分別/隣人LOG

これが恋というものかしら

「「管理人さん、おはようございまぁ~す!」」
「……おはようございます」
揃えた挨拶にいつも通り返してくれるしっとりと落ち着いた声に、私とサクラはうっとりと聞き惚れた。今朝は黒のカットソーにジーンズだ。シンプルで無駄のないスタイルは一段とそのきれいな顔を引き立てていて、興奮した様子のサクラが「イノちゃんイノちゃん!今日もカッコいいね!」と囁いてきた。会釈しながら前を通りすぎ、早足で道を折れて彼の姿が見えなくなった途端、私達はどちらからともなく堪えきれなくなった黄色い悲鳴をきゃー!!とあげた。
数ヶ月前。私達はずっとずっと探し求めていた運命の恋に、とうとうめぐりあった。
毎朝、古ぼけたアパートの前でお掃除をしている素敵な人。
……実は名前も知らない彼のことを、私たちは陰でこっそり「王子」と呼んでいる。
はァ?王子?なんて笑わないで欲しい。だって私もサクラも、彼と出会った瞬間同じ事を思ったのだ。『見つけた、私の王子様!』って。
「きっと、すごくすごーく優しいのよ。傷ついた鳥を放っておけないくらいだもん」
「そうそう、それにあの、物憂げな視線がたまらないわよね!」
給食袋をふざけて振り回している男子達を横目に、私たちは頷き合う。
学校の男子達なんて、ホント、どーしよーもない。ガキっぽすぎて(まあ事実ガキなんだけど)私たちの恋のお相手としては、まったくオハナシにならないのだ。
乱暴だし、口は汚いし、意地悪だし。
そのくせ、こっちがちょっと言ってやるとすぐにぶすっとして黙りこくっちゃうし。
「王子は、違うよねぇ」
「もちろん。オトナだもん」
うっとりとふたりで思いに耽る。ああ、なんてしあわせ。
恋ってなんて素敵なんだろう。ホント、こういう日々を私達はずっと待ち望んでいたのだ。


そんなある日、いつも通りの時間に家を出た私は、胸をときめかせながら彼のいるアパートに続く道をひとりで歩いていた。いつもだったらサクラと待ち合わせしていく通学路だけれど、今日は風邪でお休みするって、サクラのママからうちのママへ今朝メールがきたのだ。
ひとりで彼に挨拶するのは初めてだ。うまく声が出せるだろうか。
そんな事を思いながら、初めて挨拶をしてみた時の、彼の様子を思い出してみた。ちょっとびっくりした顔も、低い声も、すごくすごく素敵だった。
……やっぱり、クラスの男子とはぜんぜんちがう。恋に落ちるなら、やっぱオトナの男の人でないと!
はやる足に気をつけて歩いていると、遠くにすらりとした王子の立ち姿が見えた。手にしているのはモップ。……でもでも、ああん、今日もかっこいい!
息をすって、はいて、もう一度すって、できるだけカワイイ声をつくって「おはようございまー……」と言いかけた、その時。

「サースケ!おはようってばよ!」

アパートの奥から、ものすごく機嫌のよさそうな声が聞こえてきた。
やだ。なんて能天気でアホっぽい声。
「よォ、おはよう」
そのアホ声に、王子がすごく優しげな顔で振り向いたから、私は心底驚いた。
なにその顔。……それになんて、安心したような声。
「リハビリ、今日からか?」
「うん、そうだってばよ!術後の経過もいいし、予定よりも早くリハビリ始めていいって。それもこれも、執刀してくれた先生の腕が良かったお陰だって、看護婦さんに言われたってば」
玄関から出てきた金髪頭のでっかい男が、王子の前に立ちはだかった。「さすが、うちは一族のお医者さんは優秀だなー」と破顔して言う男に、「フン、当たり前だ」と王子が言う。
「ま、せいぜい病院に迷惑かけないように、頑張ってくるんだな」
偉ぶった口調でそんな事を言いながら、王子がふと、金髪男の顔に注視した。一歩近づいて、しげしげとその口許を見ると、トントンと長い指で示す。
「……ここ。なんか付いてるぞ」
「え?マジで?」
にわかに慌てた様子の金髪男を呆れたように眺めていた王子は、しばらくすると大げさな溜息をついて、ちょいちょいと男に手招きした。
きょとんとした男が、少しかがみ込みながら呼ばれるがままに王子の方へ顔を寄せる。
すると、おもむろにその頭をがっしと掴んだ王子が、親指でぞんざいに金髪男の口許をぐいぐいと拭い始めた。
「――痛い!!痛いってば!!」
「うるせェ。人にやってもらってんだから、ありがたく思え」
最後にその指先を男のシャツの端で乱暴に拭くと、王子はやっとその手を離した。
ああっ、拭いた!?しかもおれの服で!と騒ぐ男を見下げて、ニヤリと意地の悪そうな笑いを浮かべる。

「ほら、行ってこいよ、ウスラトンカチ」

そう言われた金髪男は、青い瞳を少し潤ませながら王子を見詰めた。
……いじめられて、半泣き?……ううん、なんか違う、それにしてはやけに擦られて赤くなった口許が嬉しそうだもの。
(…………敵。あいつ、敵だわ)
ぜったい、そう。通い慣れた通学路に立ち尽くしたままで、何故だか私は確信した。

「……サスケェ」
「……なんだよ」
「サスケ、サスケ、サスケサスケサスケェ!」
「――ウッゼェ!!早く行け!!!」

何を思ったのか、うっとおしいほどに名前を連呼しだした男のお尻を蹴り飛ばして、王子は未練がましく何度も振り返る金髪バカを通りに追い立てた。
遠ざかっていくその姿がとうとう見えなくなると、きれいな唇にやわらかな笑みが浮かぶ。
上機嫌な様子で管理人室に消えていくその後ろ姿を、私は呆然と見送った。
いとしの王子様は、とっても乱暴そうだった。口も悪くて、多分というか絶対ちょっと意地悪だ。
でも、どうしてだろう。なんだか昨日よりも、もっと、ずっと、彼の事が気になる。

(……サスケくん、っていうんだわ……)

「さん」付けよりも「くん」の方が、彼には似合っているようだった。
サクラにも、報告しなきゃ。
そう思ったけれど、何故だか今日は、それをしたくないように思えた。つい先程知ったばかりの彼の名前が、心の中にゆっくりと沈んでいく。
……誰にも渡したくない秘密の名前って、こんなにも重たいんだ。
そんな事を、ふと思う。

吹く風が甘い。……胸が、苦しい。

残照

友人のたっての願いで紹介されたその少年は、カカシのまだそう長くはない人生の中で未だ出会ったことのないタイプだった。
信じられないくらい落ち着き払った物腰、端麗な容姿。
すっきりと伸びた背筋に、伸ばした髪がゆるくかかる。

「……あなたがカカシさん、ですか?」

待ち合わせに指定された図書館の前で、訝しげに声をかけてきたのは彼の方からだった。
静かで穏やかなトーンだ。その声は硝子細工に閉じ込めた砂時計の砂がゆっくりと落ちていくのを連想させた。永遠で、乱れのない音だ。
「そう。でもって君が、イタチ君だよね?オビトの甥っ子の」
にっこり笑顔をつくりながらそう言うと、一瞬測るようなまなざしで少年がこちらを見たのがわかった。あれ?この子って。その意外さに、ほんの少し身構えたカカシに向かい、少年はそれを制するかのように整った笑顔を見せた。
「はじめまして。うちは、イタチです」


「あのさー、イタチ」
「……なんですか?」
ペンが紙を引っ掻く音がそこかしこで聴こえる図書館で、絞った声の会話が今日も繰り広げられていた。テキストに向かうその落ち着いた横顔にも、最近はもうだいぶ見慣れてきた。
「俺さ、ここに来るまでに30分も歩かなきゃなんないのよ」
「俺だってそうですよ。35分です」
「お前んチだったら5分で行けんのよ?なんでこんな面倒な待ち合わせしなきゃなんないの」
ひそめた声で出した不満に、少年はほんの少しだけ視線を上げた。
「……言ったじゃないですか。弟がいるからだって」
「だからね、なんで弟がいたらダメなのよ。俺別に気にならないよ?」
何度目かの提言に、少年は仕方ないなあというように、ふー、と長い息をはいた。とても十代とは思えない仕草だ。
「……いいでしょう。では、次の時はうちで会いましょうか」
でも、絶対に、うちの弟には手を出さないと約束してくださいね。
睨むようにそう言われて、カカシは一瞬言われた意味が解らなくてぽかんとした。しばらくして少しだけその混乱が落ち着いてきたところで「あの、弟、なんだよね?」と恐る恐る確認する。
「……俺、男だけど」
「見ればわかりますよ」
「弟くんも、男の子だよね?」
「当たり前じゃないですか」
じゃあなんでそんな事を言うの?と若干震える声で問えば、「うちのサスケは老若男女問わず虜にする程かわいいからです」と真顔で答えられ、思わず絶句した。友人から薄々聞いてはいたが、なんというブラコン。
「そんな。いくらかわいいからって、この俺がガキ相手に変な気起こしたりしないって」
へらりと笑って言うと、あたりを憚ることなく疑いの眼差しを向けられた。結構、傷つく。
そうやっていつも、弟に近付いてくる人を追い払ってるの?と問えば、ええ、まあと少年は少しだけバツが悪そうに目を逸した。過保護だなあとついもらすと、ムッとした様子で秀でた双眸がこちらを向く。
「そんなんで、この先どうするの。いつか弟くんにだって好きになる人ができたりするだろうに」
「俺が認めた相手でなきゃそんなの許しません」
「認めるって、どんな相手だったら認められるわけ?」
呆れながらもそう尋ねると、一瞬困ったように少年が口篭った。その時だけ、なんだか年相応の表情になる。
「…………そうですね。もし、この俺以上にサスケの事を愛しているヤツでも現れたら、認めてやってもいいですよ」
ようよう考えた末に出してきたらしい答えと、絶対に陥落されなさそうな鉄壁のガードを感じさせるその口調に、カカシは初めて会った時の不思議な違和感を思い出した。
ああ、そうだ、この子の本質は多分こっちだ。聖人君子のような外面に惑わされがちだけれど、実は結構性悪なとこもありそうな。……なんというか、絶対に、敵には回したくないタイプだ。
「まあ、サスケの事を好きになるヤツは、これからいくらでも現れるでしょうけど……」

――まず、負ける気がしないですね。

端正な文字を書きつられているノートから目を上げて、少年は不敵に笑った。その顔に、カカシはなんだか頭が痛くなる。
……まったく、どうしてこう、うちは一族ってやつは。
幼馴染の紅一点に熱烈に片思いをし続けている親友の顔を思い出しながら、カカシはこの先の未来を憂慮するかのような溜息をついた。

蘇る黄色い閃光

――それはとある幸福な家族の、いつかの光景。

「ミ、ミナトッ、ミナトォォー!!」
「ん、どうしたんだい?クシナ」
「――Gがでた!!」
「マジかってばかーちゃん!?」
「マジだってばね!!」
「うおおお、待ってろとーちゃん今対G専用スリッパ持ってくるってば!!」
「ああ、頼んだよナルト!」
「ミナトォ、あいつ今日もメチャクチャ素早かったってばね……!」
「……大丈夫だよクシナ、君達はこのオレが必ず守るからね……!」
「あなた……!!」
「とーちゃんスリッパ持ってきた!!」
「ありがとナルト」
「オレも見てていいかってば!?」
「ん!もちろんだよ、父親ってのは背中で倅に語るものだからね!」
「うおおお、カッコイイぜとーちゃん!」
「ん!とーぜんだよ!」
「ぎゃああ、ミナトミナトこっち来たー!!」
「ナルト、いつかはオレを超えていってくれよ?………では」

―――ヒュッ!
べしん!!

「スゲー!!一撃だってばよ!!」
「ぎゃあああ、ミナトかっこいいィィ!!!」
「ふっ……ま、こんなもンかな」
「オレも!オレもいつか二代目黄色い閃光になるってば!!」
「ん!お前を信じてるよ、ナルト!!」