バタフライ・エフェクト

※モブによるやや無理矢理な描写が含まれます。苦手な方はどうかご注意ください。



苦しい時は、数をかぞえる。
そんな事を、この屋敷に連れてこられたばかりのサスケにこっそり教えたのは、当時組にいた経理係の男だった。
数というのは無限だ。どれほど永遠に続くと思われるような嫌な時間でも、数字の前ではいつか必ず先に終わりがくる、有限のものだった。
元はどこかの銀行員だったのだというその気弱そうな男が、どういった経緯でこの世界に流れ着いてしまったのかは知らない。ただその話を聞いて以来、どうあっても逃れられない時間をやり過ごさなくてはならない時、サスケはひたすらに、頭の中で数をカウントするようになった。目の前で血と欲と暴力が飛び交う時、下世話な男たちが陰であれこれ自分の事を揶揄しているのを察した時。そうしてその話をしてくれた元経理係の男が、組の金に手を付けたという理由で凄惨なリンチをその身に受けている時も、サスケは無表情のまま黙ってカウントをするだけだった。
そうしてすべてに慣れたこの頃、サスケが数をかぞえるのは専らそれの時だけだ。
ただ美しさを愛でるためだけの、愛玩品――男にとっての自分の価値は、今も昔もそうであり、それ以上でもそれ以下でもない。
男の情夫としてこの屋敷に置かれてから、丸二年。
その事については既にいやというほど、サスケは心と身体の両方で、思い知らされている。
(いち、にい、さん……)
ぬちぬちと後ろからしつこく中を掻き回そうとしている性器が、卑猥な音をたてそこを出入りしている。元から壮強であったのか男は決してもう若くはなかったが、その攻めはいつも長く、そして執拗だった。疲れてきた背中がぐにゃりと落ちる。途端、容赦なく腰が掴まれたかと思うと、引き上げられる勢いのまま更なる奥を突かれた。押された内臓にぐっと胸が詰まる。苦しい。
「休むな、まだだ」
淡々とした命令と共に、ぴしゃりと尻を叩かれる。自然うめき声が漏れたが、しかしそれにも構わず男は欲を押し付けてきた。最奥を味わっているらしいその喉からは満足げな溜め息が聴こえたが、額をシーツに押し付け突っ伏したままのサスケは、唇を噛むばかりだ。ぞろりとあばらを撫でてくる手に、細い蛇の巻きつく左手が思わず握りこぶしを作る。親であり飼い主でもあるこの男に身体を暴かれるのは、すでに当たり前の事だ。逃げるのを堪えている腰に、ふんと背後でかすかに笑う気配がする。
(ひゃくにじゅうご、ひゃくにじゅうろく、ひゃくにじゅうなな――)
いっそ頭を空っぽにして、快楽に溶けてしまえたらいいのに。常にそう思うのだが、サスケにとってのそれはどれだけ回を重ねても、いっこうにこわばりを取りきれないものであった。
が、男からはむしろ、サスケの持つその潔癖さが興を引くらしい。男にとって重要なのは自らの快楽だけだ。嗜虐趣味のある彼からしたら、見た目は特上なうえ自分の性癖も満たすサスケは、実に具合のいい相手なのだろう。
「う、く……!」
「まったく、本当にいつまで経ってもお前は慣れないな」
そら、たまには佳い声で啼いてみろ。
押し殺した慄きを愉しむかのように、男は根本まで押し付けたまま、肉の張った腰でゆっくりと大きな円を描く。やがて掠めた一点に、サスケはようやく「ひ、」とかすかな息を漏らした。あざ笑うかのように、今度はそこばかりを狙った強い突き上げが始まる。無理矢理に押し出される掠れた喘ぎ。強引な揺さぶりに、ぶれた視界では生理的な涙が否応なく滲む。
(ごひゃくにじゅうろく、ごひゃくにじゅうなな、ごひゃくにじゅうはち……)
深くまでを抉る、身勝手な熱が重苦しい。普段であればとうに男の動きに身体ごと無し崩されているところだったが、それをどうにか吐く息で必死で逃し、サスケは震える膝を再び立てた。
まだ、まだだめだ。今夜はまだ沈むわけにはいかない。
精を吐き出し満足すれば、その後そのまま男は眠りにつく。機があるとしたら、その時だけだ。特別な理由などはなく、ただの酔狂ではあったが、サスケには今夜、寄ってみたい場所があった。

とち狂ったどこかの馬鹿が、また頭の気に入りに手を出そうとしたらしい。
当の本人であるサスケの耳にそんな話が入ってきたのは、今日の昼過ぎの事だ。
男に抱かれているのは周知の事実だったし、なにか嗅ぎつけるものがあるのか、時折出掛けた先でそういった趣味を持つ輩から粉を掛けられる事はままある事だったから、話としては別に珍しくもない。しかしそいつが変わっていたのは、その訪れてきた時のスタイルだった。
まだ少年ではないかというほど若いというそいつは、真昼間正面堂々と、ヤクザの屋敷にやってきたらしい。まあ百歩譲って、そこまではまだよかった。まずかったのはその後だ。緊張した面持ちでやってきた訪問者は、ふてぶてしくもここの頭である男を軽んじるような発言をしたのだという。
(……まったく、これでよくも番なんていえたものだな)
見下ろした赤ら顔に、思わず鼻が鳴る。見張り役の男が酒に弱い事は、以前より知っていた。
飲むとその記憶が、だいぶ怪しくなることも、そうしてその彼が自分にやや岡惚れしているところまで、サスケはすべて承知の上だった。
流し目に勧められるがまま盃を重ねたその身体が、ぐったりと椅子に凭れる。それを尻目に沈んだ腰に指を伸ばせば、一応それらしく腰に括り付けられていた古い鍵束は、何の問題もなくひょいと白い指先に取り上げられた。 やすやす手に入れたそれを、音を殺すように手のひらで握り込む。錆くさいその鍵は古い屋敷の一角、秘密裏に作られた牢のものだ。
ひたと前に出した足先が、ひんやりとした隠し階段の湿り気を拾う。音を殺し、息を潜め進む先、暗がりの一番奥に、囚われたそいつはいるはずだった。

     *

彫り師という、職業がある。
人の身体に墨を入れるというその職の世界に、ナルトは最初から自らの意志で足を踏み入れたわけではなかった。
養い親であった人が、それを生業にしていたのだ。
ナルトは孤児だ。そうしてそんなナルトを子供の頃引き取り育ててくれたのが、古くから日本にあるいわゆる和彫り――それは若者が気軽に入れるファッションタトゥーなどとは、明らかな一線が引かれている――の、第一人者と言われている人だった。本人は否定していたが、孤児を引きとる中にはどこか、自分の後継者をという思いもあったのではないかと思う。しかしそれはそれとして、ナルトはこの、『刺青』というものが好きだった。
だから結局は、自分の意志だと言っていいのかもしれない。いずれにしろ気が付けば、その育ての親が亡くなってからもナルトは当たり前のようにこの世界におり、そうしてそれは、まったくもって唐突な出会いだった。
(――ああ、見つけた)
雷に打たれたような衝撃。使い古されたような喩えではあるが、きっとあれこそが、まさしくそういった状態なのだろう。
若者で賑わう都心の繁華街、スクランブル交差点のど真ん中。迫る始業の時間に急ぐ中、騒めきに紛れ聴こえてきたその映像と音楽は、若いアーティストによる短いミュージッククリップらしかった。
呼ばれるように顔を上げたナルトの目に、真正面のビルに掲げられた巨大モニターが入る。自然、何気なく見たそこに映し出されていたのは、一匹の美しい蛇だった。白くしなやかな腕に巻きつく、それは刺青だ。目を奪うその見事な意匠に、思わず急いでいた足が止められる。
(……すげえ、本当に生きてるみたいだ)
そんな事を思っていると、ゆっくりとズームアウトしていったカメラは、やがて腕の蛇から照準を広げ、美しいその生き物の持ち主を映しだした。
年の頃はナルトと同じ、十七、八くらいだろうか……墨の入った左腕を際立たせるためか、若い彼は上には何も纏っていなかった。細い腰にゆるく穿くのは色の褪せたジーンズのみだ。ぬけるような白い肌に、そこを飾る慎ましやかな薄紅の尖りに。男であるのを承知で、思わずごくりと喉が鳴る。……やばい。勃ちそうだ。
(なんなんだってば、こいつ)
妙に掻き立てられる焦燥にも似た衝動に、ナルトの心臓はどくどくと高鳴った。やがて映像が終わる間際、ずっとうつむいていた彼がふと顔を上げる。あらわれたのは、驚くほどに整った面立ちだ――そうして降り注いでくる、美しい夜のまなざし。
射抜かれた瞬間、直感的にナルトは確信した。
……見つけた、彼だ。
なんとしてもオレは、彼に会わなくてはならない。

(――なんて、やっぱ甘すぎたかなあ)

ぼやぼや考えながら、切れた口の端にイテテと思う。押し込められたその牢はどうやら割によく使われている場所らしく、どことなくまだ前にいた人物の、血の気配がうっすら漂っているようだった。
殴られた顔や腹はどうでもいいが、後ろ手に縛られた両手が気になる。彫り師にとって手は最も大事にすべき道具だ。力任せに縛られた手首だったが、万が一にでも神経を痛めるような事になったら、本当に元も子もない。
「え、オレ知ってるよ、その子」
興奮冷めやらぬまま職場に飛び込んできたナルトに、尋ねられた現在の師匠はあっけらかんと返した。そこは都内に構える、とあるタトゥースタジオ。保護者であったその老彫り師が亡くなって以来、ナルトはここで職に就いていた。深く針を入れ、後から消す事もできない和彫りは、現代ではなかなか入れる人も少ない。彫り師としてのプライドにかけて、決してタトゥーなどというものには迎合しないと、がんとして決めている者もいるが、実際のところ食っていくには、ある程度は時代にも沿っていく必要があった。実際ここの彫り師であり経営者であるこの寝ぼけ眼の男性も、元をただせば亡きその名人の弟子だ。小さい頃からよく知るその人の元で、アシスタントとして働きながらナルトは色々と学ばせて貰っている。
「へ? 知ってる?」
「うん、だってその子紹介したのオレだもん。そういう映像作る会社に知り合いがいてさ。そいつに訊かれたの、なんか墨入れた子で、雰囲気ある子知らない? って」
ぴったりだったでしょ、彼。にこにこと打ち明けられた話に、思わずぽかんと口が開く。が、すぐにはたと気を戻し口を閉じると、ナルトは(ウンウン!)と力強い同意を見せた。確かに、あんなにも綺麗な少年を、ナルトは知らない。
で、どこに行けはそいつに会えんの?
早速そう言ってはワクワクしつつ尋ねると、途端にその人は(え?)と眉を曇らせた。
「え? ってなに」
「あ、いや――そっか、ナルトあの子に会いたいの?」
「もちろん! あいつオレがこれまで見た中で、最高に墨が映える肌してるってば」
 いつかきっと、オレってばあいつに……そう言いかけるも、何故か聞いているその人は顔を曇らせたままだった。思わず(ん?)首を傾げる。そんな邪気のない仕草をするナルトに、申し訳なさそうにその人は「残念だけど」と告げた。
「……お前の気持ちも解らなくはないけどね。けどそれはかなり難しいんじゃないかな」
「え?」
「あの子ねえ、旦那さんがいんのよ」
「…へ?」
「ナルトも名前くらいは知ってるでしょ、**組の親分さん。あの子は――サスケは近年まれに見る、久々のお気に入りだって話だしね。あの映像だってその親分さんが面白がってくれたから許可が出たけど、撮影すんのにめちゃくちゃピリピリムードで大変だったんだから。変に手を出そうものならお前、本気でどこか山奥にでも埋められちゃうんじゃないの」

(……くそう、なにが旦那だ)
ふと玄関先でのひと悶着を思い出し、きりきりと奥歯を噛む。彼を取り巻く事情と環境は理解できたが、かといってハイソウデスカと引き下がるわけにも、ナルトはいかないのだった。
だってオレは、見つけてしまったのだ。
きっと彼は、オレの最高傑作になる。
そうしてあの肌に針をあてがえるだけの、それに見合う腕を持てるようになりたかった。いや、なるのだ。それが出来たらきっと、彫り師としてこれ以上ないほどの栄誉に満たされるだろうと思った。なにが旦那だ、なにがヤクザだ。崇高なオレのこの願いの前では、そんなもの一切関係ない。……まあ、とはいえ、今はまだバラバラにされたり産廃と一緒にどこぞへ埋め立てられたりするのは、出来たら勘弁してもらいたいというのが本音だけれど。
(……ん?)
囚われたままの暗闇に、ちらりと灯りが揺れる。するすると動いているそれは、どうやら揺らめき具合から推測するに、蝋燭の灯りのようだった。
近くなってくる光はやがて、それを持つ人の全容を見せる。きっとその旦那だという男の趣味なのだろう、痩せた肩に流すように羽織っているのは、朱い半襟も鮮やかな黒の絹で出来た長襦袢だった。いい加減に前を合わせているが、そこから覗くのは白い素肌だ。想像するに、たぶん下には何も着けていないのだろう。明らかに閨から抜け出してきたばかりといった様子のその艶めかしい姿に、驚く前につい見惚れた溜め息が出る。
「じろじろ見てんじゃねえよ」
放心するナルトに、ようやくまみえた彼は檻の外からぞんざいに告げた。その声は想像していたよりもほんの少し低い。そして想像していたよりも、ずっと鼓膜に甘い。
「……うちは、サスケ?」
いきなり現れた目的の人物に、ようやく戸惑いを感じナルトは檻のような牢の鉄格子に近づくと、おずおず確かめた。が、目の前で腕組をした彼はそれには返事をしない。ただ(ちっ)と短く落とされた行儀の悪い舌打ちだけが、面白くもなさそうに牢の前の廊下に響いた。……どうやら見た目から得たイメージより、『うちはサスケ』はなかなかに殺伐とした性格をしているらしい。気だるそうな背中がゆっくりと、測るような目付きのまま、向こう側の壁に寄りかかる。
「お前かよ、白昼堂々ヤクザの家の庭先で大騒ぎした馬鹿ってのは」
淡々と。感情の見えない声で彼がまず言ったのは、昼間の騒動の事だった。サスケに会わせてくださいと、言葉こそ丁寧だったが結果的に完全に間男のような発言をしたナルトに、応対した下っ端の組員は最初、鼻で嗤って追い返そうとした。どうせまたどこかであいつの色香を嗅いでしまった馬の骨が、身の程も弁えずふらふらと迷い込んできちまったんだろ。下っ端が考えたのはそんなところだったが、しかし訪問者は続けてこんな事を叫んだのだった。
『オレは彫り師だ。――別にあんたらの親分から、あいつを横取りしようってんじゃねえよ!』
下っ端の男は混乱した。彫り師? 横取り? なんだかよく解らなかったが、なんとなくそれは自分たちの掲げる親分を小馬鹿にした発言のように聴こえた。そうしてよく解らないものはとりあえず殴る。それは頭の回りが決してよくはないその下っ端にとって、たったひとつの自分ルールだ。
「別に好きで大騒ぎにしたわけじゃねえよ。……っていうか本当に、オレってばお前に会いたかっただけで」
そう言っては殴られて腫れた目で、ナルトはサスケを見る。半分になった視界では、壁に寄りかかったままの彼が変わらず無表情のままこちらを見詰めていた。それにしても実際会ってみても、つくずく綺麗な少年だ。組んだ腕に見える細い蛇。やはり美しく巻き付いたそれは、こうして上を着ていると、まるでそのすべすべした身体で絹の袖口からするりと這い出てきているようだ。
「……彫り師というのは、本当か?」
賢げな顔したその蛇についまた見惚れていると、そんなナルトを知ってか知らずか、彼は再び訊ねてきた。慌てて蛇から目線を外し、ふたたびその顔に照準を合わせる。やはり表情はない。
「ああ、本当だってば」
「彫り師がオレになんの用だ」
「オレってば偶然、街でお前の出てるPVを見て。なんていうかすげえ、綺麗だったんだってば。そんでいつかオレにお前の肌、預からせて欲しいと思ったっていうか――まあつまり、彫らせて、欲しい。お前ってば絶対、墨が映える最高の肌してるってば」
だから頼む、それまでは誰にも、これ以上肌さわらせないでくれ。大真面目にそう頼めば、そこでようやく彼は、言われた事に目を大きくしたようだった。途端、ぱちくりとまたたく冷めていた黒――「く、」という喉の奥からの音に、空気が揺らされたのはその瞬間だった。ふくく、と笑みに震えるその口元。華奢な肩をくつくつと揺らす唐突なその笑いに、あちこち残る傷みも忘れ、思わず呆然と魅入ってしまう。
「――本物の馬鹿だな、お前。誰にも肌を触らせるななんて、このオレを何だと思っているんだ?」
ヤクザの情夫だぞ、オレは。きっぱりそう断じると、サスケは静かに笑いをおさめ、そうして今度は黙ったまま、壁に寄りかかっていたその身体をゆっくりと起こした。
 ひたり、と一歩前に出される足先が、迷うことなくナルトの方を向く。美しい切れ長の瞳を彩っているのは、研ぎ澄まされた強い光だ。
「なめてんのかてめえは」
「違っ…そういう意味じゃねえよ!」
「勘違いしてんじゃねえぞ――てめえなんかやろうと思えば、このオレの意志ひとつでどうとでも出来るんだ」
そう言うと一歩ずつ近付いてきた足が、ふいにぴたりと動きを止めた。
……一瞬の静寂。そうしてじっと座るままのナルトの目の前の鉄格子から、真っ白な蛇がこちらに飛び掛かってきたかと思うと、息をつく間もなくグッと、強引に胸倉を掴まれる。速い。

「……なんなら今すぐここで、てめえをぶち犯してやろうか?」

引っ立てられ鉄格子に押し付けられた耳に、彼が囁く。吹き込まれた脅しは下品なことこの上なかったが、その声はいっそ睦言のような甘い響きを絡ませていた。
ぐっと堪えた喉で、どうにか顔の向きを変える。
覚悟を決めじっと見据えてくる青い瞳に、上位にある黒は、静かにそれを眇める。

「かまわねえよ。それでお前に、もっと近付けるなら」

なんだってやれよ。そう言い切ってみせると、両手を縛られたままのナルトは身体を震わせ胸倉を掴む手を振り切ると、牢の真ん中で胡坐をかき、まっすぐに背をのばしぎゅっと目を閉じた。そうしてから「すう、」と深く深呼吸をする。もちろん男に犯られるなんて経験はない。けれど彼がそれで気が済むのなら、本当にどうされたってよかった。…とはいえ、きっと痛いんだろうなと思う。まあ仕方ない。女を知る前に男を知る事にもなるわけだが、こちらの方はどちらかといえば自己責任だから、この際諦めるしかないだろう。
閉じた視界の中つらつら考えていると、やがてカチャカチャという金属音が牢に響きだした。緊張する耳で、それが解錠されるのを聴く。ぎい、と軋む蝶番。後ろに回されたままの手が、知らずぐっと握り拳になる。



(………あ、あれ?)
ナルトがようやく異変に気が付いたのは、それからしばらく経ってからだった。
鍵が開いた気配はある。なのに待てども待てどもいっこうに、触れてくるものがない。
「いつまでやってんだウスラトンカチ、とっとと出ろ」
掛けられた声は、牢の外からのものだった。強く瞑りすぎて少し潤んだ視界に映るのは、先程同様壁に背を寄りかからせる、少年の姿だ。
「え?」
「早くしろ。あいつが起きる」
「いや、なんで……し、しないの?」
「当然だ。なに真に受けてんだ、するわけねえだろ」
てめえのようなむさい男に、誰が勃つかよ。
突然切れた緊張に、ぽかんと呆気に取られるナルトへサスケはそう告げた。縄は自分でどうにかしろよ。面倒そうにそれだけ言い捨てると、寄りかかっていた壁から再び身を起こし、襦袢の裾を揺らしさっさと出て行ってしまう。
「――あ、なあ!」
 去っていく彼に思わず声をあげると、立ち止まったサスケは顰め面で小さく振り返った。
(……だから、でかい声出すんじゃねえ。殺すぞ)
 蝶の羽ばたきのようなひそひそ声が、不機嫌な空気と共に流れてくる。
(あ、そっか)
(そっかじゃえねよ)
(あのさ、あのさ! そういやオレってばまだ、お前に名前教えてないよな)
 知りたいだろ? 
そう言って追いついた背中にニシシと笑いかけると、至極うんざりといった感じでサスケが眉を顰めた。湿っぽい廊下に(ハァ)とひとつ、重い溜め息が落とされる。なんだか妙な具合になってきた。そんな事を思いながら、仕方なくそのすっかり明るくなった、空色の瞳を見遣る。
「……別に知りたくもないが、言いたいなら言ってみろ」
 離れていく開けっ放しになった鉄の牢の扉が、ぎぎいとまた揺れる。
廊下の果て、赤ら顔でまだ眠りこけたままの男の上で、灯りに飛び込んだ蟲の羽が(ジジ、)と燃えた。



(なーなーサスケ、あとさ、もうひとつ)
(うるせえなんだ、つかなに勝手に呼び捨てにしてんだお前は)
(ウスラトンカチってなに)
(あァ?)
(……どーゆー意味?)
(……知るか!てめえで考えろ)



【end】
2017.6.12「全忍集結6」にて発行したもの。このふたりけっこう気に入っているんですが、書いていた当初からストーリーばかりが壮大になってしまって結局発行するには出会い部分しか書けなかったのがとても悔やまれます…こちらも本当ならエンディング部分を書きたかった。しかし当時はなにしろ時間と余裕がなかったです。いやそれは今もか…。
サイトへの再録にあたり、最後の会話部分だけ追筆しました。