【3-2】Grind

くそ、面倒くせぇなあ。
最後にくどくど付け足した男性教諭の声を思い出せば、湧き上がるのは億劫さばかりだった。出席日数が既にぎりぎりになってしまっているオレは、留年を免れるには最早三学期は一日たりとも休めないらしい。
皆と一緒になんて言われようと、そもそもがそこまで同級生達に思い入れが深いわけでもないし、勉強に関しては休んでいる間の範囲は自習と個人指導(元大学生であるうちは珈琲店の現店主は、控え目に言ってもちょっと人並み外れて優秀な学生だった)ほぼカバーできてしまっていた。
復学しても遅れをとっている事はたぶん無いと思うが、しかしこうなってみると別に学校に行かなくても大概が事足りてしまうのではという気がしてくる。あんな所で呑気に教科書を広げ、クラスメイトや担任のしょうもないお喋りを聞いている位なら、家で自学しつつ店の手伝いをしていた方がずっといいのではないだろうか。
朝昼の忙しい時間帯はやはり兄ひとりでは回すのが大変だし――だいたいが学校に行って進学したところで、最終的な進路はもう決めているのだ。こんな状況なのだから、わざわざ金をかけてまで遠回りせずとも、このまま店に入ってしまえば万事が丸く収まるのに。
(まったく、あのメガネめ。せっかくうまく隠せていたのに)
こっぴどく叱られた一昨日の事を思い出せば、また苛々と不満が燻るのを感じた。なよなよしているくせに、腕だけは妙に確かでいやがって。状況をいともたやすく見破った眼科医へのそんな八つ当たりを、アスファルトを蹴るスニーカーの足先にぶつける。
視力がやや回復してきているのに気が付いたのは、自分でもつい先日の事だ。家の中で優雅に歩き回る黒猫の姿を追っている時、いやに視界が開けた感じがしたのだった。
黙っていたのは、自分でも事実かただの勘違いかが判断つかなかったのが半分、もう半分はこのまま見えなければ自動的に高校をやめてそのまま店に入れるのではという、浅はかな考えからだった。けれどその考えごと、兄には酷く不愉快なものだったらしいけれど。
『オレを理由に使うな、サスケ。お前はただ単に、早道で自分の希望を叶えたいだけだろう?』
言い合いの果てぐさりと言われた言葉は確かに否定できなかったが、けれど兄をなんとかしてやりたいというのも、実際のところ嘘偽りない気持ちだった。
むしろオレが学校に行くならば、兄にこそ復学して貰いたい。短い昼休憩の間、奥のスタッフルームで兄がいつも読んでいるのはスマートフォンにダウンロードされた全面英語のテキストだ。一見ただのネットニュースを読んでいるように見せかけているそれが、実際は海外の考古学研究室からインターネットを通じ発表されている研究論文である事に、オレはこっそり気が付いている。
(今からでも、店さえなんとかなれば)
楽し気なジングルベルが流れる商店街のざわめきの中、またオレは思った。兄が大学を辞め店を継いだのは勿論生計を立てるためでもあるが、一番はオレが一人前になるまでお客と味を引き継ぐためだ。
兄の言うことは常に正論だとは思ったが、それでも弟の夢を叶えようとする為にすんなり自分の夢を諦めてしまうその行動だけは、どうしても納得いかなかった。
だったらオレの方だって何かを犠牲にするべきだ、兄がそう思うように弟の自分だってそう思うことの、いったい何が悪いのか。
(……さぼっちまうかな、いっそ)
行ったと言って、そのまま猫さわって店に戻るか。
ちらと思いついてみれば、やり方としては邪道ではあるが、なかなかに悪くないプランのように思えた。まあまた酷く叱られるのは間違いないだろうけれど、しかし無理やりにでも実行してしまえば、あとはもうどうにでもなるような気がする。
なんだかんだ言いつつも兄さんはオレに甘いし――リハビリだと言い張って病院からの退院後に店の手伝いに入った時も、最初は渋っていたけれど結局は受け入れてくれたし。まあそれも担任からの連絡があるまでだったけれど、それでもさすがに留年となれば、仕方ないなと言いつつオレが学校をやめ店に入るのも了承してくれるかも。
考えつつ歩く頭の上で、商店街のアーケードがようやく途切れた。夕方の冬空はすでに夜の始まりを告げている。
明るすぎる地上に星が見えないそれを仰ぐと、オレは(よし、決めた)とばかりに駅前の三叉路で家の方へと足を向けた。本当はここを右に行けば高校だ。しかしまあこんなにもやる気のない人間が行ったところできっと意味なんかないだろう、クロだってオレが突然帰ったら、にゃあにゃあ喜ぶというもの――

「あれぇ、サスケくん?サスケくんじゃない!」

つらつらとそんな言い訳を考えつつ、ボイコットを画策していたところ、いきなり聞き覚えのある声に呼び止められた。明るく弾む声の急襲にぎくりと肩が弾んでしまう。
「……山中?」
久々に聴く声につい返事をしてしまったが、状況を思い出した瞬間(しまった)と思った。よりによって、こいつにこんなところで。呼びかけの主に思わず舌打ちが出そうになったが、止めてしまった足に仕方なく振り返る。
駅の大きな柱の前に折り畳み式の会議机を出し、おーいと嬉し気に手を振っていたのは、近所に住む幼馴染のひとりだった。張り出されたポスターに躍る郵便マークと年賀状の文字、幟を立てたテーブルには山積みの官製葉書。どうやらバイト中らしい彼女は、真っ赤なペンチコートを羽織っている。
「えっ、サスケ!?」
どうやら机の下に置いてある荷の整理をしていたらしい。
続いてあがったのは、今朝も聴いたばかりの声だった。ぱっと急ぎ立ち上がろうとしたところ、机の裏に頭でも打ったらしい。がたん、とハガキの乗った会議机が不自然に揺れたかと思うと、「痛ってぇ…!」という籠った呻きが聴こえる。
「ちょっと、大丈夫?」
荷崩れを起こしかけた葉書の山を慌てて抑えつつ、机の下にいる人物に声をかけた山中は、心配してというよりも大袈裟な程のそのリアクションに驚いたようだった。「だ、だいじょぶだいじょぶ、ゴメン上のやつ落ちてない?」と我が身より商品の心配をしつつ、大柄な体が立ち上がる。
どうやら打ったのは後頭部だったのだろう、金髪頭を撫でつつ身体を起こしたのは、他でもないその黒猫の本来の飼い主だった。会社からの支給品なのだろう、目に鮮やかな郵便マーク入りの真っ赤なブルゾンに、こちらは自前のものなのか、暖かそうな白いマフラーを首元にぐるぐる巻いている。
「わ、ホントだサスケだ……!どしたんだってばこんな時間に、か」
買い物かなんか?とでも続けようとしたのだろうか。嬉しげに顔を上げたところで、ようやくヤツは同じ黒ずくめでもオレが普段と違うのに気が付いたらしかった。人の行き来が増えてきた夕方の駅構内、空色の瞳がまるで新種の生き物でも発見したかのように、ぱちくりと目を見張っている。
「すごい、その恰好久しぶりだねぇ!」
「……」
「なになに、今から学校?」
制服姿のオレにすぐに察しがついたのか、立ち尽くしたナルトを余所に山中は葉書の山を乗り越えんとばかりに身を乗り出してきた。今日終業式だったんだよ、なにか取りに行くの?ぽんぽんと飛び出す言葉にやや気後れしつつ、「まあな、そんなとこ」と適当に言う。
「事務室にちょっと用がさ」
「あ、そうなんだ」
「…お前は」
「ああ、もちろん見ての通りのバイトよ。うちよりこっちの方が割よくて」
パパだといつまで経ってもお駄賃レベルで、と鼻にシワを寄せる山中は、そう言ってはくしゃりと笑って赤いベンチコートの袖口を引っ張った。山中は商店街にある花屋の一人娘だ。そうはいいつつも、週末にはよく店の軒先で大きなバケツやよく茂った植木を抱えてはてきぱきと動いているのをよく見かける。
「年末年始だけの短期だけどねー」
「…そうか」
「イブや大晦日元日はウチの方の手伝いあるから言うほどは入れないし、――っていうかいつまでそんな顔してんのうずまきサン、喉乾かない?」
頭ふたつは上にあるその碧眼を見上げ遠慮なく指摘してくる女子高生に、ようやく意識が戻ったらしい。はたとした様子のナルトはぱちんとひとつまばたきをすると、慌ててずっと開いたままになっていた口を閉じた。
真冬の乾燥と行き交う人々のたてる埃、しかし一番は間の抜けてしまった自分自身へのフォローだろう。少し赤くなった顔がひとつふたつ咳払いをする。
「サスケ君と知り合い?」
「へっ?ああ、まあ…」
「お店で?あ、そっか郵便局サスケ君ちの目の前だもんね」
「……ん、オレってば毎朝サスケんちで朝メシ食ってから、仕事いくようにしてて」
いやー…なんかサスケってば、ホントに高校生だったんだなあって。
ようやく動き出した口でしみじみ言われれば、それもまた微妙にカチンとくる発言なのだった。こいつマジでオレをムカつかせる事にかけちゃ天才だな。「ヘヘヘ」と眉を下げる顔に、内心で思う。
「同じような黒い恰好でも、制服によって全然印象違うんだな」
「はあ?」
「いや、やっぱ学生サンが学生の恰好してると――なんか、しっくりくんなァって。バイト来る時のいのちゃんもそうだけどさ、なんつーか、ああやっぱ若いんだなあって」
「なにそれ、セクハラ?」
いまひとつはっきりしない言い方で頭を掻くナルトに、横で聞いていた山中が突然びしりと言った。エッ!?と赤いブルゾンの肩がビクリとする。うそうそ、冗談よとニヤッとする山中に、緊張した金の眉が安心したかのように、ふにゃっと落ちた。コントのお約束のような空気に呆れた溜息が出る。なんなんだこいつは、ここでも年下にいいようにされてんのか。
「ねえねえ、それよりもしかして事務室に用事って復学の手続き?三学期から?」
年上の大男を揶揄うよりは、興味があったのだろうか。ぱっとポニーテールを跳ねさせこちらを向いた山中は、期待に満ちた瞳で尋ねてきた。「うん」とも「ううん」とも即座には答えられなかったけれど、じっと期待を込め見詰めてくる瞳に気圧され、なんとなく有耶無耶な感じに顎を引いてしまう。
山中にはそれが肯定と映ったらしかった。
寒空の下赤味を増した頬が、ぱっと笑みに盛り上がる。
「……そっかァ、よかった!」
雑踏にも紛れない明るい声に、誤魔化しが失敗したオレは内心で溜息をついた。くそ、ツイてない。こいつに会わなければボイコットも成功していたかもしれないのに。
(いや、待て)
オレは思った。しかし諦めるには早すぎるだろう、まだこの山中ひとりにしか会ってないのだし。幸い今日からもう学校は冬休みだ、こいつひとりだけなら三学期になってオレが学校に現れなくても、不審がられはするだろうけど適当に――…
「ちょうど良かった、明日ね、クラスで集まる事があるの」
華やかさをいっそう増した声で、山中は言った。
「明日クリスマスイブじゃない?集まりたい子達でカラオケのパーティルーム借りてて。シカマルやチョウジなんかも来るしさ、皆に復学の事伝えとくね!いっそサスケ君も来る?」
望みは潰えた。

「――…あのぅ、」

いよいよ退路を断たれた会話(といっても圧倒的に山中ばかりが喋っているものではあったが)にやや沈んだ気分で力なく首を横に振ると、横でずっと黙ったままだったナルトが、突如やや声を焦らせ入ってきた。
それってばつまり、年明けからサスケ、店にいないってこと?
ワンテンポずれて出た発言に、思わずそのぽかんとした青い目を見上げる。
「オレは?」
「あ?」
「……オレのコーヒー、どうしたらいいんだってば?」
尋ねながらも奇妙な緊張をのせた碧眼は、机越しに立つオレをじいっと見詰めると、真っ先にそれを訊いた。え?と山中が小さく聞き返す声が、街に流れる商店街のジングルベルにかき消される。
「オレのコーヒーって、サスケ君いなくても大丈夫でしょう?お兄さんがいるじゃない」
事情を知らない山中からすれば、ナルトのその質問は確かに妙なものだったのだろう。不思議そうに傾げられた小首に、豊かに垂れたポニーテールが揺れた。

「ごめんなさい、ちょっとよろしいかしら」

電車から降りてきたところなのだろうか。一瞬話が止んだ場にするりと入り込んできた声は、改札を抜けて出てきたばかりの和服姿の老婦人から出たものだった。どちらへ話し掛けるべきか迷ったけれど、結局社員に訊いた方が確実だと判断したのだろう。急ぎぱっと口を結んでは慌てて姿勢を正す赤いふたりに少し可笑しそうな視線をやると、老婦人は優雅な仕草で金髪の大男の方へと顔を向ける。
「こちらの印刷用のものは、出ている分だけで終わり?」
「え?ああいや、局に行けばまだ在庫はありますが」
「仕事でね、ちょっと纏めた数が欲しいのだけれど。ここではちょっと無理かしら」
「そう、ですね……」
なんとなく煮え切らない様子で考えていたナルトは、ちなみに、何枚ほどご入用ですか?などと老婦人に確かめてみたようだった。答えられたのは確かに一般家庭ではちょっとない枚数の注文だ。いえね、少し個人で、習い事のお教室をいくつかやっていて。そちらで使うのだというふうに、老婦人は説明する。
「……ご住所教えていただけたら、オレが明日にでも届けに行きますけど」
最初ナルトは、遠慮がちにそう言った。しかし老婦人は出来るだけ早く欲しいのだという。元日に届けてもらうには、明後日のクリスマスイブまでには投函しなきゃでしょう?年のわりには色っぽさを残すおちょぼ口は、おっとりとそう急かす。
「やっぱり窓口まで行かなければ駄目かしら。できたら今在庫を取ってきていただけると、一番助かるんだけど」
ごめんなさいね、時間はあるのだけれど。そう言ってはゆるやかな苦笑いを浮かべる老婦人に、一瞬なにか答えかけたナルトだったが悩むようにまた口を閉じた。
なにをこいつはさっきからぐずぐずやってるんだ?別にものすごい距離があるわけじゃなし。
さっさと局の場所案内してやればいいじゃねえかと、いやに迷っている様子に訝しんでいると、そんなオレに山中がさり気なく耳打ちをしてくる。
「……ノルマをね、気にしてんのよ」
小声で告げられた普段は聞かない単語に、いつだったか店で常連客とナルトがそんな話をしていたのを思い出した。詳しくは知らないが、郵便局員の中で年賀状の販売数にノルマがあるというのは、世間では割に有名な話らしい。あの時もナルトは、その話を否定していなかったし。
「局に行かれちゃったら、自分の売り上げにはカウントできなくなっちゃうから。持ってきてもらうにも今みんな忙しくて、すぐに出てこれる人なんていないし」
「じゃあ早いとこひとっ走り行って取ってくりゃいいだろうが。全力で走ればあそこまで五分だろ、待ってるって言ってくれてんだし」
「ここ私ひとりにできないのよ、現金あるから。そういう決まりで」
早口でひそひそ告げられてくる内輪の事情に、ふうんと納得した。なるほど。確かに現金や商品と一緒にアルバイトの女子高生を雑踏のなか一人きりにしておくのは、色々な意味で危険があるのかもしれない。
「うずまきサン、今年こっち異動してきたばかりだから。ノルマ全然なんだって、ちょっと困ってたみたい」
やけに詳しい山中に「お前なんでそんな事まで知ってんだ」と尋ねると、ひそめた眉が更にあたりを憚るかのようにぎゅっと真ん中に寄った。だって事務所の壁に成績表が張り出されてるし、あと朝会の時、目標達成できてない人は皆の前で怒られちゃうんだって。どうやら同じバイト仲間から聞いたらしいそんな話まで、こっそり打ち明けてくる。
へェ…のんきそうに見えても、実際はそうでもないのか。
数か月前、ランチを届けに行った際に見た雑然としていても比較的クリーンな印象だった仕事場を思い出しつつ、オレはそんな事を思った。郵便屋なんて、うちのような喫茶店とは違いそうそうお客に困るような仕事でもないと思っていたのだが。ていうかこいつ、そんな困ってんのに店では全然そんな事言わなかったじゃねえか。ちっとくらいぼやきでもすれば、常連連中やオレらだって少しは助けになってやれたかもしれないのに。
(……いや待て、年賀状?)
そこまで考えたところで、はたと気が付いた。もしかしてこいつ、店で営業しなかったのってオレや兄さんに遠慮していたからなのか?
今年うちは、『おめでとう』を言わないから――言えない、から。
まさかそれに遠慮して退いていたのだろうか。いやまあ、あくまで可能性の一つであるというだけの話だが。
確定ではないし、単にこいつが営業下手であるというだけである確率だって高いのだけれど……しかしまあ、それを差し引いたとしても、ナルトが今なかなかに困った状態にあるのは事実なのだろう。

「――おい」

短く呼べば、何か方法はないかとそれでもまだ迷っているらしいナルトは「ん?」とオレに向いた。
それ脱げ、と端的に伝えると、意味がわからなかったのか「は?」と空色の瞳が、パチクリとする。
「え、脱げって――な、なに靴?ズボン?」
「馬鹿じゃねえのかンなもん脱いでどうすんだ、その赤いやつだ、郵便マーク入ってるの」
「へ?」
早く、と急かすと、訳が分からないながらもナルトはごそごそと着ていた真っ赤なブルゾンを脱いだ。中から現れたのはいつものモスグリーンのカーディガンにワイシャツだ。十二月の夕暮れには心許なさすぎる装備だが、これからこいつがする事を考えればちょうどいいだろう。
「十分間だけだ。それ以上は居られねえからな、死ぬ気で戻ってこいよ」
お前の替え玉やってやる、と言いつつぽかんとするその手に持ったブルゾンを奪いそのまま羽織ればと、今しがたまで目の前にいる大男の肩を包んでいたそれは、ナルトの体温をそのまま残しているようだった。
おお、見た目よりかなりあったかいなこれ。中の綿までぬくぬくとしたナイロンの裏地に、冷えていた身体がほぅと緩む。
「えええ……ま、まずいってばソレ、サスケ社員じゃねえし、ましてやうちのバイトでもねえじゃん!」
要領を得ない顔でいたナルトだったが、ぶかぶかの真っ赤なブルゾンを着たオレに、ようやく頭が追いついたらしい。ハッとしたナルトはにわかに泡を喰った様子で、おろおろとそんな事を言い出した。
弱り切った眉が「ヤバイって」と、眉間にしわを寄せる。しかし構わず「うるせえ、山中一人で置いとく方がなんかあった時困ンだろ」と言い捨てると、オレはぐっとその顔を睨みつけた。ルール違反にだって序列というものがあるのだ。
「そん代わりだ。お前正月明けたら、うちに来る時間もう十五分早めろ」
きっぱり言い渡すと、ナルトはまたもや「へ?」と口を開け動きを止めた。
「できるな?」
「は?いやっ――で、できるけど」
「遅れてくんじゃねえぞ、七時半にはオレ店出るからな」
ずけずけと一方的に言いつけても、ナルトは依然呆気にとられたままでいるようだった。またもや閉じるのを忘れてしまっているらしい唇がなんだか間抜けだ。
ふいにその顔になにか悪戯でも仕掛けてやりたい気にもなったが、代わりにオレは大きなブルゾンのポケットに手を突っ込むと、ニヤリとその顔に向け口の端を上げてみせた。
ぽっかり開いた空色に、ここぞとばかりに「バーカ」と気分よく言ってやる。甘いんだよオッサンが、てめえにゃ兄さんのコーヒーはまだ早い。

「――このオレがそう簡単に、許すとでも思ったのか?」

わかったらとっとと走れ、練習台。
その言葉に、どこか呆けたようになっていたその顔がぱちんと目が覚めたようだった。いきなりスイッチが入ったかのように頭の先までもがぶるっとひとつ武者震いをみせたかと思うと(しかしこれはよく考えたら、単に上着を取られ寒かっただけかもしれない)弾かれたかのようにその身体が動き出す。
「ごっ――ごめんじゃあオレちょっと行ってくる!すぐ戻るから!」
息を白くする間もない位の早口でそう言うと、ナルトは急ぎ机の上にあった付箋にメモを書き、ちぎり取るようにしてそれを握るとすぐさま会議机から抜け出した。そのままダッシュで行きかけたところで一瞬ハッと気が付いたように足を止め、「…すんませんこのままお待ちくださいってば!」とやはり呆気にとられた様子で成り行きを見守っていた老婦人に一言だけ残すと、いよいよその身軽になった長身が、商店街の果てを目指し走りだす。
買い物客で人の増えた夕方の商店街、クリスマスカラーで彩られたそこに明るい金髪とモスグリーンのシルエットは、なんだか妙に溶け込んでいるようだった。
一大事とばかりにすっ飛んでいく背中は、みるみるうちに小さくなっていく。
「……意外と足速ェな、あいつ」
想像していたよりもだいぶ俊敏だった動きに、図らずも感心させられオレはぽつりと呟いた。
あ、なんか昔、陸上やってたとか言ってたよ。同じく商店街の彼方にずっと目をやっていた山中からの、そんな初聞きな情報に、ほんの少しだけ(へえ)と思う。そうだったのか。
「さっき暇で部活の話になった時、高校で陸上部だったって言ってたから」
「ふーん」
「っていうか、ホントに仲良かったんだねサスケ君。うずまきサンてただのお客さんとかじゃないんだ?」
びっくりしちゃった、などと急転した状況に呆然としていたらしい山中が、ようやく笑って言った。
練習台って、何のこと?自然な流れでそんな事も訊かれたが、有耶無耶のまま口を噤みオレは会議机の向こう側へと回る。ナルトがさっきまでいたところへとりあえずきちんと収まってみると、なんとなくブルゾンの背中がまっすぐになった。タイミングを見計らったかのように老婦人の携帯電話が鳴る。
「あらちょっと、ごめんなさい?」
ゆったりと断って、老婦人はオレ達から少し離れた。
「…いい人だよねえ、うずまきサン。このバイトってだいたい社員の誰かと二人きりで作業することが多いんだけど、一番あの人が一生懸命バイトに気を遣って話しかけてくれるんだよ。最初から最後まで、二時間ずうっとひと言も喋らない社員サンとかも中にはいるのに」
昔から喋り好きなやつだけれど、お客の前では弁えていたのだろう。残されたその場で、ブルゾンを着たオレが横にきても静かに黙っていた山中だったけれど、携帯電話に呼び出されたらしい老婦人が少し離れたところで背中を丸くさせ電話に出たのをみとめると、おもむろにそんなことを言い出した。
まあでもあんまネタは持ってないみたいで、同じ話を二回振ってきたりとかも結構あるんだけどね。
褒めておきながらもしかし最後にはそんなおまけをつけて、山中は可笑しそうに肩をすくめる。
「いい人なんだけど、押しがもうひとつなのよね」
「?…そうか?」
「そうよ、なんでもかんでも『いいってばよ』で受け入れちゃうし、怒らないし。あれじゃ彼女も出来ないわけだわ、絶対いつも『いい人』止まりで終わっちゃうタイプね」
ひとりうむうむと納得している様子の山中に(いやあいつそんな押し弱いばかりでもねえだろ、だいたいがバツイチだし)とこれまでの件から反論しかけたオレだけれど、ふと思い止まるとひっそりと口を噤んだ。
考えてみればオレがわざわざそんなこと訂正するのも妙な話だ。あいつとすごく仲がいいと思われても面白くないし。
「――…あーけどなんか、安心した!サスケ君また学校戻ってくれて」
電話を掛けている老婦人の、話し込む横顔にしばらく戻って来ない気配を察したのだろうか。気を緩ませた様子の山中は、やがてそんな事をまた言い出した。冷えた空気の中、じっくり吐いた溜息が白く煙る。いやまだ実際戻ったわけじゃねえけど。ちらとそんな事を内心でつっこんだ矢先、「正直ね、このままサスケ君、学校辞めちゃうつもりなんじゃないかと思ってて」とほのかな苦笑いに先を越される。
「学校お休みしてるけどお店の方は手伝ってるって聞いてたし。先月くらいかな?一回ね、前通りかかった時に私ガラス越しに中覗いてみたの。そうしたら、なんだかすごくお兄さんと楽しそうにしてて」
「……」
「目の方も、あんまり具合良くないままだって聞いてたから――このまま学校辞めて、お店手伝おうとしてるのかなって。サスケ君お店継ぐのが夢だって、昔からずっと言ってたもんね」
憶えてるよー、小学校の時の『カクメイセンゲン』。
薄く色付いた唇を横にひくようにして笑いながら、ニッと白い歯を見せて山中は言った。見事なまでのその通りな読みにぐうの音も出ない。山中は昔から、なにげに勘がいい。
「……またその話か」
これまでにも何度も蒸し返されてきた話題に舌打ちで返すと、これまたいつものように、勝気な瞳は昔を惜しむかのように細められた。
どうして、恥ずかしがることないじゃない。
ふふふと意味深に微笑みながらそう告げる顔に、ふと以前にはなかった薄い化粧が施されているのに気が付く。こいつ化粧なんてするようになったのか、さっきからやけに目がでかく見えるのはそのせいなのかもしれない。
「……お前ら毎回毎回、事あるごとにそれ持ち出すのいい加減やめろ」
「だってあまりに衝撃的だったんだもの、しょうがないじゃない。まさか喫茶店の話からあんな世界史みたいな話題がでるなんて、誰も――」
「すみません、ゆうびんやさん。まだやってますか?」
再びの来客にぱっと話をやめると、机の前で緊張した面持ちで立っていたのは明るいピンクのジャンパーを着こんだ、毛糸帽の小さな女の子だった。小学校にはまだ上がってないくらいだろうか、どきどきした様子で捧げ持っているのは、首から紐で下げた状態で持ってきたらしいビニール製の小さなポーチだ。
「あ、ごめんねやってます!いらっしゃいませ」
普段から店の手伝いで慣れているのもあるのだろう、舌足らずな訪いにも山中は動じず、すぐに笑顔になった。
「うらのしろいねんがじょう、ごまいください」
家で覚えてきたらしいセリフを生真面目な様子で再現する少女にこっくりと頷いてみせると、小さなお客にもよく見えるようにと、サンプルが張られたラミネートシートを前に出す。
「五枚ね。たくさん種類があるんだけど、どれかわかる?」
「わかる、きってがクマさんのやつ」
クマさんね、じゃあ二百五十円です、とサンプルをみせながら逐一確認しては応対を始めた山中に、ちらりとオレは駅の時計を見た。四時十三分。視界の端に、電話が終わったらしい老婦人の姿も見える。そろそろオレの方も、タイムリミットだな。近付く担任との約束の時間にそう考えつつも、ふと今更ながらに気が付く。……待てよ、よく考えてみたらオレ、ここでナルトが間に合わなければ普通にこの後の予定すっぽかす事ができるんじゃないか?

「ごっ――…めん、十分、間に合った!?」

飛び込んできた息切れの声に顔を上げると、そこにはぜいはあと引き攣れた呼吸もそのままに、膝に手をつくナルトの姿があった。
手に下げるのは二重に重ねられていると思わしき紙袋がひとつ。中身は確認せスともすべて葉書だろう、紙袋にはグリーンのラインと郵便のマークがプリントされている。
「まあまあ、ごめんなさいね」
そんな急がせてしまって、と言葉のわりにはぜんぜん悪びれていない様子で、着物の裾を抑えつつ老婦人は静かに戻ってきた。
乱れた呼吸をどうにか整えつつ、風に煽られ肩に上がってしまったネームタグを、ナルトが定位置に戻す。相当暑かったのか、途中でむしり取ったと思わしきマフラーは片手に掴んだままだ。
「だいじょうぶス、そしたらこれ、インクジェット紙年賀状二千枚――今領収書も出しますから」
ドンと会議机の上に紙袋を置くと、重みで並べられていた他の葉書が一瞬宙に浮きかけた。なかなかに重そうな荷物だ。ポーチから小銭を出そうとしていた女の子も、ずしりとしたその佇まいに目を丸くしている。
「……あの、今更なんですけど、だいぶ重いんですがこれ」
持てます?と汗をかきつつ不安げにするナルトに、老婦人はにっこりと笑んでみせた。
大丈夫、こう見えても結構、力には自信がありますの。
かくしゃくと袖の揺れる腕をぽんと叩いては請け合う老婦人に、はあ、とナルトが頭を掻いている。
再開された接客に、頃合いかとばかりにオレは一歩足を引いた。着ていたブルゾンを脱いで軽くふたつ折りに畳むと、しゃがれた駅のアナウンスを聞きながら、赤いそれを会議机の端にそっと置く。
時刻は四時十七分。……仕方がない、行くか。
「あ、もう行く?」
黙って抜けようとすると、そんなオレを、少女の葉書を袋に入れようとしていた山中がふいに呼び止めた。
ありがとう、上着渡しとくね。
にこりと笑んだその顔が、「ねぇサスケ君、」と最後にふと真面目になる。
「みんな待ってるよ、サスケ君のこと」
「……」
「本当よ?」
じっと真摯に言い含めてくるような言葉に、黙って視線を返した。自分では見てないが担任からの話だと、高校の裏掲示板にあったオレに対する書き込みは、一件だけではなかったのだという。
「――だから、すっぽかしはダメなんだから」
ね?とそう最後に付け足され、心を読まれたかのような釘さしに、ぎくりと顔が上がった。そんなオレの様子に、山中が「ふふ、」と不敵な笑みを浮かべる。
綺麗に整った眉が粋に上がり、昔に比べめりはりのはっきりした目元が、してやったりと細くなった。ふと以前、クラスのお節介から耳に入れさせられた話を思い出す――山中はその昔、オレの事が好きだったのだそうだ。本当かはわからないし、今はもう彼女はとうに他の男と付き合っているけれど。
…ち、とキレの悪い舌打ちを落としながら、先程まで行きかけていた自宅への道ではなく、高校へ向かう方へと身体を向けた。
住宅街を抜けていく通学路は呼び込みの声も高らかな商店街とはうって変わり、人の流れもまだ疎らだ。早々と薄暗くなっていく真冬の夕暮れに、道路脇に立つぼんぼりのような街燈がぽつぽつと点っていくのが見える。
「ちょっ、待って――…サスケ!」
賑わう駅前通りから抜け出し、穏やかな落ち着きをみせる通学路を気は進まないながらも歩いていると、どういうわけかオレは再びその声に呼び止められた。
驚きに振り返ったところに見える赤いブルゾン。本来の持ち主の元に戻ったそれは急いで羽織ってきたのか、先程とは違い前のホックは全開のままだった。中に見えるモスグリーンのニットに、巻く間が惜しかったのか未だ手に持たれたままの白いマフラー。そこに更に金の髪という色合わせは、ポインセチアやヒイラギで飾られた駅前通りからそのまま溢れ出てきたようだ。
「待てってば、あのさ…!」
「馬鹿じゃねえのかお前は、ここで出て来ちまったらさっき替え玉までした意味ねぇだろが!」
追いついてきたナルトに思わず叱りつけると、そんなオレにナルトは一瞬気圧されたように黙った。しかし驚きにまん丸くなったその瞳は一呼吸おいてすぐ、どういうわけかふにゃりと三日月に変わる。
「大丈夫だってば、今いのちゃん一人じゃねえから」
「あァ?」
「さっき局戻った時、応援頼んだの。もうすぐオレらも撤収の時間だし、どっちにしろいつも片付けの時は一人、手伝いに来てもらうから」
その人が来てくれたから、という言葉に思わず(は?)となったが、事がわかってくるにつれて徐々に腹がたってきた。……なんだそれ、だったら最初からそうすりゃよかったんじゃねえか。気分のままにそう言いつけると、ナルトは可笑し気に目を細めながら「ホントだな」と言って笑う。
「さっき山中はみんな忙しいから、すぐに出てくるのは無理だって……!」
「忙しいしすぐには無理だってばよ?――けどちょっと時間かかってもよけりゃ、一人くらいは出てこれるってば」
まあその場合十分は、さすがに無理だけどな?
最後に付け加えてはクンと上げられた片眉に、今度はオレがぽかんとさせられる番だった。首の付け根あたりから、不本意な熱が上がってくるのを感じる。
「……じゃあやっぱりオレ、必要なかったじゃねえか」
ぼそぼそ呟くと、ナルトはエッ?となったようだった。
なんで、今の流れでなんでそうなんの!?途端に慌てた様子の青に、むすりとして睨めつける。
「だってあのばあさん時間あるって」
「だからってそんな待たせらんねえってば、応援ったってどんくらいで来てもらえるかわかんねえし、そんなんでお客さんに待っててくれなんて無責任に言えないってばよ」

だから、ありがとう。
サスケがいてくれて本当によかったってば。

そう言ってはしんから嬉し気に目を細くするナルトに、なんだか言葉が出なかった。顔が熱い。伝わってくる感謝があんまりにも素直であたたかで、覗き込んでくるそのまなざしに、まっすぐ返すことができない。
「……そんなこと言って煽てようったって、そうはいかねえからな」
それでも黙ったままでいるにはどうにも落ち着かなくて無理に口を開けば、出てきたのはそんな、捻くれのような言葉だけだった。
そんなふうに頑張ってもまだてめえに兄さんのコーヒーは許さねえし。練習にも付きあってもらうからな。
もそもそと動きの悪くなった口先でそんなふうに言うも、ナルトは「ん、わかってるって」とにこにこするばかりだ。
「オレ家出るの十五分早くするし。イタチのじゃなくて、サスケのコーヒーを飲みに行くから」
「……」
「来年も、まだまだよろしくな?」
「……いちいち言うことが調子いいんだよ、郵便屋のくせにサンタみてェな恰好しやがって」
どうせだったらそっちに転職したらどうだ?ノルマもなさそうだし、などと絆されそうになるのを突っぱね悪言を押し付けると、受け取ったナルトは一瞬、きょとんとしては蕩けさせていた空色をまばたいた。
てっきり「ひっでえ、なんだそれェ!」とでも返ってくるかと思ったのにどうもしっくりこない反応に、つられてこっちまで「?」となってしまう。
「冗談だぞ?」
「あ、そうなの?」
「当たり前だろ」
「いや実はオレ、明日の晩サンタになる予定だから。なんでバレたんだろうって」
なんだ~違ったのかってば、などとヘラリとするナルトに、思わず「はァ?」とひっくり返った声が出た。そんなオレに、金髪の自称サンタがニシシと悪戯じみた笑いをみせては片眉を上げる。
あ、みんなにはヒミツな?一応ウチ、副業禁止だから。
そんな事まで言って立てられた人差し指に、呆気に取られた吐息が白く曇った。ぶるる、と不意を打つようにナルトのポケットで携帯が着信を訴える。ちらとそれを見てはすぐに切ってしまったナルトに、「おい、いいのかよそれ」と言いかけた途端、ぐっと急に距離を縮めてきた赤いブルゾンに思わずどきりと身体が固まる。
「――てなわけだから、プレゼント!ちょい早いけどな」
メリークリスマス!という華やいだひと言と共に、視界が一瞬、オフホワイトで塗り潰された。「…ッ!?」と竦んだ首裏に感じるふわりとした感触。ほんの少しのちくちくを含んだそのあたたかさに正体を察し、ホッとしたオレは閉じかけてしまった視界をやれやれと開こうとした。
しかし向こうは向こうで、そんなオレの油断を狙っていたのだろうか。学ランの襟回りを一巡したマフラーはそこで動きを止めることなく、有無を云わさぬ手早さで、二重三重と勝手にその層を重ねる。
「うん、これでよし」
こうした方があったかいってばと言いつつ、仕上げとばかりにフリンジの端を後ろできゅっと結びあげると、ぐるぐる巻きになったオレに一歩下がったナルトは満足げに頷いた。
その声にようやくハッとなる。しかし腹立たしいことに開こうとした口までもが、すっぽりとニットに埋もれた状態だ。
「――ばっ…要らねえよこんなの、余計なことすんな!」
細くされる青い目に、カッとなってすぐさまその結び目を引っ張ろうとしたが、それを見たナルトはすぐに「え、ダメだってばそんなの、着けたばっかなのに」などと不満げに口を尖らせた。
止めようとした大きな手がオレの手首を掴む。うわっ、サスケお前、腕ほそすぎじゃねえ!?そんな心底驚いた様子の声に、不本意にもかあっと顔が赤くなる。
「肉付いてねえのに、そんな薄着のままじゃ風邪ひくって」
「るせえよ、ほっとけっての!」
「でもほら、寝込んじまったら店出れないじゃん?そしたらオレもサスケも困るってば」
だろ?と抵抗しようにもそう言われてしまうと、悔しいが反論は飲み込まざるをえなかった。このやろう、ちゃっかりわかったようなこと言いやがって。不満ではあるがしかしひとまず黙ったオレに、「やっぱ、似てるよなあ」などと可笑し気にナルトが眉を下げる。どうせまた癇癪もちの黒猫とでも、オレを比べているのだろう。
「じゃあ――引き止めてごめんな。行ってこいってば」
暗くなってきたし、道、気を付けて。そんなふうに最後に付け足されそっと背中を押されると、トンと一歩、すんなり足が前に出た。
思いがけず軽くなった身体に一瞬どきりとする。ナルトは相も変わらず、大きな身体でゆったりと構えるばかりだ。
面白くないような、気恥ずかしいような、どっちつかずな気分で歩き出すと、それらが邪魔をしているのかほんの少しだけ、先程よりは行きたくない気持ちは誤魔化されたようだった。息をひとつ吐き、肩にかけたナイロンの指定鞄の位置を少し直す。待ち合わせの時間には既に少々遅れてしまっているが、まあたぶん、ここまできたら担任にはどうとでも言えるだろう。
やや行ったところでほんのわずか後ろを返ると、街灯の下、大きなシルエットは、まだオレを見送っているようだった。目があった途端、優しい空色がやわらかく笑う。大丈夫、とでもいうかのように振られた手に、知らず締まらない舌打ちが出てしまう。
(くそ、あのオッサンめ)
なんだか妙に丸め込まれた気分になったオレだけれど、しかしそんな気分もそこまでだった。ふと湧いた悪戯心にもう一度振り返る夕闇の住宅街。そこに見えたのはのんびりとした態度から一転、スマートフォンを握りしめ大急ぎで来た道を戻っていく、金髪のサンタクロースの姿だ。
(……なんだァ?あれ)
どうやらやっぱり無理を押して来ていたらしいその様子に、なんだか急に、張っていた肩の力が抜けた。
がっちり巻かれたマフラーの陰でこっそり笑うと、オレは再び落ちかけていた鞄の紐を引き上げて、ポケットに両手を突っ込んだ。