよな。ああそうだ、この前言われた五月の連休はさ、オレ最初から最後までお前といるから。ちゃんとなんにも予定入れず、休み取ってあるから。
ゆっくりで、いいんだよな?
ゆっくり、ゆっくり――焦らなくてもこの先全部で、仲良くなっていけばいいか。


かくん、とサスケの顎が落ちる。いよいよ眠りが深くなってきたのか、ぐらりとその頭が大きく傾いだ。おっと!と慌ててそれを抑える。起きる気配のない彼を背凭れに直すと、一瞬だけうすく開かれた目がオレを見て、そうしてから寝ぼけた小声が何かもにょもにょと言った。よくわからないけれど、ん、とひとまず小声で返す。そうすればなにやら納得した様子のサスケが、ゆっくりとオレの肩に頭を預けてきた。
―――すぅ。―――すぅ。寝息は途切れない。
ああ、これ、できたら毎日聴きたいな。メトロノームみたいに正確なそれに、なんだか切実にそう思う。

     ☆

「――やっぱり!ねェハヤテ、やっぱあれ木の葉荘にいた時のあの人だよ、立会いしてくれた管理人さん!」
かたかたいう映写機の横、チケットブースから抜け出して来た妻は、どういう訳かやけに興奮気味だった。暗闇の中、ぽっかりと切り取られた灯りのある映写室。都内にある映画の配給会社での丁稚奉公を終え、両親がその先代である祖父母から受け継いだこのミニシアターをオレが継いでから、もう五年程になる。
満員の通勤電車に揺られ、近未来的なデザインのオフィスで分刻みの仕事に追われていた時と違い、今のオレの職場はほぼ一日この映写室の中だ。マニアックなものばかり集めては流しているうちのシアターは、実際あんまり儲かっていない。でも逆に根強い固定客がいるのも確かで、なんとなく儲からないなりにでも、やっていけている。
「あー、そっか、やっぱあの人、102号室の人とくっついたんだね。ハヤテの勝ちだなあ」
仲良く肩を寄せ合う後ろ姿に、ちょっと残念そうに妻は言う。私は208のはたけさん推しだったんだけどなあ。そんな事まで、勝手に言う。
うちの奥さんはどういう訳か、オレが東京で暮らしている頃から、その黒髪の彼の話を聞くのが好きだった。
格好良いから?と最初ちょっと妬いたりもしたのだけれど、どうもそういう事でもないらしい。純粋に、興味があったのだそうだ。その当時、オレの隣人で、大家で、アパートの管理人でもあったその青年が、どこに落ち着くのかが。
「102の金髪君はさ、こっちに来てたの知ってたけど。でもあの彼もいるとはね。東京から遊びに来てるだけなのかな」
うーん、と窓からそのふたりを観察しつつ、妻はまだ考えているようだった。長い髪がさらさらと揺れている。夕顔はオレの幼馴染だ。小さい頃からずっと、いつかこうして一緒にここで、人気のない映画を流しながら暮らしていくのが、オレの夢だった。
地味な夢だと、自分でも思う。でもわりに幸せだ。というか、本当はだいぶ幸せだ。

「――…あ、起きた」
 
じっと窓からふたりを見ていた妻が、ふいに声をあげた。
言われてオレも、ついそちらを見る。あんまりよくないよ、こういうことするのは。そんな風に窘めつつも、映画の終盤にようやく目を覚ましたらしい黒髪の青年を、久々な思いでしみじみ見る。
ぼおっとした感じで目を覚ました彼は、一度辺りをゆるりと、確かめるように見渡したようだった。
隣にいる金髪君が、何かを囁く。髪の隙間からのぞく白い耳に、そのちょっと厚めのくちびるがそっと寄せられるのを遠くに見る。
吹き込まれた言葉に、なにやら彼は満足したらしかった。 
にやっと笑いつつもまだ半分寝ぼけているようなその鼻先に、金髪君がちいさく、人の目を盗むキスを、かすめるようにしてひとつ落とすのが見える。

「あー、もう、さすがだなあ。ああいうのってたぶん、天性のものなんだよね。わかっててやるとただのあざとさになっちゃうし」

うっとりまた肩に凭れ眠りを再開した彼に、妻はどこか羨ましげに言った。イケカンっぷりは健在だったねえ、という溜め息に、呆れつつもオレは笑う。
「イケてる管理人?」
「ちがうでしょ、『イケナイ管理人』さん!」
また来るかなあ、あのふたり。そんなことを言いつつ、妻は笑う。来て欲しいけど、あんまり来られるとチケットブースが空になりすぎるから、ちょっと困るかな。嬉しそうな妻にそうは思ったけれど、オレも笑って「そうだねえ」と言った。

     ☆

「――遅い…!」
何度目かのその発言に、ひやりとしながらオレはベンチで身を縮こまらせた。監督であり恩師でもあるその人は、もうずっとイライラとリンクの出入り口を睨んでいる。時計の針はもう、五時五分前だった。やばいよナルト、先生こういうの絶対ダメだって知ってるでしょ…!?頼んだオレとしても、妙な事になってしまうのは出来るだけやめてほしいところだ。
「ああーっ、すんませんした長門さん、思ったより遅くなっちまって…!」
ギリギリに滑り込んできた彼は余程慌ててきたのか、真っ赤な顔で開口一番にそう言った。ぎろりと睨んでくる監督に下げる頭も忙しない。それでもきちんと整っているらしい支度に、眺めていたオレもホッとした。よかった、これで間に合わなかったら、この先もしも彼がその彼女と結婚となった時色々面倒になるところだった。自来也先生は今や彼の親代わりのようなものだ。そこで嫌われてしまうのは絶対に避けたいところ。
「ほんとすんません、なんかあいつ、ちょっと休んだらだいぶよくなったからって、また深夜勤の代打とか引き受けちまって」
このまま行くからちょっと家寄って欲しいって言われてそうしてたらここに着くのが予定より遅くなっちゃって。そうやってつらつら言い訳を並べる口に、苦笑しつつオレは見遣った。
なんだかばたばたのようだけれど、でも楽しかったのだろう。だって「まったくもう、しっかり休めばいいのに無理ばっかして」なんて言いつつも、口元は完全に緩みきっている。
「え、なんだじゃあお泊りできないじゃない」
「いいんですってば、それはもう」
「いいの?」
「うん、ていうかホント、彼女じゃないし!言ってませんでしたっけ、あいつれっきとした男ですってばよ?見てもらったら絶対わかりますって、ただなんていうか、かなりの友達なだけで!」
ふうん?と首をかしげつつもその支度を続ける横顔を眺めていると、やがてぱっとその顔が上がり、全力の笑顔になった。ここ、ここ!とばかりにぶんぶん手を振り回す彼に、周りの視線が一瞬集まる。
――青い視線の先、アリーナの観客席に現れたのは、びしっとしたスラックスにワイシャツ、そこにアリーナの寒さを考えてなのか、黒のロングコートを羽織った背の高い青年だった。
無造作に流れる黒髪、抜けるように白い肌。そうして銀縁の眼鏡をかけたその顔が、おそろしく整っている。
颯爽とした足取りで入ってきた彼は席の前まで来ると、白く輝くリンクをゆっくりと見渡し、そうしてからちらりと、ぴょんぴょん跳ねているその金髪頭に顔を向けた。


「――サスケェ!」


『ピィーッ!』
ひと声張り上げられたその名前に、タイミングを測ったかのように、整列のホイッスルが鳴らされた。つい止まってしまっていた息がはたとして戻る。
……え、いやまさか。まさかあれ?あれが友達なの?
揃ったメンバー全員が同じ思いに混乱する中、集まった視線の先にいる彼は青い瞳からの視線をその目に捉えると、ゆったりと頬をゆるませた。
眼鏡の奥、すずしげな漆黒の眼差しが、ほんの一瞬だけそっとあまく、細くなる。

(な、なんかナルト、凄いの連れてきたな……!)

全員がそう思う中、突然現れたその青年は整った口元にわずかな笑みを浮かべたまま、実に堂々とした仕草でベンチに腰掛けた。
ひとりだけはしゃぐ金髪頭の髪の上に、アイスアリーナの強い照明が、祝福するようにちかちかと跳ねていた。



【end】
隣人~Golden!!!!!の間のお話、オフで発行した「隣人争奪戦」の再録本におまけとしてお付けした小品でした。発行当時は隣人にあわせ上・下の2冊に分けていて、それぞれ北村さん(https://www.pixiv.net/users/549626)、しろえのぐさん(https://www.pixiv.net/users/10394223)に描いていただきました。んもう、本当にお二方とも最高のNSを描いてくださって…漠然としたリクエストしかできなかった私に「こ・これです…!!」というものを仕上げてくださり、えっなんですか神…??!とか思ったのでした。(というか同じ事をしろきちさんやいきちさんにも思った、絵師さまというのはすごい…)

北海道は私自身も学生時代の思い出が詰まった場所なのですが、暮らしていたわけではないのできっと実際のところは色々と違うんだろうな…と思いつつ、でも夢を馳せながらいつも書いているのでとても楽しいです。
ハヤテと夕顔の夫妻のその後のエピソード(とイケ管の回収)はサイトで本編を連載している時からどこかで書く予定でしたが、加えて暗号部のシホちゃんはひっそりと応援しているキャラで書く機会を狙っていたので、ここで書けたのは幸せでした。久々に読み返しながら病院の他の人達からイメクラの女性まで、このシリーズはNS以外の人達も全部書くのが楽しいのでやはりやめられないな~と思います。